NHK「八重の桜」には、京都守護職に任じらられた会津藩が逆賊という汚名を着せられて行くプロセスが描かれています。南北朝時代以来、賊軍という名称は足利将軍だけでなくそれに組する北朝系天皇支持派に対しても使用されたようです。西郷家は南朝系菊池族に属し、毛利藩長州も南朝系、公家の岩倉家も村上源氏の流れです。とすれば王政復古としての維新は南朝の再興であり、会津藩はかつての足利勢力と同じ逆賊とされることになります。会津藩の立場は北朝の孝明天皇を擁護しようとした訳ですから、納得ができなかったのは当然でしょう。倒幕即、南朝復帰であったことが孝明天皇の子息のすり替え説を生みだしたのかもしれません。
日本史の難しさは資料の乏しさに起因するようです。歴史認識においても今日の原発問題にしても客観的なデ-タが示されないことが解決を遅らせる一因に思えます。
明治の天皇制なくして、士農工商というカ-スト制度を終焉させることは難しかったかもしれません。インドではいまだにヒンズ-教のもとに身分制度が残されています。しかし明治憲法は前期天皇制(南朝思想)により天皇を絶対化し国民を赤子とする新たな身分制に陥りました。
創造主という真の絶対者のもとで始めて人間は平等精神を取り戻します。そして歴史の中に現われた御子の十字架による罪から贖いを通して神の子としての身分をいただきます。超越者の永遠のいのちの中に生かされます。
会津藩の山本家は不運な運命をたどったかに見えますが、神の家族の一員にされたことによって本当の勝利と栄誉の人生を歩んだことが明らかにされました。