菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

あーだ、こーだ、そーだ。 『イーダ』

2015年03月04日 00時00分06秒 | 映画(公開映画)
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第675回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『イーダ』






60年代初頭のポーランドを舞台に、孤児として修道院で育った少女が、修道女の誓いを立てる前に自らの出自を知る旅に出て、やがてユダヤ人を巡る歴史の深い闇と向き合う姿を静謐なモノクロ映像で描き出すドラマ。


監督は、パヴェウ・パヴリコフスキ。
本作はワルシャワ生まれのパヴリコフスキ監督が初めて母国で撮り上げた作品。







物語。
1962年、ポーランド。
戦争孤児として田舎の修道院で育てられた見習い尼僧アンナ。
ある日、院長から唯一の肉親である叔母ヴァンダの存在を知らされ、修道女になる前に一度会うことを勧められる。
さっそくヴァンダのもとを訪ねたアンナ。
するとヴァンダから“あなたはユダヤ人で本当の名前はイーダよ”と思いも寄らぬ事実を告げられる。
やがて彼女はヴァンダとともに、自らの過去と亡き両親の最期を探る旅へと出るのだったが・・・。


脚本は、パヴェウ・パヴリコフスキとレベッカ・レンキェヴィチ。







出演。
イーダ(ナンナ)に、アガタ・チュシェブホフスカ。
芸術大学で学ぶ学生だったがスカウトされ、オーディションを受けて、初演技。
だが、創作に興味があるそうで、女優は引退するそう。


叔母のヴァンダに、アガタ・クレシャ。
ポーランドのベテラン女優。


ミュージシャンのリスに、ダヴィッド・オグロドニック。


シモン・スキバに、イェジー・トレラ。

その息子のフェリクスに、アダム・シシュコフスキ。


修道院の院長に、ハリナ・スコチンスカ。

バンドの歌手に、ヨアンナ・クーリグ。







製作は、エリック・エイブラハムとピョートル・ヂェチョウとエヴァ・プシュチンスカ。



撮影は、ウカシュ・ジャルとリシャルト・レンチェフスキ。
リシャルト・レンチェフスキは、監督の眼として数本作品をやってきている。
ポーランドでの初作品だから、ポーランド人の撮影監督を起用したのかしら。

とにかく独特の構図が印象深い。





音楽は、クリスチャン・セリン・エイドネス・アナスン。
ほとんどは、劇中で実際に流れている音楽としてのBGM。





1962年を舞台に、ポーランドの傷を尼僧の少女とその叔母の秘密を通して描き出す静謐なドラマ。
切り詰められたセリフと音楽、ややセピアな白黒の画面、大胆な省略で、スパッという切れるかのようなシンプルさが、逆にイメージ膨張をさせる。
独特の構図と少女イーダとその叔母ヴァンダの二人の顔が胸に染みつく傑作。















おまけ。


英語題は、『IDA - FORMERLY SISTER OF MERCY』。
直訳ですが、『過ぎし日の慈悲の修道女』ってとこですかね。


上映時間は、80分。
 
製作国は、ポーランド。






内容もあって、受賞しまくり。

2014年のNY批評家協会賞にて、外国映画賞を受賞。
2014年のLA批評家協会賞にて、外国映画賞と助演女優賞(アガタ・クレシャ)を受賞。
2014年の英国アカデミー賞にて、外国語映画賞を受賞。
2014年のヨーロッパ映画賞にて、作品賞と監督賞(パヴェウ・パヴリコフスキ)と脚本賞(パヴェウ・パヴリコフスキとレベッカ・レンキェヴィチ)と撮影賞(ウカシュ・ジャルとリシャルト・レンチェフスキ)を受賞。

今年の米アカデミー賞でも、外国語映画賞を受賞。
撮影賞ではノミネートにとどまった。






パヴェウ・パヴリコフスキは、『マイ・ザマー・オブ・ラブ』でも二人の少女の関係を軸に話を進めていたなぁ。








ややネタバレ。

ポーランドの歴史がかなり前知識としてあると深みが出るような作品であることは確か。
もちろん、知らないことで、生まれてくるイメージの広がりや好奇心というのも映画の面白みです。

イーダは、もろユダヤ人名前なので、修道院で始まることがドラマチック。
ユダヤ教だからですね。
これは映画の中でも何度か出てきます。

ポーランドはユダヤ人への差別が強かったようで、第二次世界大戦が始まり、ドイツ侵略前からユダヤ人を迫害するような動きがったようで、これは最近暴かれてきた歴史の恥部だそう。
まさに、それをイーダは探るわけ。

ユダヤ人の叔母のヴァンダという名前は、ポーランド人っぽい名前らしく、国に馴染むために付けられたとおぼしい。
似た名前だけど、まるで違う印象を持つ名前を持つ身内の二人旅なわけだ。
しかも、共産主義者に肩入れして、彼女にはもうひとつの顔があることが描かれる。

キリスト像を修復するシーンから映画は始まる。
1962年のポーランドは、戦後の共産主義による教会弾圧がようやく過ぎ去り、信仰を表明できるようになった当時の状況をえがいているわけだ。


自分の出生の秘密を探ろうとするイーダに、ヴァンダが言う「神は存在しないと知ることになっても?」という言葉は、共産主義とユダヤの苦難、ポーランドの有様の3つがかかっている。



ラストシーンに流れる曲は、バッハのBWV639『私はあなたを呼ぶ、主イエス・キリストよ』。



化粧して、俗世を味わったイーダが情事を終え、朝、再び修道女のスカーフをかぶり、まるで自分の旅のような車とスレ違いながら、戻っていくのはユダヤ教ではなく、キリスト教の修道院であろうと思われる。
それは育ってきた自分の生活の肯定だろうか。


彼女の顔に乗っかるように出るイーダの名前。
修道院では、アンナという名前をもつ彼女。
アンナはポーランドでは、マリアの意味。
ユダヤ人であり、ポーランド人のキリスト教徒である彼女は、このあと、何を生むのだろうか?








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