創造

創造主とセルフイメージの世界

ユニテリアンのジョン万次郎とバプテストの仙太郎

2017-02-13 10:15:35 | 黒船絵巻

1853年ペリ-の黒船を幕臣として迎えた万次郎、その船内にいた仙太郎。二人は共に幕末期の漂流民でしたが、米国で身に着けた信仰はユニテリアンとバプテスト(プロテスタント)と違っていました。開成学校(東京大学)は勝海舟によって創立されたといわれます。初期の教授陣はフルベッキ師を教頭に、おなじプロテスタント改革派のグリフィスやウォ-レン・クラ-ク、ワイコフなどでした。ジョン万次郎は1860年万次郎は勝海舟のもと、通訳として咸臨丸で渡米。

1869年(明治2年)には明治政府によって開成学校の英語教授に任命されました。1877年、進化論者のエドワ-ド・S・モ-スが来日東大教授就任を請われました。これを機に、宣教師の教授たちとの激しい対立が生じ、ドイツのチュ-ビンゲン学派の自由神学が青木周蔵によって紹介されるとともに、新神学と称するユニテリアン的自由主義(リベラル)の思想が浸透していきました。

立花隆氏は著書「天皇と東大・上」の3章「初代学長・加藤弘之の変節」において、進化主義の影響下、洋学が英米型からプロシア型へ変節したと示唆します。それは根幹の部分で皇学派に共鳴するものでした。

ナチとの神学的闘争をしたカ-ル・バルトは「18世紀の神学は、神学したつもりで哲学していた」と語りましたが、幕末維新の思想においても、ガラテヤの人々のように「御霊で始めたのに肉で仕上げようとする」(ガラテヤ3・3)したかのようです。spirit(霊)の次元は時空を超えていますので、同じような現象が起こり得るのだと思います。

創造霊を迎えて、このお方と共に至聖所の次元で認識するか、あるいは天使的レベルか、はたまた地上的人間レベルで思考するかで違ってくるのではないでしょうか。動力が同じでも成層圏を超えた真空圏と空気抵抗を受ける空中と水の抵抗を受ける水中では全く異なる結果が生じるように、罪とサタンの抵抗がゼロの原歴史状態と現在のように、すでに死と虚無の霊の支配と力を受けている自然の法則は、創造霊が100パ-セント活動される世界とは違います。

ユニテリアン的信仰に復活への視野が皆無なのは、啓蒙主義の影響下、人間の理性もしくはその認識能力のみに依存し、これを絶対化したところにあります。霊的闇の力の支配下にあるからです。創造霊は、この闇の中に降臨し、啓示と解放をもたらします。死の霊を超える永遠のいのち(ゾ-エ-)の世界です。

神が人間の体をまとわれたのは、その身体に霊Spiritをお受けし、贖罪をとおして、その聖霊を私たちにも住まわせてくださるためでした。聖霊は全知全能の創造主ご自身ですから、このお方に御頼りし、自分の脳と神経意識のみに依存するのでなく、超自然の霊の知恵に依存することによって、創造主とその被造物を曇りなく認識するのです。

ところで物質界は天使の手にもゆだねられている部分がありますので、天使レベルの科学と創造主レベルの科学があるといえるかもしれません。例えばニュ-トンによって見出された万有引力の法則、ダ-ウィンによる限定的種の範囲での進化や自然淘汰現象の解明など。

後者はアインシュタインの相対性理論に代表されるような、観察者自身の中で活動される創造霊のエネルギ-と啓示的知恵(エピグノ-シス)です。

 

 

 

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『科学としての神学の基礎』書評

2017-02-07 11:09:47 | 神学と科学

現代英国神学書の紹介

『科学としての神学の基礎』The Ground and Grammer of Theology by Thomas Forsyth Torrance Published by University of Virginia in 1980

1913年中国成都生まれ.父は宣教師

エディンバラ、オクスフォード、バーゼルの大学で神学を学び1904年スコットランド教会の牧師

エディンバラ大学教授、1976-1977スコットランド教会総会議長,WCC信仰と職制委員会などで

エキュメニカルな対話の貢献。

日本語訳された著書「カルヴィンの人間論」(泉田栄訳)「バルト初期神学の展開」(吉田信夫訳) 「空間・時間・復活」(小坂宣雄訳)

(紹介の動機・序言)

和解の旅で向島を3月訪問された元英国軍捕虜カーター氏からの手紙で、この地で召された仲間のためモニュメントを建てた日本人に対しての謝意とともに、広島長崎を破壊した原爆投下に謝罪したいとのことばを頂いた。

原爆については、投下後米国内のキリスト教関係者も抗議したそうであるがトルーマン大統領は、「日本は予告なしにパールハーバーで我々を攻撃した。米人捕虜を殴打し、餓死させ、処刑した。日本の戦争遂行能力を完全に破壊するまで原爆を使用せざるを得なかった。」と答えたと言う。(「京浜地区の捕虜収容所・中間報告:笹本妙子著3ページ」)

因島収容所捕虜であった英国人元捕虜ジョン・フレッチャ-・クック氏が「天皇のお客さん」-書かれざる戦史-日本捕虜収容所<江藤訳・徳間書店>のなかで以下のように述べている。「自己の体験に照らしてみても、前記の諸事件に照らしてみても、もし原爆が広島と長崎に投下されなかったら、おそらく捕虜は、誰一人として生きて日本から帰れなかったであろう。私はこれを二つの理由から言いたい。まず、この脅威的な原爆の投下が、日本人の心を覚醒させたこと、またとくにわれわれ捕虜の監視兵の心に、つねづね漠然と感じられていた不安がはっきりしたことである。…さらに重大な事がある。原爆の投下と、それがなお続くのではないかという恐怖、これこそ日本人をして降状条件を受け入れしむるに至った決定的要因であったのだ。長崎に第二弾の投下される前に、日本人がもはや広島の再現に耐えられぬことを、何故天皇は自ら口にしなかったのか?国土を荒廃させた爆弾であったが、爆弾は連合軍をして、日本への上陸を無抵抗裡にさせる結果となった。今仮に、連合軍が上陸にあたって抵抗を受け、戦闘を強いられたとしよう。日本人がわれわれ捕虜を“絶滅する”ことは論をまたない。ほかでもなく、神聖なる日本国土を汚す外敵を迎え撃つには、捕虜を養い、監視する暇などありえなかったからである。二個の原爆がその数万の犠牲者にもまして、より多くの人命を救った事はもはや疑う余地のない事実である。それは数万の捕虜の命はもちろん、数十万の連合軍将兵の命、おそらく数百万に及んだと思われる日本人の命を救ったのだーつまり、天皇とその内閣が戦争の続行を決定したなら間違いなく日本人全員、文字通り最後の一兵まで戦ったはずである。…」

カーター氏の和解と謝罪のおことばとクック氏の偽りのない心情と、この両面を日本人として私は謙虚に受け入れなければならない。

その意味では被爆者達、アジア諸国の2千万人とも言われる侵略戦争による犠牲者、また戦地でその多くは餓死したといわれる2百万人の日本軍戦死者、そして虐待と飢餓のなかで死んでいった連合軍の捕虜達の血の上に、今日の新しい日本の民主主義と平和とがもたらされたともいえるのだ。

2002年、日英同盟百周年のこの年、モニュメント建設の協力に関わることになって、太平洋戦争とはなんだったのか改めて考えさせられた。

また、瀬戸内海宣教が約100年前「福音丸」とビッケル船長によって開始されて今日に至っているのだが、この伝道船はスコットランド・グラスゴーのアラン夫人の献金によって建造されたのであった。

人間の過ちと神の摂理の中で、歴史は終末と主の再臨に向かって動いている。

(アウトライン)

英国にはもう一人、P・Tフォーサイスと言う神学者がいる。「祈りの精神」始め多くが和訳されている。向島で終戦直前に死亡した方もフォーサイスという方であった。カーターさんは、メモリアルプレートの彼の名を読み上げた時、「彼は就寝前いつも祈っていた」と涙ながらに友人を偲ばれた。本著のトーランス・フォーサイスも一貫して高調していることは神との交わりー祈りーであるといってよい。そのことが現代物理学の科学的手法と極めて類似するというのである。

すなわち、アインシュタインに代表される今日の物理学は、それまでの原子と言う単位を超えてさらにその内部まで研究がすすみ、素粒子としての原子核や電子のレベルに及んだ。核エネルギーはその結果として開発された訳である。

そこは動的相互交流の次元であり、またこれまでは矛盾するとされていた光が粒子であり同時に波動であると言う二極共存の事実が解明されたという。

そのような科学の方法は、じつは初代教父の時代のオリジナルな三位一体の神学と驚くほど類似していると著者は指摘する。

西方神学と東方神学が分裂する以前の三位一体論である。そこでは、愛(関係)と力、存在と活動という一見相反するものがひとつになっている。

十字架の贖いを受けるとき(信じるとき)、人は罪を許され、きよめられて心の底に(人間の至聖所あるいは霊)に聖霊なる神を宿す奇跡に与かる。

このようにして神の子とされた者は聖霊なる神とともに、あたかも現代物理学の究明が原子の内部までも及んでいるかのように神との親密な交わりに入り、神の永遠の交わりに引き上げられ、内側から神を体得してゆく。そして光の内部での反応がエネルギー生み出しているように、神の内部での父と子と聖霊の交わりは、それ自体、偉大な創造の力となって働いているというのである。

これはバルトの教会教義学和解論が義認・聖化・そして栄化論という展開をしている事と呼応している。またベニ-・ヒンが至聖所での祈りが力の油注ぎを受けると指摘するのと一致する。

2000年、スイスを訪問した時、ユースウイズアミッションの青年が「広島には恐るべき悲惨の光が炸裂したけれども、今度は人々を命に導く神の光が照り輝くでしょう」と予言された。聖霊と共に神のふところのなかで御子と御父との永遠の交わりに与かるとき、山上の変貌のごとくの神のエネルゲアが照り輝くのである。

トーランスは自己啓示は神の自己贈与に依存すると語る。経綸的三位一体から存在的三位一体が明らかになるのだと。

創造主が被造物として、世に受肉してくださり、その贖いの死をもって、我々とひとつになられ、復活によって聖霊なる神が私たちの中に内住される。

聖霊の活動と交わりのうちに我々は、創造主の中の交わりにまで引き上げられ永遠の命を享受する。

 これは創造主と被造物の間の相互交流であり、神と我々が一元的に結ばれた世界である。

被造物としての世界と人間は、神のへりくだりによって、交わりへと呼び出され、自然界もその恵みに与からんとしているのである。再臨による全被造物の解放と神化を待っている。

したがって自然科学と神学はお互いに交差する次元に向かっていると著者は語る。

(本論)

まず、本著はかなりの神学用語と科学的専門用語が錯綜するので、理解するのは容易ではない。しかし、聖書を読むときと同じような心構えをもつならばわりと簡単に消化できると思う。つまり、聖書は人間の日常用語で書かれているが、同時に著者が聖霊と共に語っているという点で神のことばなのである。これをトーランスは科学の「多層構造(multi-leveled structures)」と類比していると指摘する。

問題は、初代教父とオリジナルな三位一体論のなかに保持されていたこの真理洞察は、その後、西方教会がフィリオクェ(と子から)を挿入した事によってあいまいになっていったのではないかという事である。

(「神の霊・キリストの霊」―「フィリオクェ」論争についてのエキュメニカルな省察―

〔ルーカス・フィッシャー編〕:一麦出版社「・・彼〈トーランス〉は東方教会の西方神学に対する批判の多くは正当であるとみなし、信条へのフィリオクェの一方的挿入は取り消されべきあると考えている。…西方のフィリオクェからも東方の<父からのみ>とも異なるダイナミックな洞察を見出している。」(154ページ・アレスデア・へロンの言及)

聖霊を御子への従属としてのみとらえる西方神学は神としての御子を告白しえても、御子のうちに働かれた聖霊のダイナミックな活動をあいまいにし、そのことが被造界と創造界の相互交流を軽視し、やがて二元論的信仰と神学に陥ったのではないかと説く。

他方、東方教会はその反動として、人としての御子のみを強調し、結果的に被造物の神格化<カルト化>という危険なさらされたのだが。しかし西方教会を代表したアウグスチヌスでさえもヘレニズム的二元論の影響を受け、人間の魂と創造主なる聖霊との区別を不明瞭にしてしまったのではないか。ニュートン力学のレベルにみられる二元論は「原子不変の法則」が前提とされ、創造主の被造物に対する相互交流の余地が見失われた。

原子の更なる解明によって素粒子論があらわれ、物質は絶対的なものでなく、エネルギーと変換されうるもの「E=M・C2乗」つまり質量と光の速度の二乗がエネルギーである事が解明され、この世界は相対的なものであることが証明されたのであった。トーランスは人間は「神から」創造されたのでなく、「神によって」「物質〔チリ〕から」創造されたことを忘れてはならないと述べる。

ヘレニズム的二元論は人間精神を含めた被造物を神格化する危険をもたらす。被造物崇拝〔カルト〕は、神の生命がないままで、神のように生きようとする暴挙にいたる。

創造主からの上からの呼びかけとその命(ゾーエー)は御子の受肉と贖い、そして聖霊の授与という神の自己贈与のなかでのみ生み出されるのである。人間は十字架の下で罪許されて、聖霊を頂き、神から「生まれる」のである。

他方、自然そのものを絶対化するとき、自然としての人間も神格化される。

ドイツナチズムの温床であるゲルマン魂。旧日本軍国主義の大和魂の高揚、それが日本においては旧来の先祖崇拝(ancestor worship) と結びついていた。特攻隊と靖国神社はここでリンクされ、全人民は現人神に滅私奉公すべしとのマインドコントロールの支配に陥った。すなわち人間への偶像視が、まことの創造主への礼拝を妨げる。ここには自らを拝ませようとするサタンの策略が働いていたとしか思えない。

マインドコントロールの特徴は、人を自己義認に誘い、加害者意識を失わせることにも現れる。オーム真理教のある信徒は、いまだに殺人罪を認めることができないでいる。

これは右翼に限らず、唯物史観のマインドコントロールから抜け切っていない場合も同様で、筑波大学古田博司教授によれば「戦前の日本の国体思想と現在の北朝鮮の有機体国家論は、淵源が同じであり、19世紀のドイツに端を発するものであり、ドイツから入り、日本で変形され日本植民地時代に、ある朝鮮人学生を通じて海を渡り、約40年後金正日の頭の中で花咲いたものだ」と指摘される。(2003/2/14読売新聞)
家永三朗は『田辺元の思想史的研究』-戦争と哲学者-(法政大学出版)の中で1881年の政変以来、日本はドイツプロイセンに傾斜し思想界もイギリス・アメリカ型からドイツ観念論と国家主義の傾向を強めていったと述べている。
独裁者が軍事力を増強しつつ他方、多くの飢餓難民を生み出す独裁国家主義の根は、人間崇拝と言う偶像礼拝にあり、二元論的パラダイムがその底流にあるのではあるまいか。

二元論的パラダイムを克服することが、新たな展望を築くことになると思われる。聖霊と共に祈り、聖霊と共に考え行動する事なしには、事柄の多層的事実を把握する事は難しい。理性的な精神を神格化するとき人は祈りをやめ、現実の中の超越的次元を見失う。霊や奇跡や復活をほとんど否定した自然主義神学を代表したブルトマンがナチスの協力者であった事は必然性を持っていたのである。 同様にアウグスチヌス的二元論から脱却していなかった日本プロテスタントが戦時中、ドイツ告白教会のような抵抗ができなかったのもそのような理由からではなかろうか。

(結論と私見)

第二次世界大戦とその後の冷戦が、東西対決であり、その底流に東方と西方の神学的潮流と対立があったという仮説をたてればある程度、戦争と言うものの本質に迫る事ができると思う。歴史は、より深い霊的次元の表出であり現象ともいえるからだ。

その意味でトーランスはこの両者の深い次元での和解を試みているように思われる。

あの太平洋戦争の後、形の上で、半強制的に民主主義国家に変えられた日本。だが本当にあの当時のマインドコントロールから解放されているのだろうか。ドイツにおいてはナチズムの本質が考察され、総括され、そしてその反省の上に侵略戦争の謝罪が公にされた。それゆえに近隣諸国も、その友好に喜んで手を差し伸べつつある。

他方、わが国は、教会も戦争責任と言う事は論じられても、その本質的部分については、今だ本格的総括も悔い改めもなされないままに今日に及んでいるように思える。形の上で脱会したはずのカルト信徒が大震災の時、再び教祖の下に帰ってしまった例があるという。どこが間違いであったか総括し、単に感情論でなく、また単に理性上だけでなく、こころの深み、霊の次元までも立ちいって、ことの真実を納得しなければ、死んだはずの亡霊がいつしか舞いもどってしまうとも限らない。

神に生きるものこそ、まず自ら悔い改め、より深く親密に父なる創造主の愛と交わりのなかに立ち返り、天の命とその力を知らされる時ではないだろうか。

この地で天に召された英国兵捕虜の墓石に〔彼は自由と解放のために、その若いいのちを捧げた〕と刻まれていた。民主主義の源流、ピューリタニズムの流れをいのちを架けて届けてくれた人々と同じ英国の一神学者の声に耳を傾けることは恵みであると思います。

 

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徳島歩兵第143連隊記録と英軍兵士の証言

2017-02-06 11:08:13 | 捕虜レクイエム

http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210022_00000

 

http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130004_00000

 

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