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現代インドを知るための60章 その二

2014-08-31 15:40:03 | 読書/ノンフィクション

その一の続き
 だが、インドの核保有は国際社会になかなか受け入れられなかった。直ちにアメリカや日本などはパキスタンと共にインドに経済制裁を科す。危うく第四次印パ戦争になりかけたカルギル紛争(1999年)以降、インドは「核ドクトリン」を発表、核を抑止力のためにのみ用いる「先制不使用」を宣言した。加えて核拡散などを行わない、信頼に足る核管理体制を有する「責任ある核保有国」であるというアピールもしてきた。パキスタンと同列に論じられるのを避けようと務めたのだった。
 それでも、国際社会はインドの核保有を認めなかった。実際は核保有国と見られるイスラエルには、全く不問にされ続けている現状は現代も変わりないが。

 一方、アメリカは実は核実験直後から米印戦略対話を着々と積み重ね、核問題についてもインドとの関係強化を図っていたのだ。55章「インドのご機嫌をとるアメリカ」には印米関係の新たな展開が載っており、むしろインドの核実験は両国関係を大きく前進される効果をもたらしたという。
 その発端となったのは、ジャスワント・シン印外相とタルボット国務副長官が1999年6月から2000年9月までに14回に亘って行われた戦略対話だった。この対話は2000年3月、22年ぶりの米クリントン大統領訪印という成果をもたらし、これ以降、両国関係は大幅な改善へと進む。

 最終的にアメリカの経済制裁は2001年9月11日の同時多発テロ後、パキスタンと同時に解除される。その後は急速に印米間での民生用原子力協力の議論が進行する。2004年1月、両国は戦略的パートナーシップの構築にも着手するに至った。
 2005年7月、訪米したマンモハン・シン首相とブッシュ(子)大統領との首脳会談後、発表された共同声明では、核拡散防止条約(NPT)非加盟国には供与されない核技術を、インドには例外的に供給するという米印原子力協力が謳われていた。そして翌2006年3月、訪印したブッシュとの間で歴史的な首脳合意に至る。

 シン首相とブッシュの間で両国関係緊密化の促進の約束はもちろん、米印原子力協力の細部についても合意する。つまり、アメリカはインドに対し平和利用のための核物質や核技術を提供する代わりに、インドは民生用核施設について国際原子力機構の査察を受けるとするものだった。同年12月、米連邦議会両院は米印原子力協力を進めるための法案を可決、ブッシュはこれに署名する。
 パキスタンにはこうした原子力協力は問題外と見なされ、インドを特別扱いするアメリカのダブルスタンダードに批判が出たのは書くまでもない。尤も実際に原子力協力が開始されるかは不明であり、インド国内では米議会で成立した原子力協力法が当初の首脳合意から逸脱しているとの不満も噴出した。

 それでもインドの戦略エリートたちは、核保有への決断は正しかったと主張する。彼らは「核武装したからこそアメリカも、そして中国も我々をやっとまともな国と認識するようになり、関係の改善・深化が進んでいるのだ」と主張するケースが多いという。実際に核保有が国際社会におけるインドの戦略的重要性を、その経済・政治的実力以上に突出させ、インドがグローバルな大国として台頭するための梃子になったのは間違いない。55章の末尾では次のように今後の印米関係を分析している。
印米関係は今後も緊密化を続けていくであろう。しかし、インドは対ソ同盟時代に大国との同盟が自国の自由独立には大きなマイナスになることを学習している。この歴史的な経験もあり、印米関係が同盟関係に発展する可能性は、よほど大きな状況変化が起きない限り少ないだろう。

 米印原子力協力法があるといえ、インドは必ずしも米国寄りにはならず、国力アップのために全方位外交を展開しているようだ。54章「大もてのインド」ではポスト冷戦期のインド外交が記述されており、コラムは次のように結ばれている。
アメリカ・日本と中国・ロシアとの三角関係に陥ることを巧みに回避しつつ、最大限の利益をあげる戦略を採っているようにみえる。すなわち、対米日関係の緊密化によって中露を牽制し、逆に対中露関係をアメリカ・日本に対する外交資源としても活用するという強かさである。インドは、アジアの“フランス”――すなわち、アメリカと利害や認識を共有して友好関係は持っていても、自己のプリズムと国益から世界を見る国――なのである。
その三に続く

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 「レッド・マウンテン
 「カシミールからの暗殺者

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