みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

敗北を抱きしめて

2019-09-28 13:20:03 | 
愛車で10分弱のところこに、市の中央公民館がある。「中央」という立派そうな名が付いているけれど、隣の支所の影のような目立たない施設だ。その一隅にささやかな図書室がある。

児童書が多く、家庭的な趣きを主としているが、書棚をゆっくり眺めてゆくと、ハッとさせられる本に出合うことがある。こんなに小さな図書室なのに、品揃えがいいな・・と思う。県立図書館等の本も快く取り寄せてくれる。

この図書室で先日見つけたのが、ジョン・ダワー(1938~)著、(三浦陽一・高杉忠明 訳)「 敗北を抱きしめて」(岩波書店 2001年 第1刷発行)。



ピュリッツァー賞を受賞しており、当時、大きな反響を呼んでいたのを私も記憶している。だのに、お恥ずかしいことに、私はまだ読んだことがなかった。世間一般も、今ではまるで話題に上らせなくなったようだ。

上下の2巻で構成されていて、取り敢えず借りた上巻だけで400ページ近い厚さだ。加齢と共に読書力が衰えた私にはハードルが高いかと不安だったが、読み始めたら止まらない。全てのページが劇的であり、かつ詩的でもあった。私の精神もまた、この国の戦後の渦中で血肉が形成されたことを、改めて思い知らされるものであった。

私にとっては、言わば、私の前半生を照らし出してくれる本だ。

序文の一部を以下に抜粋しておく。

現代の日本には、新ナショナリズム的な強い主張があり、そのうちもっとも強力な声のいくつかは、まさに本書が論じた敗戦後の年月に照準をあわせている。それは敗北と占領の時期を自由な選択が実際には制限され、外国のモデルが強制された、圧倒的に屈辱的な時代として描きだすのである。私自身は、この時代がもっていた活力と、日本の戦後意識の形成において日本人自身が果たした役割の創造性とを(略)、このような見方よりも積極的に評価している。大切なことは、当時、そしてその後、敗戦というみずからの経験から、日本人自身が何を作り上げたかということである。これこそは、敗戦から今日までの半世紀、日本人の多くが「平和と民主主義」と自分との関わりを考えるとき、たえず試金石としてきた問いであった。

秋の野

2019-09-21 08:11:58 | 八郷の自然と風景
虫たちが夜通し楽を奏でてくれる季節だ。ツヅレサセコオロギとスズムシが常連。甘く切なく美しいカンタンの声は今季はまだ耳にしない。

昨夜来、時折の小糠雨が野を濡らしている。犬を連れ、杖を突き、ヨタヨタと足腰の苦痛に耐えながら早朝の散歩に出かける。リハビリ施設の無味乾燥な室内で歩かされるよりは、はるかに恵まれているようにも思う。

路傍は秋草の競演だ。キツネノマゴ(狐の孫)は、狐の尾に喩えられた小さな穂の下の方から、唇形の爪の先ほどに小さな花が咲き継ぐ。花穂の上の方で咲く今頃になると、もう草全体に老いが兆している。

草むらに紛れてツリガネニンジン(釣鐘人参)がひっそりと花茎を傾けているのを見つけると、心の小窓が開くような気がする。

メヒシバ(雌日芝)はありきたりの草だけれど、群生してほっそりした穂を掲げ、少しの風にも揺れる風景は、穏やかで悪くない。その一角にワレモコウ(吾亦紅)の悪戯っ子のような丸っこい花穂が飛び出していることもある。

          飛び出して虚空を知らず吾亦紅

緩い坂道をヨロヨロしながら、飼犬に引っ張ってもらって帰庵。庭と菜園を見回る。

       

菜園の外れに、彼岸花のツノのような花茎が突き出し始めた、夏の間は地上部に何も無いから、突然突き出す花茎の姿は、異様な感じがする。蕾を付けている花茎もある。裏庭の半日陰のところに移植した秋海棠は株を増やし、毎年、秋を忘れずに優雅な花房を垂らす。



菜園の端っこのモミジアオイ(紅葉葵)は南国の花らしい鮮やかな紅。でも、こんなところにわざわざ鑑賞に訪れてくる人は滅多にいない。ただ咲きたいから咲いているのでしょう。



台風一過

2019-09-09 16:23:37 | 菜園
台風15号、当地は直撃を免れたとはいえ未明から大荒れ。雨風の音と不安で熟睡出来ませんでした。

雨が止んだのは朝9時近く。落枝を道脇に片づけながら、犬の散歩。道を横切っていた倒木はは私の細腕では動かず、近所の青年に頼んで片づけてもらいました。助かります!

それから自家用菜園を見回りました。強風に飛ばされてきた小枝などが沢山散らばっていたけれど、大きな被害は無い模様。

     

一番心配だった葱は、少しずつ葉が倒れているけれど、株自体は大丈夫そう。人参も痛めつけられているけれど、立ち直れそうです。 

        

里芋の葉はあちこち破れているけれど、全体的には頑張っています。マイクロミニトマトは、元々地面を這う姿だし、強靭でもあるし、まるっきり平気。

一通り見回った後、菜園の手前のコムラサキシキブの実が色付き始めているのに気付きました。台風一過は猛暑となりましたが、秋は忘れずに歩を進めているようです。