で、ロードショーでは、どうでしょう? 第386回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『人生、ブラボー!』
ケン・スコットの監督第2作目で共同脚本もしているカナダの大ヒット作。
日本でも公開されている『大いなる休暇』(脚本)など、カナダのコメディ映画では、なかなかの成果を上げている方。
そういえば、『最強のふたり』の監督チームもフランスではコメディ映画で成果を上げていたから、世界中にそういう作家がまだまだ潜んでいるんだろうな。
カナダ映画なんだけどフランス語だった(カナダはフランス語も公用語)ので、ハリウッドで英語版リメイクが決定したそう。
原案と共同脚本は、マルタン・プティで映画の脚本は初だが、コメディ作家として、長いキャリアを持つ。
撮影はピエール・ギル。
独特の編集はイヴァン・ティボドー。
出演は、カナダのスターのパトリック・ユアール。
友人役のアントワーヌ・ベルトランと、恋人役のジュリー・ルブレトンも実在感ある風貌がどっかイギリス映画のような感じもある。
主人公がサッカー好きで、アメコミのスーパーヒーロー好きというのを衣装で示すセンスの良さ。
このボンクラで犯罪にもわずかに足を突っ込むようなダメなヤツながら、根はいい、という二重性を丁寧に表現していて、非常に好感。
そんな彼が精子提供のバイトで、533人の父親になってしまう、という奇妙な物語を、現実的な寓話に仕立て上げてる。
原題は『STARBUCK』。
これはカナダの最優良種牛の名前で、彼には1万頭以上の子供いるらしい。
そして、実際に、精子提供で200回以上の受精に使われた男もいたそうで、それを踏まえて、子供の数はどんどん人数が増えていったそう。
この話、かなり要素が多いのに、あるひとつのテーマで集約させて、とても見やすくなっている。
それは、父親になるとはどういうことか? ということ。
これを現実的な要素で独特のコメディだけでなくシリアス要素も絶妙のバランスで物語にしている。
で、実は、その相手の彼女の方、つまり母親になるかもしれない女性の描き方も上手い。
ぼやかしているとも言えるが、これこそ語りの技だ。
ある部分を強調することで、テーマに集中させていくのだ。
このマジックに酔えるからこそ、世界中の映画祭で観客賞を受賞したのではなかろうか。
評論家は、その独特の振りっきった語りに、難色を示す人もいるかもしれないが、その振り切りにこそ作家のサービス精神があるのよね。
多くのコメディが不当に低い扱いを受けているのは、こういう部分なんだろうなぁ。
笑わせることの難しさは、評論するのはとても難しいからね。
評論家にも同情するよ。
さて、要素の多さを何がまとめているかというと、キャラクター。
普遍的な父親像ではなく、特殊な主人公の物語として語り、じょじょにそこに普遍性を与えていく。
母織の方も。
しかも、母親を見せないように、主人公の母親は亡くなっていて、愛情の思い出だけで語られる。
映画の視点は、男の立場に立ち続けるのだ。
この徹底がキャラクターへののめり込ませる。
主人公の姿にじっくりと。
ボンクラでも、それでも見捨てられない親戚というか友人感をうまく出していく。
ダメな子ほど可愛いってやつです。
そして、弁護士の友人との友情ものでもある。
彼のキャラクターも、また魅力的なのよね。
つまり、この作品は、特殊な下半身コメディであり、犯罪とファミリードラマであり、ロマンスとブロマンス(男同士の濃い友情もの)があり、人生についてのシリアス・コメディでもある、というわけだ。
ハマる人にはとことんはまる、しかも、それはそう低い割合じゃない。
おいらは、大好きだ! と公言できる作品です。
おまけ。
ややネタバレ。
主人公の癖が、別の事で、もう一つの事でうやむやにするというもので、同時に二つのことを進めてしまう。
これが映画の語りにも使われていて、一つの出来事のすぐあとにもう一つ出来事を重ねて見せることで、物語を膨らましていく。
その語りで、ひとつの部分をさらっと見せることにも成功している。
このキャラクターの性格を話法にも応用するというのはなかなか珍しい技法で、近いのは記憶を取り戻していく『(500)日のサマー』や記憶障害の『メメント』や妄想癖のような『ラン・ローラ・ラン』などの発展的語り口でとても興味深かった。
実は、作家の性格かもしれないが。
父親になるとはということを描こうとしているので、あえて、子供の母親には全く触れないことで、テーマを明確にしている。
物語における現実味を重要視する方には、いろいろ引っかかるかもしれない。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『人生、ブラボー!』
ケン・スコットの監督第2作目で共同脚本もしているカナダの大ヒット作。
日本でも公開されている『大いなる休暇』(脚本)など、カナダのコメディ映画では、なかなかの成果を上げている方。
そういえば、『最強のふたり』の監督チームもフランスではコメディ映画で成果を上げていたから、世界中にそういう作家がまだまだ潜んでいるんだろうな。
カナダ映画なんだけどフランス語だった(カナダはフランス語も公用語)ので、ハリウッドで英語版リメイクが決定したそう。
原案と共同脚本は、マルタン・プティで映画の脚本は初だが、コメディ作家として、長いキャリアを持つ。
撮影はピエール・ギル。
独特の編集はイヴァン・ティボドー。
出演は、カナダのスターのパトリック・ユアール。
友人役のアントワーヌ・ベルトランと、恋人役のジュリー・ルブレトンも実在感ある風貌がどっかイギリス映画のような感じもある。
主人公がサッカー好きで、アメコミのスーパーヒーロー好きというのを衣装で示すセンスの良さ。
このボンクラで犯罪にもわずかに足を突っ込むようなダメなヤツながら、根はいい、という二重性を丁寧に表現していて、非常に好感。
そんな彼が精子提供のバイトで、533人の父親になってしまう、という奇妙な物語を、現実的な寓話に仕立て上げてる。
原題は『STARBUCK』。
これはカナダの最優良種牛の名前で、彼には1万頭以上の子供いるらしい。
そして、実際に、精子提供で200回以上の受精に使われた男もいたそうで、それを踏まえて、子供の数はどんどん人数が増えていったそう。
この話、かなり要素が多いのに、あるひとつのテーマで集約させて、とても見やすくなっている。
それは、父親になるとはどういうことか? ということ。
これを現実的な要素で独特のコメディだけでなくシリアス要素も絶妙のバランスで物語にしている。
で、実は、その相手の彼女の方、つまり母親になるかもしれない女性の描き方も上手い。
ぼやかしているとも言えるが、これこそ語りの技だ。
ある部分を強調することで、テーマに集中させていくのだ。
このマジックに酔えるからこそ、世界中の映画祭で観客賞を受賞したのではなかろうか。
評論家は、その独特の振りっきった語りに、難色を示す人もいるかもしれないが、その振り切りにこそ作家のサービス精神があるのよね。
多くのコメディが不当に低い扱いを受けているのは、こういう部分なんだろうなぁ。
笑わせることの難しさは、評論するのはとても難しいからね。
評論家にも同情するよ。
さて、要素の多さを何がまとめているかというと、キャラクター。
普遍的な父親像ではなく、特殊な主人公の物語として語り、じょじょにそこに普遍性を与えていく。
母織の方も。
しかも、母親を見せないように、主人公の母親は亡くなっていて、愛情の思い出だけで語られる。
映画の視点は、男の立場に立ち続けるのだ。
この徹底がキャラクターへののめり込ませる。
主人公の姿にじっくりと。
ボンクラでも、それでも見捨てられない親戚というか友人感をうまく出していく。
ダメな子ほど可愛いってやつです。
そして、弁護士の友人との友情ものでもある。
彼のキャラクターも、また魅力的なのよね。
つまり、この作品は、特殊な下半身コメディであり、犯罪とファミリードラマであり、ロマンスとブロマンス(男同士の濃い友情もの)があり、人生についてのシリアス・コメディでもある、というわけだ。
ハマる人にはとことんはまる、しかも、それはそう低い割合じゃない。
おいらは、大好きだ! と公言できる作品です。
おまけ。
ややネタバレ。
主人公の癖が、別の事で、もう一つの事でうやむやにするというもので、同時に二つのことを進めてしまう。
これが映画の語りにも使われていて、一つの出来事のすぐあとにもう一つ出来事を重ねて見せることで、物語を膨らましていく。
その語りで、ひとつの部分をさらっと見せることにも成功している。
このキャラクターの性格を話法にも応用するというのはなかなか珍しい技法で、近いのは記憶を取り戻していく『(500)日のサマー』や記憶障害の『メメント』や妄想癖のような『ラン・ローラ・ラン』などの発展的語り口でとても興味深かった。
実は、作家の性格かもしれないが。
父親になるとはということを描こうとしているので、あえて、子供の母親には全く触れないことで、テーマを明確にしている。
物語における現実味を重要視する方には、いろいろ引っかかるかもしれない。