菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

死さえ、生を全うするためにある。   『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』

2010年07月31日 00時00分02秒 | 映画(公開映画)
 
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第155回。



「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』








ハル・アシュビーの、ソフト化されてない名高い1970年代の名作をリバイバルで鑑賞。

20歳そこそこの青年と79歳の老女の出会いとラブストーリーは、今描くことは可能だろうか?
実話なら、可能だろうな。
だが、フィクションで、しかも、狂言自殺を趣味とする少年と盗みの常習犯の老女の恋物語はどうだろうか?
それは、当時でさえ、難しかったことは容易に想像できる。

その奇異な設定が素直に溶け込んでいる語りを支えているのは、キャラクター描写の粒立ちと物語を信じているからだからだろう。
今はこの語りの方法論は、少々安易と思われかねない。
力強いのは、エピソードと映像の相互作用なのだ。
今も胸を打つのは、命の扱いを清くではなくグロテスク、滑稽をまとってさえ、生々しく描いたこことだろう。


強く残るのは、バッド・コートの目、モードの手だ。
血のりがこれほどまでに痛々しく見えるとは。



こういうソフト化されない映画ってのがあってもいいのかもね。
映画館へ行かなきゃって気にさせてくれるもの。 







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