消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.205 米国政府が推し進めた格付け会社の寡占体制

2008-01-03 21:09:01 | 格付け会社

 保有する証券の暴落で倒産の憂き目にあった銀行が輩出してしまった大恐慌の苦い経験から、米国政府は銀行が保有できる証券に条件を付けるようになった。

 米国には、通貨監督局(OCC=the U.S. Office of the Comptroller of the Currency)という部局がある。財務省の一部局で、国法銀行を監督する任務をもつ。この部局が、一九三一年に証券保有の条件を設定した。BBB以上の格付けを得た証券は、額面ないしは簿価でバランスシートに計上してもよいが、その水準に満たない証券については、市場価格価格で評価し直して、損失額をバランスシートに記載しなければならないというものであった(Cantor & Packer[1994], p. 6)。

 一九三六年、通貨監督局は、さらに証券保有規制を強化した。二つの格付け会社によってBBB以上の評価を得られなかった証券の保有を銀行に禁じたのである。これは、非常に厳しい規制であった。当時、一九七五種類の債券があったが、うち、八九一種類がBBBに満たなかったからである。以降、ジャンクボンド保有が許可されるようになった一九七〇年代までのほぼ四〇年間、銀行が保有できる証券の条件は厳しく規制されたのである。こういう状況下では、格付け会社の活躍の場は狭く、会社自体も地味な存在であった。

 一九七五年、SEC(証券取引委員会=the U.S. Securities and Exchange Commission)は、「純資本ルール」(the net-capital rule)という新たな制度を導入した。証券会社が扱う証券の一定額を準備資金として維持しなければならないという制度がそれである(Rule 15c3-1)。

 
証券のデフォールトに備えて、十分な自己資金を準備しておくことが義務づけられたのである。この準備資金のことを「ヘアカット」(haircut)という。ところが、NRSROとして認可された格付け会社の少なくとも二社から投資適格とされた証券については、準備資金を置かなくてもよいという優遇措置が導入されたのである。

 このNRSROが曲者である。「米国において広く認知された格付け機関」(Nationally Recognized Statistical Rating Organizations)がフルネームであるが、NRSROとして格付け会社を認める基準は、明確な法律によって定められたものではない。一九七五年になって突然にSECによって言い出された栄誉ある組織の呼称である。全米において格付けぶりが広く承認され、投資家、起債者、市場において長らく信頼されている格付け会社がNRSROとしてSECによって認定される。

 これは一種の詐欺である。全米で広く知られ、長年にわたる信頼を得るということが認定基準ならまず新参社は排除されてしまう。結局は、上位三社の寡占状態にならざるを得ない。証券会社は、自社で扱う証券をNRSROの二社で高い評価を得ることによって優遇措置を受けることができるのなら、わざわざNRSRO以外の格付け会社の評価を乞う必要はない。結局、自己資本規制の法律は、NRSROの寡占化を固定してしまったものである(Edward, Ben[1994], pp. 26-27)。

  三兆ドルにもなろうかというMMF(Money Market Fund)のほぼすべては、NRSROとして認定された格付け会社の格付けに従って運用されている。

 しかも、格付け会社は、起債者に関する情報を、一般の投資家よりもはるかに早く詳細に得ることができる上に、その情報を外部に漏らさなくても当局から何らのおとがめもない。格付け会社は、当局の指導対象にはなっていないのである(浅見唯弘[2002])。

 そして、SECは、NRSROとして認定する明確な条件を公表していない。かつて、フィッチ(Fitch Investors Service)の問い合わせに対して、認定されるには、十分な財政的裏付けと十分なスタッフを必要とするとSECが回答したことがある。しかし、何をもって「十分な」のかについての体的な指標はまったく示さなれなかった(Sinclair[2005], p. 44)。

 一九八〇年代初め頃には、NRSROとして認定されていたのは、七つあった。しかし、格付け会社の合併によって、一九九〇年代に入るとムーディーズ、S&P、フィッチの三つだけになった。

 そして二〇〇三年、カナダのDBRS(Dominion Bond Rating Service)が認可された。一九九四年のNAFTA(北米自由貿易協定、North American Free Trade Agreement)の発効によって、カナダの証券は、SECの認可をわざわざ得なくても、自由に米国内で発売することができるようになったのであるが、BDRSがNRSROとして認可されなかったので、米国で売買されるカナダの証券は、米国の証券に比して不利であった。同社は、懸命になってNRSROとして認可されるようにSECに要請し、二〇〇三年に認可を得た。

 二〇〇五年、A・M・ベスト(A. M. Best Company)が認可された。この会社は、保険会社の格付けに評判を得ていたものである。

 そして、二〇〇七年九月二四日日本の二つの格付け会社がNRSROとして認可された。格付投資情報センター(R&I=Rating and Investment Information, Inc.)と日本格付研究所(JCR=Japan Credit Rating Agency, Ltd.)である

 二〇〇七年時点で、NRSROとしてSECから認可されているのは、以上の七社である。 

 SECによるNRSROの認可は、SECのスタッフが当該会社に送付する「ノー・アクション・レター」(No Action Letter)によって示される。

  「ノー・アクション」とは、当該会社がNRSROとして公に活動することを「妨げない」という意味である。ノー・アクション・レターには、、「SECのスタッフは、当該会社に反対するように強いることを勧告しないであろう」(the SEC staff will not recommend enforcement action against that entity)という、まことに曖昧な表現の文章が付加される。

  日本人の多くは、日本語と違って英語は曖昧な表現をせず、ずばりと事柄を示す言語であると受け取っているが、事実はそうではない。英語もまた、何を言っているのか不明な表現が結構多用しているのである。

 この「ノー・アクション・レター」は、当該会社だけにではなく、一般にも公開される。他の会社が参考にできるようにするためである。

 正式に申請があった後に、正式に認定するという手続きを踏む前に行われるのが、このノーアクション・レターの制度である

  格付け会社が、自社にNRSROとしての資格があるかどうかをまずSECに問い合わせる。それに基づいて、SECが調査し、資格があるか否かを回答する。認可をしてもよいというサインが、ノー・アクション・レターである。その手続きの後で、当該会社は正式にSECに認可を同社の二〇〇七年九月二五日付ニューズ・リリース、http://www.nicmr.com/nicmr/report/repo/2007/2007win08.html)。JCRもまったく同じ日時であった(同社の二〇〇七年九月二五日付レポート&トピックスhttp://www.jcr.co.jp/top_cont/report_desc.php?no=07d0688)。


 ただし、ノーアクション・レターの作成には期限が定められていない、審査基準も明確ではない。

 日本の二社の認可は、二〇〇六年九月に成立した米国の「格付会社改革法」(the Credit rating Agency Reform Act of 2006)と同法を補完する二〇〇七年六月に定められた「NRSRO格付け会社の監督」(Oversight of Credit Rating Agencies Registered as Nationally Recognized Statistical Rating Organization)の新ルールに基づいたものである。同法は、利益相反(conflicts of interest)の防止を重視し、審査もSECのスタッフではなく、外部委員をも加えた委員会方式で行うことを定めた。そして、既存のNRSRO認定会社も、新たに申請をしなければならなかった。SECは、新規申請を多くの格付け会社に呼びかけたのである。

 北米とフランス勢で占められていたNRSROに日本の二社が初めて認可されたことの意味は何なのかが分かるにはまだしばらくの時間が必要となるであろうが、少なくとも、四社が追加認定されたからといって、格付け会社間の競争が進展するとは思われない。既存の大手格付け会社が寡占体制を守ろうとしているからである。

 一九九四年八月、SECは、NRSRO認可手続きにおける「基準の公表」(concept release)と委員会方式を提案していた。しかし、これに大手が反対し、SECの改革案は頓挫した(SEC[1994])。SECは、格付け方法にも基準を設定しようとしたが、S&Pもムーディーズも、格付けの手法は格付け会社独自のものにしておかれるべきであり、ケース・バイ・ケースで処理されるべきだとして強力に反対した(S&P[1995]; Moody's[1995])。

 SECは、一九九七年にも「一九三四年証券取引法」(the Securities Exchange Act of 1934)を改正して、NRSRO認可手続きの明確化を図ったが、これもうやむやな扱い方をされて論議が沙汰止みになった(Sinclair[2005], p. 45)。


 そして、二〇〇一年と二〇〇二年、エンロン事件によって、格付け会社批判が沸騰し、現在まで続いているのである。

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