『夢は叶う伝説』★第2巻★

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■ 延暦寺/東塔から西塔まで・伝教大師御廟

2013年05月07日 01時44分03秒 | 旅行&お出掛け 2011~2017
歩きました!
東塔の駐車場に戻り車で西塔へ行き
廟まで歩くのではなく
このまま徒歩で廟へ行き西塔へ


比叡山へ行こう
其の一 自分の西国33の御朱印+「不滅の法灯」
其のニ 伝教大師の御廟

竹生島の階段も凄かったけど
ここの道は怖かった
東塔から西塔まで20分って嘘~~(それは健脚人)

同行さんは車で西塔駐車場へ
ちーは杖と地図を頼りに歩きます!


途中色々あれど・・・


山道を登る


人が居ない~~
前後左右・・・ひとり


えっ!
まだ東塔区域?


わたし・・・大丈夫か?


西塔の案内が出てきた!


橋?


地図を見たらありました~橋が


写真を撮ってる間に追い越された・・・


比叡山ドライブウェイ


山王院


跡っていわれても


ここまで来たら~~


見えた!
必死に歩いて20分


おおーー
高野山奥の院に参り やっと比叡山
この順番でないとダメ・・・


横川はあっち~


西塔の案内図
まだ半分だけど~~


浄土院御廟


「宗祖傳教大師ノ創建ニシテ御自作ノ
 阿弥陀佛像ヲ安置ス故ニ淨土院ト稱す
 弘仁十三年六月四日 大師御入滅ノ後 御遺
 骸ヲ此所ニ葬リ廟堂ヲ建立ス萬治四年
 徳川家光公之ヲ改造セラル」


侍真(じしん)
浄土院の侍真僧となるとまず午前3時半に起きて、
伝教大師の真影に仕えつつ午前4時と
午後4時に勤行を行う。朝昼と宗祖に膳を備え、
そのお下がりを食べ間には前述の掃除と
勉強に没頭するんだそうです。

これを一日も欠かさず十二年間続け、
山を下りることは一切認められないと言います。
(週末の散歩道から)


常香盤
これが見たかった!


奥がうっすら見えます


(借用)
「伝教」とあります


ここが侍真さまのお部屋か?


法名 最澄  778(宝亀9年)~ 822年6月26日(弘仁13年6月4日)
諡号 伝教大師
没地 中道院(比叡山)


822年6月26日(弘仁13年6月4日)、比叡山の中道院で没、享年56(満54歳没)。
没後7日目、大乗戒壇設立は、弟子・光定と、藤原冬嗣、良岑安世の斡旋により勅許。
866年(貞観8年)、清和天皇より伝教大師(でんぎょうだいし)の諡号が贈られた。
日本で初めての大師号である。以後「伝教大師最澄」と称される。


やっと・・・


気持ちがざわざわする
意味不明・・・
よし!


一旦外に出たものの・・・戻る


常香盤
正面からの写真を撮り忘れた
ここのこれが見たかったのだから


この写真が「ちー参る」の証


源氏香のような・・・


伝教大師御廟
PCで調べると「御廟」を 「みみょう」読むのは
・天台宗だから  ・伝教大師のみ  ・元三大師にたいし(伝教大師と区別)
3通りの説が書かれてる(おもにブログ等)

比叡山の案内図にも書かれてるのだから「ごびょう」が正しいと思う。
真言宗高野山奥の院前の橋を「みみょうのはし」といいます。。
比叡山の鬼門中の大鬼門にある廟を「元三大師御廟(みみょう)」と言います。
散々調べた結果が最澄さんは「ごびょう」
どなたか正解を!



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最澄さんは54歳ですか・・・
若いな


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