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現代インドを知るための60章 その一

2014-08-30 21:10:24 | 読書/ノンフィクション

『現代インドを知るための60章』(広瀬崇子近藤正規・井上恭子・南埜猛 編集、明石書店)を先日読了した。本題通り政治、経済、宗教、文化、地域、少数民族など、様々な方面から現代インドを考察・分析する書だった。インドオタクはもちろん、インドでのビジネスを考えている方にも参考になる内容だろう。初版は2007年10月だが、古さはあまり感じない。この本で私が関心をもった個所を幾つか紹介したい。

 最近は経済面が特筆されるインドだが、少し前まではカースト制と並び日本のメディアで取り上げられるのは核兵器問題だった。53章「核兵器保有を誇るインド」は副題通りインドの核戦略を扱っており、インドがなぜ核兵器保有に至った背景を論考している。とかく感情露わに反核アレルギーを表す日本のメディアでは、まず出来ない分析だと思う。
 1998年5月、インドは核実験実施を発表、「核保有国」となったことを世界に宣言した。ガンディーの「非暴力」やJ.ネルーの「非同盟」のようなイメージが強いこともあるのか、この時日本国内では憤りだけではなく、驚きと失望の声が広がった。だが、インドは既にインディラ・ガンディー政権下の1974年、初の地下核実験を成功させている。つまり、インドの核兵器開発はずっと以前から進められていたのだ。

 インドが核兵器保有をした理由を、独立以来3度も戦火を交えた隣国パキスタン(印パ戦争)への対抗と解説する識者もいたし、確かに軍事戦略上からは抑止力となる。しかし、パキスタンに向けられたものというより、より強力な隣国、中国を意識して開発されてきたのが実態なのだ。もちろん直ちにインドの後を追い、核実験と核保有宣言に踏み切ったパキスタンが、軍事上、対インドを意識していたのは書くまでもない。
 だが、インドはパキスタンとは異なる。通常戦力において後者の2倍以上の軍事力を持ち、事実上は最後の戦争である第三次印パ戦争(1971年)でも勝利している。わざわざ核兵器を持つほどの脅威ではないのだ。

 インドにとっての脅威は、中印国境紛争(1962年)で手痛い敗北を喫した中国であった。その中国は1964年、既に核実験を行っている。ここからインドの核兵器開発はスタートした。確かに1970年代以降進んだソ連との事実上の同盟関係により、中国の軍事的脅威をある程度取り除くことは出来た。
 しかし冷戦は終結、頼みの綱だった友好国ソ連は消滅、インドの安全保障上の不安は増幅された。核保有宣告した当時のヴァージペーイー首相は米クリントン大統領に宛てた書簡の中で、「中国の脅威がインド核保有の理由である」と述べていた。

 ただし、インドの核兵器保有には、単なる軍事戦略目的以上に見過ごせない要素があった。それは大国としての自尊心ナショナリズムである。インドは初代首相ネルー以来、非同盟運動のリーダーを自認、核の全面軍縮・廃絶を一貫して主張し続けてきた。その点で核拡散防止条約(NPT)体制は、特定の国のみの核保有を合法化した「核のアパルトヘイト」に他ならないとしてこれを批判、拒絶してきた。インドの立場からすれば、そうした正当な主張が国際社会から長年にわたり無視され続けてきたことこそが、問題の本質なのだ。

 冷戦終結に伴い、非同盟運動の意義が減退していくとともにグローバリゼーションが進展する。その波に乗ったインドは「台頭する大国」として自信を深める。国内ではヒンドゥー・ナショナリズムが勃興、これを追い風に政権を樹立したのがインド人民党(BJP)率いるヴァージペーイー連立政権だった。
 BJPは政権に就くや早々、「強いインド」の姿を国民に立証して見せるべく、かねてから公約していた核実験実施に踏み切る。核保有を支持する政治潮流はこうして生み出された。
その二に続く

◆関連記事:「インドの軍拡問題
 「平和五原則-中国にしてヤラレたインド
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