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ブルートレインで初日の出を見に行こう その4、平成20年12月31日~平成21年1月1日

2009-01-12 | 鉄道
日中、品川の車輌基地で寝台電車「サンライズエクスプレス」と並んで休むブルートレイン「はやぶさ」「富士」編成

ブルートレインで初日の出を見に行こう その3、平成20年12月30日~31日からの続き

大分からブルートレイン「富士」に乗って大晦日の東京に戻ってきたが、やる事がない。
スーパープラネタリウム"MEGASTAR-II cosmos(メガスターⅡコスモス)"がある臨海副都心の日本科学未来館も、
「世界一の固体燃料ロケット」と称えられる名機M-Vロケットが実機展示されているJAXA宇宙科学研究本部相模原キャンパスも今日は年末年始で休みだ。

仕方がないので、適当に東京近郊を「乗り鉄」して時間をつぶす。
東京近郊区間のJR線が特急も乗り放題の「周遊きっぷ東京ゾーン」を持っているから(周遊きっぷを使うと東京ゾーンまでの往復乗車券も2割引になるので、普通に乗車券を買うより安上がりなのだ)、どんどん乗らんと損。

という訳で、東京駅の地下深くに降りて行って、普段は乗る機会の全然ない京葉線の特急に乗ってみる。

房総特急「さざなみ」号。
E257系500番台という車輌だが(JR東日本のE頭の系列は全然解らん…)、凄い形相の電車。
地下駅から海に出て、ディズニーランドの混雑を横目に京葉線を走り、約30分で到着する千葉市内の蘇我駅で下車。ここが「周遊きっぷ東京ゾーン」で乗れる境界駅。
昔ながらの「スカ色(青とクリームのツートン)」の普通電車に乗り換えて千葉駅へ。やたらと駅構内が広く、慌しい駅。

ちょうど昼時なので、コンコースの立ち食いそば店に入る。
店頭で年越しそばの売込みをやっていて、立ち食いそばの年越しそばなんて面白いので食べてみようかと思ったらお持ち帰り専用だった。
仕方なく首都圏でのお気に入りメニュー「コロッケそば」の食券を買うと、店のおばちゃんが飛んできて
「お客さん、たった今コロッケ売り切れちゃった!ゴメンね」やれやれ。
無難に「天ぷらそば」をオーダーし直す。店の人も気を遣ってくれたのか「ハイ天ぷらお待ち!どうぞごゆっくりお召し上がり下さい!」と随分丁寧。
立ち食いそば屋でゆっくりしていってねと言われるのは初めてだが、昼食時なのでお客の回転が早く、自然こちらも手早く啜り込んで退散。
という訳で残念ながら写真なし。
そばはおいしかった。

プラットホームに上がって、停車中の逗子行き快速に乗り込んで東京都心へ戻り、品川で下車。
品川駅のプラットホームからは、今朝乗ってきた「富士」と「はやぶさ」の編成が寝台電車「サンライズエクスプレス」と並んで留置されているのが見える。

夜を徹した1000キロを超える走行で汚れた車体を洗ってもらうブルートレイン。
かつて、ここには東京駅を発着する綺羅星の如きブルートレインたちがずらりと並び、壮観な眺めだったという。
「さくら」「みずほ」「あさかぜ」「出雲」「紀伊」「瀬戸」「銀河」そして「はやぶさ」「富士」…

3月からは、ここには高松と出雲市へと向かう「サンライズ瀬戸・出雲」のサンライズエクスプレスしかいなくなる。

品川駅名物の立ち食い「お好みそば」を貪って、まだ日も暮れていないけど年越しそばは食い納め。
東京駅に戻り、4夜目のブルートレインを待とう。
平成20年最後に東京駅を出発する今夜の寝台特急「はやぶさ」で熊本に戻り、今回の旅は終了となる。


今夜も大勢の見送り客に囲まれた東京駅の「はやぶさ」「富士」。



さて、今夜乗車するのはA寝台1人用個室「シングルDX」。

「はやぶさ」「富士」編成中にそれぞれ1輌ずつしか連結されないA寝台を、旅の最後の夜に奮発してみたのだ。
「シングルDX」はブルトレ全盛期の昭和51年に国鉄が製作した最上級グレードの寝台で、赤字が深刻化した国鉄が合理化に乗り出していた当時としては珍しい個室方式を採用している。

今となっては個室寝台は特に珍しくもないが、僕が鉄道少年だった頃は「東京発のブルートレインにしか連結されない特別車輌」として、そしてB寝台の倍以上もする非常に高価な寝台料金と相まって、まさに憧れの的だったのだ。
その後、僕も今までに数え切れないほどブルートレインに乗ったが、この「シングルDX」にはほんの数回しか乗っていない。
生まれて初めて乗ったのは、二十歳になる誕生日の前の晩だった。乏しい小遣いから大枚を叩きA寝台券を購入し、自分の成人を1人で祝ったのだ。
当時、成人するということ、自分の力でこの社会で生きていくことに自覚が持てず戸惑いと困惑と、そしてこれからの人生に若干の恐怖を感じながら、憧れの豪華寝台で覚束ない夜を過ごしたことを覚えている。高速で流れ去る車窓の街灯りに、間近に迫りつつある大学卒業という儚いモラトリアムの終りを感じ、思わずゾッとしたことも。
その次に乗ったのは、就職してから研修で赴任していた浜松から地元へ戻る時だったか。
赴任中に仲良くなった東海道本線の駅の駅員さんに「今度、地元に帰るんですよ」と挨拶しに行って、帰りのきっぷを発券して貰ったんだっけ。
それも浜松駅発ではなく、わざわざ始発の東京駅発で出して貰ったんだ、「ブルートレインに、それもA寝台に乗るときは始発から乗らないと!」とか言って。あの駅にはそれ以来行っていないけれど、実は今でも「はやぶさ」「富士」であの駅を通過する時にはこっそり敬礼しているんだ…

これまで、人生の節目の夜を過ごしたA寝台1人用個室「シングルDX」に、「はやぶさ」「富士」での最後の新年を迎えるために、そしてブルートレインで初日の出を見るために、これから乗り込む。

これが「シングルDX」室内。
基本的に、ヨーロッパの1等寝台個室と同じ室内構造で、室内には線路と直角の向きに据え付けられた巨大なソファベッドが鎮座し、窓側には専用の洗面台がある。
インテリアは木目調と茶系統で統一され、窓にはブラインドではなくレース地と厚手の2枚のカーテンが掛かる。
ちなみに見たところ木目壁紙はJR九州の人気リゾート特急「ゆふいんの森」号で使用されているもの、同じくソファベッドのモケットは以前に特急「つばめ」のグリーン車の座席に使用されていたもの、絨毯は特急「ハウステンボス」「みどり」号のグリーン車と同じものが使用されているようで、同社の他の特急のものと同じ物を流用する事でコストをかけずに国鉄時代に造られた車輌のインテリアの質感を向上させる努力の跡が読み取れて興味深い。


入り口ドア脇の壁面にはエアコンの調整つまみと照明スイッチ類、そして警報ボタンとベッドライト。

ソファベッドはB寝台に比べるとかなり分厚いクッションが入っている。
そしてソファの下にあるこのレバーを操作して…

さらに肘掛を跳ね上げると…



ソファベッドは完全にフラットになり、広々としたベッドが出来上がる。
この無骨ながらも丁寧な造り込みは、国鉄時代の設計ならでは。

今夜の「はやぶさ」「富士」は満員御礼とのこと。
やはり、皆さんブルートレインで最後の年越しをしたいと思われている御様子。
全てのベッドにそれぞれ旅人の想いを乗せ、ブルートレインは東海道本線を下って行く。
僕は独り想い出の詰まった個室に籠り、燈りを消してただ夜の車窓を見ていた。
未来への不安に打ち震えていた二十歳になった夜に、初めての仕事を終えて安堵と別れの寂しさを感じながら家に帰る夜に、確かに同じ車窓を見ていた筈。

横浜、熱海、沼津、富士、静岡…

列車は走る。

浜松を過ぎ、想い出の駅に今夜も敬礼。

豊橋、名古屋、岐阜…

車窓に小雪が舞い始めた。

僕が初めて上京したときに乗った「ガキドン」こと大垣発東京行き夜行鈍行列車の始発駅大垣を通過する。
あの頃、現在の「はやぶさ」「富士」のダイヤは長崎・佐世保行きのブルートレイン「さくら」が使用していた。東京行きの夜汽車に乗り込む、「青春18きっぷ」を握りしめた若くてカネがなくて旅の夢だけ持ち合わせた旅人たちの前を、青く優雅なブルートレインは轟音と共に駆け抜けていったものだ。

関が原を越える頃、小雪は吹雪になった。
雪の中、人々が屋外に集まり火を焚いて囲んでいるのが見える。この辺りの年越しの風習だろうか。


日付が変わる少し前、米原駅に到着。
もう間もなく、今年が終わる。

そして気が付くと、列車は京都駅に滑り込んだ。
既に時刻は0時を回っている。

「明けましておめでとう、最後の年が明けたよ『はやぶさ』、そして『富士』…」


大阪駅では未明にもかかわらず大勢のファンが「はやぶさ」「富士」の到着を待ち構えていた。


神戸の夜景を眺め、普段は消えている筈の明石海峡大橋のライトアップを見る頃にはさすがに記憶が途切れ途切れになってきた。
そのままA寝台の快適なベッドに潜り込んで、陽が昇るまで少し寝ることにする。

ブルートレインで初日の出を見に行こう その5、平成21年元旦・初日の出に続く


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