『電気が走る』
夕焼けがそろそろオツカレの頃。
若い夫婦が、家に帰ってくる。
「ただいまー」
「ただいま」
夫は、手早く靴を脱ぎ、買い物袋を台所に置く。
板襖を片方開け、こじんまりとしたアパートの八畳間へ入っていく。
妻は、流しの縁に手をかけ、ブーツを脱ぐ。
夫は、紐を引き、電灯をつける。
電灯は、チカチカと白と黒を繰り返す。
じっと待ってみても、チカチカは続く。
妻が、夫のそばに来て、二人で、電灯を見上げている。
もう一度、紐をカチカチカチカチと引く。
電灯は、チカチカのまま。
「切れたねー」
「買い置きは?」
電灯の橙色の豆球が、ぽぉっと燈っている。
その下で、夫婦が、向き合っている。
妻は、合わせた両手をぐるっとさせてつくった穴を天井に掲げ、片目で中をのぞいている。
夫は、左手の甲に右手の人差し指を押し付けて、皺をつくっている。「ジャンケン、ジャンケン、ジャンケン、ポン」
夫は紙、妻は石。
「あー、もー。今行ってきたとこなのに!コンビニに売ってるかな?」
「売ってるかね?」
妻が、サンダルを履いて、出て行く。
パタパタと走る足音が遠ざかっていく。
「さてと」
夫は、買い物袋を持ち、冷蔵庫へ腰を下ろすと、袋の中のものを移していく。
夕闇の部屋はスタンドライトのほのかな灯りが燈っている。
パタパタと走る足音が近づいてくる。
夫は、携帯電話をパタッと閉める。
ドアが、開く。
「ただいまー」
「おかえり」
妻は、走ってきた荒い息で、興奮気味に、蛍光灯の箱を出し、話す。
「やっぱりコンビニに売ってなくて、商店街の電器屋で買ったよ。あそこ初めて入ったよー。なんか、小さなおばさんとおじさんでやってた。おじさんが電子レンジ直してた。電子レンジって、ああいうお店でも直せるんだねー」
夫は、妻の話から、そのときの状況を思い浮かべる。
おじさんが、直した電子レンジの電源を入れる。
橙の光を燈しながら回る電子レンジの扉を開けたり閉めたりしている。
繰り返される橙と黒。
妻が、それを見て、言う。
「電子レンジって直せるんですねー」
おじさんが、振り返りもせずに応える。
「あー、直せますよー」
おばさんが、輪唱のように応える。
「えー、直せますよー」
夫が、椅子の上に乗って、電灯に向かっている。
電灯は、40Wの大きい輪っかの蛍光灯と、30Wの小さい輪っかの蛍光灯が二重丸をつくっているタイプのもの。
「蛍光灯の色さ、昼光色にしたんだけどよかったよね?ほかには、クールとか、ナチュラルとかもあったんだけど、イメージわかなくてさ。昼の光ならまだイメージ出来たんだよねー。でも、夏と冬じゃ昼の光も違うよねー。これは、どっちだろうねー?」
蛍光灯を出しながら、妻が話す。
二つの新しい輪っかの蛍光灯は、テーブルの上に置かれる。
蛍光灯の箱は、床に平置きにされる。
夫が、古い大きな輪っかの蛍光灯が、外している。
妻は、新しい大きな輪っかの蛍光灯を持ち、夫の作業を見ている。
夫は、外した古い大きな蛍光灯を妻に渡す。
「はい」
「あ、待って」
妻は、新しい蛍光灯をテーブルにいったん置き、両手で古い大きな蛍光灯を受け取る。
「はい」
「はい」
妻は、古い大きな蛍光灯を平置きした箱の上にほこりが落ちないように静かに置く。
夫は、新しい大きな蛍光灯を取りつけている。
妻は、それを見ている。
夫は、古い小さな蛍光灯にとりかかる。
妻は、テーブルの上から新しい小さい蛍光灯を取る。
「見て見て」
夫が、手を止め、妻を見る。
「天使!」
妻が、頭に新しい小さな蛍光灯を掲げ、天使の輪に見立てている。
「はいはい」
夫は、それをさらっと流すと、古い小さな蛍光灯を外し、妻に渡す。
「はい」
妻は、古い小さな蛍光灯を受け取り、夫に新しい小さな蛍光灯を渡す。
「はい」
「じゃ、確認してるから点けて」
夫が、椅子の上で言う。
「了解。・・・くす球!」
妻は、強く紐を引っ張る。
カッ、と電灯が外れて、ガンっ、と、夫の頭に当たる。
「がぁっ!」
夫は、椅子をゆっくりと踏み外し、床に尻餅をつく。
「ああっー!ダイジョブっ?」
電灯が、夫の頭に、スッポリとはまっている。
妻は、ぷふっ、と、噴出す。
「うわ、ひでぇ」
「ごめん、ごめんてー」
「強く引っ張りすぎなんだよ」
夫は、電灯を外す。
「ごめんね」
夫は、妻に頭を見せる。
「ちょっと、見て、切れてない?」
「切れてない」
「あぁ、よかった。尻から頭まで電気が走ったよ」
夫は、電灯を妻に渡し、尻と頭を同時にさする。
「ほんと、ごめん」
夫が、椅子に乗ろうとする。
妻は、足を椅子の脚に添え、つっかえをする。
夫が、椅子の上から、電灯をちょうだい、と手を伸ばす。
「はい」
「はい」
夫が、電灯をはめ、慎重に軽く引っ張っている。
「まぁ、割れなくてよかったよ」
「ほんと、よかったよー。ホントの天使にならなくてー」
「はいはい、点けて。今度はやさしくな」
「了解ですとも」
夫は、電灯に手を添えている。
妻は、やさしく紐をひく。
カチ、電灯がふわっと燈る。
昼光色の光が、夜になった部屋を照らす。
妻は、見上げたまま、夫の脚に手を触れる。
「おー、明るいねー」
夫は、妻の手に、自分の手を重ねる。
「あー、明るいねー」
解説:
これも、『空のチューブ』同様に、短編映画用に書いた小説です。
実は、5本書いたのです。
映画化するのは『空のチューブ』になったので、こちらは、お蔵入りになることに。
というわけで、ちょいと手を入れて、発表することにしたのです。
ええ、貧乏性ってヤツです。
貧乏症と書くと病気みたいですね。
で、これは、日常におこる、ささやかな瞬間に、沸きおこる幸せを描き出したくて、書いたものです。
夫婦の間の惚れ直しの話。
毎日そういう瞬間があれば、愛は続くのかしら。
そういや、惚れ直しも、一目惚れに似た脳の動きをするのかしら?