みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

ニヒリズムの超克

2016-05-27 13:25:59 | 
竹内整一(1936~)著「はかなさ」と日本人~無常の日本精神史(平凡社新書 2007年)を一読した。目次は以下の通り。

  はじめに
  Ⅰ現代日本人の無常観
  Ⅱ「夢の外へ」
  Ⅲ「夢の内へ」
  Ⅳ「夢と現のあわいへ」
  Ⅴふたたび、現代日本の無常観
  あとがき



私の神経にはなじめない本だった。こんな上品な?文体には「敬して近寄らず」の方が良かったかもしれない。ただし、第Ⅴ章で引用されている見田宗介の言説には触発されるものがあって、その思いを以下に記すことにした。

首都圏から八郷に移住して、もうすぐ15年目になる。生死を超えることは出来ないかも知れないが、せめて今、生きている実感を得たい、ということが移住の理由の一つだった。

都会に比べれば自然が豊かな当地の風土では、多様な生命体が穏やかに相和していると同時に、生死を賭けた闘いが随所に見られる。山路の傍らに小鳥の羽毛が一塊り散り落ちているのは鷹の仕業だろう。傷ついて瀕死の兎が倒れていることもある。私自身も菜園で草や虫たちと闘っている。

人間は文明の興隆と共に欲望を肥大化してきた。そして欲望実現のための闘争を暴虐化し、地球環境を破壊してきた。環境劣化や核による人間の絶滅は必然の理となっている。現代は「神の死」のみならず「人間の死」というニヒリズムの時代となった。

見田宗介は、「このニヒリズムを超克する唯一の道」は「われわれの生が刹那であるゆえにこそ、今、ここにある一つ一つの行為や関係の身に帯びる鮮烈ないとおしさへの感覚を豊饒に取り戻すことにしかない」と言う。この人の言葉には眩惑的な力がある。「鮮烈ないとおしさへの感覚」は、美意識や詩的精神と共振するように思う。

「鮮烈ないとおしさへの感覚」を「取り戻す」と言うとき、その「取り戻す」主体には、近代的個人主義が到達した自我意識とりわけ知性への絶対的な「信」がある。人間の「知」が「神」に取って代わったことに高貴かつ不遜な荒みが垣間見える、と私は思う。 




アオサギの歩み

2016-05-20 13:44:45 | 田んぼ
今朝も4時頃に起床。早朝食を済ませてから飼犬ユキの散歩。鶏への給餌などしてから6時半頃に村の田んぼ用水ポンプ機場へ。体調はあまり良くないけれど、緑の風景の中を愛車で行くときの気分は良好です。機場の担当をしていることで村の人々から感謝されることもあるけれど、実は私自身の暮らしにとって、いつしか心の支えになっていることを痛感するこの頃です。

機場の近くの田んぼの人が、竹棒の先を田水の中に入れて何かを探っている様子です。水生生物でも探していらっしゃるのかしら? お尋ねしたところ、まだ幼い稲の苗がアオサギに踏まれて田水の中へ倒れ込んでしまっているのを起こしているのだ、とのこと。傷みがひどくてダメになった苗もあり、苗の列の一部が欠損している箇所もあります。

緑の中をアオサギが大きく羽ばたきながら舞い降りて、田んぼの中を啄みながらゆったりと歩を運んでいる風景は美しいのですが、稲作農家にとっては極めて苛立たしいことなんですね。アオサギの生活と人の生活とは共存しながらも対立関係にならざるをえないようです。

生命の充満

2016-05-19 08:08:20 | 田んぼ
昨日も今日もカラリと晴れて野山の緑が輝き、ヒバリやウグイスやシジュウカラたちが声を競い合っています。小鈴を振るようなキクイタダキの声が頭上へ降り注ぐように聞こえることもあります。

村の田んぼのほとんどは連休期間中に田植えを終えて、田水に溺れそうなほど頼りなげだった幼苗も田土へ活着し、確かな力を得て育ち始めたようです。



コサギとアオサギが舞い降りている田んぼもありました。この田んぼには美味しい餌(水生生物)が多いのかしら?

       

燕たちは田んぼの水面スレスレに滑空を繰り返しています。田んぼ用水機場の建屋に巣籠りしている燕夫婦も、朝は周辺の田んぼの上を盛んに飛び回っています。そろそろ子燕が誕生する頃かも知れません。

あらゆるところに生命が充満しているようなこの季節、私もこれらの生命の一部であり共存していることを実感させられます。そしてこれらの生命たちに支えられ、かつこれらの生命たちと競い合い闘いながら生きているのだ・・と思うのです。



菖蒲沢の薬師古道

2016-05-10 22:14:46 | 俳句
心身の低迷状態が続いているけれど、親しい人たちに愚痴を聞いてもらうにつれて、少なくとも心の鬱状態からは這い上がってきました。身体の症状の方も少し軽くなってきたようです。今日の俳句の会に参加できるかどうか心配していましたが、何とか気力を整えることが出来ました。

昨夜来の雨も心配の種でしたが、出発直前になって降り止んでくれました。例によって乗合タクシーで皆一緒に出掛けました。吟行先は菖蒲沢の薬師堂です。御堂まで600メートル程の上り道は、有志の方々の手で「薬師古道」として整備されて、以前に比べれば歩きやすくなったようですが、それでも足腰が不自由な高齢者等には厳しい道のりです。

周辺には田植えを終えたばかりの水田が広がり、その向こうの里山は緑の濃淡で装っています。薬師古道の入口付近には桐の花が空に向かって咲いていました。



体調が不安な私は、途中で引き返すことも念頭に恐る恐る歩き始めましたが、しっとりと濡れた緑の中の古道は、得も言われぬ趣きがあって、いつの間にか身体の痛みも忘れて前へ進んでいました。梢の方からは鈴を降るような美しい囀りが聞こえてきます。おそらくキクイタダキでしょう。二人静にも出会うことが出来ました。


木立の中の薬師堂が見えたときは、その佇まいに思わず声を上げて感動してしまいました。そして祀ってある薬師如来様の厳しくも深々とした御姿に心を奪われる思いがしました。「筑波四面の薬師」の一つで、市の文化財に指定されています。両脇の仁王様の凄まじい迫力にも圧倒されました。



御堂の手前脇の弁天池も、しみじみとさせられました。



          古池や四方の緑を溶かし込み

ハクセキレイ

2016-05-03 21:50:18 | 野鳥
田んぼ用水ポンプ機場のそばの田んぼは、水を満々と湛えている。代搔を終えて田植えを待つばかりなのだ。その畦を、白鶺鴒(ハクセキレイ)が、撥ねるような歩き方で進んでいる。よく似たセグロセキレイとは黒い胸当で区別できる。



白鶺鴒は平たい場所が好きらしい。耕運機を駆け終わった広い畑地には必ずと言っていいほどいる。地上を歩いていることが多いし、警戒心が少ないのか、人の近くまで来ることもあるので、観察しやすい。黒と白の模様はなかなか粋で目を引く。都会の駐車場や駅のプラットホームを歩いていることもある。でもやっぱり自然豊かな環境の中で出会う白鶺鴒の方が、より美しく見える・・と私は思うのだ。

あなたの名前は?

2016-05-02 09:03:48 | 八郷の自然と風景
村の田んぼ用水ポンプ機場へ往復する途中の路傍に、青紫色の花が群生している。ほぼ垂直に30~50センチほど伸びた茎の姿が目立った特徴で、道路と田んぼの間の小さな斜面に林立した茎の上部に径1センチ弱の小さな花を7~8個つけている。葉はとても細くて、互生。



下手な写真で白っぽく映っているけれど、実際は青紫色(花の真ん中の少し盛り上がった部分は白い)の花です。手元の図鑑の頁をめくって調べたけれど、何という花か分からない。真っすぐな茎の姿から、ヤナギランかな? とも思ったけれど、開花期や花の形や大きさが違うようだ。

清楚な姿が美しくて私の憂さを暫し忘れさせてくれる、あなたの名前は? どなたか教えてくださいませんか・・