菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

カッコ(まで)よくなりたい。

2010年06月08日 00時00分28秒 | ブロぐ。
カッコよくなりたい。

ただのカッコよいではなく、その精神や言動によって、格好までよく見えてくるぐらい
に。
この“まで”が大事。

ほら、言うじゃないですか、何気ない白Tシャツとさらのジーンズが似合うヤツが一番カッコいいとか。

それは生まれもったスタイルとかで、最初から得ている人もいるかもしれない。
でも、それを維持するのは大変だ。


ただ、あれはスタイルだけでなくて、なにか鞘と真剣の関係のような気がするのです。
鞘の奥に以下に真剣を感じさせるか。
抜けば真剣は力を持ちますが、抜きっぱなしのやつがカッコいいとは思えない。
どちらかというとおかしな人と思われるでしょうし、恐怖が先に立つ。
鞘に収まっているのにまるで抜いているような感じを受けることじゃないのかしら。
鞘が透けている状態。
刀は力につながりすぎるかもしれない。
言いたいのは、服が透け、肉体が透け、心が見えるようになる、ということだ。



思想でも、才能でも、評価でも、そういうものでも、なかなか格好までよく見えるのは、なまなかにはいきませんから、ええ、大変です。

それは心を鍛えあげること、実績を鍛えあげること、本来持っている心の美しさでしか出来ぬ気もする。

そのためには、肉体を鍛える方が早いくらいです。
心技体は、その順番なのかもしれない。
体→技→心の順で得やすいという。
意思による自然美容整形とでもいいますかね。

心は最初から持っている気がするから、厄介なのかもしれない。


苦労は買ってでもしなきゃならないのは、たぶん、この格好までよくなるためなんじゃないかしら。


それこそ、真の“かっこいい”だと思うのです。


道のりは遠いですがね。
何しろ、年をとるたびにその立場は変わり、経験は重ねられているのに、心はいつでも初mてに戻されるから。



やっぱり、男なら同じ男から、「ニクイね、この」って言われたいものですから。
でも、この“ニクい”は、「♪ニクいね、このーど根性ガエル」の“ニクい”です。
男なら、このニクいを纏いたいものですなぁ。
“坊主ニクけりゃ、袈裟までニクい”じゃないですよ。
でも、これは“カッコまでニクイ”ってことなのか。
カッコまでニクくなったわけです。
そういや、僧と憎いの字が似ているのとは関係あるのかね?



確固たるモノを得て、カッコまでよくなりたい。
そして、過去までよくなりたい。
まぁ、なかなかそうはなれないので、カッコの方に気を使うんですが。

それとも、それを止めるとこから、“カッコまでよくなる”のはじまりなのかしら?

だから、あえて、ちょっとみすぼらしいカッコをしてみたりしてるんです。
なんていうのはセンスの無さのいい言い訳にならないかしら。
ということを考えている時点で、カッコまでよくなるのに遠くなった気もするけど。




あ、タイトルは「かっこ、カッコまでカッコとじ、よくなりたい」と読みます。



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