菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

見終わりっと。 『IT/イット THE END  “それ”が見えたら、終わり。』(追記アリ)

2019年11月07日 00時01分25秒 | 映画(公開映画)

mi  で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1610回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

『IT/イット THE END  “それ”が見えたら、終わり。』

 

 

 

 

前作から27年後、再び現われたペニーワイズに立ち向かうべく再結集した大人になった“ルーザーズ・クラブ”の仲間たちが、過去と現在を行き来しつつ、戦いを繰り広げるビッグ・ホラー。

 

 

2017年に空前の大ヒットを記録したスティーヴン・キング原作ホラー『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の続編であり、第二章にして完結編。
元々二部作として製作が開始された。

 

 

監督は、第一章に引き続き『MAMA』のアンディ・ムスキエティ。

 

 

 

物語。

2016年、小さな田舎町デリーで起きた連続児童失踪事件の恐怖が過ぎ去って27年。再び、行方不明事件が起こり始める。
マイクは、“ルーザーズ・クラブ”のメンバーで、ただ一人デリーに残り、調査を続けていた。彼は、ペニーワイズのメッセージを発見し、かつての仲間、大人になったルーザーズ・クラブの7人に連絡を取る。イギリスで脚本家として活躍するビル、ファッション業界で成功したベバリー、建築業界で財を成したベン、リスクマネージメント業のエディ、有名コメディアンのリッチー、恐怖と戦い母と暮らすスタンリー、彼らは27年前の約束を果たすべくデリーへと戻らねばならない、という強迫観念にかられる。
再会、それは戦いの再開を意味していた。
だが、彼らは二人を除き、あの頃の記憶をほとんど失っていた。

原作は、スティーヴン・キングの『IT』。
脚本は、ゲイリー・ドーベルマン。

 

 

 

 


出演。

ジェームズ・マカヴォイが、ビル・デンブロウ。
ジェシカ・チャステインが、ベバリー・マーシュ。
ジェイ・ライアンが、ベン・ハンスコム。
ビル・ヘイダーが、リッチー・トージア。
イザイア・ムスタファが、マイク・ハンロン。
ジェームズ・ランソンが、エディ・カスプブラク。
アンディ・ビーンが、スタンリー・ユリス。

ビル・スカルスガルドが、ペニーワイズ。

ジェイデン・マーテルが、ビル(1989年)。
ソフィア・リリスが、ベバリー(1989年)。
ジェレミー・レイ・テイラーが、ベン(1989年)。
フィン・ウォルフハードが、リッチー(1989年)。
チョーズン・ジェイコブズが、マイク(1989年)。
ジャック・ディラン・グレイザーが、エディ(1989年)。
ワイアット・オレフが、スタンリー(1989年)。

ティーチ・グラントが、ヘンリー・バワーズ
ニコラス・ハミルトンが、ヘンリー・バワーズ(1989年)

ジョアン・グレッグソンが、ミセス・カーシュ。

 

 

 

 

スタッフ。

製作は、バルバラ・ムスキエティ、ダン・リン、ロイ・リー。
製作総指揮は、リチャード・ブレナー、デイヴ・ノイスタッター、ゲイリー・ドーベルマン、マーティ・ユーイング、セス・グレアム=スミス、デヴィッド・カッツェンバーグ。

キャスティングは、バーバラ・ムスキエティ。

 
撮影は、チェコ・バレス。

プロダクションデザインは、ポール・デナム・オースタベリー。
衣装デザインは、ルイス・セケイラ。

編集は、ジェイソン・バランタイン。

音楽は、ベンジャミン・ウォルフィッシュ。

 

 

 

 

 

前作から27年後、復活したペニーワイズ退治のためルーザーズ・クラブが再結集するビッグ・ホラー。
ホラー映画史上最大のヒットのスティーヴン・キング原作の映画化『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の続編で第二章で完結編。
超丁寧に7つの子供時代のトラウマに向き合う大人たちをきっちりと語り上げる。豪華なホラー演出はもはや見る遊園地。フィアーとユーモアのワンツーパンチ。2時間40分は連続ドラマ3話分か大作小説一気読みの楽しさ。ハリウッドの娯楽映画屋の本気、アメリカンな心理作劇の煮込みを味わう。
子供と大人時代をシームレスにする、演技力の高さと映像技術でド没入。脇に至るまで素晴らしい役者陣に1シーンごとに大向こうを掛けたくなる。ビル・スカルスガルドの献身に惚れる。
まさに悲劇と喜劇と感激のエンターテインメントなんだけど、その分やり過ぎ感ともっとが高まり過ぎて物足りなさにまで届いちゃった。深く潜っていくけど、深み不足。
でも、だからこそ、ホラーオペラ化の代表作になったとも言える。
スタジアムホラーな膨作。

 

 

 

 

 

 

 

おまけ。

原題は、『IT: CHAPTER TWO』。
『それ:第二章』、または、『鬼:第二章』。

「IT」には、かくれんぼや鬼ごっこなどの鬼の意味があるそうです。だから、ペニーワイズやピエロとあまり呼ばずに「IT」と劇中で呼ぶのですね。

 

 

 


上映時間は、169分。
製作国 アメリカ。
映倫は、R15+。

 

 

 

キャッチコピーは、「また、会えたね。」。
子どもに言うような感じになってるんですね。

 

 

 

 

 

アンディ・ムスキエティと姉のプロデュサーのバルバラ・ムスキエティは、第二章の大人編のキャスティングに3つの条件を出した。

1:前作のルーザーズ・クラブを演じた子役に似ていること。
2:高い演技力を持つこと。
3:厳しい要求を課される撮影に応じられること。

これにより、クセや表情などのキャラクターの一致、過去と現在を繋げる密度の高い編集技法が可能になって、物語への没入度を上げている。

 

 

 

ホラーオペラは今後の潮流になるかもしれない。リメイク『サスペリア』、『ハウス・ジャック・ビルト』が生まれている。

 

 

 

 

 

 

 

ややネタバレ。

劇中に「IT」も文字、ピエロのデザインや赤い風船のイメージが隠されています。
一つはゲームセンターのポスターの破れ目。

 

スティーブン・キング御大もカメオ出演。本人はオファーに自分が出ると映画がコケるから出ないと言ったそうだが、押し切られて出ることに。ヒットはしたものの第一章と比べると大幅ダウンに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

映画ネタなど、オマージュもそこそこあります。メグ・ライアンの髪型いじりからの『ユー・ガッタ・メール』のポスター(この破れがITになっています)や、『遊星からの物体X』、『リング』も。
裸婆は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』、『ヴィジット』、『ウィッチ』かしら?

 

 

子どもたちは、成長していたので、CGで顎とか身長とか修正し、声も一部吹き替えているそう。

 

 

 

ペニーワイズはクラウンなので、ピエロと言われるのは侮辱だったりします。字幕だとピエロとしか出てこないですが。クラウンが車の名前だったり、冠の意味などが先に来てしまい、通じにくいからでしょうが。
トムとジェリーの関係に似ています。トムに「この泥棒ネズミ」と言ったら怒るか落ち込むでしょうし、ジェリーに「この猫かぶり」と言っても同様の反応が起こるのが想像できるでしょう。どうかしら?

どうやら、ペニーワイズは恐怖をエネルギーにして生きる相手のイメージを増幅させる宇宙エネルギー生命体なので、強く弱体化をイメージされるとああなるということらしい。

最初の大人のゲイカップルなのは、ポリティカルコレクトはあるだろうけど、今度は子供じゃなくて大人も殺せるよ、大人になったルーザークラブを殺すためにね、という提示だろう。で、今まで通り子供も殺すので、痣の少女を殺すという二度手間になっている。この辺の二度手間感が全体に漂っている。巨大な怪物怖がらせが3度(樵、婆、ペニーワイズ)ってのは芸がちょっと薄い。
裸婆は父親=大人に襲われるベイリーの恐怖イメージが影響してるのだろうし、樵はもともとでかいのだからだろうし、その二つのイメージが増幅されてペニーワイズは大きくなった流れ(後で小さくなるペニーワイズを対比させているのかも)はあるのだけど。映画的には怖くなくなってしまっているのよね。ペニーワイズは逆にビルたちを小さくしたら、どうだったかな。大人のままで子供サイズになるというね。『ミクロキッズ』の悪役たちみたいに。

なにより、納得できないのは、あの少女の殺し方。あの痣自体が恐怖だったとしたら、痣を食われるののは恐怖になるか? 「痣を消してあげるよ」で呪文を唱えて、鏡を見せたら、痣が広がって、破裂したりした方が怖いんじゃないかしら。

 

 

原作からけっこう脚色していて、現代の映画ならではのオチになってます。で、そのことをビルが実際に映画の現場で言われているのもそこへの宣言ですね。映画用に脚色するぜ、だって原作の「結末はクソ」だからな、と言わせているくらいですから。

 

 

アメリカのトラウマ解消作劇の究極形。それを7つ(スタンリーではなくペニーワイズを入れて)も見せ切っている。

 

本作では、問題を押し付けられた子供たちが大人になって直面する苦悩が中心となる。
マイクは27年前の約束と故郷に縛られている。
ビルは、脚本家だがハッピーエンドを書けない。
ベバリーは、自己承認ができず、暴力的な男性と結婚している。
ベンは、財を成し、見た目も整えたのに、太めだったころの弱気が抜けない。
エディは過保護な母から抜け出せず妻もまたそっくりな人物。
スタンリーは27年前の恐怖から逃れられない。
リッチーは、ゲイでエディへの思いを隠している。
そして、彼らはだれもかれも結婚が上手く行っておらず、独身者も含め、誰も子供をもうけていない。

子ども時代の恐怖=子どもを恐れている。

そのことをオープニングのゲイカップルが襲うのも子供なのは、ポリコレの影響だけではない描いてもいるのだろう。
つまり、第一章は子供であることの恐怖であり、第二章は子供時代からの恐怖を中心に据えている。
子どもである恐怖は仲間を手に入れ、ペニーワイズを退けたものの一次的にしか取り除かれず、大人になってから奥底に子供時代からの恐怖はくすぶっていた。

 

 

 

 

 

____________________________

追記

第一章から、この物語には“孤独で助けがない”という恐怖がある。

ペニーワイズは恐怖を増幅してはいるが、そこには私は孤独=周囲から浮いているが、そこから脱出できる=浮き上がれるかもしれない、という希望をエネルギーにしているのだろう。つまり、私を誰も知らない、という恐怖でもあるから、知ってくれることを利用する。
恐怖の対象も実は私だけが感じる孤独な怖さの具現化だったりする。
だから、痣の少女はペニーワイズの言葉に希望を抱き、奪われたのではないか。痣がなくなることで、私は知られなくなるかもしれない、痣=私になっている。

ルーザーズ・クラブは孤独な者の集まり、ゆえに孤独じゃない。

大人になってからも、この孤独、孤独でい続けるかもしれない、知られることのない恐怖が付きまとう。
ルーザーズクラブの面々はそれに抗う。
マイクは、知ることと故郷から離れないことと集めることに。
スタンリーは、自分が怖がっていることを知ってもらえないことに。
ビルは自分の作品の結末への無理解に。
リッチーは恋愛の志向と一人VS観客のスタンダップコメディアンということに。
ベバリーは結婚相手に。
エディは母を愛していることを理解されないことに。
ベンはベバリーに理解されなかったことに。

「助けて」と叫んでも、誰も助けに来てくれない、と思えることの恐怖。

つまり、それは地下で浮かぶということ。

そう、それは、愛されていないと感じている恐怖でもある。
ペニ-ワイズは、それによって愛されておらず、愛されている矛盾の恐怖を拡大させる。
ビルは、ジョージがいないことによって、愛されなかったが、残った一人の息子として、いないことで愛されてもいる。
ベバリーもまた、子どもの頃は最悪の父親がいなければ生きていけなかったが、大人になっても夫がいなくても生きていけるのに縛られている。
ベンはそのポエムで愛を感じているベバリーにそれを書いたのが自分だと思われていること。

それは、片思いの幻想に似ているといえないだろうか。
わずかに可能性があることと全く可能性がないことの間で心が引き裂かれる。
ダメな理由はいくらでも挙げられるが、たった一つの愛だけでそれは救われるかもしれないという恐ろしい希望。

大人になれば、その可能性が同時に存在してしまい、自分しか助けてくれないことをより深く知る。助けを求められないことを。
子供時代は助けてくれるはずの大人が助けてくれないことを知る恐怖で、代わりの仲間がいることで救われる。
だが、大人になったら知ってしまっている。戦ってくれる仲間でも自分を助けられないことを。
第二章はこの恐怖との戦いを描く。

 

だから、ペニーワイズでは、実は孤独である、寂しいと知られて負けたのだ。だから、遊ぼうと誘い、復讐だとみんなを呼び集めた。また遊べるからだ。
故郷から離れたら忘れられてしまう存在だから。
遊びに来てくれたことで力を得て、もう遊んでやらないと言われて力を失う。

 

 

 

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