哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

悪貨と幽霊

2009-05-26 04:03:00 | 時事
 小沢一郎氏が民主党の代表を退いた時に、同志社大学の有名な女性教授が某新聞に書いた文章で、小沢氏のことを「悪貨」と表現していた。悪貨は良貨を駆逐するというが、その教授がいうには、悪貨は誰もが手放そうとするが、それでも回りまわって戻ってくるというのだ。小沢氏もまだ代表代行に残っているし、また戻ってくるだろう、しかも悪貨として。

 同じような話で最近思うのは、もっと時代を遡って、ヨーロッパに幽霊が出た話だ。かつて共産主義の幽霊がヨーロッパに出没した。そしてその後、幽霊が確固たる姿をしてきたと思っていたら、ベルリンの壁崩壊やソ連邦の解体で結局やはり幻とわかり、この幽霊は二度とやってこないと誰もが信じた。しかしそれでも幽霊は決して消滅したのではなく、サブプライムやリーマンショックの後、なぜか幽霊が再び出没し始めている。


 いずれにしても池田晶子さんにいわせれば、次のようなことなのだろう。

 政治家が金を欲しがるのは国民が金を欲しがるからに過ぎない。一体国民は誰を選んだつもりなのか。つまり、我々が変わらない限り、悪貨は戻ってくるに違いない。
 イデオロギーとは信じることによって自分の頭で考えないことをいう。自分の頭で考えずして、何を理想といえるのか。自分の頭で考えない限り、いつまでたっても幽霊が現れ続けるだろう。

(参考:『帰ってきたソクラテス』)

『人は死ぬから生きられる』(新潮新書)

2009-05-05 14:10:10 | 時事
 表題の本は、脳科学者の茂木健一郎氏と禅僧という南直哉氏の対談を新書にしたもので、あまり期待せずに読み始めたのだが、意外にも池田晶子ファンにもお薦めの本であった。

 茂木氏はテレビなどのマスメディアでの露出が多く、あまりいい印象を持っていなかったが、面白いことに、茂木氏はこの本では最初から科学の限界を認めており、南氏は茂木氏の卓見に賛意を表している。例えば次のような茂木氏の発言だ。

「近代科学の痛恨事は、人間がよりよく生きるとか、人間がいかに幸せになるかという問題について全く何の答えもないことです。」

 茂木氏は小林秀雄氏にも傾倒しているそうであるから、その意味でも池田さんに近いものがあるのかもしれない。ただこの本全体では話をリードしているのは南氏の方で、さすが禅僧らしく、池田晶子ファンにとっても首肯しやすい話が多くあった。例えば次のような言葉だ。

「私は自由というのは「航海する人」だと思う。「航海する人」は目的地を自分で決め、そこから逆算して航路が生じる。そして自分が今どこにいるか、現在地を知っている。「目的地・航路・現在地」、この三つを知っている人が、自分の力で海を渡って行ける人です。ところが、この三つのどれかを欠くと漂流してしまう。」

 自由と漂流とは異なる、自由とはどうにでもできるということではない。これは、倫理とはどういうものかを定義して示した池田さんの話に通じると思う。

『対談 昭和史発掘』(文春新書)

2009-05-02 10:55:30 | 時事
 今年は松本清張氏の生誕100年ということで、表題の本もその関連の出版のようだ。読んでみると、昭和の戦前・戦中・戦後の生々しい雰囲気がよくわかる。

 対談の部分は、まさにその時代の空気を吸った本人たちの生の声として、歴史を思い出させるように読める。後半の物語も、緻密な調査の報告を読んでいるようで、歴史の裏側と人間の生き様が何重にも絡まったようなもつれた糸を、ひとつひとつほぐすように読めるのが気持ちよい。


 池田晶子さんは、小林秀雄氏の言葉「利巧なヤツはたんと反省するがいい。俺は馬鹿だから反省なんぞしやしない」をよく取り上げていた。あるいは「歴史とは自己である」とも。この本はそんな言葉にぴったりの、歴史を思い出すために相応しい本である。