日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

早春の隠岐を行く - 留味庵

2016-03-20 20:48:55 | 居酒屋
「相撲に負けて勝負に勝った」とでもいえばよいのでしょうか。もちろん酒場についてのことです。
まず、目当ての「桔梗屋」にはものの見事に振られました。早い時間では混み合う、しかしあまりに遅ければ早仕舞いもあり得ると見て、あえて時間稼ぎをしてから八時過ぎに乗り込むと、あいにく満席との返答です。もちろん、この店で呑むことが米子に泊まった唯一にして最大の目的である以上、そう簡単には引き下がれません。そのうち空くようなら一報入れてもらえないかと交渉しました。しかるに、もう品がないとのつれない返答があり、あえなく敗退という顛末です。
もっとも、自分でも意外なほど敗北感はありませんでした。秋田の「酒盃」にしてもそうなのですが、どれほど評判の高い店でも、予約をしない限り入れない店というのは性に合いません。せめて「籠太」のように、遅い時間に電話一本入れれば入れる店であってほしいというのが自分の勝手な希望です。そのような事情もあり、この店には縁がなかったと潔く割り切ることができました。

それはそれとして、問題となるのは代わりをどうするかです。万一「独酌三四郎」に振られても次善の店の候補がある旭川と違い、米子で呑むのは初めてで、代わりを探そうにも全く見当がつきません。しかも連休中日に重なり、呑み屋街で明かりのついた店は三分の一から四分の一ほどといったところでしょうか。「酒場放浪記」で紹介された店も休んでおり、少なくとも周辺をこれ以上探しても仕方なかろうという結論に至りました。
こうなるとますます見当がつかなくなります。これはという店があれば入ってもよいというつもりで、当てもなく駅へ向かって歩いたものの、散見される飲食店はどれも決め手に欠けました。このまま代わりの店が見つからなければ、スーパーで惣菜を買い宿で呑むこともあり得ると、一時は覚悟を固めました。しかし、駅前に戻ったところで大衆的な呑み屋が二軒ほど現れ、ここなら行けるかもしれないという見通しが出てきました。二つに一つという状況の中、片や大店、片や個人経営の店と見て、直感だけを頼りに後者を選ぶという展開です。この直感は結果として的中しました。

上記の通り直感であり、確信というまでには至りませんでした。確信に至らなかった理由として、「留味庵」と書いてルビアンと読ませる風変わりな屋号があります。山陰で炉端の看板を掲げるところにも懐疑的でした。しかし店先の黒板にある境港直送の文字と、年季の入った店構えは看過しがたいものがあります。ここが駄目ならもう一軒に行けばよいという安心感もあり、意を決して暖簾をくぐったのが第一歩です。すると目の前に現れたのは、Jの字の形をした「萬屋おかげさん」を彷彿させるようなカウンターが、先客でほぼ埋まっている光景でした。しかしわずかながらも空席があり、中程に通されてまずは一安心。結果としてはここが特等席でした。
目の前が店主の定位置で、その背後には本日の魚介を記したホワイトボードがあります。端境期だった隠岐の品書きと違い、こちらはまだまだ百花繚乱の様相です。しかし席に着く前に、店主からは品が相当切れているとの断りがありました。おまかせが得との指南に従い、五品の盛り合わせを所望するも、五品は無理だが三品ならとの返答があり、最初の注文はこれで決定。ようやく店内の様子を観察する余裕が出てきます。
炉端とはいいながら、カウンターのどこにも囲炉裏は見当たらず、市井の古い大衆酒場と形容した方が語弊はなさそうです。駅前では最も古い創業35年だそうで、店内はそれ相応に古びています。壁にはお客の置いていった名刺が所狭しと貼り付けられ、しかもそれが油や煙を吸って黄ばんでおり、お世辞にも美しい店内とはいえません。それにもかかわらず、これも味わいのうちと思えるのは、長年地元客に愛されてきた大衆的な店らしき雰囲気があるからでしょう。

その雰囲気を作り出しているのは、カウンターを仕切る店主の人柄によるところが大のような気がします。Tシャツ姿の店主は終始饒舌で、養殖と冷凍は一切使わない、日曜に鮮魚をこれだけ集められるのはうちだけだといった、自慢を交えつつも矜持に満ちた台詞が次々に飛び出してきます。しかるに今日は市内で何かの公演があったらしく、終演後に観客が大挙して押し寄せたため、潤沢にあった品もほとんど切れてしまったとの説明です。とはいえ、残った限りある品の中でもどれがおすすめかを懇切丁寧に教えてくれ、一見客には助かります。
特筆すべきは、盛り合わせ、おまかせの類を除き、単品ならば何もかも500円以下ということです。しかも値段なりの割り切りが必要なものではなく、市場で仕入れた鮮魚を惜しげもなく使っているところに価値があります。おかげで全く儲からないというのが店主の弁ですが、この値段ではいくら売ってもそうなのかもしれません。おそらく金儲けよりお客を楽しませるのが生き甲斐の御仁なのでしょう。噺家にも通ずる軽妙洒脱な語り口の中に、地道で実直な商売の一端がうかがわれるようでした。

目当ての店に振られた結果、たまたま流れ着いた店ではありました。それが珠玉の名酒場ということもあるわけで、これこそが酒場めぐりの醍醐味といっても過言ではありません。
「桔梗屋」が予約満席だったのは、他の選択肢が少ない連休中日という条件に加え、件の公演の影響があったのかもしれません。しかし、仮にそのような制約のない状況で再び米子を訪ねたとしても、一軒目には「桔梗屋」ではなくこの店を再訪することになりそうな気がしています。
問題となるのは、もう少し足を延ばせば松江に着くにもかかわらず、それを差し置いてまで米子で呑む機会が今後巡ってくるかどうかということです。そう考えると、この店とはこれが一期一会になる可能性も否定できません。しかし、離島の去り際と同様、端から今生の別れというつもりで去るのは忍びないものです。いつの日かここに戻ってきたいと願いつつ席を立ちました。

留味庵
米子市茶町52
0859-32-0021
1800PM-2130PM(LO)
日曜定休

千代むすび
真壽鏡二合
突き出し(げそ煮付け)
お造り三品
塩鯖
隠岐もずく
自家製手造りコロッケ
あら汁
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早春の隠岐を行く - 米子の夜

2016-03-20 19:26:24 | 中国
その後米子の駅前に投宿して荷物を置き、境港行の列車に乗り込んだところです。
本日米子に泊まったのは、松江の「やまいち」、益田の「田吾作」と並んで教祖が絶賛する山陰の雄「桔梗屋」を目当てにしてのことです。しかしよくよく調べると、店があるのは米子駅から境線で二駅行ったところでした。駅間の短い境線といえども、二駅分ということは会津若松の駅から呑み屋街まで行くようなものです。これは列車に乗ってしまった方が早かろうと思い、風呂を後回しにして出てきました。
そこまでしておきながら、肝心の席の確保はできていません。「籠太」のように何度も通った店ならともかく、一見の一人客がわざわざ予約をして行くのがどうにも小恥ずかしいからです。「桔梗屋」を外せば後がなく、なおかつ今夜米子に泊まることはかなり早い段階から決まっていただけに、手堅く押さえておくべきだったかという気は今更ながらするのですが。吉と出るか凶と出るか、ともかく店へ行ってみます。

★米子1932/1665D/1937富士見町
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早春の隠岐を行く - 本土帰還

2016-03-20 18:23:18 | 中国
5時間50分の航海を終え本土に帰還。余韻に浸る間もなく米子行のバスに乗り込みました。
隠岐が見えなくなるより先に本土の影が現れ、本土の方が近くなったと思った頃に島後の影が判然としなくなって、完全に見えなくなると今度は島前の影が見えなくなってきました。それでも目を凝らせばまだまだ見えるという状況が続き、ついに消えたと思った直後、船が右に旋回して七類港に入るという結末です。島後も島前も、見えなくなりかけてから完全に消え去るまで30分以上かかりました。それだけ視界がよかったのでしょう。ともすれば平板で退屈にも思えた往路に対し、復路の航海は最高でした。

毎度大して下調べもせず、どのようなところかもよく分からずに乗り込んでも、帰りの船が出るときには、来てよかったと心底思っているのが離島の旅の常です。それは今回の旅においても例外ではありませんでした。
隠岐を訪ねたことにより、本土と橋で結ばれていない主な離島はあらかた訪ねました。隠岐より広い島では北方領土のうち歯舞群島を除く三島と西表島、徳之島だけです。これらを訪ねるのは並大抵のことではなく、今までの旅のようにはいきません。blog開設前の石垣島を振り出しに十年来続けてきた離島の旅も、これにて一区切りということになります。
しかし、あくまで一区切りであって完結ではありません。北海道の旅に利尻島を組み込んだり、博多からの寄港便で五島を再訪したりと、次なる旅の構想は既に浮かんでいます。これからも離島の旅を年中行事の一つとして続けたいと思っている次第です。
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早春の隠岐を行く - 紋切り型

2016-03-20 16:31:49 | 中国
見納めと思ったはずの島後が再び姿を現しました。島後が一旦中ノ島の陰に隠れた後、島前の四島に囲まれた内海をしばし航行し、外海に出たと思う間もなく、中ノ島の向こうに島後の陰が重なっていたのです。しかもその直後に、昨晩西郷に停泊していた「フェリーしらしま」が現れ、島前の方へと去っていきました。出航以来のめくるめく展開には感嘆させられます。
この結果、遠ざかる島影をデッキで眺めるという紋切り型の展開になりました。外海に出る頃から空がますます晴れてきており、これならかなり先まで見通せます。隠岐が視界の彼方に去る前に、本土が見えてくるかもしれません。着く頃には西日が次第に傾き、夕景としても絵になるでしょう。最後まで息をつく間はなさそうです。
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早春の隠岐を行く - 別府港

2016-03-20 15:33:03 | 中国
15分の短い航海を経て、本航海最後の寄港地となる西ノ島の別府港に着岸。菱浦まで閑古鳥が鳴いていた船内にまとまった数の乗客を収容し、15分の停泊を経て先ほど出航したところです。離岸の際にはテープを渡しての見送りも。こちらでは観光客もそれなりにいるのでしょう。見送るように手を振る目玉おやじと一反もめんが岸壁に描かれるなど、純然たる生活航路の趣だった菱浦港とは全く異なる雰囲気でした。
ちなみに入港の直前、中ノ島との間の水道が次第に狭まり、間から見えていた島後が西ノ島側の岬の陰に隠れました。やがて出航し南へ転進すると、水道が再び広がって島後が姿を現し、今度は中ノ島の陰に隠れるという展開です。離島を去るというと、島影が次第に遠ざかり、いつしか空と同化して見えなくなるのが常のところ、今回は一味違う幕切れとなりました。
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早春の隠岐を行く - 菱浦港

2016-03-20 14:11:55 | 中国
そのようなわけで、一時間少々の航海を経て中ノ島の菱浦港に着きました。よくも悪くも現代的で無味乾燥なフェリー乗り場が多い中、こちらは瓦屋根の上に小屋根を乗せた二階建てをいくつも棟続きにするという、金沢の町屋のごとき個性的な出で立ちをしています。
島後を後方に望みつつ湾内に入り、左に旋回して入港したかと思いきや、地図で確認すると、湾の対岸と思っていたのは西ノ島でした。実際のところ、次の別府港までの所要時間はわずかに15分で、鹿児島市街から桜島へ渡るのと変わりません。
ところがその別府港に着くのは三時半です。これは菱浦で二時間も停泊するからに他なりません。逆回りの「くにが」の場合、西郷に一時間強停泊するものの、島前では最低5分、最長でも15分の停泊で出航するため、結果としてあちらの方が早く本土に着くわけです。
しかし、この長い停泊時間も特段退屈はしていません。島前の港だけを行き来する町営の小型のフェリー、というより渡船を少し大きくした程度の船が隣の岸壁に発着するなどしており、その光景を眺めるのもまた楽しいからです。
出航からデッキに立ち続けて身体が少し冷えてきました。屋根付きのデッキのすぐ前方に屋内の休憩室があり、只今そこから投稿しているところです。ここで暖をとれば出航の頃には回復するでしょう。それに合わせて再びデッキに立ちます。
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早春の隠岐を行く - 寄港便

2016-03-20 13:29:22 | 中国
本土側の七類港を二隻のフェリーがほぼ同時に出て、一隻は島前、島後の順で、もう一隻は逆回りで周回し、一日かけて戻るという運用については昨日も述べました。今回の旅では、行きも帰りも島後を先回りする「フェリーおき」に乗船しています。二時間半で島後に直行した往路に対し、復路は島前の二つの港に寄りつつ六時間近くをかけて戻る寄港便です。
逆回りの「フェリーくにが」の場合、島前に寄港してから島後へ行き、西郷の出航は三時になります。そこから二時間半で本土へ戻るため、到着はこちらの船より早くなるわけです。つまり、島後へ行くなら行きが「おき」で帰りが「くにが」、島前ならそれぞれを逆にするのが必然であり、西郷から「おき」に乗り通すのはよほどの物好きに限られます。実際そのような乗客は滅多にいないらしく、乗船手続の際にも改札の際にも、この便でいいのかと念を押されました。しかしこれでよいのです。
寄港便には直行便とは一味も二味も違う楽しみがあるのを経験上知っています。それを体感するのも本活動の主題の一つです。滞在を三時間延ばして直帰するか、倍以上の時間をかけて寄港便で帰るかという選択肢が存在する状況で、いささかの迷いもなく後者を選びました。
実際のところ、出航からの展開は非常に劇的です。まず西郷港を出て南へ少し航行すると、右手の岬の向こうから島前の影が姿を現し、それからさほどの間も置かずに船は右へ大きく旋回して、島前へ向かって西進する航路に変わりました。西郷港が岬の陰に隠れた後、右手に島後、左前方に島前を眺めつつ進み、最初に寄港する菱浦港が近付くと、逆回りの「フェリーくにが」が左前方から現れ、島後へ向かって遠ざかるというめくるめく展開です。結局菱浦港まで片時たりとも目が離せませんでした。この先も忙しくなりそうです。
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早春の隠岐を行く - 別れの時

2016-03-20 12:42:12 | 中国
その後は昨日と同じ経路をたどり、那久崎に寄ってから西郷に戻りました。予定していた返却時間を数分回ったものの、自分にしては珍しく、最後に慌てるような場面はありませんでした。当初の期待以上だった天候を含め、完勝とはいわないまでも快勝といってよい結果です。
帰りの船は時刻通りに出航しました。毎度のことではありますが、わずか一日滞在しただけの島でも、港を出るときには言いようのない去り難さを感じます。毎年訪ねている松江なら「また来年」と言えるのに対して、離島を再訪する機会などそうそうあるものではなく、これが一期一会になる可能性が高いからなのでしょう。しかし、最初で最後かもしれないと分かってはいても、今生の別れのつもりで去るのは、往生際の悪い自分には難しい芸当です。これまでの離島の旅と同じ台詞で滞在を締めくくります。またいつの日にか…
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早春の隠岐を行く - 白島崎再訪

2016-03-20 09:53:42 | 中国
国道を飛ばして白島崎に戻ってきました。昨日も感じていたことなのですが、急坂を上り下りする海沿いの道に対し、内陸の道は比較的平坦で、平地もほとんどが内陸にあります。山地がそのまま海に沈んだような島だけに、どこまで行っても山道なのかと思いきや、内陸に限って意外に平坦というのが、隠岐のもう一つの特徴といえそうです。
昨日は曇り空で今一つ絵にならなかった白島崎ですが、今日は期待通りの青い空と海が広がっています。依然として雲が多く、日の陰る時間が長いとはいえ、平板だった昨日の眺めとは大違いです。よく知られた岬の先端の眺めもさることながら、再訪して気付いたのは東側の眺めも負けず劣らず秀逸だということです。大海原が日差しを反射する中、複雑な海岸線が影絵になって浮かび上がる様子が絵になっています。
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早春の隠岐を行く - 松浜

2016-03-20 08:32:06 | 中国
出発します。昨晩世話になったのは「旅館 松浜」です。
離島の宿泊事情は多分に未知数で、五島や対馬では港の近くで見つけた宿に飛び込んだこともあります。しかし、今回は連休に重なったこともあり、じゃらんで事前に押さえるという安全策をとりました。結果論ではありますが、市街がこのささやかさでは宿の数自体が限られ、それらが埋まってしまえばもはや打つ手がありません。早めに押さえておいたのは正解だったようです。
ちなみに朝食も事前にお願いしておきました。島内にコンビニすらなさそうだということは察しがついていたからです。その朝食はカレイとイカ刺しを主役にした豪華版でした。漁港に面した八畳間からの眺めもよく、快適に過ごさせてもらったことに感謝しています。
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早春の隠岐を行く - 三日目

2016-03-20 08:18:39 | 中国
おはようございます。昨夜は九時台という異例の早仕舞いでした。「青柳」であらかた腹が満たされたとはいえ、ラーメンで締めくくる程度の余力はあり、日頃の活動ならばおそらくそうしていたでしょう。しかし、幸か不幸か港の周辺にはラーメン屋など一切なく、それどころか島内を一周してもラーメンの看板を見かけることはありませんでした。
自分が訪ねる規模の離島なら、港の周囲にそこそこの市街があるのが通常で、唯一の例外は屋久島でした。その例外に今回隠岐が加わりました。他の離島に比べて独自性を感じる場面の少ない今回の旅ですが、屹立する絶壁と並ぶ二大特徴は、市街のささやかさということになるかもしれません。
窓の外には期待通りの青空が広がっています。帰りの船の出航は正午、その30分前には港に戻ってレンタカーを返却しなければなりません。残りわずかな滞在ではありますが、昨日のうちに島内を一周して当たりはついています。時間の許す範囲で眺めのよい場所を再訪して締めくくるつもりです。
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