about him

俳優・勝地涼くんのこと。

やっと終幕です

2017-04-08 04:05:48 | ムサシ
誕生日企画でありながら、ずるずる半年も続いてしまいました・・・。週一更新のペースも途中から全然守れなくなってしまい、迷走ぶりが実に顕著でお恥ずかしい限りです(汗)。

書きながら痛感したのが、どうも私は〈笑い〉に対する感受性が低いらしいということでした。作中の笑いの在り様についていろいろと突っ込んでますが、単に考えすぎなんじゃないか、七面倒くさいことを考えず素直に「ウサギ→ウ+サギ」で笑っておくのが正解なんじゃないかという気が次第にしてきました・・・。
(3)-9で触れた戯曲『ロマンス』で取り上げられているチェーホフの「喜劇」にしても、(チェーホフ自らが喜劇だと断言しているにもかかわらず)私には正直『桜の園』も『かもめ』も『ワーニャ伯父さん』もかねてそう見なされてきたように悲劇、せいぜいが悲喜劇としか思えない。思い出の我が家を失おうとして嘆く人々を、愛を失い夢も半ば失いかけながら逞しく生きようするかつての恋人を尻目に成功者と見えた男がピストル自殺する様をどうして笑えるのか。
ロシア文学者の浦雅春さんが「距離を無化して対象に寄り添いすぎると悲劇しか見えてこない。 ラネフスカヤやガーエフに寄り添っていた目をぐっと引いてロングで見てみよう。ロングに引かれた目から見れば、無限の距離をおいて見れば、この世に生起する事象はもはや悲劇でも喜劇でもない。ただ脈絡もなく出来事が生起するだけだ。 チェーホフのいう「コメディ」という言葉を杓子定規に取る必要はないだろう。悲劇に転化することに予防線を張るために「コメディ」という言葉でチェーホフは距離を介在させたのである。」(※1)「対象に密着した視点は「悲劇」を生み出すが、そこに無限の距離を介在させれば、それは「喜劇的な」様相を帯びてくる。誰が読んでも「悲劇」としか思えないような作品を書きながら、チェーホフはそれを「喜劇」だと強弁して演出家や研究者を悩ませてきた。『かもめ』も「四幕の喜劇」(原文傍点)と題されている。その謎を解く鍵はやはりこの距離にあるだろう。距離を介在させると、すべては「喜劇」へと変貌する。「喜劇」とはおもしろおかしい状況や運命をさすのではなく、無限の距離からながめられた人々の営みそのもの、ダンテの「ラ・ディヴィナ・コンメディア」つまり「神曲」に通じるものなのだろう。」(※2)と書いているのを読んで、要はキャラクターに感情移入せず客観的な視点で見てくれという、いわばブレヒト的な異化効果を狙って「喜劇」と言い立てたのかとやっと少し納得が行く気がしたものでした(※3)

そんな具合なので、私が『ムサシ』という〈喜劇〉をきちんと咀嚼できてるかは甚だ怪しく、何ヶ月もかけて的外れな感想を列挙しただけという可能性も大いにあるかもしれません。眉に唾つけつつ読んでいただければと思います。

なお(3)について若干の補足情報を注の形で追加しました。わかりやすいように赤字で、注番号もローマ数字にしてあります。また※54がなぜか飛んでしまってたので付け加えました。申し訳ありません(汗)。



※1-「作家のナボコフはほとんど箴言らしい言辞など弄することがない作家だが、あるエッセイでこんなことを書いている。「現実がときに陰鬱に見えるとすれば、それは近視のせいだ」と。あまり対象に近づきすぎては対象は見えない。距離を無化して対象に寄り添いすぎると悲劇しか見えてこない。 ラネフスカヤやガーエフに寄り添っていた目をぐっと引いてロングで見てみよう。ロングに引かれた目から見れば、無限の距離をおいて見れば、この世に生起する事象はもはや悲劇でも喜劇でもない。ただ脈絡もなく出来事が生起するだけだ。 チェーホフのいう「コメディ」という言葉を杓子定規に取る必要はないだろう。悲劇に転化することに予防線を張るために゜「コメディ」という言葉でチェーホフは距離を介在させたのである。」(チェーホフ著・浦雅春訳『桜の園/プロボーズ/熊』(光文社古典新訳文庫、2012年)の訳者あとがき)。なおこのあとがきは『ロマンス』にも言及し、「笑いというものは、ひとの内側に備わってはいない、だから外から・・・・・・つまりひとが自分の手で自分の外側でつくり出して、たがいに分け合い、持ち合うしかありません」という劇中のチェーホフの台詞を「ボードビルの本質の一面をつく、すぐれた解釈」と評している。

※2-浦雅春「『かもめ』の飛翔」(浦雅春訳『かもめ』(岩波文庫、2010年)のあとがき)

※3-ちなみに蜷川さんは〈喜劇=客観的〉という見方に対して批判的な言葉を述べている。「今の世の中は、日本は喜劇っぽいのをやると批評家は褒めるんだよ。社会を、世界を客観的に見てると思うんだよ。あのバカたちはおしえたがるんだよ。ブレヒト主義者の崩れ者だから。喜劇的だと、社会を批判的に見ていると思いたいんじゃないの。」(「蜷川幸雄インタビュー 「ああ面白かった」と言われたい」、秋島百合子『蜷川幸雄とシェークスピア』(角川書店、2015年))

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