トーキング・マイノリティ

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僕の違和感 その①

2016-09-06 21:10:17 | 読書/小説

 トルコのノーベル文学賞受賞作家オルハン・パムクの新作長編『僕の違和感』(早川書房)を先日読了した。前作『無垢の博物館』と同じくイスタンブルが舞台の小説だが、登場人物や背景は全く違う。生まれも育ちもイスタンブルの富裕層が主人公の前作に対し、新作の主人公メヴルトは中央アナトリア地方コンヤ県ベイシェヒル郡寒村からの出稼ぎ者。
『僕の違和感』は1960年代から21世紀までの半世紀に亘って描かれており、2012年10月25日付で物語は終了している。この期間の変わりゆくイスタンブルやトルコ社会情勢はとても興味深かった。

 下巻末には年表があり、1954年からメヴルトの故郷ベイシェヒル郡の村々から仕事を求め、またヨーグルト売りをするためにイスタンブルへ多くの人々が移住し始めたことが載っている。メヴルトの父も兄と共に仕事を求め、故郷の村よりイスタンブルに移住したのが1963年。
 父は暫くは単身でイスタンブルで働いていたが、メヴルトをこの町に呼び寄せたのが1969年のことだった。それ以降メヴルトは路上でヨーグルトを売る父の仕事を手伝いながら、学校に通うようになる。伯父一家と違い、メヴルトの父は妻や娘は故郷に残したままで、父子2人はイスタンブルの「一夜建て」で暮らすことになる。

「一夜建て」とは、農村からの不法移住者が国有地などに立てる家屋を指し、夜陰に乗じて一晩で建てられる為こう呼ばれる。着の身着のままで大都会に来た農民たちに部屋を借りられる余裕はなく、彼らは都市郊外に空き地として広がる国有地やその他の公有地に目を付ける。流民たちは人目につかぬよう夜の間にやって来て、数を頼み日が昇るまでの寸暇に家を築くことで、行政が容易に手出しが出来ないよう集団移住を既成事実にしてしまうのだ。
 日本ではあまり知られていないトルコの女性作家ラティフェ・テキンの出世作『乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺』は、イスタンブルの「一夜建て」の住民の作品であり、1984年に出版されている。「一夜建て」はトルコ語で正確には「ゲジェコンドゥ」と云われ、wikiにも解説がある。

 意外に知られていないが、トルコの首都はアンカラであってイスタンブルではない。イスタンブルはオスマン朝時代までは帝都だったが、共和国建国以降、首都はアンカラに定められた。それでも依然としてイスタンブルはトルコはもちろん中東最大の都市であり続け、2013年時点で人口は1,400万人を超えている。対してアンカラは、440万人を少し上回る程度。
 アンカラにも貧村からの不法移住者が押し寄せ、「一夜建て」が乱立しているが、イスタンブルとは比べものにならない。メヴルト一族の故郷コンヤ県はもちろんトルコ各地から農民が流入、都市の人口は増加し続けた。大都市で地方からの流民は出身地毎に協力し合うが、この辺りは東京での地方出身者と似ている。イスタンブルにも“県人会”があるようだ。

 メヴルトの父はヨーグルトの入った籠を天秤で担ぎ、路上で売る仕事をしていた。しかし、大企業がヨーグルトを製造して売り、テレビCM等で宣伝し始めると、ヨーグルト売りは街から姿を消すようになる。メヴルトの父も失業、まもなく「一夜建て」で孤独死する。
 メヴルトはその後、様々な職に就くが、最後までしていたのがボザ売り。ボザとはきび酒のことでもあり、小説ではアルコール度は3%そこそことあった。ロシア文学者レールモントフの『現代の英雄』(1840年)の中には、きび酒について次の言及がある。
婚礼とか葬式とかいうと、きび酒をがぶ飲みして、挙句の果てに斬ったはったの騒ぎを始めるんです…ロクなことにならないのはもう目に見えているよ。こいつらアジア人というのは、いつもこうなんだ。きび酒が回ると、決まって斬ったはっただ!

 ここでいう“アジア人”とはチェルケス人を指しており、人種的には印欧語族なのだ。しかし当時のロシア人はチェルケス人もトルコ人もアジア人と見ていた。パムクも小説でレールモントフのこの言葉を引用している。
 但し、ボザは昔懐かしい飲み物ということで、大都市でそれほど人気はなさそうだ。そもそも国営工場が30度は軽く超えるラクを製造しており、小説の登場人物はこぞってラクを飲んでいる。前作では男はもちろん女もラクを愛飲する場面が多く描かれていたのには仰天したが、彼等は世俗的なイスタンブルの富裕層だった。
 
 だが、イスタンブルで暮らす地方出身の男たちも揃ってラクを飲んでいる。メヴルトはあまり嗜まなかったが、晩年は付き合いで飲むようになった。ラクを愛飲(大飲)するトルコ人に、戸惑い違和感を覚える日本人もいるだろう。在日トルコ人が日本でよく聞かれる質問はこうらしい。
「どうしてイスラムなのにお酒を飲んでいるのですか?」
その②に続く

◆関連記事:「トルコを知るための53章
 「乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺

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5 コメント

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ラキ、ボザー (室長)
2016-09-07 14:55:09
こんにちは、
1.ボザー
 ブルガリアでは、ボザーと言うと、昔はキビで作った甘い飲料で、発酵が進むと少しアルコール成分ができるかもしれないが、基本的には子供の栄養飲料と考えられる飲料で、甘いもの、お菓子などを売る店で売る商品だった。
 最近のブルでは、工場で、小麦粉+砂糖+水を混ぜ合わせて発酵させた飲み物として、プラスチックボトル入りで大量販売されていた。砂糖の味が効きすぎていて、甘すぎるというのが日本人の感じで、しかも、ドロドロの液体なので、気持ちが悪いとして、好まない日本人が多かった。元来は(少なくとも、社会主義時代に小生が知った味は)必ずしも甘いだけではなく、発酵が進むと、酸味も増して、甘酸っぱくなる飲料だった。http://79909040.at.webry.info/200706/article_6.html参照。
 昔、アルバニア人が、世界一おいしいボザーは、アルバニアで売られていると豪語していた。セルビアでは、おいしい甘味処の店は、大体はアルバニア系が経営していたので、この話は信憑性があった。

2.Raki
 トルコ語→英語辞書によると、英語ではarrackと表記し、英和辞書によると、「近東地方で、ヤシの汁と糖蜜で造るラムに似た強い酒」とある。
 バルカン半島で、このrakiから来たらしいrakiya=ラキーヤという酒は、果実+砂糖+水を樽の中で数日間発酵させ、その後蒸留して作る果実系焼酎のこと。ブドウ系ラキーヤが一番高級と思うが、他には梅とか、スモモ系の果物からのラキーヤ=Slivova rakiyaが有名です。とはいえ、黄桃、梨、その他、あらゆる種類の果実も砂糖と一緒に発酵させて蒸留すればラキーヤは簡単に作れるようで、EU加盟後うるさくはなっているけど、密造酒の製造(自家製ラキーヤ)は、ブル人の生きがいです。http://79909040.at.webry.info/200706/article_7.htmlを参照。

なお、恐らくは、ここでラクと呼ばれている酒は、ブルガリアではマスティカ、ギリシャではウーゾと呼ばれているものだと思います。
 
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ラキ、マスティカ、ウーゾ(追記) (室長)
2016-09-07 15:13:56
こんにちは、
 再度検索して、wikiなどを調べてみたら、ギリシャのOuzo=ウーゾ、ブル、マケドニア、ルーマニアのMastika、そしてトルコのRakiの3者の間には、強い関係があるらしい。
 要するに、ラキーヤと呼ばれる果実系焼酎に、mastihaと呼ばれた松脂系の香料を加えると、ウーゾ、マスティカになるらしい。
  ビザンツ時代から、東南欧地方では、果実系の焼酎が作られ、飲まれていたらしく、トルコで言うrakiも、実は東ローマ時代から飲み物である可能性が強い。
  英語辞書にあるarrackとの関係はよく分らないけど、こちらは実はアラブ地方での蒸留酒らしい。
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boza (室長)
2016-09-07 15:44:20
こんにちは、
 bozaについても、wikiに説明があります。アルコール度数は、1%とありますが、確か、ブルなどでは子供用栄養飲料ですから、アルコール類は含まれていない筈です。
 ドロッとしているけど、慣れればおいしいと感じます。
 元来は、麦芽飲料と言う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B6
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Re:ラキ、ボザー (mugi)
2016-09-08 21:36:49
>こんばんは、室長さん。

「ブルガリアの飲み物」1~2を拝読いたしました。ブルでもアイランが飲まれているそうですね。アイランの発祥は何処なのか不明でwikiにも載っていませんが、バルカン半島から中東や中央アジアまで広い地域で愛飲されているとか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3

 バルカンで広く飲まれているのも、数世紀に亘るオスマン朝支配の影響?と思いましたが、それ以前からもあったかもしれません。記事中でもリンクしましたが、wikiによればボザは10世紀頃に中央アジアで作り始められ、後にカフカースやバルカン半島に広がったそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B6

 やはりオスマン帝国時代のイスタンブルでも、アルバニア風ボザが人気を集めていたようです。ブルのボザは不明ですが、トルコのそれは少量でもアルコールを含んでいたそうで、精鋭部隊イエニチェリにも広く飲まれていたとか。そのためオスマン帝国時代に禁止令が出されたこともありましたが、長続きしなかった。
 主人公メヴルトの売るボザに、甘すぎる、酸っぱい等とケチをつけた客もいました。トルコのボザはシナモンをかけたり、炒り豆を添えるようです。
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Re:ラキ、マスティカ、ウーゾ(追記) (mugi)
2016-09-08 21:37:37
>こんばんは、室長さん。

 ラクも記事中でリンクを貼りました。ラク(トルコ語:rakı)とはトルコの蒸留酒の一つ。アラビア語圏のアラックに相当する、とあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AF

「ラク」の名は上記の「アラック」に由来し、ブドウから作られ、アニスで香りが付けられているそうです。アラックの解説から、ルーツはどうもこちらかも。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF
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