MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯772 キャリーバッグ

2017年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム


 街中をキャリーバッグを転がしながら歩いている人が、ずいぶん増えているような気がします。飛行機の手荷物サイズで色とりどりのかわいらしいスーツケース。ハンドルが伸び縮みして、ななめ後ろにゴロゴロと引っ張って歩く例のアレです。

 正確に言えば何年も以前からそういう感じはあったのですが、インバウンドが拡大しているせいか、最近はとみにそうした傾向が強くなっているような気がします。

 例えば、新幹線に乗れば、座席上の網棚には(いかにも重たそうに)そうしたバッグが所狭しと並んでいます。たまに、(多分、女性の手には重くて)網棚に上げられなかったものなどが通路に転がり出ていたりするので、車内販売のおねえさんも気が気ではないようです。

 いまどきの高校生の修学旅行などに出くわすと、そこはもうキャリーバックの見本市みたいな状態です。

 最新のリモワからスケルトン、アニメ柄といった様々なバックを引きずりながら行列を作り、制服姿でぞろぞろ歩いていく様子は、周囲の外国人などにずいぶんと不思議な印象を与えていることでしょう。

 さらに、旅行のシーンばかりでなく、地下鉄のホームやオフィス街、割と閑静な住宅地でさえも、例のゴロゴロはずいぶんと幅を利かせるようになっているのではないでしょうか。

 いわゆる「営業」風のサラリーマンやOLたちが、仕事の資料や資材運びなどに普通に使ったり、現場監督風の作業着のおじさんがタフそうなケースを転がしていたり、ディズニーランドに遊びに行く風情の10代の女性グループがアナ雪のバッグを引っ張っていたりして、その印象は本当に様々です。

 実際、スーツケースの市場規模は、世界で2兆5千億~3兆円ともわれており、中国や東南アジアの中間層の旅行ブームなどもあって、大きく拡大しつつあるということです。また、ネットを探ると用途に合わせた様々なバッグが用意されていて、そのバリエーションには目を見張るものがあります。

 改めて注意して見ると、キャリーバッグを普段使いしている人に年配の人は意外に少なく、全体的に言えば20代から30代前半の若い人、特に女性が多いような気がします。

 一方、彼ら、彼女らに駅や街中の人混みを歩かれると、結構邪魔だし、危ない経験をした人も多いのではないでしょうか。

 誰もが頭の後ろには目が付いていないので、バッグの動きやどれだけのスペースを占有しているのは見えていません。

 混みあった電車の中などでは特に鬱陶しく感じるばかりか、流れに合わせて歩いている時に急に止まられたりすると、足元のことだけについ引っかかったりけつまずいたりしてしまいます。さらに言えば、バッグの持ち主がそれに気づかずさっさと行ってしまったりするので、なおさら腹が立つわけです。

 よくよく思い出すと、昭和の時分、サラリーマンなどの男性は手ぶらで歩いている人が多かったような気がします。昭和の男たちは、おそらくその方が「粋だ」と感じていたのでしょう。

 一方、女性の多くはハンドバッグなどを腕にかけていましたが、それでも現在よりもかなり小ぶりなものだったのではないでしょうか。

 さて、平成も30年近くたとうとしている現在、邪魔なキャリーバッグを転がして歩く人が増えている理由は何なのか? 少し想像してみます。

 もちろん、携行すべき「荷物」が増えたということがまず考えられます。

 仕事を持つ女性が増えたこともあるのでしょうが、男女に限らず現代人は、パソコンから資料から着替えから歯磨きセットから仕事帰りのジムで使う運動靴まで、実にいろいろなものを日常的に持ち歩いています。

 旅行に向かう若い女性のバッグの中には、大量の化粧品やらくるくるドライヤーやらお気に入りのぬいぐるみ、場合によっては枕まで、「え?」というもが詰め込まれているのが普通になっているようです。

 どこでも快適に過ごしたい。いつも使っているものを使いたい。持っていなければ不安だし、持っていれば便利なものを(この際)全部持ち歩こうというのが、現代人の意識なのかもしれません。

 キャリーバックの性能やデザインが格段に良くなったというのも、もしかしたら理由の一つなのでしょう。安く、軽く、使いやすく、そして何より「可愛く」なった。

 ポリカーボネート製のバッグの普及に伴い、キャリングケースは革命的に使いやすくなりました。中国の旅行者が持っているのをよく見かける黒い布製のバッグなどに、いまどきの若者の触手は伸びません。

 キャスターの進化でクルクルとよくターンし、持ち運びもスムース。リモワ、ゼロハリ、サムソナイトなど気の利いた自己主張の強いブランドにお気に入りのステッカーを貼って、少しぶつけようがどうしようが気にせずに何でも放り込んでガンガン転がしていく。

 そんな気楽さと機動性、そして「持ち物感」みたいなものが、人とは「少し違う自分」を演出する、現代人の「カッコよさ意識」をくすぐっているのかもしれません。

 さらに言えば、キャリーバッグの普及の背景にある、それ使う人間の方の変化も見過ごすわけにはいきません。

 ひと時代前の世代にとって、旅行と言えばボストンバッグが欠かせませんでした。オーバーナイターのボストンバッグを片手にぶら下げて、もう片方の手にはお土産の紙袋という姿が、当時の(国内)旅行者の定番でした。

 一方、現代人、特に若い女性にとって、重い荷物を手に持って動き回るなんてありえません。大きなソフトバッグは見た目にもダサいし、お土産は混んだ電車の中ではつぶれてしまうかもしれない。鍵がかからなければセキュリティーにも不安が残るし、(ちょっと)その辺に置いておくわけにもいかないというワケです。

 現代人の筋力は、特に女性において(昭和の時代に比べ)相当に落ちていると言われています。持ち上げる力がなければボストンバッグは使えませんし、それを手に持って歩き回るなんでヒールの高い靴を履いてできるわけがありません。

 さらに現代では、キャリーバッグを使う環境も次第に整えられてきています。

 都市化が進み道路はほとんどがきれいに舗装され、キャスターが埋まる泥道や砂利道は(相当の田舎に行っても)もはや過去のものと言えるでしょう。高齢化社会バリアフリーの都市環境を生み、最近ではどこの駅にもエレベーターやエスカレーターが設置されています。

 車椅子に配慮して(気が付けば)通路からは段差が消え、幅もそれなりにあってまさにキャリーバッグに最適な空間が広がっているという具合です。

 しかし、キャリーバッグがここまで普及した最も大きな要因には、往来を行き交う人々が、「周囲の迷惑を気にしなくなった」ことにあるのではないかと思うこともしばしです。

 早朝の街中に響くゴロゴロ音もなんのその。人混みで人にぶつかっても気にならない。飛行機の収納スペースを独占しても平気でいられて、待合室の通路のスペースをふさいでもへっちゃらという(良くも悪くも)タフな心の持ち主が増えてきたということかもしれません。

 そもそも日本では、人混みに大荷物を持って出かけることは(なるべく)避けるのが「常識」という時代が、それは長く続いてきました。ベビーカーを押して朝夕の電車に乗れば冷たい目で見られるのは当たり前で、満員電車で大荷物を抱えていたら「スミマセン、スミマセン」と言い続けていなければなりませんでした。

 しかし、もともと「欧米の文化」「強者の持ち物」として導入されたキャリーバッグに、そうした遠慮はいりません。航空会社のパイロットや制服姿のCAなどが颯爽とキャリーバッグを引っ張る姿は、そんな(昭和の)日本人の何者をも黙らせる強い魅力を放っていたと言えるでしょう。

 そうして、気が付けば、豊富なモノに囲まれて便利に生きることを幸せと感じる日本人が多数派を占めるようになってきました。

 確かに時と状況を踏まえれば、当然「遠慮」が美徳とは言いません。しかしその一方で、子供たちが(ランドセルではなく)キャリーバッグで学校に通学する時代がやってくるとすれば、それはそれで違和感があるのも事実です。

 環境が変わって人も変わった。

 そうした中、シンプルであることこそが「美」であるとする日本的な感性が(過去のものとして)忘れられる時代がすぐそこまで来ているのではないかと、キャリーバッグの普及に改めて感じる次第です。




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