トーキング・マイノリティ

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僕の違和感 その④

2016-09-11 22:11:13 | 読書/小説

その①その②その③の続き
 単一民族の国を標榜、折に触れ強調するトルコだが、実態は国のスローガンとは裏腹の多民族・多宗教国家である。オスマン帝国時代からイスタンブルには多数のキリスト教徒が暮らしていたが、既にこの帝都でも19世紀末、アルメニア人を含めキリスト教徒への虐殺が起きている。
 アルメニア人虐殺といえば第一次世界大戦時のそれが有名だが、第二次世界大戦中にも小規模ながらイスタンブルのキリスト教徒への迫害があったことが小説に書かれていた。そして下巻の年表には1955年9月6~7日にかけ、イスタンブルの非イスラム教徒への襲撃と店々の略奪、教会の破壊が載っているが、小説本文では虐殺や女性への暴行があったことが記されていた。被害者の多くはギリシア人だが、アルメニア人もいたようだ。

 さらに年表には1964年、キプロス紛争によりイスタンブルに暮らすギリシア人が国外追放となったとある。帝都時代からギリシア系の人々が多く住んでいたタルラバシュ地区の多くの家々は空き家になり、そこにムスリムが移住するようになる。この地区の土地や家は本来はギリシア系住民のものなのだが、1955年の暴動で身の危険を感じて欧米に亡命した住民も少なくなかった。
 オスマン帝国末期にもキリスト教徒への暴動が度々起きていたが、反アルメニア人・反ギリシア人暴動とは今風でいえば、ヘイトクライムに他ならず、トルコを含め第三世界では敵対的と見なされた異民族には21世紀でも容赦しない。

 トルコにおけるマイノリティ問題ではクルド人も知られている。1994-95年にかけてのクルド労働者党とトルコ軍の戦いで村を焼打ちにされ、イスタンブルに移住したクルド人もいたという。メヴルトの親友フェルハトはアレヴィー教徒のクルド人だが、クルド独立運動には参加しておらず、宗教活動もしていない。
 時代もあり、若い頃のフェルハトは熱心な共産主義運動家だった。メヴルトは仕事や勉学の忙しさもあり、共産主義にはあまり感化されなかったが、トルコの共産主義活動家たちはモスクワ派と毛沢東派に別れていたという。この2派の間でも共産主義者特有の内ゲバがあったのは失笑させられる。フェルハトは後に運動から足を洗い、抜け目なくビジネスで成功、大金を稼ぎ出すが、宗教には警戒心を抱いていた。

 イスラム主義者が増えればイランのような国になる、と危惧したフェルハトだが、イスタンブルではイランやサウジの民族衣装を着た宗教関係者らしき者がうろついていたらしい。彼らが世俗主義国家のトルコを正そうとするのは当然だが、トルコのイスラム主義者は共産主義者と同様、反トルコには決してならなかった。
 イスラム主義者のトルコ人でも民族主義者に劣らぬナショナリストであり、「アラビアのロレンス」に対処した司令官を讃えていたほど。ちなみにトルコはロレンスを、スパイのみならず性的逸脱者と見ているようだ。

 メヴルトの従兄コルクトは民族主義者で、共産主義者や非トルコ人を嫌っている。1995年3月、コルクトがアゼルバイジャンヘイダル・アリエフ大統領政権の転覆を企図したクーデター計画に参加していたのは興味深い。トルコ民族を自称しながらアリエフは親露派の共産主義者とトルコでは見なされ、政権転覆後は親トルコ政権を擁立する意図があったようだ。
 この辺りはかつての20世紀初めの汎テュルク主義を思い出す。統一と進歩委員会(旧名:青年トルコ党)は民族精神高揚として大いに汎テュルク主義を掲げたが、21世紀にもそれが受け継がれているのか。日本では「トルコ語サミット」と呼ばれたテュルク語諸国協力評議会という国際組織があり、トルコが中心となっているのは書くまでもない。日本とは正反対なトルコの筋金入りのナショナリズムが改めて伺えよう。

 トルコにさして関心がなくとも、パムクの小説は実に読ませられる物語なのだ。優れたストーリーテラーであり、ノーベル賞受賞作家からイメージされる堅苦しさがない。『わたしの名は紅(あか)』は私が初めて見たパムク作品だったが、性的な描写があったのは予想外だった。ムスリム作家ゆえに性にはお固く、その種のことは書かないと思っていたから。今作でも青年時代の主人公が自慰に耽るシーンが幾つかあり、恥かしいと思いつつ止められないという個所に苦笑した読者もいただろう。
 前作『無垢の博物館』は恋愛小説だが、愛する女の身の回りの品々を収集、それに囲まれ悦に入る主人公はフェチで退廃的な変態にしか感じられず、好感が持てなかった。

 ライハと駆け落ちしたメヴルトだが、そのきっかけはコルクトの披露宴の時だった。コルクトの新婦の美しい妹を一目見て恋に落ち、妹へ当てて3年間もラブレターを書き送る。妹の名はライハと思い込んでいたメヴルトだが、実は彼が恋したのはライハの妹サミハで、彼が誤解したのは同じくサミハを狙う従兄弟のスレイマンが騙したからだ。
 メヴルトから瞳の美しさを讃えるラブレターを送られ続けたライハも、彼を愛するようになり駆け落ちを決意する。手紙のやり取りや駆け落ちを手助けしたのこそスレイマン。駆け落ちの夜、ライハの顔を見て初めて間違いに気付き、メヴルトは違和感を覚える。

 それでもメヴルトはライハと幸せな夫婦生活を送り、娘2人を授かる。生活は貧しかったが、ライハは夫を支え娘を愛しむ善き妻だった。だが、後にライハはスレイマンから夫が恋文を書いていた相手は妹だったことを聞かされ、嫉妬に苦しむ。そして自ら中絶を試みて失敗、若死したのは悲しい。
「僕はこの世でライハが一番、愛しいんだ」、というメヴルトの独白で物語は完結しており、この終わり方で救われた想いだった。

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 「トルコ大使館前乱闘事件に思うこと

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