6月2日(火)20:00~21:30、NHK BS-Hiの番組「プレミアム8」で、「時空タイムス編集部/アラビアのロレンス 英雄かスパイか」との特集があった。「時空タイムス」など民放の歴史番組名そのままのパクリで、国営は何をしても許されると言わんばかりの厚顔さには呆れるばかりだが、それでも中東オタクの哀しさ、“アラビアのロレンス”特集なので見てしまう。私の知らなかった新情報もあり、予想したより内容はよかった。
番組のゲストは吉村作治氏と大河原知樹氏という2人の中東学者。前者は有名だが、後者の名は初めて知ったし、東北大学大学院で大河原氏のようなシリア専門の学者がいたことも知らなかった。日本でも中東を研究する学者が増えてきたのは好ましい。また、録画映像にせよ、ヨルダンの歴史家で『アラブが見たアラビアのロレンス』の著者スレイマン・ムーサ氏が登場したのは嬉しかった。私がこの本を買ったのは20年も前、裏表紙に載ったムーサ氏の写真や本の文章から真面目そうな印象を受けた。しかし、映像で見ると氏が老けたのは仕方ないが、身振り手振りを交えながら話す陽気な老人に見えた。欧米ばかりでなく、アラブの声を紹介する企画は結構だと思う。
驚いたのはヨルダンの上院議員で、あのアウダ・アブ・ターイーの孫娘が登場したこと。映画『アラビアのロレンス』で、アンソニー・クイン扮する個性的なアラブの族長を憶えている人もいるだろう。もちろんロレンス同様アウダも脚色があり、ロレンスの著書『智恵の七柱』と印象が違っている。映画では金次第でトルコに与する族長に描かれていたが、『智恵の七柱』では異なる。この本によればアウダは80回(!)も結婚したそうで、ロレンスと知り合った頃にも若い妻を娶ったばかりだったとか。
アウダの孫娘の話では、アラブ人(たぶんベドウィン)はロレンスを“狼”と呼んでいたそうだ。日本で「あいつは狼だ」と言えば侮辱となるが、アラブでは違い、孤高の勇者のニュアンスがあるらしい。面白いことにトルコもそれは同じで、トルコ共和国初代大統領ケマル・パシャも「灰色の狼」と謳われた。
大河原氏は子供にロレンスと名付けたアラブの部族もいたと話している。イスラムとは無関係な欧州式の名をつけること自体、アラブ人からも英雄視されていたのは確かだろう。彼自身の天性の才能もあるにせよ、素朴なベドウィンを魅了する面があったのは事実である。同じアラブ人でも都市の知識人となれば、評価は辛口になり、ロレンスもインテリであるためか、アラブ知識人はこき下ろしていた。
番組では“アラブの反乱”と、これに絡むイギリスの三枚舌外交(フサイン=マクマホン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言)について簡単に紹介しているが、この説明では中東に疎い人には理解し難いかもしれない。イギリスの外交政策を解説するのは、時間の制約もあるにせよ、あの紹介では反って混乱するのではないか?
アラブ贔屓の吉村氏は、英仏の中東外交を厳しく非難、西欧の国々は全く責任を取っていないと言う。もちろん欧米諸国の中東政策は現代にも尾を引いており、糾弾されて当然なのだ。だが、当時のアラブ側も一枚岩どころか、複雑な権力闘争があった。アラブがこぞってメッカの太守フサインに忠誠を誓っていたのではないし、トルコと共に戦ったアラブ人もいた。
また、番組内でトルコによるアラブ弾圧を紹介、絞首刑にされたアラブ人運動家の写真を映し、「これがトルコ支配の実態だった」のナレーションが入る。
このシーンにはトルコ贔屓の私から反論がある。もちろんオスマン帝国末期のアラブ支配は明らかに強権で臨んでおり、独立運動を容赦なく弾圧したのは事実だ。しかし、当時は欧米諸国も全く同じであり、イギリスなども活動家を犯罪者として公開の絞首刑にしている。映画雑誌での「アラビアのロレンス」の紹介にも、「4百間に及ぶ圧政でアラブ民族を苦しめており…」との解説があった。圧制だけで4世紀も異民族を支配できるはずがないのに、もう少し歴史を調べろと言いたくなる。トルコが野蛮な残虐行為で常にアラブ人を押さえつけていたというのは、悪質極まる欧米のデマの典型である。
大戦後、トルコと入れ替わるように中東を支配した英仏にもアラブ人は方々で造反、こちらも弾圧されている。そしてトルコにすり寄り、ケマルにカリフ就任を要請したアラブ人もいた。トルコはこの反乱を「アラブの裏切り」と呼んでいるそうだ。
吉村氏はロレンスを、「英雄か、スパイか?」の2種類で決めるのは如何かと語っている。これは私も同感だ。英雄でもあり、同時にスパイでもある人物だが、アラブとイギリスでは見方がかなり異なる人物である。共通の歴史認識などありえず、双方史観では絶対譲らないのが国際社会なのだ。
◆関連記事:「アラブが見たアラビアのロレンス」
「アラブ人操縦方」
「アラブ人学者の怒り」
「学術研究という名のスパイ活動」
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番組のゲストは吉村作治氏と大河原知樹氏という2人の中東学者。前者は有名だが、後者の名は初めて知ったし、東北大学大学院で大河原氏のようなシリア専門の学者がいたことも知らなかった。日本でも中東を研究する学者が増えてきたのは好ましい。また、録画映像にせよ、ヨルダンの歴史家で『アラブが見たアラビアのロレンス』の著者スレイマン・ムーサ氏が登場したのは嬉しかった。私がこの本を買ったのは20年も前、裏表紙に載ったムーサ氏の写真や本の文章から真面目そうな印象を受けた。しかし、映像で見ると氏が老けたのは仕方ないが、身振り手振りを交えながら話す陽気な老人に見えた。欧米ばかりでなく、アラブの声を紹介する企画は結構だと思う。
驚いたのはヨルダンの上院議員で、あのアウダ・アブ・ターイーの孫娘が登場したこと。映画『アラビアのロレンス』で、アンソニー・クイン扮する個性的なアラブの族長を憶えている人もいるだろう。もちろんロレンス同様アウダも脚色があり、ロレンスの著書『智恵の七柱』と印象が違っている。映画では金次第でトルコに与する族長に描かれていたが、『智恵の七柱』では異なる。この本によればアウダは80回(!)も結婚したそうで、ロレンスと知り合った頃にも若い妻を娶ったばかりだったとか。
アウダの孫娘の話では、アラブ人(たぶんベドウィン)はロレンスを“狼”と呼んでいたそうだ。日本で「あいつは狼だ」と言えば侮辱となるが、アラブでは違い、孤高の勇者のニュアンスがあるらしい。面白いことにトルコもそれは同じで、トルコ共和国初代大統領ケマル・パシャも「灰色の狼」と謳われた。
大河原氏は子供にロレンスと名付けたアラブの部族もいたと話している。イスラムとは無関係な欧州式の名をつけること自体、アラブ人からも英雄視されていたのは確かだろう。彼自身の天性の才能もあるにせよ、素朴なベドウィンを魅了する面があったのは事実である。同じアラブ人でも都市の知識人となれば、評価は辛口になり、ロレンスもインテリであるためか、アラブ知識人はこき下ろしていた。
番組では“アラブの反乱”と、これに絡むイギリスの三枚舌外交(フサイン=マクマホン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言)について簡単に紹介しているが、この説明では中東に疎い人には理解し難いかもしれない。イギリスの外交政策を解説するのは、時間の制約もあるにせよ、あの紹介では反って混乱するのではないか?
アラブ贔屓の吉村氏は、英仏の中東外交を厳しく非難、西欧の国々は全く責任を取っていないと言う。もちろん欧米諸国の中東政策は現代にも尾を引いており、糾弾されて当然なのだ。だが、当時のアラブ側も一枚岩どころか、複雑な権力闘争があった。アラブがこぞってメッカの太守フサインに忠誠を誓っていたのではないし、トルコと共に戦ったアラブ人もいた。
また、番組内でトルコによるアラブ弾圧を紹介、絞首刑にされたアラブ人運動家の写真を映し、「これがトルコ支配の実態だった」のナレーションが入る。
このシーンにはトルコ贔屓の私から反論がある。もちろんオスマン帝国末期のアラブ支配は明らかに強権で臨んでおり、独立運動を容赦なく弾圧したのは事実だ。しかし、当時は欧米諸国も全く同じであり、イギリスなども活動家を犯罪者として公開の絞首刑にしている。映画雑誌での「アラビアのロレンス」の紹介にも、「4百間に及ぶ圧政でアラブ民族を苦しめており…」との解説があった。圧制だけで4世紀も異民族を支配できるはずがないのに、もう少し歴史を調べろと言いたくなる。トルコが野蛮な残虐行為で常にアラブ人を押さえつけていたというのは、悪質極まる欧米のデマの典型である。
大戦後、トルコと入れ替わるように中東を支配した英仏にもアラブ人は方々で造反、こちらも弾圧されている。そしてトルコにすり寄り、ケマルにカリフ就任を要請したアラブ人もいた。トルコはこの反乱を「アラブの裏切り」と呼んでいるそうだ。
吉村氏はロレンスを、「英雄か、スパイか?」の2種類で決めるのは如何かと語っている。これは私も同感だ。英雄でもあり、同時にスパイでもある人物だが、アラブとイギリスでは見方がかなり異なる人物である。共通の歴史認識などありえず、双方史観では絶対譲らないのが国際社会なのだ。
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