トーキング・マイノリティ

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アラビアのロレンス完全版 その②

2010-08-04 21:15:11 | 映画
その①の続き
 主人公ロレンスを美化する意図もあったのか、登場人物の中には実際と違い悪く描かれた者もいる。中でも特にアレンビー将軍など、狡猾な策士のような描き方となっていたが、これではアレンビー、ロレンス双方に不本意となるだろう。映画でのアレンビーはロレンスの戦功を徹底利用、御用済みになれば体よく帰還という名で追い払う設定となっていた。ロレンスの葬儀の際、記者に質問されても彼個人のことは知らないと答えている。しかし、実際にこの両者は互いに心服を抱いており、戦後も手紙など通して交流はあったのだ。

 映画ではアラブ服のままロレンスがアレンビーに会見したのは事実であり、前者はアカバ制圧の結果を語り、アラブ軍の実力と役割を強調、説得したのみならず、実に20万ポンド(後に50万ポンドに増大されている。現代だとどれほどの価値なのか?)の軍資と、フリーハンド(自由手腕)まで臆面もなく要求する。将軍もあっさりとそれを快諾している。ロレンス自身、回顧録的自伝『知恵の七柱』(平凡社東洋文庫)でも、すんなりと要求が通ることは想定外だったことを述べていた。アレンビーの回顧録でも、「ロレンスは余の支配下にあった。ただ、余の戦略的プランを示した後は、一切彼に自由手段を許しておいた」と、武人らしく簡明に書いている。

 アレンビーは“ブル(牡牛)”の綽名で通っていた武人であり、必ずしも戦略家として第一流とは呼べないと評する人もいるが、部下の掌握については実に度量のある、腹の大きな将軍だったのは間違いない。ロレンスなど、一歩間違えればどんな山師とも限らない無名のインテリ将校の語る夢のような計画を受諾するなど、そうできるものではない。戦後、ロレンスのある伝記作家がアレンビーに、もしロレンスが本当の将軍になっていたらどうだっただろう、と尋ねたことがある。これに対するアレンビーの回答こそ、英雄、英雄を知るという見本だろう。
将軍としてはなっていない。だが、司令官としては見事に及第である。思うに自分がやろうとさえ思えば、彼はどんな大芝居でもやってのける力のある男だ。ただ、そのためには是非とも自由手腕を与えてやる必要がある。

 ロレンス側のアレンビー観も興味深い。「実に人間の大きい、そして明敏な判断の持ち主だった。彼のためといえば、我々は殆ど自他を忘れて粉骨砕身を惜しまなかった。ただ、実際の戦術的成功に至っては、一切参謀任せだった」。戦場では智謀の指揮官だったアレンビーも、政治的配慮のため、時に陰謀に巻き込まれることを嫌っていたという。
 時間の限られる映画では分かりやすい悪玉が必要ゆえ、アレンビーはその役割を当てられたのだろう。漫画家・神坂智子氏の代表作『T.E. ロレンス』は文字通りロレンスの生涯を描いた作品で、少女マンガらしくロレンスの同性愛行為が登場するシーンには閉口させられた。しかし、アレンビーとロレンスの関係では映画よりもこちらの方が正確だった。将軍はロレンスの能力を全面的に信頼、任せている。ロレンスがアラビアを去ったのは本人の希望であり、アレンビーにその要請をした時、フリーハンドを与えた時と違いしばらくは承諾されなかった。それもロレンスの説得により、ついにアレンビーも同意する。

 映画公開時の1962年、まだ存命だったためか名前と設定を変えられた人物が、アメリカ人新聞記者ジャクソン・ベントリー。モデルとなったのはロウエル・トマス、映画ではタフで皮肉屋の中年男になっていたが、実はロレンスよりも4歳年下の青年である。60年代になってもトマスは映画、 ТVに世界秘境ものなどを提供、登場するジャーナリストだったが、第一次世界大戦勃発時はまだプリンストン大学でジャーナリズムを学んでいた学生だった。
 第一次大戦ではじめ中立を決め込んでいたアメリカも(参戦は1917年)連合国支持に傾いており、早晩参戦情勢は必至とみて、国内の反独世論を盛り上げておく必要があった。それにはまず特派員を戦地に送り、有利な宣伝材料を集め、国内に流すことである。その政府委託を受けたのがトマスであった。欧州戦線で戦争の悲惨さに失望したトマスも、中東戦線では浪漫的な戦争宣伝のネタを見出すことになる。

 トマスは晩年、映画アラビアのロレンスを「ラクダと砂以外、全てデタラメ」と語っていたという。しかし、ロレンスで一旗揚げた最初の人物こそトマスであり、第一次大戦後も彼は自ら撮った映画と講演をもって、実に4年に亘り世界各地を巡業して歩いた。これが各地で評判となり、味を占めたのかその後も度々秘境冒険旅行を試み、映画会社を通じ配給する。ロレンスに関する著述もあるが、その見返しには「本書はロレンス直接の資料によるものにあらず、従って彼はその責に任ぜず」等の断り付きの代物。正体はジャーナリストよりも興行師にちかいが、トマスのような人物がロレンス神話の創作者となった。
その③に続く

◆関連記事:「英雄か、スパイか?
 「オスマン帝国末期の中東

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2 コメント

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朝鮮史の真実 (室長)
2010-08-05 17:42:56
mugiさん、
 小生二晩ほど、別荘に行き、全館冷房の快適さを楽しんできました。芝生狩りでは、強力な蚊にやられて、かゆくてかゆくて・・・。シャワーして涼んだらかゆさが何とか消えました。今はまた、30度の高温でゆだっています!

1.ロレンス映画の記憶
 さて、アラビアの・ロレンスですが、小生この映画は、70年代と思うけど、ウィーンの巨大映画館の大画面で見た記憶があります(出張時、映画館によく行った)。オスマン・トルコ軍の鉄道警備部隊将校だったかが、ロレンスに同性愛を迫る場面など、気持ち悪く記憶しています。
 mugiさんの紹介による、冒頭のバイク事故なども、見たような気がする。
 遊牧民の族長達の、会議における自己主張の激しさとか、自分たちの利益しか考えない身勝手さとか、色々記憶に残っているのが不思議なほど、鮮明な記憶の部分もある(若いと良く記憶できる)。
 しかし、基本的には、オスマン軍の逃亡兵の行列に、アラブ部族の部隊がロレンスの制止も聞かず攻めかかり、虐殺し、ロレンスも結局共に血で手を汚して、血糊をこすり取ろうと苦闘するのを、米国人記者が皮肉っぽく咎め、写真を撮る、というところが、何となく一番記憶に残っています。西欧人の罪の意識を強調している場面だったのでしょう。

2.朝鮮史の真実、及び日韓関係の真実
 mugiさんがおっしゃるとおり、映画とか、大河ドラマとかは、やはり脚本家による創作的な解釈が重要で、これがないとドラマとしては、現代人に共感され得ない。他方で、史実とは、どうしてもかけ離れていく。ましてや、大河ドラマは、史料の少ない時代が多いから、滅茶苦茶に、想像部分、創作部分が増幅されています。

 そういえば、別荘に持って行って読んだ室谷克美著『日韓がタブーにする半島の歴史』というのは、新潮新書の今年4月初版ものですが、mugiさんが常々言われている、韓国歴史家達の捏造・原史料無視の「夢想的史観」、及びこれに弱腰で、歴史書に書かれている真実をきちんと提示しない日本の朝鮮史専門家達の、とんでもない愛国心の欠如などを、極めて的確に批判しています。小生は、ここまで酷いとは想像もしなかったけど、目から鱗で、やはりこういう書籍も必要と痛感しました。

 室谷氏は、時事通信ソウル特派員をしていて、韓国人の一方的で、根拠のない捏造、罵詈雑言に頭に来て、朝鮮の古い史書、中国の正史も、原典に当たって、きちんとこう書いてあるではないか(古代は日本の方が文化、文明が進んでいた。倭人、倭種が新羅の王族になった。韓人で天皇或いは、日本の国王になった人間など、一人もいない。事実は倭人が任那=クヤカンコク=金官国を統治していたし、新羅の王室にもなった。韓流ドラマは、「時代考証ゼロだ」と韓国人さえ酷評している。その他、竹島問題にまで、色々「正論」を全て調べ上げて列記しています。

 室谷氏も元からの歴史家ではなく、井沢元彦、別宮暖朗(帝国陸軍の栄光と転落の著者、信託銀行出身)などと同様に、日本の歴史学会の不甲斐ない専門家達に成り代わって、「正論、真実の歴史」を語ろうという姿勢で共通です。小生としては、これらの人々が、皆、小生より何歳かは若い、ということにも驚愕しています。世の中には、立派な研究をして、堂々たる「正論」を吐いている人々がいるものです。
RE:朝鮮史の真実 (mugi)
2010-08-05 22:41:52
>室長さん、

 仙台でも連日30度を超える暑さが続いております。本当に今年の夏の猛暑は異様です。私が庭の草むしりをする時、虫除けスプレーと蚊取り線香が欠かせません。これで何とか蚊を防げます。

 ロレンスに同性愛を迫るのはデラア(ダルアー、現シリア)のベイ(bey)です。オスマン朝でのベイの称号はパシャに継ぐもので、軍政長官のような地位になります。この話はロレンス研究家から様々研究されているテーマですが、ロレンスの虚言説も絶えません。
 トルコの敗残兵もアラブの村を襲撃、非戦闘員を虐殺しており、それに対しアラブ人部隊が徹底報復するシーンですね。ロレンスも狂気に囚われ、"No prisoners!"と叫んでしまう。初めは銃で撃っていたのが、短剣まで使ったとは、戦場では血に飢えてしまうのでしょうか。

 便利なことにネットでは朝鮮史に詳しいブロガーや書込みもあり、韓国歴史家達のデタラメとねつ造、日本の朝鮮史専門家達のへっぴり腰ぶりがわかりますよ。
 以前の記事に書いていますが、朝鮮を訪れた欧米人もいい記録は残しておらず、平気で嘘をつく特徴があることを指摘しています。朝鮮自体が一貫して「嘘でかためた国家」でした。あの民族にとって嘘をつくのは息をするのと同じ感覚だし、決して信用できないと私は見ています。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/b1ca11b896032d9268f1b6ef89bedb15