トーキング・マイノリティ

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アラビアのロレンス完全版 その①

2010-08-03 21:12:48 | 映画
 青春時代に見た一本の映画が、その後の価値観や興味、人生すら変えてしまうことがある。私にとって映画『アラビアのロレンスこそがそれに当たり、それ以降今に至るまで中東に関心を抱くようになった。この映画は私がそれまで好んでいた中国史への興味を完全に失わせ、色褪せたものにしてしまうほどの、インパクトがあった。映画を観る前の私は多くの日本人と同じく中東には全く無関心だった。この映画で、私は初めて“アラビアのロレンス”ことトーマス・エドワード・ロレンスなるイギリス人を知った。

 私が初めて映画『アラビアのロレンス』を見たのは、まだ未成年の学生だった昭和55(1980)年11月であり、当時でもリバイバル上映だった。だから今年でちょうど30年目になる。ただ、その時に見たのは上映時間が207分のオリジナル版であり、20分追加編集された完全版ではなかった。完全版のDVDなら既に持っているが、家のちっほけなТVではまるで臨場感が出ない。先月、宮城県利府町の某シネコンで、この作品の完全版が上映され、鑑賞できたのはとても嬉しかった。

 上映前、私の左隣に座った五十代前半らしき男性が、「イギリスの三枚舌外交」という題の付いた書類を見ていたのは、いささか気になった。書類にはサイクス・ピコ協定フサイン=マクマホン協定などの文字が見え、イラクの地図もあった。中東研究家だろうか?或いはプロ市民の可能性もないものではない。「パレスチナと仙台を結ぶ会」の類の親アラブを装った左派平和団体もあるからだ。結局、私はその男性に声をかけるという気持ちを抑えた。中東関連の話になれば、私の口は止まらなくなるだろうから。

 完全版では冒頭、「オーバーチュア」の字幕だけの黒画面を背景に序曲が流れる。この曲がまたいい。作曲はモーリス・ジャール、これでアカデミー作曲賞を受賞している。私が見たオリジナル版では、いきなりオートバイが映る映像で始まったものだった。オリジナル版の初めに使われている曲もまた素晴らしい。スペクタクル映画にふさわしい壮大さを感じさせられる。
 映画はロレンスの死で始まる。彼は1935年5月19日、オートバイ事故により他界している。事故が起きたのは13日で、頭部を強打、そのまま昏睡状態が続き意識が戻らぬまま、6日後に息を引き取る。享年46歳の若さだった。だが、現代に至るまで情報機関による暗殺説が絶えない。

 完全版では事故の際、ロレンスが付けていたゴーグルが藪に引っかかっているシーンが追加されている。オリジナル版でこの場面がカットされたのは不可解だし残念だ。次いで胸像を前に故人の想いを語るブライトン大佐が登場。これもオリジナル版になかったシーン。さらにオリジナル版の字幕ではブライトン中佐になっていた。ロレンスの胸像は聖ポール大聖堂の地下霊暗所に、ウェリントンネルソンといったイギリスの誇る英雄たちと並んでいるという。

 タイトル通り、これは“アラビアのロレンス”の伝記映画である。しかし、映画化でいかに潤色が必要にせよ、史実との食い違いもかなり見られる。些細な点で例えばロレンスがシャリフ・アリに自分に兄はいないと言う場面があるが、ロレンスは五人兄弟の二男で実際は兄がいた。彼の兄は宣教師となり、中国に渡り長く布教活動をしたそうだ。
 変人だが、アラブを心から愛した理想主義者としてロレンスを描いたのがこの映画の最大の特徴であり、ロレンス神話を改めて世界に広めることに貢献している。映画化されなかったら、母国以外では半ば忘れ去られた人物となっていただろう。

 だが、結論から言えば、現実のロレンスは映画に見られる人物像とは異なる。昔、映画を見た後、私はロレンスや20世紀の中東に関する本を様々読んで、映画との違いにかなり失望させられたものだった。まだ世の中知らずの学生だったゆえ、映画と現実の世界は異なるということさえよく理解できなかったのだ。中東情勢は当時も今も複雑であり、まさに事実は小説よりも奇なりの世界である。ただ、この作品から映画とは鵜呑みにはできない面があること、国際政治には陰謀と駆け引きが当たり前なことを学べた。
その②に続く

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