パニック障害もんきちのウツパニッ記

新婚2週間でうつ病とパニック障害と診断されたもんきちの闘病(?)つれづれ日記

自己紹介

2007年結婚とほぼ同時に仕事上の人間関係からPDとうつ病を発症。退職、リハビリパートを経て、正社員として復職。2011年離婚、退職。今は田舎に帰り療養&再就職活動中。

引越しと転職と結婚と

2007-11-30 22:53:28 | 日記
前回のブログで「過去の僕が僕を病気にした」と書きました。
今日は「ごく近い過去」について書いてみようと思います。

僕は今年の2月半ばに8年住んでいた東京から名古屋へ引っ越してきました。
嫁さんはフリーランスで仕事をしていて地元にクライアントが付いていました。
だから東京に来るということは、クライアントを一から探すということに
近い状況だった為、僕が名古屋に引っ越すことになったのです。

僕は東京ではインテリアコーディネートと家具のデザイン・設計の仕事を
していました。そうする中で、インテリアや家具だけでなく飲食店や
販売店の内外装をすべて手がけてみたいと思うようになっていました。

だから、転職を期に名古屋への引越しをするという感じでタイミングも
良かったのです。

昨年の12月に名古屋で店舗デザインの会社の面接を受け、
内定を頂き3月から働くことが決まり
いよいよ、いろいろなことが具体的に動き始めました。

僕は「引越し」と「転職」と「結婚」の「人生の3大イベント」とも
言えそうな事を、一度にすることになったのです。

もちろん僕なりに
引越しをして、一人の友人もいないところにいくこと
転職をして、新しい人間関係の中で新しい仕事をやっていくこと
結婚をして、妻を持ち新しい家族として生活していくこと
それらをいっぺんに始めることが並大抵のことではないことは
想像し覚悟をしていました。

けれど自分ならそれらすべてを、自分と会社と嫁さんが期待する通りに
すべてできると思っていました。
ところがそんなに甘いものではありませんでした。

三つの内二つであればなんとかできたかもしれません。

転職と結婚だけであれば、何かしんどいことがあっても、友人となじみの
店に行って愚痴を聞いてもらったり相談に乗ってもらえばいい。

引越しと転職だけであれば、何かあれば自分の身一つだし、たとえ
給料が下がったってバイトからのスタートだってまた新たな会社を探して
チャレンジすればいい。

引越しと結婚だけであれば、なれた職場環境で今までどおりの仕事を
結婚を期にさらに気合を入れてやればいい。

でも三ついっぺんだと、何か問題が起きたときにどうしても
どこかで行き詰ってしまうのです。

それでも三ついっぺんに期待通り、想像通りにできると思っていた僕の中で
それができないという現実に直面し毎日を過ごすうちに
「できる」が、いつの間にか「しなきゃいけない」に変っていきました。

でもできないものはできないんです。
だから、当然何度も行き詰ります。

そうこうしているうちに僕は自分に対し「期待はずれ」と思うように
なりました。「もっと俺はしっかりできる男だと思っていたよ」と。

それはやがて会社においても家庭においても自信のなさに繋がっていきました。
「自分が思っているように、周りも『期待はずれ』だと思っているんじゃ
ないか」という考えに囚われるようになっていったのです。

そして、小さなミスをしたり、ちょっと気が利かなかったりするだけで
「期待はずれ」という言葉が頭に浮かび、それがだんだんと
「自分は価値のない人間なんじゃないか」という思考へと変ったのでした。

今思えば、こうした自分への過度の期待と根拠のない自信が僕の病気の原因の
一つだったのだと思うのです。

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ガイダンス後の診察……その後

2007-11-29 16:56:41 | 日記
ガイダンスの後、引き続き診察を受けました。
診察はドクターから薬を飲み始めてからその日までの2週間の
状況を聞かれることがメインでした。

僕は薬が効いているようで大きな発作がないこと
なので頓服薬ワイパックスを使うこともなかったこと
ただ、動悸や不安感に襲われることは相変わらずあること
昼間眠気やだるさを感じることがあることなどを
報告しました。

薬の量は適量になるまで徐々に増やしていって症状を解消し
その適量を半年から1年程度のみ続け、その後徐々に減らしていくのだ
そうです。
ですが、ドクターの判断では僕はまだ薬になれていないということで
もう二週間同じ量を飲むことになりました。

その際、仕事への復帰時期について質問すると
「フルタイムで働ける状態ではありません」
と、ハッキリと言われてしまいました。

ドクターからは、規則正しい生活をしてキチンと薬を飲み
アルバイトなどで体を慣らし体力と自信をもう少し付けてから
働くようにとアドバイスを貰いました。
一番良くないのは見切り発車で仕事に復帰をして、パニック障害の症状を
悪くして、結局退職して自信を失い、回復を遅らせることだとも。

たかだか2週間の間、薬を飲んでちょっと調子がいいからといって
劇的に快方に向かっていると思っていたわけではありませんが
改めて言われると、やっぱりショックだし不安は募ります。

それは経済的なこともさることながら
これから「親になる」ということを考えたときに
「養う」という行為に対してのメドが立たないことを意味しているように
感じたからです。

ガイダンスでは妊娠について、男性が薬を飲んでいることは
問題はないと言われ安心し
診察では、フルタイムで働ける状態ではなく段階を追って体を慣らしていく
必要があり、それには時間がかかると言われ不安を感じる……

このことは僕ら夫婦の将来にも、僕自身の将来にも、僕のこれからの生き方にも
迷いと不安をもたらしました。

そして、その迷いと不安によって、前の病院の診察のときとは違った形で
自分へ不信と不満を抱き、僕自身への信頼と自信を失っていきました。

それは「過去の僕が僕を病気にした」と考えたからでした。


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パニック障害ガイダンス

2007-11-28 19:54:21 | 日記
初診から2週間後の土曜日、ガイダンスと2回目の診察の日がやってきました。
嫁さんと2人で院長室に入ると、僕らのほかにご夫婦でいらしている方が
1人と、1人でいらしている方が3人既に椅子に座っていました。

僕らを含めて5組7名でのガイダンスでした。
カウンセラーはまだ30歳前後に見える若い女性で
全員に「タメグチ」で話しかけていました。
そのことに僕も嫁さんもなんとなく好感を持ちました。

ガイダンスが始まってすぐに、僕はちょっと驚きました。
カウンセラーの先生が全員を実名で呼んで
それぞれに始めての発作はいつか、その後どのような症状が出ているか
今の調子はどうかなどをみんなの前で語ってもらったからです。

病院の受付には
「お名前を呼ばれたくない方は事前にお申し出ください」
と書いてあるし、最初の病院では患者さんを番号で呼んでいたくらい
この手のことはデリケートな話のはず。
それを堂々とみんなの前で話してくださいというわけです。

皆さんそれぞれに体験を語っていました。
広場恐怖があって、家族や友人と一緒でないと新幹線や飛行機に乗れないこと。
薬を服用していて、妊娠について不安を感じていること。
学生の頃から結婚した現在までずっと障害に悩まされていること。
などなど。

最初はちょっと驚いた僕でしたが、皆さんの話を聞いているうちに
「同じ病気で悩んでいる人は僕一人じゃないんだ」
という安心感を感じました。
また、こういう形でガイダンスを行う病院の姿勢に大きな信頼感も感じました。

そんな感じでスタートしたガイダンスは非常に有意義でした。

パニック障害はどんな病気か
どんな症状を伴うか
なぜ起こるのか
どのように治療をするのか
など基本的なことを丁寧に説明してくださいました。

中でも特に僕が知る事ができてよかったことが2つありました。

1つ目は普通のうつ病とパニック性不安うつ病では若干症状が違うということを
知ることができたことでした。

パニック性のものは「良いことがあれば気分が良くなるが、悪い出来事に
対して極端に落ち込む」という特徴があるのだそうです。
僕は、うつ病も併発していると言われたのに、気分のとてもいい時間もあることに
戸惑いというか「ホントにうつ病も併発してるのかな?」と感じていました。
ですので、自分の日常に照らし合わせてみて、納得ができたことは
とても有効でした。

もう1つは、今回の治療のために服用している薬は、
男性が服用している分には妊娠に対して心配がないということでした。
これは嫁さんもとても心配していたことなので、嫁さんが安心できたという
意味でもホッとすることでした。

一通りの説明が終わった後は、個別の質問に答えていただけました。
ウチの嫁さんは「日常的にどのように接すればいいのか」と質問していました。
先生は簡単なアドバイスとして
「何か自分の思うようにしてくれないときに『なんでしてくれないの』
じゃなくて『○○してくれたら嬉しいな』とか、あまりきつい言い方を
しないようにしてあげてください」
「朝はどうしても起きられない時があるので、何回か起しても
しんどそうにしていたら少しそっとしておいて上げてください」
ということを教えてくれました。

嫁さんは、「おおむね」その教えを守ってくれています
感謝感謝の毎日です。

ガイダンスの後に二回目の診察を受けたのですが、
長くなってしまったのでその話は次回にします。


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ガイダンスまでの日々

2007-11-27 18:29:00 | 日記
前回も書いたように、明確に診断が出たことで僕は安心感と
ショックを同時に感じました。

自分の体と心におきていた不調にきちんとした原因があり、
それを抑える、治す薬があるということは僕に大きな安心感を
もたらしてくれたのです。

けれど、完治まで長い時間がかかる人もいるということは
僕に小さくないショックを与えました。
それはフルタイムでの復職にも長い時間がかかる可能性があるという事を
意味していたからです。

ウチに帰り、ドクターの仰ったことと上に書いたようなことと
ガイダンスに一緒に来て欲しいということを嫁さんに伝えました。

嫁さんは僕の話を聞いて、開口一番
「良かったじゃん!」
と言ってくれました。
「近所のおじさんに相談に乗ってもらったような前の診察よりも
ずっと良かったよ。はっきりしたことも分かってホント良かった。
いい病院にめぐり会えたかもね」

少し晴れ晴れとしたような顔で
「ガイダンスの日は仕事が入ってるけど、調整して行くからね」
と言いながら手帳にスケジュールを書き込んでいる嫁さんを見ながら
僕は、また少し安心できたような気がしていました。

それから2週間は、新しい薬が良く効いてくれて大きな発作が起きることは
ありませんでした。
予期不安から来る、動悸や吐き気などの体調不良は毎日何度もありましたが、
目を閉じて深呼吸をして自分と会話することでなんとかやり過ごすことが
できました。
(本当は軽い予期不安でも、発作を抑えるとんぷく薬『ワイパックス』を
飲んだ方が良かったらしいのですが、その時は知りませんでした)

東京の披露宴の席次表や名古屋のパーティーの招待状を手作りしたり
散らかっていたデスクの上を片付けたり、嫁さんの仕事を手伝ったりして
過ごしたその2週間は、名古屋で働き始めてからそれまでで一番リラックスして
過ごせた日々だったかもしれません。

そんな風に落ち着いた日々を過ごしているうちにガイダンスの日が
やってきました。


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新しい病院の初診療

2007-11-26 23:49:48 | 日記
さて、そうこうしているうちに新しい病院の診察日が来ました。
問診があるので、診察時間の1時間前に来るようにと言われていました。

時間通りに病院に着き、保険証を出すと
「これを全部記入してください」
と、問診表を手渡されました。

それは、いつからどんな症状が出るようになったかというような
普通のものから、幼い頃から例えばトンネルなどの暗いところが
怖いとかある特殊な状況に恐怖を感じた経験はあるかなどといった
過去の経験を問うものもありました。

それから親の育て方、どのようなときに怒られたかや逆にほめられたか
などを問うものもありました。

また、幼少期から思春期を経て20歳までに次のようなことがなかったかを
問うものもありました。(忘れてしまって曖昧になってるのもあると思います)
いじめにあったことはなかったか。
自分でも抑えきれないような悲しさや辛さで泣いたことがあるか。
自分でもそれほどではないと分かっていることで必要以上にくよくよと
悩んだことがあるか。
そういったことに対し、あるのであればその年齢と具体的な内容を書くと言う
ものでした。

最初に行った病院ではわずか50問の質問とイラストを描くだけだったのに対し
今度の病院では、質問にすべて答えるだけで1時間半近くかかるような
過去と現在に関わるテストを受けました。

前の病院では聞かれもしなかったことを、たくさんそれらの問診表やテストに
記入した僕は、それだけで、この病院に対して信頼感と期待感を感じました。

しばらくして、診察室に呼ばれました。

中にいたのはその病院の院長先生らしい、「おじいさん」にさしかかろうかという
年齢の白髪のやせた先生でした。
ぶっきらぼうな言い方でデスクの前の椅子に座るように、僕に勧めました。

いつからどんな症状が出ているかとか、仕事はどうしてるのかとかいくつか
質問した後、彼は言いました。

「テストの結果から、軽度から中度の典型的なパニック障害とそれに伴う
うつ病を発症しています」

あまりにもはっきりと言い切るものですから、若干面食らいつつも
その物言いに僕はまたまた信頼感を感じました。

その後先生は2週間分処方する3種類の薬について詳しく説明を
してくださいました。
僕が新たに処方されたのは
・ドグマチール錠50mg
・メイラックス錠2mg
・ジェイゾロフト錠25mg
でした。
このうちジェイゾロフト錠に関しては最初の4日間は薬を半分に割り
半量から飲み始めるようにと指示をされました。
このほかに、発作が起きそうになったら舌の裏で溶かして使う
頓服薬ももらい常備するように言われました。
(なんと車の中にその薬を忘れてきていて名前が分かりません……)

その後、パニック障害と言う病気は何を持って完治と言うかが難しく
完治まで年単位でかかる人もいるということと、
どんなにひどい発作が起きても死ぬことは絶対にない病気だと言うことを
話してくださいました。

そして、薬を飲みきった2週間後にパニック障害についての説明をする
ガイダンスがあるから、嫁さんも一緒に来るようにと指示をされました。
これはグループ形式で行うカウンセリングのようなもので
病気と向き合うには病気を知らなければいけないということで
実施されているものでした。

この日はそのガイダンスに出席する事をお約束して、処方箋をもらい
調剤薬局によって病院を後にしました。

その帰り道、僕は症状・状態がはっきりしたという安心感と
「パニック障害・うつ病」という病気にかかってしまったという
小さくないショックを感じながら、地下鉄に揺られていました。



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ある日届いた手紙

2007-11-25 21:21:12 | 日記
今日は病気のことを少し離れ、初診までの間にあったある出来事のことを
書きたいと思います。

9月に式を挙げ家族だけのパーティーを済ませていた僕らでしたが、
10月の半ばに東京で披露宴を、11月の頭に名古屋で立食形式の
披露パーティーをすることになっていました。

僕は東京で7年働いていたし、僕と嫁さんが知り合ったのも東京での
ある社会人講座だったので共通の友人も多かったので披露宴は東京で
することにしていたのです。会社を辞める頃にはその準備はほとんど
終わっていました。

嫁さんは生まれも育ちも名古屋近辺で、今も名古屋で働いており
お世話になっている方や友達を片っ端から呼んじゃおう!というような
ノリで、会費制の立食パーティーをやることにしたのです。
そっちの準備が10月に入りだいぶ忙しくなっていました。

名古屋でのパーティーに僕は会社のメンバーとお世話になっている
業者さん何人かと、一組のお客様ご夫婦を招待していました。
(ちなみに嫁さんのゲストは約70名くらいいらして頂きました)

そのお客様は辞めるときまで僕が内装のデザインと家具・什器のデザインと
設計・レイアウトを担当していた方で、いつも「タメグチ」で話をしてくれる
ような気さくな方でした。
「君の幸せそうなだらしない笑顔を見に行きたいから招待状送ってよ!」
と冗談を言いながらご夫婦で出席して下さると仰ってくださって
僕も嫁さんもそのことを本当に嬉しく思っていました。

けれど、こんなことになり会社のメンバーと業者さんからは
次々と欠席の返信はがきが届きました。

ところが、社長から退社した旨を聞いていらっしゃるはずのそのお客様から
なかなかはがきが届きませんでした。

こちらからお詫びとお断りのご連絡をしなくちゃいけないなと思い始めた頃
そのお客様から返信はがきではなく封書の手紙が届きました。

封筒の中には出席にも欠席にも印の付いていないはがきと手紙が入っていました。
そして手紙には、
欠席に印を付けて返信することはお二人の本意ではないのでできないということ
けれど、事情を汲んで出席を辞退すること
僕がデザインしたお店が完成するのを家族みんなが楽しみにしているということ
これからは「友人」として付き合ってくださるということ
そして、オープンしたら必ずお店に遊びに来て欲しいということが
書かれていました。

僕も嫁さんも、そのお客様のお気持ちのあたたかさがありがたく、
また「給料ぶん働いていない」といわれようとも、ここまで思ってくださる
お客様を持つことができたことが嬉しく、
涙を流しながら、何度も何度も読み返していました。

僕らは、すぐにご配慮に対する感謝の言葉と「友達」という言葉が名古屋に
ほとんど友人のいない僕にとってどれだけ救われる言葉だったかということと
オープンの際には必ずお邪魔させていただくことをしたため
返信の手紙を送ったのでした。

その後もこのお客様ご夫婦には何度も救われるような思いを感じさせて
頂くことになりました。
そのことはまた改めて書きたいと思います。

さて、そんなこともあった初診までの日々、
不安定な体調を家事と独り言とこの手紙と
夜帰宅した嫁さんとのコミュニケーションで何とか乗り切ったのでした。

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発作!

2007-11-23 19:08:06 | 日記
それは、新しい病院の診察日の二週間近く前の
ある午前中の出来事でした。

嫁さんを仕事に送り出すと、当然僕はマンションの中で
一人きりになりました。

今までは会社に行けばしんどくても、デザインチームのメンバーがいて
何かしら図面を描いたりデザインしたりディスカッションをしたりして
気を紛らわせつつなんとか時間をやり過ごすことができました。

けれど、一人きりになるとそうはいきません。
嫁さんが玄関を出て、ドアがバタンと閉まると同時にどこからとも無く
不安が僕の心にフッと入り込んできます。

わざと
「さてっ!掃除でもするかな!」
と一人気合を入れてみたり、テレビと会話してみたりしても
会社にいるときのように気が紛れることはありません。
薄い不安が少しずつ僕の心に入り込んできて、ミルフィーユのように
だんだんに層になり、いつの間にか僕の心は不安でいっぱいになってきました。

気分転換をしようと何かを考えても、檻の中のトラのように
部屋の中をウロウロするばかりです。

そうこうしているうちに、息が苦しくなり、動悸が激しくなり
涙が溢れてきて、脳みそを鷲掴みにされてるような感じになり
平衡感覚も無くなっていくように感じました。
そして、どうにも感情をコントロールできなくなってしまいました。

たぶん10分か15分くらいだったと思います。
僕はベッドに横たわって胎児のように体を丸め
大声を上げて泣いていました。
「死にたいよー!」
「もうやだよー!」
「恐いよー!」
「消えたいよー!」
たぶんそんなことを叫びながら泣いていました。

何が不安なのか、何か怖いのか、何も分かりません。
ただただ不安で怖くて泣くことしかできませんでした。

発作が落ち着いた後も、何が起きたのか分からない呆然とした気分と
発作の余韻と、漠然とした今後への不安が湧き出してきて、
涙の後が乾いてかすかにかゆみを感じるほど長い時間
身動き一つできませんでした。

その日、食欲が全くなくなっていた僕は、尿意に我慢しきれなくなった
午後1時過ぎまでそのままベッドの上で丸くなったまま過ごしました。
そしてその後もテレビも音楽もつけず、嫁さんの
「○○時頃に迎えに来て」
というメールが来るのを薄暗くなるまで待っていました。

その後も、そこまで強い発作は起さないまでも、
発作がまた来るんじゃないかという予期不安や
自律神経失調症的なめまいや吐き気や動悸や
猛烈な眠気とだるさなどをを一日中感じながら毎日を過ごしていました。

そんな時、僕の心を解きほぐしてくれる手紙が届いたのです。

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いよいよ退職

2007-11-22 16:43:49 | 日記
僕は翌日、Nクリニックに電話を入れました。
そして自分の症状とできるだけ早く診て欲しい旨を電話に出た女性に伝えました。

ところが、完全予約制のNクリニックでは初診の診療日が決まっている上に
とても込み合っていて、すぐに診てもらうことはできませんでした。
直近の診察可能な日を聞くと10月の半ばすぎの土曜日との事。
「そんな先か……」と落胆しつつも、どうしても診てもらいたかったので
その日に予約を入れてもらいました。

そうこうしているうちに9月の最後の金曜日がやってきました。

辞めると決まってからは、朝は少し楽に起きられるようになっていたのですが、
その日は「開放される」という気持ちもあったのでしょう、数ヶ月ぶりに
体が軽く感じる朝を迎えることができました。

その頃には、嫁さんは会社を辞めることを全面的に
賛成してくれるようになっていました。
それも、いい朝を迎えられた理由の大きな一つだと思います。

嫁さんはキャリアカウンセリングの仕事もしていて
会社のモラルやワークバランスや上司のマネージメントなどについて
とても詳しく、そういう観点から見ても会社を
「辞めちゃったほうがいいよ」
と言ってくれるようになっていたのです。

退職の日。
内線の呼び出し音がなっても誰も僕に用は無いはずだし
外線で僕宛の電話がかかってきても取り次がれることも無いので
電話も怖くありません。
社長の車を見ようが、専務の声を聞こうが怖くありません。

「これから」のことを考えると多少はいつもの症状が顔を出しましたが
それよりも「もうこの会社に来なくていいんだ」という気持ちが
勝っていたのでしょう。
入社当初以来ずっと無かったほど、落ち着いた気持ちで過ごすことが
できました。

退社時間が近づくと、この7ヶ月のことがいろいろ思い出されました。

仕事自体は好きだったし、お客様も良い方ばかりで、そういう意味では
名残惜しい気持ちが間違いなくありました。
同時に、この会社の力になれなかった、期待に応えられなかった
何も残せなかったという後悔もありました。
けれど、この会社であとやらなくちゃいけないことは挨拶だけだと思うと、
やっぱり心は軽くなりました。

退社時間が来て、その時間に事務所にいた社員に挨拶をして回りました。
デザインチームの女の子は、僕に内緒で花束と手紙を用意してくれていました。
その手紙には、いろいろ勉強になったという感謝と、これからも
頑張ってくださいという励ましと、工事途中で辞めていくことで
お客様に迷惑をかけたということを忘れないようにというお叱りが
書かれていました。

その手紙に、ほんの少し救われたような気持ちでデザインチームの部屋を出て
最後に社長に挨拶をして事務所を後にしました。

次の土日は嫁さんとノンビリと「何もしない」をして過ごしました。
嫌な症状もほとんど出ず、いい休日を過ごすことができました。

けれど、次の月曜日からまた新たな「しんどい日々」が始まりました。

仕事もしない、嫁さんもいないマンションで過ごす一日は
心の中に不安の入り込む余地がそれまでの何十倍にも増えた
一日だったのです。

そして僕は会社に行かなくなって二日目の午前中
僕は感情の大爆発を起したのでした。


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新しい病院との出会い

2007-11-21 18:29:45 | 日記
二度目の診察の後の日々は、それまでで一番しんどい期間だったかもしれません。

「健康ではないが病気未満」ということが分かり、嫁さんに今までたくさん
心配をかけたことがなんとなく後ろめたいような気分が続く。
会社ではお客様との打ち合わせも社内ミーティングも一切出なくていいと言われ
定時まで引継ぎ書類を作るだけ。
ドクターの「逃げ癖」「抑鬱状態」という言葉は頭をグルグル回る。
「会社を辞める必要があるのか?」「収入が無くなるけど大丈夫なのか?」
という自問自答が自分を追い詰める。
薬があまり効いていないのか、「病気未満」の状況のはずなのに
吐き気や痺れや魂が自分から抜け出て行ってしまうような不安感は
一向になくならない……

会社とマンションを自転車で行き来する10数分だけが、一日の中で
なんとか息ができるような、そんな状況でした。

でも救いだったのは、嫁さんが「切り替えが早い性格」だということでした。
(その切り替えの早さについていけず戸惑うこともままあるのですが……)
どんなに大きなケンカをしても、嫁さんは寝て起きると冷静に状況を
振り返ることができるという性格で、
その診察の翌日も、ウチに帰ると前日のことを冷静に振り返り話を
してくれたのです。

「なんかあの先生の話ってさ、近所のおじさんが相談に乗ってくれたって感じで
イマイチ納得ができないんだよね。『みんな逃げたくなるような状況になっても
闘ってるんだ』とか『居なくなってしまいたいと思うのは癖みたいなものだ』
とか。で、結局薬の量を増やしておきましょうって言うだけでさ」

僕もそのことは感じていました。
確かに後から電話をしたことで「抑鬱状態」という単語は聞き出せました。
けれど、なんだか年上の男性に悩み事を打ち明けに行って、
たしなめられつつも励まされ、背中を叩いて「頑張って」って
言われただけのような気持ちがしていました。
なんとなくドクターと話をして得られるはずの情報も安心感も
何も得られていない感じがしていたのです。

それでもとにかく頂いた薬をきちんと飲み、ドクターに関してはモヤッとした
感じを抱きつつ、しんどい日々を送っていました。

そんな中、ある日曜日にウチで嫁さんが雑誌か新聞を読んでいて
全国の評判のいいメンタル系の病院の特集を見つけました。
「名古屋の病院も出てるよ!」

僕は翌日の開院時間に合わせてそのNクリニックに電話を入れたのです。

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二度目の診察……その後

2007-11-20 20:50:15 | 日記
話が前後しますが、二度目の診察の1週間ほど前の9月半ば
僕は軽井沢で結婚式を挙げました。
小さなチャペルで両親・兄弟家族と立会人の友人二人だけの
小ぢんまりした、それでもとてもあったかな式でした。

その日の夜、みんなで食事をしてお祝いをした後軽井沢町役場に婚姻届を出し、
僕らは夫婦になりました。

ホテルに帰ってきて部屋で撮影したビデオには
「生まれ変わったような気がする」
と笑顔で話す僕が映っています。

でも、少なくとも病気に関しては生まれ変わって完治なんて
都合のいいことは当然起きるはずもありません。
式が終わった翌週に二度目の診察を受けたのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、二度目の診察からの帰り道。
車内はドロリとした液体が満たされていて身動きが取れないような
そんな重苦しい雰囲気でした。

ドクターから「逃げたいと思うのはクセみたいなもの」と聞いた嫁さんは、
きっと今まで我慢だと思っていなかったことまで我慢してきたと思えてきて
遡ってストレスや不満ややりきれない気持ちでいっぱいになったのでしょう。
僕に対して
「今までのことはなんだったのか」「仕事を辞めてこれからどうするのか」
そんな言葉を次々にぶつけてきました。

けれど、僕は僕でドクターから「君は逃げているだけだ」と言われたように感じ
とても傷ついていて、冷静に受け答えすることどころか考えることもできず
ただ事故を起さないようにと気をつけながら「ごめん」と繰り返すことしか
できませんでした。

ただ、僕は自分の体と心が普通じゃない状態が続いていることは事実だし
いろいろなプレッシャーに立ち向かっているからこそこういう状況になったと
思っていましたから、「病気じゃない」と言われることは
どうしても受け入れることができませんでした。
ましてや「逃げ癖」みたいなことを言われたことなんか到底納得できません。

しばらく無言の時間が続いた後、僕がそのことを言うと嫁さんは
「じゃあ、病院に電話してハッキリ聞いてみて」
と言いました。
それは僕も望むことです。僕は早速病院に電話をかけました。

けれど、ドクターは診察中との事。
しばらくしてからかけなおして欲しいと電話口の女性に言われた僕は
20分くらい経った後、再度電話をしました。

その女性に電話を変ってもらい、ドクターの見解を尋ねると
「抑鬱状態にある」
という言葉が返ってきました。

ウチに帰り「抑鬱状態」についていろいろ調べてみました。
その結果分かったことは、僕は「病気」ではなく
「病気になりかけている」ということでした。

嫁さんの言うように、(そのドクターの見解では)確かに僕は
病気ではなかったのです。

それでも、状況をある程度はっきり聞けた僕らはそれぞれに
徐々に気持ちを落ち着かせていきました。

でも、ウチに帰ってからもギクシャクした空気は当然続いていました。
会話の無いまま夕食を食べ、それぞれ風呂に入り、気まずい雰囲気のまま
二度目の診察の日は終わったのでした。

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