トーキング・マイノリティ

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カシミールからの暗殺者 その①

2006-11-03 20:28:28 | 読書/小説
 9.11米国同時多発テロの翌年の平成14(2002)年、インドのベストセラー小説『カシミールからの暗殺者』(ヴィクラム・A・チャンドラ著、角川文庫)が日本でも出版された。そのコピーが「圧倒的リアリティで描く、インド版“ジャッカルの日”」。 ドゴール暗殺を狙うプロの殺し屋を描いた『ジャッカルの日』は英国人作家フレデリック・フォーサイス氏のベストセラーだが、『カシミール』もインド首相は じめ閣僚を一度に殺害しようとする物語だ。ただし、ジャッカルのようなスタイリッシュな職業殺し屋ではなく、テロリストによるところが異なる。

  題名どおりこの小説の舞台はカシミール地方。古くから風光明媚が謳われ、本中にも「この世のものとは思われない美しさの土地で、その景色は神がとりわけ優 しい気分の時に描いたもののよう」とある。だが、この美しい土地は凄惨なテロの場と化してしまった。ヒンドゥーとイスラム、インドとパキスタンの対立の最 前線なのだ。

 小説の主要人物は当然カシミール人。主人公ヴィジャイ・カウルはヒンドゥー、副主人公ハビーブ・シャーは ムスリム。この2人の父親同士は宗教は違うが親友であり、息子たちも子供の頃は兄弟同然に育っていた。インド独立時、各地は宗教対立の地獄絵となっても、 カシミール地方は平和だったという。M.ガンディーもこの地を訪れたこともあるし、初代首相ネルーはカシミール出身だった。テロがひどくなるのは'80年 代に入ってからだ。
 幼少時代、互いの家に頻繁に出入りする親友同士のヴィジャイとハビーブは、長じて前者はインド陸軍将校に、後者はJKLF(カシミール解放戦線)幹部と、敵同士となる。

  後にJKLF指導者となるハビーブは子供の頃は世俗的な家庭で育ち、決して教条主義に染まったムスリムではなかった。だが、彼にはヴィジャイの他にもマド ラサ(イスラムの宗教学校)に通ったムスリムの友人もおり、この友人の勧誘によりJKLFに身を投じるようになる。著者はごく普通の若者が政治闘争に走る 背景を以下のように書いている。
カシミールのような紛争地帯では、腐敗や悪い道路、不通になりやすい電話、ちゃんと働かない政府職員や失業に対する怒りが、簡単に分離論へとすり替えられる。我々と彼ら、というようにはっきり区別し、我々が困っているのは彼らのせいだと考える

「お前はこの谷の子供、カシミールの子供、この山と湖と川から生まれた。それなのに、自分の土地で奴隷となり、我々の母国を犯し、辱めている山の向こうの異端の民に鎖で繋がれて隷属していることが分かっていない」
 JKLF幹部はこのように囁き若者を煽る。ただでさえ檄しやすい年頃の若者にインドに対する憎しみを植えつけられれば、武装闘争に関心を向けるのも無理はない。そして、友人を誘う。
インド人をカシミールから追い出す…奴らが1947年に俺たちの土地を盗んだからだ。俺たちに平等を与えないからだ。奴らはヒンドゥーで俺たちはムスリムだからだ

  宗教、民族対立というのは日本人にはかなり分かりにくいテーマだ。長年隣人として平和に暮らしていた者同士の友情が宿怨に豹変するのはいかに小説でも恐ろ しい。カシミール地方は圧倒的多数がムスリムという住民構成だったが、対立が激化し少数派のヒンドゥーの一般市民がテロに狙い撃ちにされる。ムスリム過激 派が警察と何の関係もないヒンドゥーの学識者一家を襲撃する場面は実に凄惨だ。一家の父と息子を拉致し、父の目の前で息子を散々痛めつけたのち殺害。父も 惨く拷問されるが、その場では殺されず息子の死体と共に家に帰される。過激派たちが父を家に送りつけたのは、彼らが妻と娘に行う暴行を見せ付けるためだ。
 他にも襲われたヒンドゥーの家が何件もあり、身の危険を感じたヒンドゥーは次々にカシミールを逃走する。

 ヴィジャイの両親もカシミールを追われる。この地を去らなければ、命の保証はないと警告に来たのが我が子同然に慈しんだハビーブ。故郷を追われた老いた両親はデリーにいる息子のもとに身を寄せる他なかった。
 仕事で故郷に戻り、ハビーブと再開したヴィジャイだが、既にJKLFの指導者となったかつての親友は彼に「インドの犬」と罵声を浴びせる。JKLFにとってインドの官憲や軍人全て敵なのだ。
その②に続く

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2 コメント

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テロは所詮、テロ (Mars)
2006-11-04 00:41:52
こんばんは、mugiさん。

私は最近、9.11の時の「ユナイテッド航空93便」のドキュメンタリーとされるものを見ました。そして、その感想ですが、確かに誇張などの創作はされているにしろ、テロは所詮、テロであり、非武装の民間人を殺して、何が聖戦、戦争なのだという憤りを感じました。このインドのお話でも、何が暗殺者なのか意味不明です。民間人を集団で暴行・殺害するのはただの殺人鬼であって、宗教・イデオロギー云々など語る資格もないと思えます。そんな姿勢では、テロリスト本人が批判する対象と同じ事をして、自分だけが正義とは。某国人と同様、自分の事は棚に上げて、ですね。

それでも、自らの愚行は省みず、他者を批判するのは世の常ですね。ムスリムが行った事が正義ならば、同様の事をムスリムに対し行う事も正義となるのですが。目には歯をで。
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反印教育 (mugi)
2006-11-04 20:49:48
こんばんは、Marsさん。

私は「ユナイテッド航空93便」ドキュメンタリーは未見です。
ただ、仰るとおり民間人を狙ったテロは所詮最低の卑怯者のする事です。理屈と膏薬は何処にでも貼れるので、殺人狂はちゃっかり大儀を掲げて、己を聖なる戦士気取りしているだけ。

この小説の原題は「The Srinagar Conspiracy」、スリーナガル(カシミールの町)の陰謀となってます。
小説にある民間人への惨殺テロはフィクションではなく実際に起きているのだから、言葉もありません。カシミールを追われインドに亡命したヒンドゥーで、ヒンドゥー至上主義団体に入る者も珍しくない。カシミールだけでなくインド国内での数々のテロ事件は、ヒンドゥーを硬化させる悪循環に陥る。「レンガで打たれれば、石を投げつける」との諺がインドにあります。

インドに数年間滞在した日本人は、パキスタンを北朝鮮と同じくテロ国家と言ってましたが、本当にやる事が似ています。
幼少の頃から、異教徒、異民族に対する憎しみを植え付ける教育を施すのも、某国人と同じ。こんな教育を受ければ、自らの愚行を省みる事は無理でしょう。
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