あいあいの関節リウマチ中継

謎の病 関節リウマチについて、
薬について、
私的な話。

パラリンピックが始まる

2012-08-29 09:00:50 | 障害者というもの
今年のロンドンオリンピック、なーんにも見なかった。

パラリンピックが始まるという。
なんとなく積極的に見る気はない。

すねちゃうんだよねえ。

車いすで、あんなに素早く移動できるなんて!
車いすで、ボールを自由自在に操れるなんて!

とかね。
たくさん走っても、息切れしないなんて!
とかも、ないではない。

関節リウマチの患者さんの中には、
走ってる方も踊ってる方も山登りしてる方もある。

風邪をひかないように環境管理しなくてもすむような人が多いのかなあ?
免疫異常の人はないのかなあ?

私はなぜか
ずいぶん長時間歩けるようになったのだけれど
歩けるだけでできる仕事ってなんだろう・・・なんて思ったりもする。
力持ちになるわけではないし。

目に見えない障害といえば、外見でさっぱりわからない目の症状を抱えている人もある。視力が落ちたら白い杖が必要であるが、そこまでの問題はない、でも、通常の生活はできない、と言う場合。

妊婦さんでも、おなかが出てくる前はわかってもらえない。

ストレスは症状を悪くするというが、
今、さほど悪くもなっていない。

とはいえ、
こんな劣等感がときどき
頭をもたげてきて
積極的に何かしようという気がなくなることもある。


とりあえず体は鍛えてみるものだな、とは、思ったんだけど、
不意の危険を避けるには、
このまがらない手首ではこころもとない。

手術して10年近く、転んだのは一度だけ。
そういう生活をしている、ってこと。

ここんとこ最低ライン

2012-08-26 19:08:28 | 日々のぶつくさ
フランスの気温は下がってきて、猛暑、ではなくなってきた。25度でも上着を着込むほど・・・湿度が低いから。ありがたい。本当にこの夏は疲れてしまった。

関節リウマチはたぶんびくともしていない。よくも悪くも動いていないのだ。朝は、早朝に急に目覚めるときはすっと動ける。寝起きが悪い日は、動きにくいので、ベッドから出て、あらためてソファになだれ込む。でも毎朝の様子は、ちがう。

このところあまり新しい薬の話題もきかないけれど・・・
ああ、ほんと、強力にきく薬、できないかな。
せめて3か月くらいもつ薬・・・。

日本の患者さんの嘆きを読むと切ない。

あんた(私のこと)はピアノがそれでも弾けるんだから、贅沢言うんじゃない。
と心の隅で思う。
歩けるんだから、いいじゃない。
と思う。

ピアノ、昔弾いていたものは弾けない。指のコントロールがきかないから、バッハなどは無理無理。ショパン?もともと弾けたためしはないが、さらに、無理。だから練習していたものはすべて弾けないようなもの。バイエルだって無理である。指が5本は使えないし、5度の範囲でも、同じ動きを繰り返すのは、手に危険だから。

楽器との相性もある。本当のピアノでは鍵盤が重く指の負担がかかるので、電子ピアノなら良いかもしれない、と思ってもさにあらず、逆に負担が大きいものも多い。ピアノほどの反応のない、かたちだけの楽器で、指をあげたとたんに音が切れてしまうようなタイプだって、押さえていなくてはならなくなるのでダメ。

手が変形して、全然弾けなくなる人もいるんだから、贅沢言うんじゃない、と、自分で思うが、思うがゆえに、さらに弾けなくなっている。

何か役に立つことがあるのかな。

車いすでもスポーツができるし、手を使った仕事はできる。
私は歩ける、けれど、手がたいして使えない。
なにかそういう仕事、あるのかな?
あるのなら、後から来る人のためにみつけたい。
なんて、殊勝なことを思って生きてきたけれど、今、そんな元気、ない。

調子は良くなったかもしれないわりに

2012-08-22 22:07:16 | 関節リウマチ
行動しようとする一時間くらいには起きないと、うまく歩けない。
はやく歩けるようにはなっても、
階段は特におりるときには足首と膝がうまく決まらないので、ブレーキがかかる。

ピアノ弾いたら翌日手が痛いし。
もしやずっとマウスを持っていたからか、というのも疑わなくてはならないし。


体があたたまってくれば早く歩けるようになっているわりに、
あちこちいろいろやってくれとる。

うちにねこが来て、私一人で面倒みなくてはならなかったりもした。
ついに餌袋を自分でかじり、カリカリを床に出したので私の怒りをかい、
今、口をきいていない。
まだ一か月たってないというのに。

そしてアレルギーの薬を飲む日が増えつつある。
せっかく薬の量が減ったと喜んでいたのに、いったい何をしているんだろう。
それともわたげ、高い階まで見たからそのせいなんだろうか。

ねこ、カリカリが山盛りになっていても袋にすりすりしていた結果がこれだ。


血が足りないのは検査したらおさまっていた。
鉄剤と出血を止める薬を飲んでいる。
が、やはり出血するのでまた医者にいかなくてはならない。
暑いから予約を取る気もしなかったけど、そろそろ行かなくてはならない。

関節リウマチは一年に2回の診察。
でも、あっという間に2回目が来てしまう気がする。
しっかりしなくては。
それ…11月の終わりだから…
その前にいろいろできることがあるはずなんだけど。

話がずれた

2012-08-16 00:00:45 | 関節リウマチ
旅ができて、薬常用していたら外見は前より元気に見えるらしい、
と、前の日記で書こうと思ったのが、
お盆のせいか、呼ばれたようだった。ありがとう。

空港では、この間まで車いすを利用した。搭乗するときには最初に乗れるから楽と言えば楽だ。しかし家族と別に移動とか、逆に降りるときは最後まで待たなくてはならない、とか、いろんなことがあるのも事実。パスポート検査で延々と立って待たなくてすむのが一番助かる。10時間を超えるフライトの後でのこれは、かなりきついときがあるからだ。
(しかしこれくらいは、車いすでなくても、妊娠している人、老人、障害者優先、ということはできないのだろうか??)

パリでは、搭乗開始になるぎりぎりの時間に、車いすがやってきた。しびれをきらして、もう自力で行こうか、と言い始めたときだった。

日本では・・・問題はなかった。

乗継空港では・・・待ちくたびれて元気があったので、階段で降りてしまったら
「車いすを待っていましたか?昇降機があるのでもう一度飛行機にのってください」
・・・・また階段を上った・・・。

昇降機で他人とふたりっきりになると緊張するし。

ヘルシンキ空港では、車いすはフリーサービス。その辺においてあり、勝手に使ってよいのである。さすがフィンランドだと思う。子供が進んで押してくれたが、どうもおもちゃ気分らしくぶん回される。待ち時間に、行きたいところへも行けない。

今年は体重落ちたし、オペラ稽古で長い立ち時間にそなえて鍛えたせいか、立っていても前より平気になってきた。そんなわけで、逆に車いすを、やめた。一番長いパスポート検査待ちは、日本で、だった。

家に行っても、座ると立ち上がるのがつらいので立ったままだったりして、おかしな具合になっている。一度座ると、ひざ、足首にくる。飛行機の中で立ち上がるのが毎回うんとこしょであることにはかわりない。でも、長時間立っていても平気になった。???

歯をくいしばることも増えた。
歩いているから、長時間立っているから、荷物をもつから、
病気もちということを、どうも忘れ去られているらしい。

下手に座るよりは立っているほうが楽。
ずっと立っているよりは歩いているほうが楽。
今、そんな風。
だからといって、手は不自由なんだけどな。
そんなことも言ってみたいけれど、自己流でピアノを弾くから、それも忘れさられているようだ。右手をまとめておろすからできるだけであって、バッハなんて指を独立させる音楽は一切弾けないのだが。

なんだか病気と判明する前の、
いったーい時期を思い出すのだ。

でも、いい、いい、いいよ、忘れられていても。
できるうちは、自力でやっていこう。
すねないで、いくよ。




で、今年ひどくなっている立ちくらみも、
たぶんしゃがむことが増えたからなんだろうなあ・・・。

お盆のせいかな

2012-08-15 23:28:37 | 関節リウマチ
関節リウマチサイトモンマルトルのあいあいを初めて作ったのは・・・作ったのは・・・いつだっけ???(こういうことは私は忘れてしまう)と、自分でも最近見ていないサイトの表紙だけ見た。2004年開始だった。訪問してくださったのべ数は、一万人を超えている・・・ありがとうございます。

初めての手術をしてから10年近くになる。日本での初のオフ会が2005年。生徒の一人が亡くなったのがこの年の秋。

それからできるだけ日本へ行ったり、リウマチ仲間に会ったりしてきた。

症状は3度の手術と長年使用している薬のおかげで、順調である。半年に1度という診察のペースでも、今の所、問題はない。年は増えていくのでどこに何の変化があるのかはわからない。

ジョニー・デップが49歳かあ!と思ったせいかどうか、今年はふと、その年齢で亡くなった(はず)叔母のことを思い出した。姉妹の中で一番若いのに、乳がんに気が付いたのが遅く、進行は若かったから、早かったのかもしれない。ただすでにパリにいた私は、しばらく彼女が亡くなったことすら知らずにいた。その年齢まで、あと数年か。

2011年の地震のあと、いろいろあった。幸せな出会いもあったけれど、そうではないことも、進行しているのかもしれない。年齢のせいで、当たり前のことだ、と思いたい。人がその命を終えるのも、家族の動物が虹の橋を超えるのも、当たり前のことだ、と思いたい。

でも、悲しい。

2005年に生徒が亡くなったとき、数日あとに本人のアドレスのメールが届いた。
忙しくて返事がもらえないなあ、と思っていたから楽しみに開いたら、ご主人代理の訃報だった。泣いた泣いた。でも、それが一番の悲しみではなかった。

メールはあまり簡単にできなかった頃、パリへ来たばかりの頃、亡くなった彼女と私はいろんなことを手紙でやりとりしていた。センセイという威厳なぞはかけらもなく(私にゃ無理だった)ちょっと年の差があるだけで、同じように青春を語っていたと思った。互いの子供だって、そんなに年がかわらない。そんな彼女が、突然旅立ったのだった。ちょうど、例の歌が流行っていた頃だけれど、お墓の前で泣きたくても、お墓は海の向こうだ。

今でも、彼女といろんなことを話したい、と思う。これからもいろいろあって、彼女の死が一番悲しい事ではないと思うのだけれど、ああ、あれこれ、積もる話があるんだ。

ことしの夏、日本についたら最初の方に行こうと思ったカットは最終日にやっと実現した。前日に予約受付してくださったのはとても感じのいい方。翌日の明け方、生徒の夢を見た。「ひさしぶりだね、どうしてた?ううん、言わなくていいよ」
と言ったところで目覚ましが鳴って、目が覚めてしまったのだ。泣いて起きた。
目覚ましめ!

カットしてくれたのは前日に受けつけてくれた人。そういえば感じが生徒に似ている。
名札を見たら、ひと文字違いの名前でだった。本当に。イニシャルは一緒だ。

こんな話、生徒としたいと思う。
それに今年はジョニー・デップがとうとうヴァネッサと別れちゃったよ~~!!
とか、いろんな噂話をしたい、と思う。

でも彼女はどこにもいなくて、私は日本にいなくて、
どこでどう、消化、昇華していったらいいのか、年月がたつ今でも考えている。

他にもね、似た人に出会ったんだよ。
あなたと同じようにとても優しい人なんだよ。
その人には、あなたのことを話したよ。
あなたと、その人の話もしたいんだよ。
あなたとなら、その話で楽しく盛り上がれるだろうにね。
どうしていないんだろうね。

自分に直接降りかかるような不幸ではなく、周囲におきるいろんなことに、悲しんだり勝手に考えこんで悩んだりしている。

悲しいことがおきるのが悲しいのではなく、
その悲しみを分かち合う人がいないのが悲しいのだと思う。
人は、自分と同じように悲しむとは限らないから。



フランスは休日だけれど、日本は、お盆、だっけか。
友人が亡くなった家族の仏壇の写真をとると
家族はきっとそこにあらわれる。うらやましいくらい。


そうそう、シェーングレンには冗談でも程遠い。
いろんな人のこと思って、目の掃除をさせてもらいます。

そんなわけで

2012-08-06 19:13:50 | Weblog
しばらく日本にいたのだけれど
ろくに連絡をとらずに去ってしまった今年。
パソコンもたずに出たらこういうことになった、ともいえるし、
いつも持っていくであろう手帳を
すっかり忘れていた、ということでもあった。


そんなわけで
ごめんなさい。


涼しい→暑い→涼しい

2012-08-06 19:05:19 | Weblog
パリは室内24度くらい。
フリース着てないと寒いのは私。

日本はあつかった。
30度は普通、もう35度も普通かなあ。
ホテルでは冷房を入れるのが怖くて(風邪をひきやすい)
割と節電に参加したかわりに、朝は汗だくで起きていた。

暑さ、というか、温度の変化の激しさについていけない。

エレベーター
「熱いか?冷え冷えか?」
冷え冷えということはあまりないが、エレベーターに暖房が利いている冷房が入っていないビルは、いくつでもある。

タクシー・・・運転手さんはきっちり上着を着てらっしゃるので、こちらには寒いことがある。車両やバスは、乗ってのお楽しみ。運転手さん次第だと思う。

地下街に行きつくまで・・・30歩はかんかん照りで、そのあと、悪くない気温になるのかもしれない。

しかし、その1分間、30秒間の間にからだにぐさぐさくるようになっている。
年かな~。

気候がちがうようでも、日差しがじりじりときつい国。店に入ると、冷房がなく(普通は必要ないので)蒸し暑い。一気に汗が噴き出てくる私。買い物を終えて出ると、さっと涼しい風が吹き抜ける。外は22度くらいかもしれない。体の温度を一気に奪われ、汗でひらいているであろう汗腺から、なにかこう、攻撃される感じ。


・・・ねこカフェがいちばん快適だったかも(^_^;)
つまり移動の必要がないところ、ってこと。