西條奈加 著
美味しそうだ、夜中なんかに読もうものなら、飯テロ以外のなんでもない。
「
金春屋ゴメス」で私をとりこにしたあの料理たちが、
洗練されて、上の池之端の座敷で選び抜かれた器に盛られて登場する。もうそれだけで読む価値あり。
江戸に奉公に出されたお末は、自分を迎える冷たい視線に戸惑う。そこで聞かされたのは、以前ここで働いていた
従姉妹の行方が知れなくなり、それが駆け落ちだったらしいという衝撃の話だった。
必死に働くお末は、鱗やが今のような連れ込みまがいの三流の宿ではなかったことを知る。
そして過去に秘密をもつ板前の腕を頼りに、かつての一流店「鱗や」の味をよみがえらせていく。
何度も言うが美味しそうだ。すまし仕立ての蛤鍋、桜鯛と桜の塩漬けが入った桜めし、季節の野菜を一緒に蒸しあげた鰻茶碗、
結びきすの吸い物、ずいきの緑が効いた鮎のすまし、スズキの昆布締め キュウリとネギのなます、青じそをまいた鶉肉の椀、
鰯と野菜を唐辛子と辛子酢味噌で和えた鰯の鉄砲和え、たたいた蛤を卵とすり合わせて蒸した時雨卵、そして鮟鱇の雑煮。
とんでもなく珍しいものは出てこない。
おそらく当時の庶民も知っていたであろう季節の食材を使っている、と思う。
しかし、厳しいプロの目で選び抜いたものを、洗練された仕事で仕上げることで、こんなにも違うものになるんだなあ、と
痛感させられる。
そして六編の物語一つ一つがそれぞれ、鱗やが抱える悲しい物語を紡ぎだしている。
これは鱗やの物語であると同時に、お末という一人の女性が成長していく物語でもある、
お客様に喜んでいただく、ということのうれしさに気付き、もっと喜ばせたいと思い、
それが接客を磨いていく。