消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(119) 新しい金融秩序への期待(119) 恐慌(5)

2009-03-31 07:37:16 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 四 日本の苦境

 日銀は、〇八年一〇月末に七年七か月ぶりの利下げに踏み切っていた(13)。〇八年九月のリーマン・ショック時、当時の与謝野・経済財政相が国内経済への影響は「ハチが刺した程度」と表現していたほど、日本政府の危機感は薄かった。したがって、日銀はそれ以上の利下げはないと判断していた。しかし、〇八年一〇月下旬に日経平均株価が一時、七〇〇〇円を割り込み、バブル後の最安値を記録した。

 日経平均株価の歴代の下落率を大きい純に並べると以下の通りである。

 ①二〇〇八年(四二・一%)、②一九九〇年(三八・七%)、③二〇〇〇年(二七・二%)、④一九九二年(二六・四%)、⑤二〇〇一年(二三・五%)、⑥一九九七年(二一・二%)、⑦二〇〇二年(一八・六%)、⑧一九七三年(一七・三%)、⑨一九七〇年(一五・八%)、⑩一九六三年(一三・八%)(『日本経済新聞』二〇〇八年一二月三一日付)

 円相場も一二月中旬に一ドル=八七円台まで急騰し、輸出産業を直撃した。

 しかも、FRBが、〇八年一二月一六日、米国史上初の事実上のゼロ金利と量的緩和に踏み切った。しかも、FRBはCP(コマーシャル・ペーパー)の買い取りという禁じ手まで打ち出した。民間企業が短期資金を調達するために発行するCPを買い取り、一定期間後引き取らせないという「買い切り」にFRBは踏み出したのである。これは、非常に危険な選択である。FRBが買い切ったCPの発行企業が倒産してしまえば、FRBにも損失が及ぶからである。しかし、米国では、CPの買取でFRBが損失を被れば、米政府が信用補完措置を講じる態勢ができている。

 こうした、背景の圧力を受けて、〇八年一二月一九日、日銀は、政策金利を年〇・一%にまで下げに加え、長期国債買切の増額、CPの買切などの量的緩和政策を採用した。日本もまた禁じ手を採用したのである。

 しかし、米国とは異なり、日本には、CPに関する信用補完態勢はない。よしんば、日銀がCP買切で損失を出しても、日本政府は日銀に損失補填をおこなわないのである。未曾有の危機を日本では日銀一人が背負い込んでいる。もはや伝統的な利下げ政策を採用できない日銀は、これまでの伝統的な政策展開をできなくなってしまっているのである(「〇八金融危機5」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月三〇日付)。



 「我々は一〇〇年に一度の『信用危機の津波』(クレジット・ツナミ)のまっただ中にいる」と〇八年一〇月の米下院公聴会で、グリーンスパン・前FRB議長は発言した。この言葉がいまではもっとも頻繁に引用されているものである。この言葉は、〇八年九月上旬に出版したペーパーバック版の『波乱の時代』(グリーンスパンン[2008])に出ていた。そこでは、〇八年の金融危機を「一〇〇年に一度か、五〇年に一度の事態」と表現されていた。

 日経平均株価が過去最大の下落に見舞われた〇八年は、世界の主要株式市場も同時に大幅安となった年であった。

 
世界主要市場の〇八年の株価年間下落率を下落幅の大きい純に並べると以下の通りになる。数値は、アジア・オーストラリア各国で〇八年一二月三〇日、他は二九日と〇七年末の終値を比較したものである。

 ロシア(七一・九%)、中国・上海(六五・二%)、インド(五二・一%)、イタリア(五〇・三%)、アルゼンチン(五〇・〇%)、シンガポール(四八・九%)、香港(四八・八%)、台湾(四六・一%)、フランス(四四・二%)、オーストラリア(四四・一%)、日本(四二・一%)、ブラジル(四二・〇%)、ドイツ(四一・七%)、韓国(四〇・七%)、スペイン(四〇・六%)、カナダ(三七・六%)、米国(三六・〇%)、スシス(三五・六%)、英国(三三・一%)、南アフリカ(二七・〇%)(『日本経済新聞』二〇〇八年一二月三一日付)。

 もっとも下落率の大きかったロシアは七割超もの大幅なものであった。一年で世界の株式時価総額の下落額は二九兆ドル強(二六〇〇兆円)であり、〇八年末の時価総額は三一兆ドル強(二八〇〇兆円)とほぼ半減した。

 国際取引所連合(World Federation of Exchanges=WFE)(14)によると、世界の株式時価総額のピークは〇七年一〇月末の六三兆〇五〇〇億ドル(五七〇〇兆円)であった。消えた二九兆ドルは、〇七年の世界のGDPの五割強に相当する。一五〇〇兆円弱とされる日本の故人金融資産の二倍近くの大きさである。

  株価下落が金融機関を直撃した。日本でも、金融機関の含み益をなくし、含み損をもたらした。〇八年末現在で日本の大手銀行グループは六つである。三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)、みずほFG、三井住友、りそな、住友信託、中央三井の六グループである。これら六グループの含み益は〇八年六月末には五兆二〇〇〇億円あった。それが、九月末には二兆八〇〇〇億円に下がり、一二月末には八〇〇億円を切ってしまった。つまり、含み益が半年で九八%も下がり、財務体力が急激に落ちた。

 大幅な株安によって、保有株は減損処理しなければならなくなった。日本の金融六グループは、九月中間決算で三〇〇〇億円の減損額を計上していたが、一〇~一二月期には大幅な追加計上をすることは避けられない。顧客企業の業況悪化で不良債権処理損失も膨らんだ。そのために、最終赤字に転落する大手銀行も出た。

 事実、三菱UFJフィナンシャル・グループとみずほFGの〇八年一〇~一二月期連結決算が最終赤字に転落した。赤字額はそれぞれ数百億円規模と〇九年初では予想されていた(〇九年一月末発表予定)。四半期ベースの最終赤字は、三菱UFGにとって、〇五年一〇月の発足以来初めてである。みずほFGは二期連続である(『毎日新聞』二〇〇九年一月三日)。

 民間からの資本調達が難しい地方銀行の苦境が深刻なものになった。政府は総額一二兆円の公的資金の注入枠を用意しているが、この実施が早晩焦点になる。
 大手生命保険の株式含み益も急減し、含み損に転落した生保も出た。九月末には、大手生保九社で計五兆七〇〇〇億円の含み益があったが、一二月末のは三分の一以下になった。

 生保各社は、株式含み益がゼロになる日経平均株価の水準を開示している。朝日生命保険の基準は一万三〇〇〇円である。同社の九月末の含み損は三〇〇億円であった。〇八年一二月三〇日の終値が八八五九円だったのだから、同社の含み損はさらに大きく拡大したことになる。

 住友生命は一万〇七〇〇円が損益の分岐点であった。同社は九月末には一七〇〇億円の含み益があったが、年末には含み損に転落した。三井生命の基準は一万〇五〇〇円である。したがって、五〇〇億円の含み益から二〇〇億円の含み損になった。

 基準が九三〇〇円の富国生命、九一〇〇円の第一生命、八九〇〇円の太陽生命の含み益もほぼなくなったと見なせる。七六〇〇円の日本生命、七五〇〇円の明治安田生命、七三〇〇円の大同生命はまだ含み益を確保できていた。大手損害保険も全社が含み益を確保したが、その額は大幅に減った(『日本経済新聞』二〇〇八年十二月三一日付)。

 〇八年十二月三〇日の大納会で日経平均株価は〇七年末比六四四八円(四二%)も安い八八五九円で引けたが、時価総額の減少が大きかったのは、自動車や電機などの輸出企業であった。

 首位のトヨタ自動車の時価総額は一〇兆〇一〇〇億円と首位を維持したものの、五四%も低下した。ソニーは、一兆九三〇〇億円で六九%も下げた。順位も前年の一〇位から二四位に下げた。前年一四位の日産自動車は七四%減で三五位に下がった。

 トヨタ、ソニー、以外で五〇%以上減少した企業を時価総額順に列挙すると次のようになる。

 一〇位、三井住友FG(二兆九七〇〇億円、五四%減)、一一位、JT(二兆九五〇〇億円)、一二位、みずほFG(二兆八八〇〇億円、五三%減)、一六位、パナソニック(二兆七三〇〇億円、五二%減)、二〇位、三菱商事(二兆七三〇〇億円、五九%減)、二三位、新日鐵(一兆九七〇〇億円、五八%減)、三〇位、三井物産(一兆六四〇〇億円、六二%減)(『日本経済新聞』二〇〇八年十二月三一日付)。

 輸出企業の時価総額の減少額が大きかったのは、外需低迷、円高、外国人の換金売りという要素が大きく響いたからである。


野崎日記(118) 新しい金融秩序への期待(118) 恐慌(4)

2009-03-30 07:36:10 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


  三 展望なき救済措置


 金融安定化法案は、金融恐慌がくるとのポールソン財務長官とバーナンキ(Ben Shalom Bernanke)FRB議長の説得によって、当時のブッシュ(George Walker Bush)大統領がしぶしぶ提出を認めたものであった。

 
しかし、〇八年九月二九日、米下院で反対二二八、賛成二〇五という大差で同法案は否決された。この日、ニューヨーク市場のダウ平均株価の終値は、史上最大の下げ幅(七七七ドル安)を記録した。

 議会は、預金保護を強化するという修正を施して、同年一〇月三日に法案を通過させた。しかし、その後、法案の適用方針が二転三転した。元々は、国が金融機関から不良資産を買い取ることが目的であった。公的資金を投入することによって、銀行経営に介入しないという姿勢からであった。金融機関から、重荷である不良資産を切り離し、資本の傷みを修繕するという目的がこの金融安定化法案であった。銀行への資本注入に比べると不良資産の買取はまだ経済的な取引の建前を持っていたからである。

 しかし、いち早く欧州が公的資金による資本注入を銀行に対しておこなったことと、株価の大暴落によって、米国も資本注入に踏み切ることになった。法律を拡大解釈することによって、公的資金による資本注入を可能にしたのである。

 
そして、〇八年一〇月下旬から資本注入が開始された。それとともに、不良資産買取は「もっとも効果的な活用方法ではない」とのポールソン財務長官の談話が一一月早々発表され、ここでも、政府は不良資産の買取をもうしないのか、それとも政策手段の一つとして活用するのか否かということが不明なために、市場はさらに混乱した。

 そして、用意された七〇〇〇億ドルの公的資金による資本注入も、金融機関に限定されるのではなく、ノンバンクや大手自動車メーカーなどにも拡大されることになった。もはや、金融機関の救済に限定された金融安定化法案は、本来の趣旨から大きく逸れたのである。資本注入対象が拡大するにつれて、七〇〇〇億ドルの公的資金枠だけでは、大幅に不足するようになったのである(「〇八金融危機の軌跡2」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二七日付)。

 〇八年の米国発金融危機に対処するに当たって、これまでは、先進七か国の財務省・中央銀行総裁会議(G7)、これにロシアを加えたG8が緊急に招集されて対策を協議してきた(7)。ところが、〇八年一一月一四・一五日、ワシントンでの「金融サミット」に招集されたのは、既述のように、先進国以外に中国、インド、ブラジルなどの新興国も含む、二〇か国・地域であった。

 これは、いわゆる「デカップリング」論が幻想であったことを示したものである。「デカップリング」論とは、先進国の経済が減速しても、新興国の高成長が世界経済を支えるという意味である(8)。

 米経済が失速しても、それとは連動しないといわれてきた新興国が、米国以上の落ち込みを示したのである。未曾有の金融危機が瞬時に世界中に波及した。人々は、世界経済が一体化してしまっていることを思い知らされた。株価の下落率は、ロシアなどの新興国の方が米国よりも大きかった。中国などは対米輸出で巨額の貿易黒字を稼いできた。その中国も大きく失速してしまった。

 サルコジ(Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa)・フランス大統領の働きかけで急遽開催された〇八年一一月一四・一五日の金融サミット(G20)は、各国が財政出動・金融緩和・保護主義の排除で協調行動をとることの合意を得たが、現実には掛け声倒れに終わった。

 たとえば、通商における地域主義が世界を支配するようになった。ドーハ・ラウンド(Doha Development Round)いうWTO(世界貿易機関)(9)における新多角的貿易交渉がある(10)。このラウンドが〇六年内の合意を「誓約」していた。しかし、その後は、〇六年内合意どころか、閣僚会合すら開催できなかった(「G8金融危機の軌跡3」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二八日付)。

 〇八年の危機は、金融立国ほど深刻である。欧州でいえば、製造業の強いドイツに比べて、英国などの危機ははるかに深い。〇七年には好況を謳歌していた英国は、〇八年秋には、急転直下、深刻な経済危機に見舞われた。たとえば、対円でポンドは、〇七年夏には二五〇円台であった。しかし、〇八年一二月には、一時、一三一円台まで四割安になった。対ドルでも三割安であった。対ユーロでも、一九九九年のユーロ導入以来、初めてとなる一ユーロ=一ポンドに迫る〇・九五ポンド台までポンド安が進んだ。

 英国は、金融業が、国内のGDPの三割を超えていた「金融立国」であった。ところが、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドやHBOSなどの有力金融機関が経営不振に陥り、GDP成長率もマイナス〇・六%に落ち込んだのである。〇八年末の英国の失業者数は一八六万人と十一年ぶりの水準である(『讀賣新聞』〇八年一二月二八日付)。

 米政府は、〇八年一二月一九日、GMとクライスラーに総額一七四億ドル(約一兆五〇〇〇億円)の緊急融資を決定した。その四日後、GMは大型スポーツ用多目的車(SUV)(11)を生産していた米国ウィンスコンシン洲のジェーンズビル(Janesville, WI)工場を閉鎖した。GMにとって、大型SUVを生産するジェーンズビル工場は、一九九〇年代前半からの主力工場であった。政府支援があった後でも主力工場を閉鎖しなければならなかったところに、GMの氷河期が示されている。

 米国の新車販売は〇八年一〇月から二か月連続で前年同月を三割以上も下回った。GMとクライスラーは、〇八年一一月に四割以上も減産せざるを得なかった。

 金融危機の進行とともに、金融機関は融資条件を一斉に厳しくした。その結果、すべての人々が自動車ローンを組みにくくなった。しかし、〇八年一二月一一日、ビッグスリーを救うべくく提出された三社支援法案は廃案になった。米議会の公聴会でのビッグスリー経営者たちへの批判が強かったからである。しかし、廃案の可能性が強くなった一二月一〇日、チェイニー(Richard Bruce "Dick" Cheney )副大統領は、GMを倒産させて恐慌の引き金を引きたくない、恐慌を招いたと非難されるフーバー(Herbert Clark Hoover, 1874~1964)(12)大統領の不名誉を得たくないと複数の上院議員に語り、支援法案が廃案になっても、金融安定化法で救済する方針であるとした。つまり、金融安定化法は、もはや金融機関救済だけではなかったのである。

 GMとクライスラー救済には、人件費や債務の大幅な削減が条件となった。この条件を履行できなければ、両社は、連邦破産法第一一条による破産処理に移ることになる。両社からは激しい資金流出が続いているので、破綻の可能性は遠のいていない(「〇八年金融危機の軌跡4」、『讀賣新聞』二〇〇八年十二月二九日付)。

 米政府は、ブッシュ政権末期、不良資産損失補償制度を導入した。資本注入と併用することによって、米金融システムを下支えしようというのである。ただ、金融機関による申請が前提になる。そのために、金融機関が公的介入を忌避して申請しなければ制度は動かない。

 シティグループの救済では、保有資産を優良資産からなる新勘定と、不良資産からなる旧勘定に分離した。そして、不良資産から生じる損失の大半に政府保証がつけられたのである。シティグループに適用した「新旧勘定分離」方式を金融システム全体に導入したのが、損失保証制度である。

 金融機関が計上する損失には、証券化商品の値下がりに伴う評価損と、貸出資産の劣化に伴う引当金計上の二種類がある。保証制度で効果があるのは、前者である。後者は、実体経済悪化からもたらされるもので、そこから生じる不良債権増は防ぐことが難しいものである。

 それでも、金融機関の売却には、この制度は有効なものになった。たとえば、〇八年夏に破綻したインディマック・バンコープ(IndyMac Bancorp)の銀行部門を、ソロス(George Soros)などを含む投資ファンドで構成される投資家連合に、米連邦預金保険公社(Federal Deposit of Insurance Corporation=FDIC)が、〇九年一月二日、一三九億ドル(約一兆二八〇〇億円)で売却した。そのさい、インディマックの保有資産に生じる損失の一部をFDICが負担する仕組みを導入したのである(『日本経済新聞』〇九年一月四日付)

 米財務省は、金融機関の保有する不良資産が将来に損失を発生させたとき、その損失を政府が肩代わりすることを保証するという制度を、〇九年一月二日に導入した。

 導入した新制度は、金融安定化法に基づくもので、米政府の審査を経て実行されるが、大手行に限定される見通しである。制度の適用を受けた金融機関は、政府にワラント(株式購入権)などを提供し、経営者の報酬も制限しなければならない。財源は、金融安定化法の総枠七〇〇〇億ドルを使う(『日本経済新聞』二〇〇九年一月四日付)。


野崎日記(117) 新しい金融秩序への期待(117) 恐慌(3)

2009-03-29 07:34:15 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


二 投資銀行の消滅


 既述のように、〇八年三月末、ベア・スターンズが、米金融当局の指示によって、J・P・モルガンン・チェースによって救済合併された。

 
そうした事情もあって、リーマンが〇八年九月一五日、米連邦破産法十一条の適用を申請したとき、金融界はリーマンも当然救済されるものと思い込んでいた。しかし、ポールソン(Henry 'Hank' Merritt Paulson)米財務長官(United States Secretary of the Treasury)は、救済の意思はないと突っぱねた。

  これで、金融機関はパニックに陥った。次に救済されない銀行はどこか、という疑心暗鬼に駆られたのである。金融機関の相互間で財務状況への相互不信が高まった。銀行間取引での資金のやり取りが急速に縮小した。九月一五日、ポールソン長官の発言が伝えられるや否や、ドルの調達金利は四倍以上に急騰した。

 慌てた金融当局は、翌日の一六日、AIG(American International Group, Inc.)を救済するという決定をした。金融機関の見殺しという政策を中止したのである。しかし、金融機関の混乱は収まらず、欧州の金融機関にも飛び火した。先進国から流れ込んでいた途上国の投資マネーの逆流が生じた。アイスランド、ハンガリー、アルゼンチンなどがそのために通貨危機に追い込まれた。リーマン・ショックこそが、金融不安を本格的な金融危機に現実化させたのである。

 信用は途絶した。企業買収資金、自動車ローン供与、クレジット・カード・ローン、等々、あらゆるローンがしぼんでしまった。

 自己資金だけでなく、その数十倍の借入金で投資することを「レバレッジ(leverage)の投資」というが、投資銀行の投資行動とはこのレバリッジを過信するものであった。レバレッジとは梃子の意味である。投資銀行は、リーマンと同じ軌跡をたどって破綻の危機に瀕した。投資銀行第三位のメリルリンチ(Merrill Lynch & Co., Inc.)は、米大手商業銀行のバンク・オブ・アメリカ(Bank of America)によって買収された。一位のゴールドマンサックス(Goldman Sachs)と、二位のモルガン・スタンレー(Morgan Stanley)は、銀行持株会社に模様替えし、米国において、投資銀行は消滅した。

 リーマン破綻から〇八年末までの軌跡を整理しておこう。

 〇八年九月一五日、リーマン破綻。
    九月一六日、FRB(米連邦準備理事会、Federal Reserve Board)がAIGに最
          大八五〇億ドルの特別融資を発表。AIGは事実上国有化された。
        九月一八日、FRB、ECB(欧州中央銀行、European Central Bank)、日銀が市
          場へのドル供給を発表。
    九月二九日、米下院が金融安定化法案を否決。株価暴落。
   一〇月 三日、米金融安定化法案が成立。
   一〇月一三日、欧州各国が金融機関への公的資金注入を発表。
   一〇月一四日、米、大手九金融機関への公的資金注入を発表。
   一〇月二九日、FRBが政策金利を〇・五%下げ、年一・〇%に。
   一〇月三一日、日銀が政策金利を〇・二%下げ年〇・三%に。
   一一月 六日、ECBなども利下げを決定。
   一一月一四・一五日、G二〇(5)、ワシントンで金融サミット。
   一一月二三日、米財務省など、米金融大手シティグループ(Citigroup)の追加支援
          策を発表。
   一二月一二日、麻生首相、追加景気対策を発表。改正金融危機強化法が成立。
   一二月一六日、FRBが、政策金利を年〇~〇・二五%に引き下げ。事実上のゼロ
          金利政策と量的緩和を開始。
     一二月一九日、日銀が政策金利を〇・二%引き下げ、年〇・一%に。CP(6)の
          買い切り方針なども表明し、事実上の量的緩和に踏み込む。
               同日、米政府、一七四億ドルの大手自動車会社救済策を発表。
               (「〇八金融危機の軌跡1」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二六日付)。


野崎日記(116) 新しい金融秩序への期待(116) 恐慌(2)

2009-03-28 07:33:08 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 一 世界同時株安


 二〇〇八年、世界の株式時価総額は一年間で半減した。三〇兆ドルが吹き飛んだとされている( http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003015&refer=jp_europe&sid=a_MWiGBNlQUQ)。株式、不動産、商品市場から資金が一気に逃げだした。それは、まさに、ホット・マネー(hot money)(1)である。

 一九九五年から〇八年に至る一〇年間、世界の名目GDPは二倍に増え、〇八年のGDPはほぼ六〇兆ドルであった。同じ期間、金融資産は二・六倍とGDPよりもはるかに速いスピードで膨張した。〇八年の世界の金融資産は約一六七兆ドルにもなっていた。金融資産は、実体経済(GDP)の二・七倍もある(三菱UFJ証券調べ)。

 〇八年の世界的な株安は三つの段階を経て進行した。

 第一段階は、返済に無理のある貸付、つまり、サブプライム・ローン(Subprime Loans)などを組み込んだ証券化商品保有によって、巨額の損失を抱え込んでしまった金融機関の経営不安から生じた株安。〇八年の年初から九月中旬までの期間である。〇八年三月一六日、商業銀行のJ・P・モルガン・チェース(JP Morgan Chase)が、投資銀行のベアー・スターンズ(The Bear Stearns Companies Inc.)を買収すると発表。同年七月一一日には、ニューヨーク原油先物(WTI=West Texas Intermediate)(2)が一バレル一四七・二七ドルと史上最高値をつけた。

 第二段階は、米国の大手投資銀行(証券会社)であったリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers、同社の歴史については後述))の破綻(〇八年九月一五日)が引き起こした株安。金融機関が互いに疑心暗鬼になって、金融機関相互で短期資金を融通し合う慣行が停止し、金融市場で流動性(資金流通)が干上がってしまった。第二段階は、〇八年九月中旬から一〇月末までの期間である。九月二二日、三菱UFJがモルガン・スタンレー(Morgan Stanley)に出資すると発表した。この月の二九日、米下院で金融安定化法案(Emergency Economic Stabilization Act of 2008)がいったん否決され、そのショックで、ニューヨークのダウ工業株三〇種平均株価(3)が、史上最大幅の七七七ドルの下落をした。

 第三段階は、こうした金融不安が実体経済を萎縮させることによる企業収益の圧迫からくる株安。第三段階は、〇八年一〇月末以降のことである。一〇月二七日、日経平均が二六年ぶりの安値となった。つまり、バブル崩壊前の水準に戻ったのである。そして、一一月二〇日、米国の株式市場は、パニックに陥った。ゼネラル・モーターズ(GM=general Motors)株は、一時、一ドル台、シティグループ(Citigroup)株は、四ドル台にまで売り込まれた。

 ヘッジファンド(Hedge Fund)が融資回収を迫られ、資産の投げ売りに出た。空前の株高に沸いていた、ロシア、中国、パキスタン、アイスランドの株価下落幅は先進各国を上回っていた。アイスランドなどは、ピークの一〇分の一にまで下落したのである。資金は、まず弱い金融市場から逃げるものであることをこの事実は思い起こさせた。

 日経平均は、一二月末で、年初来から四四%もの下落率であった。これは、戦後最大の下落率であった。米国のダウ工業株三〇種平均と英国のFTSE一〇〇種総合指数(4)は、ともに、三三%の下落率であった。つまり、金融危機の震源地である米国や英国よりも、日本の株価下落率は大きかったのである。

 株価の水準の適性さを判断するのには、いくつかの指標がある。この指標のことごとくが、何十年ぶりの異常な数値を示したのが、〇八年秋の日本株暴落であった。たとえば、株価平均収益率(PER)というものがある(5)。企業の収益を発行株数で割ったものが一株当たり収益である。実際の株価が一株当たり収益の何倍になっているかの数値が株価収益率である。〇八年一〇月二七日に計算された日経平均採用二二五銘柄の予想株価収益率は九・五三倍であった。月末値比較では、この数値は一九七〇年末以来の低水準であった。三八年ぶりにこの数値が一〇を割ったのである(「〇八金融危機の軌跡1」、『讀賣新聞』二〇〇八年一二月二六日付)。

 日本は、震源地の米国や、その余波で銀行倒産が相次いだヨーロッパよりも、金融被害は軽微であったとされていた。少なくとも、〇八年八月末時点では、そう信じられていた。ところが、上述のように、日本の株価下落率は米欧よりも大きかった。

 その理由を『日本経済新聞』(〇八年一二月一八日付)を外需依存と株式の外資依存という日本の体質を挙げている。

   第一の理由は、日本の主力企業が、グローバル展開をし、世界の需要(外需)を取り込んで成長してきたことである。外需とは米国の住宅バブルであり、急成長する新興国需要であった。そこが急転直下暗転したのである。

 第二の理由は、外国人中心の日本の株式市場の構造である。外国人は日本株の三割を保有し、六割の売買シェアを持つ。こうした巨大なシェアを持つ外国人がひとたび日本株売りに転じると、買いで対抗する日本人株主は希薄である。外国人の売り越しは〇八年を通じて三・三兆円弱であった。〇七年には五兆円の買い越しだったのだから、株式環境の激変がいかに大きかったかが理解できるだろう。

 日本株の売りを主導したのは、ヘッジファンドである。ヘッジファンドは、金融機関や投資家から資金回収を迫られて日本株の換金売りを加速せざるをえなかった。

 株価が下がれば、それを好機として、年金基金などの機関投資家が出動するものである。この種の機関投資家は、資産に占める株式の価値が低下すると株式を買い増す傾向がある。しかし、〇八年末の株価下落の激しさが彼らを躊躇させた。底値が見えないからである。

 金融機関も株式買い増しに動けない事情がある。株安で体力が奪われたからである。株価が下がれば、保有株の含み損が生じて資本不足になる。そのために増資に踏み切らざるを得ず、株式の買い増しなどできないのである。大手生命保険会社も同様である。


野崎日記(115) 新しい金融秩序への期待(115) 恐慌(1)

2009-03-27 08:24:15 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 第一章 平成恐慌の序幕

 
 はじめに


 世界経済の急減速を受け、日本企業が相次いで雇用削減を進めている。その筆頭が自動車業界である。

 
江村英哲によれば、二〇〇九年一月五日に自動車工業団体が開催した新年賀詞交歓会で、日本自動車工業会会長を務めるホンダの青木哲会長は、「今までに経験したことのない危機の中、企業は存続を懸けた大胆な取り組みが必要になっている」と挨拶したという(江村[2009]、一二ページ)。同じく、日産自動車の志賀俊之COO(最高執行責任者、Chief Operating Officer)は「二〇〇九年の後半くらいには、状況がもっと悪化することも考えられる」と厳しい見方を示した。そして、企業は人員削減を伴う経費圧縮に傾斜し続けている。

 全国コミュニティ・ユニオン連合会の安部誠事務局長は、『日経ビジネス』のインタビューに応えて、「非正規も正規も同じ従業員だし、人間だ。企業は株主への配当ばかりを気にせず、最大限に雇用を守る努力を続けるべき」と話した。

 安部事務局長は、二〇〇八年一二月三一日から〇九年一月五日まで東京・日比谷公園で開設された「年越し派遣村」の運営にも携わった。失職して住まいを失った人たちへの炊き出しでは、一度の食事に一〇〇人程度を想定していたが、五〇〇人以上が列をなしたという。その中には自動車関連の企業で働いていた非正規従業員が少なくなかったという。「年末年始に住む場所を追われた非正規従業員がこれほど多くては、凍死者が出ていたかもしれない」(安部事務局長)。

 〇八年、いすず自動車は、契約途中での期間従業員の解雇方針を打ち出した。しかし、社会からは冷たい印象を持たれてしまった。それでも人員削減を進めれば、従業員の士気やブランド・イメージにマイナスの影響が出る恐れもある。結局、いすゞ自動車は解雇方針を撤回し、期間従業員を契約満了まで雇用することを決めた。だが、派遣従業員は撤回の対象になっておらず、不満の声は完全には静まっていない。

 そのような中で、トヨタ自動車は〇九年一月六日、国内の全一二工場を対象に、二月と三月に、計一一日間の操業休止日(うち四日間は半休)を設けることを明らかにした。生産台数の急減と高まる雇用維持圧力。自動車業界は、同時に二つの難題を抱え込んだのである(江村[2009]、同上)。

 米誌『ビジネス・ウィーク』も日本の労働環境の悪化を指摘している(Rowley & Tashiro[2009])。

 トヨタでディーゼル・エンジンの技術開発を担当していた四四歳の男性は、一日一四~一五時間の長時間労働を強いられ、デンソーに戻ると過労から六か月間の休職を余儀なくされ、職場に復帰すると降格された。そしてうつ病を発症した。名古屋地裁は〇八年一〇月三〇日、過重労働が原因で男性がうつ病を発症したとして、デンソーと出向先のトヨタ自動車に約一五〇万円の支払いを命じた。両社は判決に従った。

 こうした、前向きの動きがあったにもかかわらず、日本の労働環境が改善に向かっているとは言い難い。景気後退で日本の輸出需要は低下しているが、一人当たりの仕事量が大きく減少することはない。非正規労働者の解雇が進み、職への不安は増大している。長年にわたる人員削減の結果、現場では人手が不足しているのに、雇用が失われ続けている。


野崎日記(114) 新しい金融秩序への期待(114) オバマ政権(4)

2009-03-26 07:44:55 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 ブッシュ政権時代のポールソン財務長官が、まず、中国の感情を刺激した。退任直前の二〇〇九年一月二日、『フィナンシャル・タイムズ』に「とりわけ、中国の過剰貯蓄が金利低下をもたらし、リスクを世界中に広げた」と、今回の金融危機の原因は、中国にあるとして、米国責任論を否定する発言をした。ポールソンは、ゴールドマンサックスの会長時、対中国ビジネスを強化し、中国で最初の元を扱う外国金融機関の地位を確保してきた。にもかかわらず、退任直前になって自らの責任を中国に転嫁したのである。

 オバマ政権の財務長官のガイトナーも前任者の発言を踏襲し、「中国は為替操作国として大統領が認識している」とこれまた中国を挑発した(二〇〇九年一月二二日、上院財政委員会の質問への返答書簡)。米国に対する発言権を増す意図であろうが、中国は、米国の金融危機が深刻化した二〇〇八年九月から米国債購入を増やしていた。しかし、ガイトナー発言に立腹した中国の温家宝首相は、二〇〇九年一月三一日、英国の華僑関係者とのロンドンでの会合で「今後も米国債を買い続けるか、どの程度買うかは、中国の需要や外貨資産の安全性と価値を保つ必要性に基づいて決める」と述べ、米国債を大量に買い増してきたこれまでの方針を見直す可能性を示唆した(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/218319)。

 とすれば、米国が即刻で頼れるのは日本のみである。オバマ政権の発足後、クリントン国務長官が初の外遊先として日本を訪れたほか、麻生太郎首相が外国首脳として初めてホワイトハウスに招かれた。日本との関係緊密化に動く背景には、発行が急増している米国債の購入を要請することが狙いではないかとの観測記事が出されていた。二〇〇九年二月二五日現在、日米首脳会議の公式発表からは、米国債の話は出ていない。しかし、何らかの裏取引が両首脳間で交わされた可能性は否定できない。真相は不明である。ただし、膨大な米国債は日本のみでは消化できない。

 オバマ政権の相次ぐ財政支出で、二〇〇九年度の財政赤字は一兆五〇〇〇億ドル(約一四二兆円)に上るとみられ、長期金利は、深刻な景気後退にもかかわらず、二〇〇九年に入りジリジリと上昇している。コロンビア大学経営大学院の日本専門家、アリシア・オガワは「中国に次ぐ世界第二位の米国債保有国である日本に米国債の継続的な購入を要請することが首脳会談の目的の一つ」と分析していた。米国債の二二%を保有する中国が米国債を買わなくなればオバマのシナリオは完全に崩れる。リチャード・カッツは「日米首脳会談で日本の顔を立てた後は、米国は中国との対話を本格化させる」と予想した(http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009022400518)。

 中国を恫喝すれば、米国の危機を解消できると単純に思いこむオバマ政権は、かなり危ういと大前研一は断言した(前記ブログ)。


 三 金融規制反対であったオバマ政権の経済閣僚


 LTCM破綻後の一九九八年に、米商品先物取引委員会(CFTC=Commodity Futures Trading Commission )のブルックスリー・ボーン(Brooksley Born)委員長(Chairperson)が、金融取引を規制せず野放しにすれば「経済が重大な危機にさらされる」可能性があると言明した。しかし、規制導入をめぐり、グリーンスパン前FRB議長やルービン元米財務長官との縄張り争いに屈した(http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=infoseek_jp&sid=a47IZfZDKVDw)。

 ボーン委員長による試案取りまとめの段階で、当時財務相副長官であったサマーズが委員長に電話をかけ、副長官室に一三人の金融実務家たちが待機しているが、「この試案を
発表すれば、第二次大戦後の最大の金融混乱が起こると彼らは懸念している」と恫喝した。

 一九九九年一一月、長官に昇進したサマーズ財務長官とグリーンスパンFRB議長が、金融派性商品を政府の管理下に置くことに反対した報告書を出した。さらに、二〇〇〇年、上院銀行委員会の当時の委員長のグラム共和党上院議員が提出した「二〇〇〇年商品先物近代化法」が成立し、商品先物の規制を事実上禁止した(Heuvel, Katrina, "Brooksley Born: The Woman Greenspan, Rubin & Summers Silenced," http://www.global-sisterhood-network.org/content/view/2205/59/)。

 つまり、債権の証券化の歯止め、金融派生商品の規制、レバリッジ規制、投資内容の透明化、格付け会社の透明化、モノラインの透明化、等々の米国が解決すべき課題解決の道筋すらオバマ政権はつけていない。確実なのは、口先約束の破綻からくる経済の奈落、約束を果たした後のハイパーインフレーションの恐怖、それこそ、本格的な恐慌の到来である。


野崎日記(113)新しい金融秩序への期待(113)オバマ政権(3) 

2009-03-25 07:43:25 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


オバマ政策は米国経済を本格的恐慌に追い込む
                

 現在の米国発の世界金融危機に米国オバマ新政権が積極果敢に対処していると、日本では高く評価されている。米国の素早い対策が今回の経済危機を早期に落ち着かせるであろうともいわれている。はたして、そういいきっていいのだろうか。事実はその反対である。

 オバマ政権は、金融危機の原因に対して何らの判断を示すことなく、目もくらむ膨大な公的資金を、危機に陥った企業や銀行にひたすら注ぎ込んでいる。しかし、危機の源を除去することは一切していない。何が問題であり、危機の責任を誰がとるべきなのか、危機の原因をどのようにして取り除くのか、等々、一切不問にされたまま、未曾有の膨大な公的資金の投入を口先で約束しているだけである。

 米国財政も膨大な赤字である。つまり、膨大な公的資金は、国債を中央銀行であるFRB(連邦準備銀行)に引き受けさせることによってしか作り出せない。しかし、中央銀行による国債引き受けによって資金を生み出すことはそもそも金融政策上の禁じ手である。


 一 米国には使える公的資金はない


 二〇〇九年二月一〇日、オバマ政権の新財務長官ティモシー・ガイトナー(前ニューヨーク連銀総裁)が、米国の新たな金融安定化策を発表した。ところが、その途端にニューヨークのダウ工業株三〇種平均株価が約四〇〇ドルも急落して、八〇〇〇ドルを割り込んだ。オバマ政権に対する失望売りであった。

 ガイトナーが発表した金融安定化策は、次のようなものだった。①官民共同の不良資産買取ファンドの設立(五〇〇〇億~一兆ドル)、②住宅差し押さえ回避策(五〇〇億ドル)、③FRBのTALF制度(Term Asset-Backed Securities Loan Facility=期間物資産担保証券貸出制度)といって、クレジットカードや学生・自動車ローンなどの小規模ローンを集約したABS(Asset Backed Securities=資産担保証券)を保有する個人や法人に、FRBが直接融資をおこなう制度(二〇〇九年より導入)を、それまでの最大二〇〇〇億ドルから最大一兆ドルに拡充。

 このように、最大で二兆ドル(一八〇兆円)規模の公的資金支出が発表されたのである。まだある。この発表直後に、米政府は八〇〇〇億ドル規模の景気対策法案も発表した。合わせて三兆ドル弱(二五〇兆円)規模の大盤振る舞いをするという宣言であった。ところが、ニューヨーク市場は株式の失望売りという反応を示したのである。

 こうした膨大な資金をどのような操作で生み出さすのか?市場の失望はこの疑念にある。そして、不思議な事態が見受けられる。FRBの国債引き受けが減少したのである。FRBが国債引き受けをしていないとすれば、膨大な資金をオバマ政権はどこから生み出そうとしているのか。

 二〇〇八年一一月末、米国の国債発行残高は、一〇兆六六一二億ドル(約九七〇兆円)であった。同年一二月末では、一〇兆六九九八億ドル(約九七四兆円)で、対前月比三八六億ドル増。ところが、二〇〇九年一月末には、一〇兆六三二一億ドル(約九六八兆円)と、対前月比六七七億ドルも減少したのである。意外なことに、米国債の発行残高は、二〇〇八年一一月末以来横ばい、そして、減少したのである。

 この事実はどのように理解されるべきなのか?オバマ政権は膨大な公的資金供給を宣言した。しかし、実際には、二〇〇八年一二月半ば以降、米政府・FRBによる追加の金融対策や景気対策はほとんど実行されていなかったのである。年末以降、FRBや米政府は、毎週のように数千億~数兆ドル規模の景気対策・金融安定化策を発表してきたが、それらは口先だけであった。

 二〇〇九年二月一〇日のガイトナーによる金融安定化策の発表も、財源については一切触れられていなかった。それが市場の失望を呼び、株価を急落させたのである。金融機関や企業は、厄災の種をまき、混乱を引き起こしたのに、行き詰まると国家に救済を要求するご都合主義の姿勢には辟易するが、それでも、口先だけの約束への市場の失望感は深い。

 つまり、FRBは国債引き受けに逡巡し、さりとて、国債の市中消化は進んではいないのである。米国は、二〇〇九年二月に、一六四〇億ドル(約一五兆円)の米国債の入札が実施されたが、この程度の市中消化では、三兆ドルもの資金調達目標からすれば絶望的なほどの少額である。現在の米国政府には、金融・経済対策に動員できる財源の見込みなどほとんどなくなっている可能性が強い(http://www.financial-j.net/blog/2009/02/000823.html)。

 米『ウォールストリート・ジャーナル』(二〇〇九年二月一一日付)によると、FRBは、これまで以上の国債引き受けを忌避しているという。FRBはさらに、長期融資の拡大にも消極的という。景気が回復し、FRBが利上げのために金融システムから資金を吸い上げたい時に、長期融資で供給した資金は回収が困難になる可能性があるからであるというのが、伝えられるFRBの姿勢である(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090212-00000446-reu-bus_all)。



 二 ニューディールを上回る資金供給約束


 二〇〇九年一月二六日付の米『タイム』誌が、オバマ政権の公的資金散布約束の異常な膨大さを指摘した。一九三〇年代の大恐慌を克服するためにフランクリン・ローズベルト大統領によるニューディール政策は伝説として語られてきたし、オバマ政権もグリーン・ニューディールを標榜している。ここにも、私たちを錯誤に陥れる仕掛けが用意されている。ローズベルトが、ニューディールとして使った公的資金は、わずか四九億ドルであった。もちろん、貨幣価値が異なるので、現在のわずか四九億ドルと受け取ることは間違っているが、それでも、現在価値に直したとしても、七五〇億ドルを超えることはまずないであろう。第二次世界大戦でも、GDPの二〇%を超す出費ではなかった(大前研一「相当に危ういオバマ政権の経済認識」、第一六三回、二〇〇九年二月一二日、http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20090212/131416/)。

 ところが、オバマ政権は、三兆ドルを二月一〇日に約束したのである。それ以前の、公的資金投入約束、および、借金額をすべて加算すれば、米国のGDP一五兆ドルの八〇%強を占める。しかし、これだけの巨額の資金調達自体が米政府にはできない。FRBは、いずれ、過渡的に国債を引き受けるように軌道修正をするであろうが、問題は、国債の市中消化のあてがまったくないことである。

  日本は米国の圧力に屈して米国債を引き受けるであろうが、日本よりもこれまで、大量の米国債を引き受けていた中国は、オバマ新政権への不信感を隠していない。


野崎日記(112) 新しい金融秩序への期待(112) オバマ政権(2)

2009-03-24 07:26:50 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


質問4


 世界の指導者はいま何をすべきでしょうか。長谷川慶太郎氏は近著「千載一遇のチャンスで、昨年の第1回G20首脳会談の最大の成果はIMF機能強化だと強調された。その妥当性は考慮の余地がありそうですが、今年4月に開かれる2回目のG20で世界GDPの80%以上を占めるこれら諸国のリーダーが合意・決定すべき最大の課題は何だと見ますか。


本山


 米ドル一極主義を一刻も早くなくすことです。つい一年前には、「デカップリング」といって、米国が景気後退してもブラジルやインドの経済成長が世界経済を救うと喧伝されていました。今回、このような構造ではなく、世界はドル一極支配下にあったことを如実に示しました。各国が共通通貨作りに邁進することが重要です。

 それから、初期のIMF の理念にあったように、投機的な国際資金移動を規制し、貿易の不均衡を出さないシステムを作るという国際的な努力をすることです。いま、必要なことはドルを国際的に支えるということではありません。米国は自力で自己発の金融危機を克服すべきです。各国は、米ドルに頼らない新しい国際的協調体制を作り出すという合意を形成し、具体的に制度設計を国連総会の場で行うべきです。


質問5


 世界経済秩序の権力移動はどこまで進むのでしょうか。米国中心からパワーが多極化しているとの論が増えています。その念頭にあるのは、米、EU、東アジア、BRiCsの構図です。一方で、米一国中心主義が続くとの見方も一部であります。金融危機の発端は米国だったが、米ドルは日本円を除いて他の通貨に対して強勢である。これはとりもなおさず、世界経済は米国頼みだからだという現実があるという論です。長谷川慶太郎氏がこの立場に立っています。果たして、歴史が移ろい行くように、現在は移行期なのでしょうか。それとも、まだ入り口に過ぎないのでしょうか。先生はどのように分析されますか。


本山


 国家資本主義の暴風雨が近い将来吹き荒れるようになるでしょう。その場合、世界の権力の担い手がどこに移るかという問題設定は無意味でしょう。人々が現実に生活している地域の場の独自性の強化、地域で生きるという自覚と喜び、そうした場を作る人々の営為に各国の為政者は援助すべきです。民衆のサミットが世界のいたるところで開催され、生活感覚に根ざした人の「つながり」(連)があらゆる領域で強化されることが大事です。必ず、「世界市民」は地域連帯を通じて生まれてくると私は信じています。権力者や大富豪に振り回されない世界を構築して行くこと、これが文明の進歩だと思います。それは必ず実現すると信じています。


質問6

 東アジアは世界経済のけん引役になれるでしょうか。金融被害という点では、韓国、日本、中国は欧米に比べまだ軽微です。外需依存が高いため、貿易面などでは影響は大きいですが、世界経済に占める位置という点でこれら3カ国は存在感が増してくると思われます。日本円はドルに対して唯一価値が切り上がっており、韓国はG20の共同議長役を担っており、中国は落ちたといえ8%の成長を打ち出しえている。東アジア3カ国が世界経済のけん引役になるための条件は何でしょうか。また、今後、世界経済でどんな役割を担うべきだと考えますか。



本山

 すみません。私はこうした発想は採りません。東アジアの方がGDPの落ち込み幅が大きい。これは、市場を米国に求めすぎ、米国の過剰消費社会におぶさってきたからです。金融被害も東アジアの方が大きい。金融のプロではなく、素人が怪しげな金融商品を買わされてきたからです。金融商品を売りつけられてきたいまの大学の惨状を見て下さい。老後資金を根こそぎ掠め取られた老人の絶望を思って下さい。構造改革の名の下に米国のコンサルタントが大挙、東アジアの金融政策を牛耳ってきた。そのために、地場産業を支える金融機関が壊滅してしまった。残ったのは、金融商品への投機事業であり、生産も欧米向けのものでしかなかなかった。東アジアは、けっして成長の拠点ではありませんでした。欧米の下請けで安価に最終消費財を作らされる奴隷的な経済圏なのです。こうした惨めな構造から脱却することが東アジアの悲願でなければなりません。



質問7

 世界経済の渦中で、隣国同士の韓国と日本はどのような協力関係を築くべきでしょうか。近年、人的交流が増え、年間500万人が行き来する身近な間柄となっています。だが、歴史認識問題などがあり、真の友好・和解に至っているとはいえません。経済的にはFTA交渉が何年も足踏み状態という体たらくです。歴史的にみても両国は5000年に及ぶ長き歴史をもち、古くから影響を与え合う密接な関係にありました。いま、現下の世界経済危機を克服という難問を前に、韓日が手を携えて新時代を切り開くチャンスではないでしょうか。ご意見をお聞かせください。



本山

 東アジアの緊張を解くための協力を日韓から行うべきです。地球上に生きている人々は等しく生活の安全と愛を分かち合わねばなりません。そのためにも、アジアの近代化の中で生じた哀しい歴史をアジアで生きるものたちの視点で虚心に点検する作業が必要です。いたずらに激高するのではなく、冷静に相互理解をしながら、二度と過ちは犯さないという姿勢で歴史の点検を行いましょうよ。



質問8

 21世紀は戦争のない繁栄した世紀になるでしょうか。塩野七生さんは「ローマ亡き後の地中海世界」で古代ローマ崩壊後に地中海世界は、海賊の天下になったと記しています。「平和」なしに世界経済の発展もありません。今後、国際秩序混乱の心配はないでしょうか。蛇足のような気もしますが、ご意見があればお願いします。


本山

 草の根レベルの国際交流、国際的な居住(永住)、商業が鍵です。武力が安全を保証するものではありません。顔見知りになることです。英国の古典経済学にあった「商業擁護論」を私は支持します。しかし、それには、地域ブランドの相互承認が不可欠です。巨大多国籍企業による特産品貿易などもってのほかです。スリランカの紅茶はスリランカの地元企業名で流通させられるべきです。日本では、自動販売機で売られる飲料は、どこから輸入されたものも、すべて日本の会社名がつけられています。これでは対等の国際商業とは言えません。



質問9

その他。先生がこの方をもっと強調すべきことなど、ご自由に申し述べてください。



本山

 倫理につきます。エコノミーという言葉は、「神の摂理」を意味していました。神の摂理を発見することが初期の経済学でした。しかし、神の摂理でもなく、権力者が民を救う「経世済民」でもない、市民の平等で安全な生活を目指す学問が「経済学」だということを、英国ではミル父子、日本では福沢諭吉が強調するようになりました。それは人倫を基本とするものなのです。もう一度、人々にこの原点を知っていただきたく思います。 


野崎日記(111) 新しい金融秩序への期待(111) オバマ政権(1)

2009-03-23 07:23:49 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


本山美彦へのインタビュー


質問1

 いま、世界経済はどうなっているのでしょうか。先日お話を聞いた田村正勝早稲田大学教授は、グリーンスパン前議長の「百年に一度の危機」発言は自分の失敗を誤魔化したものだと指摘された。1929年の大恐慌は、鉱工業生産、成長率、失業率などが今とは比べようもないほど深刻だった。いまの現状は、「百年に一度」というより、欧米の大手金融機関のパニックが、すでに前から苦しかった米自動車業界に影響を及ぼし、その波及ダメージが広がりつつあるといった被害状況と見えないこともない。果たして世界経済の真実は?先生はどうご覧になられますか。


本山

 「100年に1度」という表現は、それほど間違ってはいないと思います。もちろん、いまの金融危機を招いた最大の責任者であるグリーンスパンの居直り発言は、それだけで糾弾されるべきです。

 
LTCMが破綻した直後の1998年に、米商品先物取引委員会(CFTC)委員長のブルックスリー・ボーンが野放図な金融の動きを規制しなければ、「経済が重大な危機にさらされる」と規制法案作りを開始したとき、そんなことをすれば戦後最大の危機に世界が陥るとして法案を撤回させてた首謀者がグリーンスパンだったのです。クリントン政権下のルービン財務長官、サマーズ財務副長官も恫喝に加わりました。

 ルービンは、1991年、「金融近代化法」を作成し、大恐慌の教訓に基づく銀行・証券・保険業務の兼営を金融機関に禁ずる「グラススティーガル法」を破棄して、兼営を認可してしまいました。さらに、グリーンスパンは、ルービン辞任後に財務長官に昇進したサマーズとともに、金融派生商品に対する政府管理の強化に反対する報告書を同じく1999年に提出しました。2000年には「商品先物近代化法」がグラム共和党上院議員の手で成立し、商品先物の規制が禁止されました。

 グリーンスパン、ルービン、サマーズが、現在の米国発の世界金融危機を生み出す法制的裏付けを与えた張本人たちです。

 金融派生商品は、1930年代の恐慌時にはまだありませんでした。現在はそれが金融危機の主因になっています。その意味では、「100年に1度」という表現は正しいでしょう。

質問2

 世界経済はいつごろ回復するでしょうか。その鍵を握るのは、世界最大の胃袋である米国がすぐに立ち直れるかどうかであり、従ってオバマ新政権への期待は大きい。だが、禁止された銀行と証券の相互参入を解禁するなど金融緩和を進め、バブルの元をつくったルービン財務長官の息のかかったガイトナーやサマーズらが経済ブレーンに多数配置されている。金利を引き下げ、金融バブルを助長した責任があるグリーンスパンまで要職についた。金融政策に関するオバマ政権の期待度をお聞きしたい。

本山

 私は、マスコミのオバマ政権に対する高い評価とは反対に非常に低く評価しています。もちろん、黒人を大統領に押し上げるという米国民の民主主義の奥行きの深さには、最大級の賞賛を送ります。しかし、政治・経済政策となると問題は別です。この政権は、なにもできない折衷主義だと思っています。

 ルービンが作成したブルッキング研究所の「ハミルトン・プロジェクト」というのがあります。初代財務長官の名を冠したプロジェクトです。いささか異色の建国の父です。このプロジェクトの主張点がオバマの大統領就任演説の骨格を形成していました。2006年4月のこのプロジェクト発表の席に招待されて演説をしたのがオバマでした。サマーズ、ガイトナーなどのルービン一派のシフトがこと金融・経済政策に関するかぎり強く見受けられます。

 なによりも非難されるべきは、金融派生商品の規制方法、レバレッジ規制、金融派生商品の情報開示、監督官庁の整備、等々の具体策がなにも打ち出されないまま、つまり、今回の金融危機発生の主因を取り除く作業をしないまま、やみくもに公的資金をばらまいていることです。

 
手をつけたのは「ストレス・テスト」といって、今以上の激震に金融機関は個別的に耐えられるかの検査だけです。システムの危機なのに、金融機関の個別体力の測定しか行おうとしていない。要するになにもしていないのです。膨大な公的資金の散布は、システムの改善なしには、必ず、ハイパーインフレーションを起こしてしまうでしょう。

 オバマ政権の政策は、皮一枚でつながっている奈落への転落防止の皮を切断してしまい、経済を本格的恐慌に叩き込むものこです。その意味で、今回の危機はさらに増幅され、向こう10年は経済は地獄の様相を帯びるでしょう。

質問3

 資本主義はどこにいくのでしょうか。昨年、英国教会の最高指導カンタベリー大主教は、<規制のない資本主義は実体のないものに現実性や影響力を与えた>というマルクスの資本論が部分的に正しかったことを認めた。

 
ガルブレイズは、資本主義体制下では周期的に必ず恐慌がくると説いている。山田鋭夫教授は「様々な資本主義」で6つの資本主義があると、選択肢を示された。ソ連崩壊後、「資本主義勝利・社会主義敗北」の図式ができあがったが、今回の金融危機を契機にポスト資本主義論議も起こっています。これについて、どう考えるべきですか。

本山

 今後、進行するのは、新自由主義者たちが声高に要求してきた「小さな政府」のなし崩し的後退でしょう。そもそも、金融市場を支配してきたマネタリストたちは「小さな政府」信奉者でした。

 
これは、「自分たちを自由に泳がせてくれ、一切の権力による介入は邪魔だ」という本音を、美しい言葉でごまかしてきたレトリック以外のなにものでもありませんでした。それは、「大きな権力は必ず腐敗する」という民衆の心をとらえるスローガンでした。

 では、自分たちが苦況に陥ったとき、あれほど口汚く権力を罵倒してきた新自由主義者たちが、競って公的資金に救済を求めるとはなにごとでしょうか。

 いまこそ、権力にはすがらない自分たちの矜恃を見せるときでしょうに。いまの米国は「史上最大の国家」です。これほど、巨大な資金を散布し、これほど巨大な軍事力をもった国家は歴史上、見ることのできないものです。しかも、オバマ政権は口約束だけの巨額公的資金散布を言っているだけで、財源の手当もほとんどしていません。誰も、FRBですら国債を引き受けないのですから。日本や中国に引き受けさせる巨大な圧力をかけてくるしかないでしょう。

 世界的に見ても、とくに、新興国は、「国家資本主義」に傾斜していくでしょう。私は、世界が再度、ナチズムの方向に向かっているという実感を持ちます。


野崎日記(110) 新しい金融秩序への期待(110) サブプライムローン危機の歴史的意味(2)

2009-03-20 07:16:35 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 
 三 ひ弱な米国の金融システム

 それにしても、米国の金融組織は、最先端の金融技術を駆使しているという対外的に発する豪語の力強さに反して、なんともまたひ弱なことか。

 一九八〇年代はじめ、〇七年のような不動産価格が下落した。多数のS&L(貯蓄貸付組合)が倒産し、公的な預金保険財政も破綻した。さらに、メキシコやブラジルへの債権が不良化した。そのために、大手銀行は深刻な経営危機に瀕した。シティバンクのCEO(最高経営責任者)のジョン・リードは、サウジアラビアの王族に出資を懇請した。

 一九八七年一〇月一九日にはブラックマンデーと呼ばれるようになった株価の大暴落があった。米国の銀行はまたもや危機に怯えるようになっていた。当時のニコラス・ブレイディ財務長官が九一年二月、記者会見で危機感を率直に表明した。「一九六九年の世界の銀行ランキングでは、バンク・オブ・アメリカをトップに上位一〇行のうち、九行の米銀が並んでいた。ところが、一九八九年になると、シティバンクが米銀の中ではトップであったが、世界ランキングではやっと二十七位にじゅるという惨澹たるものになった」と嘆いたのである。

 そのブレイディがまとめた「金融制度改革案」では、「より安全で、より競争力のある銀行にする」ことが目指された。それほど、米国金融当局によって、米銀は安全なものでなく、国際競争力においても劣ると危惧されていたのである。

 そして、二〇世紀末から二一世紀にかけて投資銀行が米国金融界の大黒柱となり、世界経済を牛耳るようになった。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。世界の金融機関が米国型投資銀行を模倣しようとしてきた。

 ところが、〇八年九月、未曾有の金融危機が米国を襲った。米国の金融機関は〇八年で五兆ドル以上の損失を被った。八〇年代に進んだ金融のグローバル化が危機を瞬時に増幅したのは確かではあるが、米国型金融システムには基本的な欠陥があったことを示していることは直視されるべきである(「大機小機<未曾有の危機>に浮き足立つ世界」『日本経済新聞』二〇〇八年一一月二九日)。

 米国の金融システムは間違っているのではないのかという疑念は、バーナンキFRB議長にも見られるようになった。

 FRB理事就任直後の〇二年一〇月には、「バブルは特定できないし、金融政策で対応するのは、大きなハンマーで脳の外科手術をするようなものである」と、バブルに手をつけるべきではないとしていた。

 ところが、〇八年一〇月の講演では、バブルに真っ向から立ち向かうべきであると認識を変えた。「バブル崩壊は、経済にとって極めて高くつく。危機から抜け出したら、今後は、問題にどう対応すべきかを考える必要がある」と。

 BIS(国際決済銀行)や欧州中央銀行は、バブル発生の兆候に目を見張らせ、バブルを発生させないような金融政策を採用することを基本置いてきた。それに対して、これまでのFRBは、バブルを退治する意思はなかった。地価や株価がバブルであるか否かを判断することはできない。事後的にあれはバブルであったと理解できるだけである、との立場をFRBはとっていた。たとえば、一九九〇年代後半にITバブルが進行していた時のFRB議長はグリーンスパンであった。彼は、バブル退治をするどころか、二〇〇〇年位バブルが崩壊した後、金融緩和を進めた。しかし、この金融緩和が結果的に次の信用バブルを招いてしまった。それもより大きな規模で。

 金融経済の規模は、実体経済の四倍はある。これにレバレッジがかけられて一〇倍以上になってしまっている。

 FRBは、このことに真剣に取り組むようになってきたものと思われる。個々の金融機関を監視してきたこれまでの政策から金融システムそのものを監視するようになったのである。これを「マクロ・プルーデンス(健全性)政策」という。ヘッジファンドやオフバランス取引などの「シャドウ・バンキング」(影の銀行)が横行するようになた。個々の金融機関がいかに健全なものに見えても、実際には、リスクを他に押しつけて、危機が隠されている。全体として大きなリスクを金融システムが内包していたことが、〇八年の金融危機によって示されたのである。どこに危機が蓄積されているのかのチェック体制が現行システムには不足していることが明かになった。中央銀行と金融機関監督機関との密接な連携で、当面の危機の克服と次の危機発生の防止を図るシステムの確立が要請されている(「悩める中央銀行4、繰り返される危機」『日本経済新聞』二〇〇八年一一月二九日付)。

 
 おわりに


 経済指標と大荒れの相場が、世界の主要経済国のリセッションに結びつき始めている。金融危機が世界経済の危機に拡大している証拠が、毎日のように増えている。週間失業保険新規申請件数が予想以上に増え、毎週記録を更新している。製造業受注は予想をはるかに下回っていおる。金融市場の混乱が、経済全体に広がりをみせている。米サプライ管理協会(ISM)は、製造業景況調査で、記録的な低水準を更新中であることを明らかにしている。

 FRBが発表するコマーシャルペーパー(CP)市場の残高は、毎週減少し、資金調達難に企業が喘いでいることが示されている。米政府が金融機関から不良資産を買い取るまでには時間がかかる。すでに、七〇〇〇億ドルの不良資産処理計画が、特効薬にはならないことがはっきりしてきたのである。恐慌がくるのが先か、システム改革が間に合うのか。間に合わないだろう思われる(http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/media/djCKK4824.html)。


 


(1) MBS(Mortgage Backed Security)は、モーゲージ(住宅ローン)を証券化したもの。米国においてモーゲージ証券の大部分は、政府系の機関であるジニーメイ(連邦政府抵当金庫)、ファニーメイ(連邦住宅抵当公庫)、フレディマック(連邦住宅金融抵当金庫)により発行されている。モーゲージ証券は、米国国債と並ぶ高い信用力を有しているが、期限前償還のリスク(貸付期間が短くなることにより償還金額が減る)があり、よって投資家は一般的な債券より比較的高い利回りを享受することができる。

(2) 世界四大会計事務所の一つ。一八四九年ロンドンで創設されたプライスと、一八五四年同じくロンドンで創設されたクーパー(Cooper)が合併したもの。新会社は、ニューヨークを本社とし、〇七年度の収益は二五〇億ドル、一五〇か国に事務所があり、従業員総数は一四万六〇〇〇人と、世界第三位の規模である。四大会計事務所とは、同社の他に、KPMG、アーンスト・ヤング(Ernst & Young)、デロイト・トウーシュ・トウマツ(Deloitte Touche Tohmatsu)である(Wikipedia)。

  米国には、会計監査とコンサルタント業務との相反関係を禁止する企業会計改革法がある。二〇〇二年七月に成立した、サーベーンズ=オクスリー法(Sarbanes-Oxley Act of 2002)がそれである。同法を実施する責務は、米国証券取引委員会(SEC)にある。企業会計改革法は、二〇〇一年一一月のエンロンや二〇〇二年六月のワールドコム等の会計不正による企業破綻を契機として制定された包括的な証券改革立法である。同法は、会計事務所に対する監督強化のための「公開企業会計監督委員会」(PCAOB)の設立、会計監査人の独立性の強化、コーポレート・ガバナンスの強化等の企業責任の強化、企業のディスクロージャーの強化、企業犯罪への罰則強化等、広範な内容を含むものとなっている。しかも、同法の適用が、米国内だけでなく、外国の会計事務所に対しても拘束できる規定を含んでしまっていることから、同法はつねに紛争の種になっている(http://www.fsa.go.jp/news/newsj/15/sonota/f-20030918-1b/213-216.pdf)。

(3) モーリス・グリーンバーグ。愛称、ハンク(Maurice R. "Hank" Greenberg )。アジア展開で、グリーンバーグの相談相手は、キッシンジャー(Henry Kissinge)である。一九八七年、グリーンバーグはキッシンジャーをAIGの国際顧問にしている。
 グリーンバーグは、米国外交問題評議会(Council on Foreign Relations=CFR)の名誉副議長兼理事を務めた。デービッド・ロックフェラー三者委員会(David Rockefeller's Trilateral Commission)メンバーでもある。一九八〇年代、レーガン政権からCIA副長官就任を要請されたが断った。米韓経済会議(US–Korea Business Council)、米中経済会議メンバー。ニューヨーク証券取引所理事、大統領貿易委員会顧問(the President's Advisory Committee for Trade Policy and Negotiations)、ニューヨーク連銀議長、副議長、理事を歴任(past Chairman, Deputy Chairman and Director of the Federal Reserve Bank of New York)。

 〇五年三月一四日、AIG取締役会がグリーンバーグに会長職辞任を要求。ニューヨーク州司法長官(Attorney General)のエリオット・スピッツアー(Eliot Spitzer)がグリーンバーグ親子が共謀して、AIGを食い物にしていると糾弾したのである。

 〇五年、五億ドルの架空の損失引当金計上による粉飾、保険および証券法違反などの容疑でモーリス・グリーンバーグは起訴された。モーリス・グリーンバーグは会長を辞任し、後任にはマーチン・サリバン(Martin Sullivan)。サリバンも〇八年六月一五日にサブプライム問題で辞任、後任のシティグループのバンカーであったロバート・ウィルムスタッド(Robert Willumstad)も、わずか三か月後の九月一八日に辞任(http://jp.reuters.com/article/topNews/idUSN1543003120080616)。後任にはエドワード・リディ(Edward M. Liddy)が就任した。

(4)ピムコ(Pacific Investment Management Company=PIMCO)のアナリスト、ビル・グロス(Bill Gross)によれば、"Shadow banking system"という表現を最初に使ったのは、同じピムコのポール・マッコーレー(Paul McCulley)であった(Gross[2007])。
 ピムコは、 債券専門の運用会社として一九七一年に、カリフォルニア州にて設立。設立以来三〇年を経て、世界最大級の債券運用会社に成長した。米国をはじめ、東京、シドニー、シンガポール、ロンドン、ミュンヘンに拠点を設け、グローバルにビジネスを展開し、世界中の投資家の資金を運用している(    http://www.smam-jp.com/image/wn/about_pimco.html)。

(5) Blackburn, Robin, "The Subprime Crisis," http://www.newleftreview.org/?getpdf=NLR28403&pdflang=en は、サブプライム問題の世界的な波及を綿密に叙述した秀作である。