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2006-2007東欧バルカン旅行記その5(最終回) 遥かなり東欧、オリエント 

2007-01-24 | 旅行
(写真)夜のイスタンブール旧市街


2007年1月5日

夜明け前に、大音量のコーランの唱和に叩き起こされた。
僕の泊まっている部屋の目の前にある青のモスク、昨夜閉じ込められたそのドームの周りを取り囲む6本もあるミナレット(尖塔)にはスピーカーが設えられているらしく、朝の祈りの時間の到来を盛大に市内のムスリム達に知らせている。
「イスラームってとにかく何事もでっかくしないと気が済まない宗教なのかなぁ。。。それにしても、ミナレットってロケットみたいな形してるな、テレメトリセンターのドームを囲むロケット発射場みたいだ。。。」などとベッドに寝転んだままボンヤリ考えていたが、今日もイスタンブール市内をあちこち見て歩きたい、さあ起きるぞ。起きてメシを食うぞ。

僕の泊まっているホテルは屋上にあるテラス席のレストランでの朝食が「売り」らしい。そのテラス席というのは実は僕の部屋の天井の真上なのだが、ガイドブックを見ると「スルタンアフメト地区で一番眺めがよく人気のレストラン」と書いてあるので楽しみだ。

階段を登ってレストランに行くと、まあさっきまで居た部屋の数メートル上に垂直移動しただけなので見える風景は同じなのだが、テラスなので壁に遮られずに周囲を全周ぐるっと見渡せる。並び建つアヤ・ソフィアと青のモスクを同時に眺められるのはまた格別だ。でも朝食のメニューは大したことがない。それでもヨーグルトがうまかったからまあ良しとする(何だかどこに泊まっても同じこと言ってるな)。
ちなみに、トルコ人は1日に平均2リットルものヨーグルトを消費すると聞いたことがあるが、真意の程は明らかではない。


今日はトプカプ宮殿を見に行く。
15世紀以来、歴代のオスマン帝国のサルタン達の宮殿として帝国の中心だった宮殿だ。
大帝国の王宮だった割には小ぢんまりとした建物が並ぶが、それでも広大な敷地に無数の建物が並ぶのでじっくり見て回るとクタクタになる。それに、一つ一つの建物は大きくはないが珠玉の装飾が施されていたり、第一級の展示で埋め尽くされたりしているので、異様なまでに高密度な空間なのだ。

トプカプ宮殿で最も有名なのはハレム(後宮)であろう。ハレムの区画だけは別料金を取られたりグループで並ばせられたりするが、それでもこの宮殿の最深部を見に来る観光客は後を絶たない。
案内人の後ろについて見て回るハレムは「栄華を極めるサルタンの楽園」と言うよりは「美しいだけで窮屈な牢獄」という感じだった。
ここは実際に「鳥籠」と揶揄されていたらしい。
大帝国に君臨する帝王さえも避けて通れなかった「家庭問題」、煌びやかさの裏で繰り広げられる女同士の壮絶な権力争い、そしてすべてを宦官達によって見張られる息詰まる生活…
「想像しただけで恐ろしくなるな、こんな鳥籠で暮らすなんて…」
そんなハレムも、皇子たちの暮らした部屋には彼らの所属したスポーツチームのマークが描かれていたり、水遊びに興じた中庭があったりして楽しそうだった。


トプカプ宮殿は金角湾に面して突き出すような地形の上にあり、テラスから海を見ると眼下を線路が通っている。昨日の朝、ブカレストからの国際夜行列車に乗って通過した区間だ。
ちょうど、イスタンブール近郊行きの郊外電車が通過していく。100年前にはここをヨーロッパの王侯貴族や富豪を乗せたパリからのオリエントエクスプレスも通過したのだろう。彼らはトプカプ宮殿によって線路が大きく海側へ押し出されたこの区間を通る時、ヨーロッパとアジアを隔てるこの海を見て、自分達がとうとうオリエント(東洋)への入り口に到達したことを否応無しに実感したに違いない。
そして僕はこの海の彼方のさらに東の果ての日出る国からここへ来て、今自分の来た道程を振り返っている。
オリエントエクスプレスの乗客たちとは逆に、東洋の果てから来た旅人も今、何故か同じ感慨を抱いてこの海を見つめている。

「とうとう、ここまで来たなぁ…」

この空の向こう、遥かな平原を越え砂漠と山脈を越え海を渡った向こうには、僕の生まれた美しい島々がある。そしてここから先には、延々とアジアが横たわる。
ここはオリエントの入り口なのだ。

思う存分感慨に耽ったら、腹が減ってきた。
旅の最後にちょっと贅沢しようと思い、トプカプ宮殿内のカフェレストランに入り海を見ながらの食事と洒落込もうと思ったら、ここの料理が先程の感慨を吹き飛ばすような凄い不味さだった。
「こ、これは…!確か僕はパスタを頼んだ筈なのに、この『水道水の味のする団子状のもの』は一体何なんだ!?」
トプカプ宮殿で海を見てナルシストになった人は、海の見えるカフェに御用心。
以後絶対、金角湾を見ても激しく不味い料理しか印象に残らなくなりますぜw


口直しに宝物殿の「スプーン屋のダイヤ」や「エメラルドの宝剣」を見て余りのキンキラキンさに胸焼けしそうになり、もうこれで充分と思いトプカプ宮殿を後にする。
イスタンブール市内観光の締めくくりにと立ち寄ったのがここ地下宮殿。
宮殿と言っても実際は東ローマ時代につくられた貯水池の跡。発見されるまでは大都市イスタンブールのど真ん中にこんな地下空間があるなんて誰も知らなかったとされるが、実際は地下に水たまりがあることはみんな知ってたみたいで、穴を開けて水を汲み出したり魚を釣ったりしていたそうな。

この地下宮殿の名物がこの「メデューサ」。
地下宮殿を支える大理石柱の土台に巨大な女性の顔の彫刻が刻まれた石が使われているもので、貯水池の底に沈殿した土砂を取り除いたところ発見されたらしい。
「こんなものが地下から出てきたら、見つけた人は怖かっただろうなー!」
古代の女性像が何故ここで貯水池の土台にされたのか、詳しい経緯は分からないが、よく見るとメデューサという恐ろしい名前には似合わず穏やかな顔をした美人のようにも見える。古代には地上の神殿で陽射しを浴びていたのかも知れないのに、何の因果かここで顔を逆さに地下に埋め込まれた挙句化け物扱いされ、気の毒な気もする。

地下宮殿から地上に上がると、既に陽が暮れていた。
何となくガラタ橋の方に歩いていくと、桟橋沿いの屋台から馴染みのある香ばしい匂いがしてくる。屋台を覗き込むと、魚を鉄板で焼いていたオヤジから「サバサンド!」と声を掛けられる。
「これがガラタ橋名物のサバサンドか!」
サバを焼いてパンに挟んだサンドイッチなのだが、日本では「ご飯によく合うおかず」であるサバをサンドイッチにしてしまうというカルチャーショックなミスマッチさが受けて日本人旅行者に大人気のサバサンド。早速オヤジに鉄板の上でジュウジュウいっている焼きたてのサバをパンに挟んでもらい、熱々のところをかぶりつく。
「うまい!…でも、炊きたてご飯が欲しい!あ~やっぱり僕は日本人だな~」
でも、実際うまいんだ、このサバサンド。日本に帰ったら塩のきいていないサバとフランスパンを買ってきて再現してみよう。


サバサンドの後に甘いものが食べたくなり、スィルケジ駅前の喫茶店に入ってトルコ風デザートを試してみる。メニューを見てみて、一番訳が分からなかったのがこれ。何と「鶏肉入りプリン」!
正式には何という名前なのか知らないが、プリンのような杏仁豆腐のような柔らかくて甘いものに確かにササミのかけらみたいなものが入っている。
「これは…日本に帰っても再現のしようがない!」

さあ、いよいよ旅も終りだ。明日は日本へ帰る。
破壊と再建の街ベオグラードに天才発明家の夢を追い、吸血鬼の街で新しい年を迎え、トランシルヴァニアの素朴な村の生活に触れその行く末を想い、西洋と東洋の交錯する街で終わった今回の旅。
「さて…次はどこへ行こうかね?」
でも、実は僕の気持ちはもう決まっていた。ここはオリエントの入り口だ。入り口まで来たら、入りたくなるのが人情というもの。
「次は…この街が出発地になるな。イスタンブールのアジア側のターミナル駅ハイダルパシャ駅からアンカラエクスプレスに乗って、アナトリアへ行こう…!オリエントへ行こう!」
次の旅がいつになるかはまだ分からない。でも、いつかこの街から行くぞ、海峡の向こうへ!

(旅行記完)


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