'99年5月勃発のカルギル戦争を描いた戦争映画。インド軍が映画界と協力して制作されたが、日本では娯楽のイメージが強いインド映画としては異色。インドの戦争映画自体が日本では珍しいが、ハリウッドとはやはり雰囲気が異なる作品だった。
1999年5月、インド・パキスタン国境、ヒマラヤ山脈カルギルのLOC(停戦ライン)で紛争が勃発する。イスラム原理主義ゲリラが侵攻を開始し、国境 警備隊は全滅。事態を重視した軍上層部は増援部隊の派遣を決定し、勇猛で知られるゴルカ連隊、第18歩兵部隊、第17大隊等が続々と進発。兵士たちは愛す る家族と別れ、標高4000メートルの戦場を目指す。だが、小勢と思われていたゲリラの背後には強力なパキスタン軍が控えていた。
人数で勝るインド軍だが、山頂から銃砲弾を撃ち下ろしてくる敵に苦戦を強いられる。主決戦場となったのはトロリングという高地。戦略上の鍵を握るこの丘 をめぐって、両軍は血みどろの激闘を展開。膨大な死傷者をだしながらも、インド軍はトロリング奪取に成功する。これを機に戦局は動き始めた。全戦線での大 規模な反攻に転じたインド軍は、敵の根拠地であるタイガー・ヒルを制圧。ついにパキスタン軍は撤退を開始した。7月14日、戦争は終結。この勝利の影に は、無数の兵士たちの犠牲とその家族の涙があった。
ヒトラーをして「もしゴルカがいなければ、我々はヨーロッパのみならずアジアを制圧できる」と言わしめたゴルカ連隊は当然精鋭部隊。第二次大戦中、ゲリラ戦でなく正面攻撃で日本軍を苦しめた唯一のアジア兵がゴルカである。今も勇猛さで名高い彼らは「カーリー女神と共に!」の雄叫びを上げ突撃する。他のインド精鋭部隊も攻撃時にはドゥルガー女神の名を口にしていた。女神ばかりで男の神様に助けを求めないのかと思っていたら、1人だけクリシュナ様と言った将校がいた。
コードネームがナポレオンはご愛嬌だが、その他はコブラ、アルジュナ(マハーバーラタの登場人物)、チャーナキヤ(カウティリヤの別名)があるのはいかにもインド。戦いの前、急ごしらえの祭壇に祈りを捧げるが、壇上にドゥルガー女神やナーナクと思しい聖者の他にキリストの画像まであるのは多宗教国家らしい。兵士たちは「ジャイ・ヒンド(インド万歳)」が挨拶代わりとなっている。ターバン姿で有名なシク教徒兵士は軍用ヘルメットをやはり被らなかった。変わりにターバンの上に他の兵士のヘルと同じ網をかけている。
いかにインド精鋭部隊も残された家族を思う気持ちは変わりない。死の直前、既婚者は妻子、独身者は婚約者を思い浮かべ、「母さん・・・」と言って戦死した若い兵士もいた。大勢の仲間が戦死した怒りで敵兵の死体を蹴りつける部下に、「敵も家族がいる人間だ」と制止する将校の言葉は重い。実際にはこのような将校ばかりではないにしても。
インド軍のプロパガンダ映画ではあるが、海外市場を意識して下手なハリウッド戦争映画より上手く出来ている。日本ではB級娯楽モノと思われがちなインド 映画だが、カシミール紛争もしっかりネタとして他国人にも見ごたえと感動のある映画を作るのだ。宣伝戦にかけては隣の大国も劣らないが、映像を駆使し他文 化圏の人々にも支持と共感を得る手法はより優る。
1999年5月、インド・パキスタン国境、ヒマラヤ山脈カルギルのLOC(停戦ライン)で紛争が勃発する。イスラム原理主義ゲリラが侵攻を開始し、国境 警備隊は全滅。事態を重視した軍上層部は増援部隊の派遣を決定し、勇猛で知られるゴルカ連隊、第18歩兵部隊、第17大隊等が続々と進発。兵士たちは愛す る家族と別れ、標高4000メートルの戦場を目指す。だが、小勢と思われていたゲリラの背後には強力なパキスタン軍が控えていた。
人数で勝るインド軍だが、山頂から銃砲弾を撃ち下ろしてくる敵に苦戦を強いられる。主決戦場となったのはトロリングという高地。戦略上の鍵を握るこの丘 をめぐって、両軍は血みどろの激闘を展開。膨大な死傷者をだしながらも、インド軍はトロリング奪取に成功する。これを機に戦局は動き始めた。全戦線での大 規模な反攻に転じたインド軍は、敵の根拠地であるタイガー・ヒルを制圧。ついにパキスタン軍は撤退を開始した。7月14日、戦争は終結。この勝利の影に は、無数の兵士たちの犠牲とその家族の涙があった。
ヒトラーをして「もしゴルカがいなければ、我々はヨーロッパのみならずアジアを制圧できる」と言わしめたゴルカ連隊は当然精鋭部隊。第二次大戦中、ゲリラ戦でなく正面攻撃で日本軍を苦しめた唯一のアジア兵がゴルカである。今も勇猛さで名高い彼らは「カーリー女神と共に!」の雄叫びを上げ突撃する。他のインド精鋭部隊も攻撃時にはドゥルガー女神の名を口にしていた。女神ばかりで男の神様に助けを求めないのかと思っていたら、1人だけクリシュナ様と言った将校がいた。
コードネームがナポレオンはご愛嬌だが、その他はコブラ、アルジュナ(マハーバーラタの登場人物)、チャーナキヤ(カウティリヤの別名)があるのはいかにもインド。戦いの前、急ごしらえの祭壇に祈りを捧げるが、壇上にドゥルガー女神やナーナクと思しい聖者の他にキリストの画像まであるのは多宗教国家らしい。兵士たちは「ジャイ・ヒンド(インド万歳)」が挨拶代わりとなっている。ターバン姿で有名なシク教徒兵士は軍用ヘルメットをやはり被らなかった。変わりにターバンの上に他の兵士のヘルと同じ網をかけている。
いかにインド精鋭部隊も残された家族を思う気持ちは変わりない。死の直前、既婚者は妻子、独身者は婚約者を思い浮かべ、「母さん・・・」と言って戦死した若い兵士もいた。大勢の仲間が戦死した怒りで敵兵の死体を蹴りつける部下に、「敵も家族がいる人間だ」と制止する将校の言葉は重い。実際にはこのような将校ばかりではないにしても。
インド軍のプロパガンダ映画ではあるが、海外市場を意識して下手なハリウッド戦争映画より上手く出来ている。日本ではB級娯楽モノと思われがちなインド 映画だが、カシミール紛争もしっかりネタとして他国人にも見ごたえと感動のある映画を作るのだ。宣伝戦にかけては隣の大国も劣らないが、映像を駆使し他文 化圏の人々にも支持と共感を得る手法はより優る。
先日、私もこの映画を拝見しました。ただ、内容的にやや単調(スポットが当たる→戦死→その屍を越えて勝利する)でしたので、面白かったかと言えば、ビョミョーですね。それでも、興味深いところもありました。
インド軍は現在、徴兵制ではなく、志願制を行っているようですが、この映画の背景、1999年当時も恐らく、志願制だったと思われます。そして、先の大戦ではないですが、職業軍人でも死を前にすれば、妻子や婚約者・恋人、それがいない者であれば両親を思うのには、常識的ではありますが、そうなんだなと、変な感想を持ちました。
また、この映画では、多くの死者を出し、死者を回収したり、トラックで運ぶ様を、よく拝見しましたが、陸戦ではそうなのかな、とも思いました(インド軍は、死者を冒瀆しない軍であることを宣伝しているようで、やや違和感を感じました)。
ただ、死者に関わらず、負傷者も懸命に助ける訳ですから、地雷という悪魔の兵器の意味も、何となく理解できました。何せ、地雷は殺人を目的にせず、一人の負傷兵を二人が肩を貸せば、都合三人が戦力外となります。効率的といえば、言葉が悪いですが、悪魔の計算をしているようで、うすら恐ろしいものを感じました。
この映画でも、最前線の苦しさと、後方の指揮者の立場の違いも如実に表していましたね。また、ある程度の士官の死に際に、その妻へ無線をかけた、というものもありましたが、実際どうなのでしょうね。
私の場合、陸軍よりも海軍派なので、新たな発見も少なからずありました。
ただ、この映画で、陸戦や要塞戦の苦戦を拝見しましたが、日露戦争当時の我が陸軍も、同様かそれ以上の苦戦を強いられたのでしょうね。何故か、そういう思いにさせられました。
戦争映画に詳しい方が「レッド・マウンテン」を見たら、評価は低いでしょうね。
ハリウッドのような洗練された方法ではないし、描き方も単調な印象を受けました。
私が面白いと思ったのは、戦いに突入する兵士たちが女神の名前を叫んでいたシーンです。これぞインド。
>インド軍は、死者を冒瀆しない軍であることを宣伝しているようで、やや違和感を感じました
インド軍が全面協力したとおり、この映画はカルギル紛争のプロパガンダでもあります。
私もパキスタン軍の死者を丁重に送り返すインド軍に、本当か?と疑問に感じていましたが、最近読んだインド人が著書の本によると、事実だったそうです。それでインド国内からも不満の声が一部あったそうで。イスラエルや中国なら、こんなことをしなかっただろうとも、インド軍は人道主義を重んじると言わんばかりにも聞こえますが、この種の宣伝はあの国は巧いのです。
私は敵の陣地にミサイル攻撃をしなかったのか不思議でしたが、人海戦術が取れるのもインドらしい。