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安保法案:政府答弁の拠り所

2015-06-17 05:55:02 | 戦争法案とは?(基本編)
政府として、「砂川事件」にこだわり続けるのはもう限界。として、極めて曖昧ながら結局振り出しの「1972年・政府見解」に戻った。
しかし、しつこいようだが、根本的なところで「72年政府見解」では「集団的自衛権」は違憲であると言い切っているのである。それに対し、中谷防衛大臣や閣僚は答弁に際し、しどろもどろになりながらおおよそ次のように続ける。

「冷戦後から始まったグローバル化の急速な発展が、主要国間のパワーバランスの変化を引き起こしている。今後数十年間は、各地域において安全保障や経済が不安定化する可能性が高い時期。世界が更に多様化に向かう中で、平和と安全を維持する国際秩序を構築することが、我が国を含む国際社会の最大の課題。
サイバー空間の利用への依存は、企業秘密の搾取等の経済活動に対するリスクのみならず、重要インフラに対する攻撃等を通じた安全保障上のリスクを伴っている。
大量破壊兵器の拡散や国際テロといった国境を越える脅威は、21世紀における国際社会の中心課題となっている。
一国のみでは対応できない地球規模課題の重要性・喫緊性が増加。人間の安全保障上の課題は、拡大、多様化しており、更なる取り組みが求められている。」
・・・なので、従来からの認識を変え、憲法の範囲内において新3要件を付帯することによって「集団的自衛権の行使」を容認することになった。・・・のであると。

国会質疑で「集団的自衛権行使容認」を合憲だとする根拠は何なのか、認識を変えるに至る根拠は何なのかを質されるたび、多少言い回しを変えるなどして、それが質問の答えになっていようがいまいがお構い無しに、バカの一つ覚えのように、非常に抽象的で具体性に欠ける上の文言を繰り返し繰り返し、しかも要領を得ないままだらだらと述べるだけである。いくら議論しても、これでは噛み合わないのが当然だ。

もっとも、⇒先の拙記事 で書いたように、担当大臣や官僚が自身の中に矛盾を抱えるが故、如何ともほかに答えようがないというところでもあるのだろう。仮にうっかり本音を言ってしまえば法案が台無しになるのが解っているからそうやって何とか誤魔化すしかない。支離滅裂だろうが食い違いがあろうが、彼らはこれを言い続けるしかなく、結果的にそうすることで無駄に時間が消費されていくことをむしろ善しとしている面もあるのかもしれない。

で、この「冷戦後から始まったグローバル化の急速な発展が・・・」なんちゃらかんちゃらという文言。それが何かと言えば、その台本とされるのがこれである。
「我が国を取り巻く 外交・安全保障環境/平成25年9月12日 外務省」(PDFファイル)
上で示したものは、ここからそっくりコピペしたものだ。


クリックで拡大(画像は書類の一部)

つまり、彼らはこれを拠り所とし、極端な話、ここに書かれている内容を棒読みにしているに過ぎないのである。だから想定外の質問に対して臨機応変に答えられずに慌てる。タジタジになる。まして本音を言えないものだからしどろもどろになるのだ。少なくともそう考えて遠くはない。

また、この書類を見れば、まるで電通か博報堂の広告企画書のようであって、ただイメージばかりが先行し、そこに内容に沿った具体例というものが書かれてはいない。
具体例というのは、「いつ、どこで、どのような事例が発生し、その結果何が起こり、それに対して、誰が、どのように対処・対応したか」というもので、かつそれが論拠となり得る必要がある。時間と場所、当事者の名称など、少なくともそれらを明らかにし、明確に関連付けられる事柄を挙げていなければ具体例とは言えない。

例えば1週間前、共産党の宮本衆院議員が、参議院では井上哲士氏が質問に立ち、「他国に対する武力攻撃で国の存立が脅かされるようなことが、どこかの国で生じた事例はあるのか」、あるいは「認識を変えるような安全保障環境の変化とは何か」と質したのに対し、中谷防衛相も横畠(よこばたけ)法制局長官もおどおどと的外れなことを言うだけで、何一つまともに答えることができなかった。

従ってこれらを鑑みれば、「集団的自衛権の行使容認」を是とする根拠もなければ、「安全保障環境の変化」を裏付ける具体例もなく、唯一法案の必要性を訴える理由があるとすれば、それは「米国の要請によるもの」、その一点しかなく、それに尽きるのである。


以下、参考。
1972年「集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」(要旨)
憲法は、第9条において戦争を放棄し、戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、国政の上で最大の尊重を必要とする」旨を定めることからも、わが国が自らの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかで、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

しかし、平和主義を基本原則とする憲法が、自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民の権利を守るためのやむを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。

わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない。


「「昭和47年政府見解」の要求質疑における吉國内閣法制局長官答弁」(PDFファイル)
「昭和47年(1972年)政府見解」の要求質疑における吉國内閣法制局長官答弁(一部抜粋)

○説明員(吉國一郎君)
これは、憲法九条でなぜ日本が自衛権を認められているか、また、その自衛権を行使して自衛のために必要最小限度の行動をとることを許されているかということの説明として、これは前々から、私の三代前の佐藤長官時代から、佐藤、林、高辻と三代の長官時代ずうっと同じような説明をいたしておりますが、わが国の憲法第九条で、まさに国際紛争解決の手段として武力を行使することを放棄をいたしております。
しかし、その規定があるということは、国家の固有の権利としての自衛権を否定したものでないということは、これは先般五月十日なり五月十八日の本院の委員会においても、水口委員もお認めいただいた概念だと思います。
その自衛権があるということから、さらに進んで自衛のため必要な行動をとれるかどうかということになりますが、憲法の前文においてもそうでございますし、また、憲法の第十三条の規定を見ましても、日本国が、この国土が他国に侵略をせられまして国民が非常な苦しみにおちいるということを放置するというところまで憲法が命じておるものではない。
第十二条からいたしましても、生命、自由及び幸福追求に関する国民の権利は立法、行政、司法その他の国政の上で最大の尊重を必要とすると書いてございますので、いよいよぎりぎりの最後のところでは、この国土がじゅうりんをせられて国民が苦しむ状態を容認するものではない。
したがって、この国土が他国の武力によって侵されて国民が塗炭の苦しみにあえがなければならない。その直前の段階においては、自衛のため必要な行動はとれるんだというのが私どもの前々からの考え方でございます。
その考え方から申しまして、憲法が容認するものは、その国土を守るための最小限度の行為だ。したがって、国土を守るというためには、集団的自衛の行動というふうなものは当然許しておるところではない。また、非常に緊密な関係にありましても、その他国が侵されている状態は、わが国の国民が苦しんでいるというところまではいかない。その非常に緊密な関係に、かりにある国があるといたしましても、その国の侵略が行なわれて、さらにわが国が侵されようという段階になって、侵略が発生いたしましたならば、やむを得ず自衛の行動をとるということが、憲法の容認するぎりぎりのところだという説明をいたしておるわけでございます。
そういう意味で、集団的自衛の固有の権利はございましても、これは憲法上行使することは許されないということに相なると思います。


武力行使の新3要件
(1) 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
(2) これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3) 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

※新3要件は非常に曖昧で、具体性に欠ける。


一方、「集団的自衛権」云々と同時に問題視されている「自衛隊員のリスク」についてはどうだろう。

これについて、中谷防衛大臣は12日の審議において維新の党の足立衆院議員の質問に対して「法律に伴う(自衛隊員の)リスクが増える可能性はある」と初めて明確に述べたのに続き、15日には、「過酷な環境下での活動が想定され、隊員の精神的負担は大きい」とし、安全保障関連法案に盛り込まれた自衛隊の海外活動拡大に伴い、隊員が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症する可能性があることを認めた。

こうした答弁が「想定内」として組み込まれ始めたのかどうかはわからない。今後の追及次第では本音が導き出せないとも限らない。いずれにせよ、民主党、共産党は追及の手を緩めず、是非大きな尻尾を掴んで覆して欲しいものだ。


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