雅工房 作品集

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見物は臨時の祭

2014-07-17 11:00:02 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百五段  見物は臨時の祭

見物は、
臨時の祭。行幸。祭の還(カヘ)さ。御賀茂詣。

賀茂の臨時の祭り。
空のくもり、寒げなるに、雪すこしうち散りて、挿頭の花・青摺などにかかりたる、えもいはずをかし。太刀の鞘の、きはやかに黒う、まだらにて、広う見えたるに、半臂の緒の、やうしたるやうにかかりたる、地摺の袴のなかより、「氷か」と、おどろくばかりなる打ち目など、すべて、いとめでたし。
     (以下割愛)


見物(ミモノ・一見の価値のあるもの)は、
臨時の祭り(三月の石清水臨時祭と、十一月の賀茂臨時祭を指す)。行幸。賀茂祭の帰りの行列。御賀茂詣(摂関家の賀茂詣での行列)。

賀茂の臨時の祭り。
その日は、空が曇って、寒々としている上に、雪が少しちらついて、勅使や舞人や陪従などの挿頭の花(カザシノハナ・清涼殿の東庭で賜ったもの)や青摺の袍などにかかっているのが、何とも風情があります。太刀の尻鞘(シリザヤ・鞘を覆うもので、虎や豹の皮などが用いられた)がくっきりと黒く、黄色とまだらになっていて幅広く見えるのに、半臂(ハンピ・束帯の時の上の衣)の緒が磨かれたように光ってかかっているのや、地摺の袴のかがり目から見える、「氷か」と驚かされるほど光沢のある大口袴の紅など、どれもこれも、とてもすばらしい。

もう少し大勢で行列させたいのですが、勅使は、必ずしも良い家柄の君達と限りません。受領などである場合は、見る気もしないし、感じも悪いのですが、挿頭花の藤の花にその顔が隠れてるのは、まあまあよろしい。
それでも、行列が過ぎて行った後を見ていると、陪従の、品のない柳色の下襲に、挿頭の山吹が釣り合っていないように見えるが、泥障(アフリ・騎乗用の泥除け)をとても高く打ちならして、
「神の社のゆふだすき」(「ちはやぶる神の社のゆうだすき 一日も君をかけぬ日はなし」古今集からの引用。ゆうだすきは、麻などの樹皮から作った糸で編んだたすき)
と、うたっているのは、とても風情があります。

行幸に匹敵する見物など、他にはないでしょう。
天皇が御輿に乗っておられるのを拝見いたしますと、「毎日お側でお仕えしている」同じお方とは思えぬほど、神々しく、威厳があって、ご立派で、いつもは目にもとまらない何々の司(内侍司と特定するのをぼやかしている)や、姫大夫(ヒメマウチギミ・内侍司に属し、行幸の際、馬に乗って供奉する女官)までが、高貴で、すばらしく感じられるのですよ。御綱の次将(ミツナノスケ・御輿の四方に張られた綱を引く下男の側に供奉する近衛の中少将)をつとめる中・少将は、とても風情があります。
行列を指揮する近衛の大将こそ、何よりも格別にすばらしい。近衛司の武官は、ほんとうにいいものですねえ。

五月の行幸(かつては、五、六日に武徳殿行幸が行われていた)こそ、何にもまして、優美なものだったそうです。しかし、最近では、すっかり絶えてしまっているので、ほんとに残念です。昔話として、人が話すのを聞いて、あれこれと想像するのですが、いったいどのようなものだったのでしょうか。
ただ、その日は、菖蒲を葺きわたしたり、世間で普通に行われていることでもすばらしいのに、昔の様子となれば、あちらこちらの御殿の御桟敷に、菖蒲を葺きわたして、誰も彼もが、菖蒲のかつらを挿して、菖蒲の女蔵人は、選り抜きの美人を選んで召し出され、薬玉をお授けになると、いっせいに拝舞して、腰につけたりしたそうですが、どんな様子だったのでしょうか。
『ゑいのすいゑうつりよきも』などうちけむこそ(この部分意味不詳。一説には、「夷の家移り、ヨモギの矢を打つ」として異国の雑戯、と説明されている)、ばかばかしいが、面白いとも思われます。
武徳殿からお還りになる御輿の前を、獅子や狛犬などの装束をした舞人が舞い、ああ、きっとそんなこともあったのでしょう、ほととぎすが鳴き、第一季節からして、他の行幸で似ているものなどありませんでしょうねぇ。

行幸はすばらしいものとはいえ、若い貴公子の車などが、楽しそうに大勢乗り込んで、都大路を北へ南へと走らせたりする解放的なところがないのが残念です。そんな車が、群衆を押し分けて良い場所に駐車しているなどというのも、心がときめくものではありますが。

賀茂祭りの還りの行幸は、とても風情があります。
昨日は、全てのことがきちんとされていて、一条の大路も、広く美しく整えられているところに、日差しも暑く、車に差し込んでくるのがまぶしいので、扇で顔を隠し、何度も坐りなおして、長い間待つのも苦しく、汗などもにじみ出てきましたが、今日は、随分急いで家を出て来て、雨林院、知足院などのあたりに停めている車などにつけてある、葵や桂(ともに祭りの縁起物)などが、風になびいているのが見えます。日は出ているが、空はまだ曇ったままで、普段なら「すばらしいものだ。ぜひ聞きたい」と、目を覚ますと起きだして鳴くのを待ち続けるほととぎすが、「あまりに多過ぎはしないの」と思うほど、鳴きたてているのは「とてもすばらしい」と思うけれど、鶯がね、野太い声で「ほととぎすに似せよう」と、精一杯の声で合わせて鳴いているのは、小憎らしいけれど、これもまた、それなりにいいものです。

「今か今か」と待つほどに、御社の方向から、赤い狩衣を着ている者たちが、連れ立ってきたので、
「どうなの。車の準備は出来たの」ときくと、
「まだまだ、いつのことやら」
などと答えて、御輿などを持って斎院に帰って行く。
「あれにお乗りになって、お渡りになるのだろう」と思うにつけてすばらしく、神々しく、「どうして、あんな下種たちがお身近くにお仕えするのかしら」と、空恐ろしくなってしまいます。
まだ先のようなことを言っていたが、間もなくお還りの行列がやってきました。供奉の女房たちの扇をはじめ、青朽葉の着物が、とても美しく見えるうえに、蔵人所の人たちは、青色の袍に白襲の裾をほんの少しばかり帯にはさみ上げた姿は、卯の花の垣根が目の前にあるような気がして、ほととぎすも、その陰に隠れてしまいそうに見えるのですよ。

昨日は、一台の車に多勢乗って、二藍の袍と同じ色の指貫、あるいは狩衣などをしどけなく着て、車の簾も外してしまい、正気でないほどはしゃいでいた貴公子たちが、斎院の饗応のお相伴役だというので、正式の束帯をきちんとつけて、今日は、一人ずつ一台の車におとなしく乗っている後ろの席に、可愛らしい殿上童を乗せているのも風情があります。

行列が自分たちの前を通り過ぎるとすぐに、気が急くのか、「われも、われも」と危険で恐くなるほど、「先に車を出そう」と急ぐのを、
「そう急ぐものではない」
と、私は扇を差し出して止めるのですが、牛飼童も従者も聞き入れようとしないので困ってしまうが、少し道幅の広い所で、無理に止めさせて駐車するのを、「じれったくて腹立たしい」と供の者たちは思っていそうなのに、後ろでつかえて困っている多くの車を意地悪そうに見ているのが、意外で可笑しい。
男性の乗った車で、誰だか分からないのが、後ろから次々と来るのが、いつもより興味があるのに、交差点の別れるところで、
「峰にわかるる」(「風吹けば峰にわかるる白雲の 絶えてつれなき君が心か」古今集からの引用)
と挨拶していったのも、風情があります。

内侍の車などと出会うのは、とても煩わしいので、別の道をを選んで帰ると、ほんとうの山里といった感じで情緒があるが、卯つ木の垣根とはいうものの、とても荒っぽくて、仰々しいほどに伸びた枝がいっぱいあるのに、花はまだほとんど開ききらず、蕾のままのものが多いように見えるのを従者に折らせて、車のあちらこちらに挿したのも、昨日から付けている桂などがしぼんでみすぼらしいので、なかなかいい感じです。
枝が出ているので、道が狭く、とても通れそうにもないと見える道の行く先を、どんどん構わず近づいていくと、それほどでもなく通れたのが、とても楽しかったですよ。



この章段などは、当時の風俗を知る上で貴重な記録だと思います。
途中、意味不明の部分もありますが、天皇の行幸や摂関家クラスの貴族の行列に対して、下級の貴族や庶民なども、結構娯楽として楽しんでいた面もあったようです。
おそらく少納言さまも、きゃあきゃあと見物する側と、最上流社会での体験があったから、『枕草子』という名著を残すことが出来たのでしょうね。

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