モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



山都町の続きです。。本当は木鷺野橋を探しているんです。浜町を通ったから浜町橋に寄りました。

新しいので通りがかりのお婆さんに聞くと10年程前拡幅したそうです。奥まで覗くと古い部分が見えました。
石橋におばあさんはとても似合うから、急いでかけ下りシャッターを押しました。





ところがです。。上の写真左端のおばあさん ご覧いただけますか?もうお婆さんとは言えない。
3分前までたしかにお婆さんでいらしたんです。お話したとたんにお元気に足が速い速い。。。

天保4年(1833)架設 石工は岩永三五郎 私が石橋にはまったきっかけ「肥後の石工」のモデルです。
今度は下流側におりました。 「浜町橋」をご紹介します。。






木鷺野橋はありません。ナビでぐるーーーっと回ってまた同じ所。。そして通潤橋への標識を見つけました。
入っても入っても細い水路。。水路の幅から想像して通潤橋の上部水路に続くと思いましたが。。
でも視界が開け、迷子になってありがとうと言いたかったです。

長閑な、ただ長閑な田舎の風景でした。重なり合った山をしばらく眺め、私に言いました。。何をあくせくしとーと?





木鷺野橋の写真を観て行きたいけど分かりません。こんな時 niemonさんに電話したくなります。。


かなり歩いた分は かなり歩いて戻らなくちゃいけません。木鷺野橋は心残りだけど通潤橋に急ぎました。
着いたころには雨がポツリポツリ・・・途中で買ったおにぎりを寒さで震えながら頂きました。

そしたらキタキタキターーーー。。ツアーの貸切バス。放水がみられます。





上の写真 橋の上 真中に人がいます。あの方が杭をはずします。憧れるお仕事ですね。。
ツアーの方より下がって。。。この位置からです。ああ。。独り舞台です。かっこいい。。





前にも来たんですが、飽くことはありません。しばらく眺めて「またねーー」。雨は降っていません。




順路から言うと通り過ぎてましたが どうしても観たい 聖橋へ向かいます。

天保3年(1832)架設 石工棟梁は 岩永三五郎です。渡っていいわけじゃないんです。
でも通行禁止のガードレールをまたいで渡りました。




親柱を入れると無粋な黒い管が親柱の横で口を開けているのがが見えますのでこの写真にしました。
ひらがなで「ひじりばし」と彫られた親柱は、それは愛らしかったです。。

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