パニック障害もんきちのウツパニッ記

新婚2週間でうつ病とパニック障害と診断されたもんきちの闘病(?)つれづれ日記

不安を克復するということ

2008-02-10 16:37:10 | 日記
僕がいま抱えている病気にとって、不安をコントロールするということは、とても
重要なことです。
でも、それはどうやったらできるのでしょうか。

僕には、不安は「漠たるもの」じゃなくて、姿形も質量も持つ、物理的に存在する
モノのように感じられます。

油断をすると、不安はどんな小さな心の隙間からでも入りこんできて、内側で
ボワッっと広がっていきます。
隙間が無くても、心の壁をジンワリジンワリと浸透してきてやがて内側まで染み込み
ボワッと広がっていきます。

不安は、遠いか近いかは別として、ほとんどが未来・将来のことについてです。
「はたして僕は……」という、枕詞が必ずと言っていいほど付いてきます。

でも、僕ら人間の能力では、「未来」が「今より一瞬だけ過去」になるまで、未来のことは分かりません。
それが、たった1分先のことであったとしても。

突然ですが、僕は大学で印度哲学を学んでいました。
その中で学んだことを、最近改めて思い出すことがあります。

それは
「結果は汝の手の中には無い。結果は絶対者に委ね、汝は今ただ為すべきことを為せ」
というような言葉です。

本当にその通りだなぁと思います。

絶対者かどうかは別として、結果は少なくとも「今」の僕の手の中にはありません。
結果は、結果が生まれた「一瞬の過去」になって初めて手にすることができるものだと
やっぱり思うのです。

不安について考えたら、切りがありません。
頓服薬だっていくらあったって足りません。
いま不安を感じ、その中にズブズブと飲み込まれる事で
明るい未来が約束されるわけでも、もちろんありません。

だったら、いま何ができるかを考えようと思うのです。

でも、それはオイソレとできるものじゃないし、できていたらそもそもこんな
病気を発症したりしなかったかもしれません。

それでも、僕はこの病気を克服したいし、一度克復したら二度とこの病気と
おつき合いしたくありません。

だから、いま何ができるかを考えようと思うのです。

難しいことだけれど、それをできるようにならないと、僕は「未来」を手にできない。
「できなかったら」ということに不安を感じるより、「できるようになったら」
ということに目を向け、誰かの手の中にある僕の「未来」を、こぼすことなく
自分の手で受け止めたい。

それは、一度「大きな不安」に立ち向かう事で、怖く難しいことではあるけれど
やるしかないんだと、思っています。
できるかどうはわかりませんが、やるしかありません。

そもそも「結果」は今の僕の手の中には無いのですから。


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2 コメント

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こんばんわ (里絵)
2008-02-10 21:32:22
とっても難しいお話ですね。
何度も繰り返し繰り返し読ませてもらいました。
それでも今の私にはなかなか思いが言葉にできません。
ただ
「結果は汝の手の中には無い。結果は絶対者に委ね、汝は今ただ為すべきことを為せ」
この言葉、これはホントにその通りだなと思いました。

何かを待っているとき、その「未来」が見える何かがあれば良いのにと思うこともあるけど、「未来」がわかってしまってはきっと私達人間は生きてはいけないでしょうね。
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きっとそうですね (もんきち)
2008-02-11 20:22:15
里絵さん、こんばんは。

本当に難しいことですよね。こういうことは。
でも、ほったらかしにしておくわけにもいかないし。

里絵さんの言うとおり、未来が分かってしまったら人間は生きていけないでしょうね。人間は弱いから。

ハッピーな未来が見えたら怠惰になる。
暗い未来が見えたら絶望する。
人間なんて、その程度の存在だと思います。
良くも悪くも。

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