うろキョロ散歩

楽しくお散歩をするのが唯一の趣味。
お散歩の徒然に観たこと感じたことなどなどを書き込んでいこうかな、

もっと楽しくウォーキング

2008年10月31日 | ウォーキング
今月のウォーキング記録です。

今月歩く目標距離 208km
今月歩いた距離 248Km
目標までの距離 目標達成(+40Km)

今月は目標を150Kmから208Kmに引き上げました。
1日6Kmx25日で1ヶ月の歩行目標150Kmから1日8Kmx26日で208Kmにしてみました。
見事に歩行目標を達成しました
それも40Km以上もオーバーですよ
よくぞガンバッタものだ。自分にご褒美をあげなくっちゃ!

そして体重も2Kg減りました。
第一次目標体重を達成。ばんざーい!
これからは第二次目標体重を目指して頑張ってウォーキングを続けていくぞ

泣かせてしまった

2008年10月30日 | 亀の甲より年の功
ちょっと気が早かったかな

夕べのことです
もう馴染んでくれたから大丈夫かと思って抱っこしてみました
親愛の情を込めて手を差し伸べてみたのですが

その結果は、ママー・ママーと大泣きされました(×_×)
まだ抱っこをするにはちょっと早すぎたようだ


その後、もうヘトヘトさんの教えに従って、ショートケーキを買ってきてご機嫌伺いをしたら、まだ抱っこは出来ないがご機嫌は直ったようです(ほっ!)

はやばやと

2008年10月29日 | 亀の甲より年の功
馴染んでくれたぞ

男嫌いだといわれている姪っ子の子供
昨日着たときは私の顔を見るなり半べそ そしてママにしがみついてしまった

「こりゃあヤバイ」と思ったのですぐにしゃがみこんで子供の目線まで下げて優しさを前面に出して話しかけました。
優しく何度も名前を呼びかけながらお話をした
でもママから離れることはなかった



その後夕食のときにも家内やおばあちゃんと遊んでいたのに私が家に入るとママにしがみついて恐い顔をしてママから離れなかった

そして今朝の朝食の時、意識的にお隣に座った。食事しながら話しかけたら笑ってくれた。
「ヤッター!」もう一歩だ

そして朝食が終わる頃には姪っ子の子から私に話しかけてくれるようになり、朝食が終わってからは一緒に遊んでくれた

はやばや馴染んでくれたぞ


男の人でこんなに早く馴染むのは珍しい、とママがビックリしていた

今日はなるべく多くの時間を割いて遊んであげよう

明日から姪っ子が

2008年10月27日 | 亀の甲より年の功
新潟県直江津に住んでいる姪っ子が明日から今週一杯の予定でやってきます

この姪っ子には女の子がいてメールの写真などではよく見ているのですが、本人と会うのは初めてで、とても楽しみです
だがこの姪っ子の子、男嫌いだそうで
父親以外の男性があやすと泣き喚いてしまうそうです
このことがちょっと引っかかりますが、私は幼児に好かれるタイプなので大丈夫だろうと楽観しています

でも大人ばかりで住んでいる現状に幼児が入り込むと、どんなことになるやら心配です

「日本の島々、昔と今」  

2008年10月26日 | ブックスタンド
有吉佐和子著 中公文庫刊
内容(「BOOK」データベースより)
領有権問題、日韓大陸棚紛争、二百カイリ漁業水域など、島国の日本にとって、海はそのまま国境としての火種をはらんでいる。厳して自然条件の中で、日々それらの問題と真っ向から対峙して生きる離島の人々の姿を、北は焼尻・天売島から南は波照間島まで、現地に飛んで取材した迫真のルポルタージュ。

感想
実は小学生の頃に読んだ深海冒険SF小説が60歳ちかくになる今でも頭から離れず、その舞台となっていたトンガ王国に行ってみたいと今でも思っています。
だからこのような離れ小島を主題にした書籍は大好きです

昭和の時代に書かれた著作であり、この当時としては名前も知らないような離島の歴史には、かなり興味をそそられました。
ほんとによく調べられていて、有吉さんの書く歴史の説明はとても分りやすい。離島にとても憧れて、行ってみたいと思った。

私も沖縄の中でも特に屋久島と与那国島、そして沖のエラブ島に行ってみたいなと思っています

このキノコは何だろう?

2008年10月25日 | ウォーキング
呑川緑道の桜の木に生えているこのキノコ。



去年は気がつかなかったのですが、今年はあちらこちらの木に寄生しています。
果たして食用になるキノコなのか、それとも毒キノコなのだろうか。

以前見つけたのは大きなキノコだったけど、今回は桜の老木に小さなキノコがこんなにたくさん生えているのを見つけました。


等々力渓谷の遺跡

2008年10月24日 | ウォーキング
谷沢川と多摩川が合流する手前で多摩川が形成した河岸段丘。
国分寺崖線の浸食によって出来た渓谷は植生・地質・地形学上において貴重な特徴を残しています。

都史跡3号横穴遺跡



この地形を利用した横穴遺跡もあるのですが、現在はごらんのように透明樹脂で出入りが出来なくなっています。

昔の日本人はこんなに小さな穴から出入りできるほど小型だったのだろうか?


不動の滝の脇の不動堂



このお不動様が滝に打たれて修行する行者さんを見守ってくれているのでしょう。

等々力渓谷

2008年10月23日 | 亀の甲より年の功
等々力渓谷は交通量の多い目黒通りという幹線道路沿いにあるのに、1年中近隣の人たちの憩いの場として賑わっています。


滝の道石碑。



等々力不動尊から等々力渓谷に行く道の最初にある石碑です。渓谷の一角にある不動の滝。



ここでは今でも行者といわれる人たちが滝に打たれて修行します。



稚児太子堂



この太子堂の脇に等々力湧水があります。
とっても滑らかな水で、大勢の方が汲みに来ています。


なおこの湧水は読売巨人軍の終身名誉監督であり、私の大好きな長嶋茂雄氏が脳梗塞で倒れる前日まで飲みに来ていたと言い伝えられています。


バリ島の音楽イベント

2008年10月22日 | ウォーキング
先日の昭和記念公園散歩の時、園内でバリ島の音楽や踊りを紹介するイベントが行われていました。
聴きなれない音楽を流しながら行進してくる人たちを見て、最初に見かけたときは何のイベントなんだろうと不思議に思いました。








ひょっとしてタイの民族舞踊団がイベントを行っているのかと思っていたら、インドネシアのバリ島の音楽や踊りを習っている人たちがおこなっているイベントだったことが分かりました。


天国に一番近い島といわれているバリ島に一度は行って見たいと思っていますし、興味があったのでもっと見ていたかったのですが、散歩の会という集団行動なのでゆっくり見物できなかったのが残念だった。

等々力渓谷案内板の色々

2008年10月21日 | ウォーキング
ここは世田谷の秘境??それとも避暑地!!と思わせるような、 濃い樹々に覆われた中、澄んだ川のせせらぎがマイナスイオンを降り注ぎ、夏には冷涼効果を演出し、春は桜が、初夏にはホタルが、秋になるとアキアカネが飛び群れ紅葉がせせらぎに浮かんでいるなど、四季折々の植生が見られます。


地産地消に最適

2008年10月20日 | 亀の甲より年の功
毒入り餃子に毒入りインゲン。賞味期限切れの商品やかびた米や基準値を超えた農薬米をを平気で売る商売人気質の低下。

日本の食の安全が叫ばれている今一番いいのは地産地消でしょう。
そこで注目されていいのがファミリー農園。



等々力渓谷に行く途中で見つけた世田谷区営のファミリー農園です。
東京23区でも1・2を争う人口と面積を持つ世田谷区にはいまでも野菜を栽培している農家が結構あるのです。
そしてその農家の人たちが区民に農園用地を貸し出して指導してくれるのがファミリー農園です。

生産者即消費者だからここで育った野菜は安心安全だろう





かつては目黒区内にも区民農園があったのですが、今では全部なくなってしましました
目先の利益のみを追い求めている結果、目黒区からファミリー農園が消えてしまった。
食の安心・安全の観点から見ても残念である。

広い面積を持つ世田谷区が羨ましい

そろそろ柿が色づきはじめて

2008年10月19日 | 亀の甲より年の功
10月も半ばがすぎ、秋も深まってきてこの辺の柿もそろそろ色づいてきました。
子供の頃は柿泥棒などをしたもんだが、今ではトンとそんな勇気もありません。

落ち葉もこんなに遊歩道や歩道に落ちてきて秋らしくなっています。





呑川緑道の桜の木もだいぶ透け透けになってきています。
今月末にはほとんどの葉っぱが落ちてしまうことでしょう。

その後は木枯らしのシーズンになり早朝ウォーキングがつらくなってきます



ところでこの赤い木の実はなんというのでしょうか。
それほど背丈は高くないのですが、かわいい真っ赤な実をたくさんつけています。





ハザ掛け

2008年10月18日 | ウォーキング
昭和記念公園の中のこもれびの里で「ハザ掛け」を見かけました。

武蔵野の農村風景を再現しているのが「こもれびの里」のコンセプトで平成19年に完成したばかりの施設です。

小さいながら田圃があり、刈り取られた稲がハザ掛けにかけられ天日干しされていました。

幼馴染の死

2008年10月17日 | 亀の甲より年の功
手を取り合って幼稚園に通い、「〇〇ちゃん、おはよう」と彼の家に声をかけ一緒に小学校まで通学した思い出を持つ幼馴染が死んでしまった。

別々の高校に通い、畑違いの大学を卒業したので、その後本人同志は音信普通でしたが、私の長女と彼の長男が小学校で同級生となる偶然から、子供を通して彼の家族との付き合いが始まった。

中学を卒業して25年くらいたった時、偶然にも同じ趣味から彼と出会い、以来20年付き合ってきた幼馴染。
彼とは今でも「〇〇ちゃん」と呼び合っていた。
今どきそんな呼び方ができる友人は数少ないです。

昨年の3月に病気を患い、1年8ヶ月の闘病生活もむなしくみまかってしまった幼馴染の彼。

酒はお付き合い程度に飲んだけど、体に悪いからといってタバコはやめたのに。
何でそんなに早くイッちゃうんだよ
お前の所に遊びに行くと、灰皿が出ないので俺は閉口したっけな

早く良くなれよと祈っていましたが、祈りもむなしくとうとう逝ってしまいました。
なんともやるせない思いです

これから彼の告別式にいってきます。

元気だった頃の彼を思い出しつつ最後のお別れにいってきます