スポーツに人生を学ぼう!

格闘技、野球、サッカー等の試合、選手から
人生の術を学び、生かすことを目的とします。

プロレスについて

2004-05-11 23:12:32 | スポーツ
最近は格闘技ブームと言っていいだろう。
PRIDE,K1など東京ドームで大会を行えば、満員にし、
視聴率も20%前後とる。
これに煽りを食ったのが、プロレスである。
プロレスはショーだ、という人が多くいて、
実際アメリカのプロレスは細部まで台本に決められているという。

が、プロレスはショーという言葉で一括りできるほど
単純なものではないと思う。

例えば、私が感動し、大げさでなく人生の生きる勇気を
もらった全日時代の天龍同盟、三沢、小橋、田上、川田の
四天王対決、三沢vs小橋らの
試合はプロレスという言葉より、男と男が命を掛けた
魂のぶつかり合いであった。

天龍は鶴田のNo2であった悶々とした自分にイライラし、
天龍同盟という阿修羅原と本当にプロレスを革命する
試合を始めた。
試合時間は常に20分以上、技と技は思い切り打ち、
相手の技も思い切り受ける。
見るものはあまりの激しさに顔をしかめながら観戦した。
これから痛みの伝わるプロレスと言われた。
特に天龍が体格もセンスも有り余るほど持つ鶴田と戦う
時、天龍は最も輝いた。
どんなにやられてもどんどん立ち向かっていく。
見る人に感動と勇気を与えた。

四天王の対決も天龍の戦いを引き継いだものと言っていいだろう。
首の骨が折れるんではないか、というバックドロップを
川田が三沢に放ち、三沢も鋭角にエルボーを出し、
怪我をしないのが不思議に見える試合を展開した。

三沢vs小橋もすごい。
三沢がエプロンから小橋に場外へタイガースープレックスを
繰り出した。
小橋が首の骨を折って死ななかったのが不思議であった。

なぜこれらの試合に感動があったのか。

皆、命を掛けて試合をしていたからである。

リングで死ぬ覚悟で試合をしていたからである。

感動するかしないかの境目はここにしかないのではないか。

自分という人間の価値を全て掛けて仕事をしている時、
その人は最も輝き、見ている人にも感動を与えるのでは
ないか。

命を掛けるというのはもっと具体的に言うとどういうことだろうか。

足の指先から頭の天辺まで全神経を働かせ、
脳の思考回路を全身全霊働かせ、
仕事に没頭することだろうか。

このぐらいの気持ちを持って生きていけたら、
人生は充実するのだろう。

清原和博代打3ラン

2004-05-07 01:03:50 | サッカー
天才、スターと子供の頃から言われ続け、
西武時代から不動の4番打者であり続け、
4番から外れることだけでも驚くことだった男が
まさか、今怪我をしてるわけでもないのにレギュラーから
外れるという屈辱といって言いだろうなか、
勝負を決めるホームランを打った。

前の回にエラーをした川中が泣いていたというが、
本当は一番泣きたかったのは清原ではないだろうか。

自他共に認めるスターである自分が試合に出れない
悔しさの中で、活躍出来た時、その悔しさ、苦しさが
報われた嬉し涙が出ただろう。

逆境の中でこそ人間は輝くのだろう。
逆境の中、苦しい中で歯を食いしばって頑張っている時、
人は最高に輝くのではないだろうか。

清原に後光が射していた。

アイルトン・セナ展

2004-05-04 22:49:11 | サッカー
アイルトンセナはドライビングの天才と言われた。

私のセナのイメージは努力等せずともいとも簡単に好成績を
残しているというものだった。

が、セナのインタビューを改めてじっくり聞いてみたら、
その考えは180度変わった。

「目標の為に忍耐、努力をすれば、誰でも夢を実現できる」
「目標達成の為にいろいろなことにチャレンジしないといけない
と決意した」
ということを言われていた。

セナほどの天才というイメージの似合う選手が
努力という言葉を口にしている事に驚くと同時に
感動した。

セナの栄光は努力の賜物だったのである。

ということは、天才なんてどこにもいないのではないか。
イチロー、松井秀喜選手などの超一流選手達もただ
才能だけで栄光をつかんだのではなく、
死ぬ物狂いの努力の結果なのだろう。

後、こういうことも話されていた。
「レースから4ヶ月離れて、俺はレースをやるために
生まれた、レースしかない、と思った」

自分の命、人生を掛けてもいいというものをはっきりと
見つけられたら、もう後は時間の問題だけで、
成功したも同然なのだろう。



工藤公康投手 40才11ヶ月での勝利

2004-05-02 00:09:04 | サッカー
4月30日、工藤公康投手が7回3/1を3失点12奪三振の好投で
今季2勝目を上げた。

9割方の選手は30歳前半位で選手生命を終えていく。
が、工藤選手は40歳という年齢で、完全実力社会である
プロ野球の世界で、第一線で活躍し続けている。
これは恐ろしくすごいことである。
打者も自分の生活、命を掛けて打ちに来ている。
結婚して子供もいる打者は自らの名誉、栄光のみならず、
妻、子供の生活も背負っているのだから、
同情の余地等一切なく投手の球を打ち込んでくる。
研究材料も20年も活躍している投手であるから山程あり、
研究され尽くしているだろう。
なぜ、それでも抑えることができる。
工藤投手が打者の気迫、研究に勝る努力を行ってるのだろう、
という極めて単純であるが、最も大切な様々な”努力”を
し続けている事の勝利なのだろう。

そして、工藤投手の素晴らしさはこんなにすごい選手なのに
気取らず明るく家族への愛情に溢れていることも見逃せない。
この素晴らしい人間性と野球に対する情熱、努力のバランス
の良さが工藤投手の実力、運を高めているのだろうか。

工藤投手は45歳まで続けるということを話されている。

きっと、実現されるだろう。
私は陰ながら応援したい。

工藤投手から学ぶことは、山程ある。

世間一般の常識である年齢の限界を食事、トレーニングで
克服している点。
大ベテランになっても常に高い目標を置き、絶えず努力を
怠らない点。
家族への愛情。

とにかく、マウンドで投げている工藤投手を見て
生き様を目に焼きつけ、生き様に学ぼう。