「花の生涯」の著者、舟橋聖一(1904~1976)のこの本、秀逸でした!
初版は1943年、創元社発行ですが、私が借りた市立図書館蔵のは、1982年、ベースボール・マガジン社からの再出版です。
趣味とはいえ、私にとって土俵の内外の、力士の生活や態度から、自己の修養に資するような、或いは芸術上の心境と共通するような、いろんな勉強にもなっているのである。私の相撲記が、単なる相撲物語に終わっていい筈はないと思っている。唯、私は、研究とか歴史とかいう風にしゃちこばらずに、出来るだけ自然に、平明に相撲について語ってみたいのである。
相撲が単なる力競べでないのは、即ち彼らの力が、一応は皆、技術化されているところにあるのであって、そして、この力を高度に技術化するところに、力士たちは、すべての「真実」を打ちこまずにはいないのである。
~ しかも、これら独自の技術は、十分に伝統的なものの中から編み出され、その点で伝統の浅い他のスポーツの、遠く及ばぬ渾然たる境地にまで到達しているんである。
幕内力士の粒が揃ってきたので、上位力士と雖も、昔のように、無造作に勝つわけにはいかなくなって、次第に競争が激甚となったのである。それに伴って、取口が複雑となり、技巧が複合し、変化が早く、立合の合理主義が物をいうようになった。同時に、人間鍛錬というか、精神的円熟というかーそういうものが、土俵の内外において、洗練されなければならなくなって来たのである。また、頭脳的プレーということも、その価値を増大して、頭脳的に鈍重な力士は、贅力に秀でていても、とかく勝運に恵まれることが少なくなった。
又、非力の力士は、体全体のバランスを常に考えて、相撲をとるから、腕だけの力、腿だけの力、腰だけの力という風に、分業的に働かさず、いつも、腕と腰、足と手という風に、総合的に使ってゆく。
かって、常の花(1896~1960 第31代横綱)は、或る座談会の席上で、「自分は元来、非力であるから、立上がったら最後、始終働きかけて、敵に休みを与えないようにしなければならぬという信念の上に、鍛錬を積んだものである」と言ったことがある~
白鵬が以前、高安戦だったか、負けたときに「(自分が)強いから負けた」と言ったのは、このことだったんですね。
現代力士でも、双葉山(1912~1968 第35代横綱)、安芸ノ海(1914~1979 第37代横綱)などは、寧ろ非力と言われている。双葉山なども二言目には、自分が腕力家でないことを、率直に肯定している。それでも双葉山は、時にのぞんで力まかせの相撲をとらないでもない。強引に出て、思わぬ不覚をとることさえある。しかし、安芸ノ海になると、彼はもう、おのれの非力を、どんなときでも自意識しているから、強引に出てゆくことが殆どない。彼はよくおのれのペースを守り、敵の力を逆用しつつ、非力の力に、ものを言わせる。~
双葉山の70連勝を阻んだのが、出羽海一門の安芸ノ海だった。一門の「打倒双葉」の作戦参謀役は、笠置山(かさぎやま:1911~1971 最高位・関脇)。安芸ノ海の世紀の勝利は、その作戦の成果だったが、笠置山自身は双葉山に連敗を重ねた。「頭で勝とうとするから駄目なんだよ」と、双葉山からからかわれたという。安芸ノ海も、あの1勝のあとは双葉山に連敗を重ねた。
相撲って、本当に難しく、奥が深く、面白いですね!
彼(双葉山)は滝に打たれ、禅を学んで、心境を練ったと伝えられているが、相撲のように、激しい実力の世界では、参禅は至難事である。むしろ、禅機は外になく、いのちを籠めて、勇奮する土俵の内部に存するのではないか。
著者、舟橋聖一は、「人間って奴は、なかなか裸になれないものなんだ。裸という言葉は、肉体的なものと精神的なものの両方を指すわけだが、いずれも、全裸になるには勇気がいる。しかし、一旦裸になってしまうと、その勇気は力を伴って倍増する。そして心は純粋になる。 ひごろ衣服をまとう習慣のある我々は、裸になることを怖れる傾向があって、なかなか心肝を抜こうとしない。裸をみせることは、ときには無礼、醜悪とさえ思われがちだが、それは間違っている。赤裸々こそ、美しく、素朴であって力強いのだ」と、家族に語っていたという。
晩年は、横綱審議委員長も務めた。不自由な体になっても毎場所のように車椅子で蔵前国技館におもむき、「目は見えなくとも、心眼で相撲を見るのだ」と、場内の雰囲気を楽しんでいたという。
初版は1943年、創元社発行ですが、私が借りた市立図書館蔵のは、1982年、ベースボール・マガジン社からの再出版です。
趣味とはいえ、私にとって土俵の内外の、力士の生活や態度から、自己の修養に資するような、或いは芸術上の心境と共通するような、いろんな勉強にもなっているのである。私の相撲記が、単なる相撲物語に終わっていい筈はないと思っている。唯、私は、研究とか歴史とかいう風にしゃちこばらずに、出来るだけ自然に、平明に相撲について語ってみたいのである。
相撲が単なる力競べでないのは、即ち彼らの力が、一応は皆、技術化されているところにあるのであって、そして、この力を高度に技術化するところに、力士たちは、すべての「真実」を打ちこまずにはいないのである。
~ しかも、これら独自の技術は、十分に伝統的なものの中から編み出され、その点で伝統の浅い他のスポーツの、遠く及ばぬ渾然たる境地にまで到達しているんである。
幕内力士の粒が揃ってきたので、上位力士と雖も、昔のように、無造作に勝つわけにはいかなくなって、次第に競争が激甚となったのである。それに伴って、取口が複雑となり、技巧が複合し、変化が早く、立合の合理主義が物をいうようになった。同時に、人間鍛錬というか、精神的円熟というかーそういうものが、土俵の内外において、洗練されなければならなくなって来たのである。また、頭脳的プレーということも、その価値を増大して、頭脳的に鈍重な力士は、贅力に秀でていても、とかく勝運に恵まれることが少なくなった。
又、非力の力士は、体全体のバランスを常に考えて、相撲をとるから、腕だけの力、腿だけの力、腰だけの力という風に、分業的に働かさず、いつも、腕と腰、足と手という風に、総合的に使ってゆく。
かって、常の花(1896~1960 第31代横綱)は、或る座談会の席上で、「自分は元来、非力であるから、立上がったら最後、始終働きかけて、敵に休みを与えないようにしなければならぬという信念の上に、鍛錬を積んだものである」と言ったことがある~
白鵬が以前、高安戦だったか、負けたときに「(自分が)強いから負けた」と言ったのは、このことだったんですね。
現代力士でも、双葉山(1912~1968 第35代横綱)、安芸ノ海(1914~1979 第37代横綱)などは、寧ろ非力と言われている。双葉山なども二言目には、自分が腕力家でないことを、率直に肯定している。それでも双葉山は、時にのぞんで力まかせの相撲をとらないでもない。強引に出て、思わぬ不覚をとることさえある。しかし、安芸ノ海になると、彼はもう、おのれの非力を、どんなときでも自意識しているから、強引に出てゆくことが殆どない。彼はよくおのれのペースを守り、敵の力を逆用しつつ、非力の力に、ものを言わせる。~
双葉山の70連勝を阻んだのが、出羽海一門の安芸ノ海だった。一門の「打倒双葉」の作戦参謀役は、笠置山(かさぎやま:1911~1971 最高位・関脇)。安芸ノ海の世紀の勝利は、その作戦の成果だったが、笠置山自身は双葉山に連敗を重ねた。「頭で勝とうとするから駄目なんだよ」と、双葉山からからかわれたという。安芸ノ海も、あの1勝のあとは双葉山に連敗を重ねた。
相撲って、本当に難しく、奥が深く、面白いですね!
彼(双葉山)は滝に打たれ、禅を学んで、心境を練ったと伝えられているが、相撲のように、激しい実力の世界では、参禅は至難事である。むしろ、禅機は外になく、いのちを籠めて、勇奮する土俵の内部に存するのではないか。
著者、舟橋聖一は、「人間って奴は、なかなか裸になれないものなんだ。裸という言葉は、肉体的なものと精神的なものの両方を指すわけだが、いずれも、全裸になるには勇気がいる。しかし、一旦裸になってしまうと、その勇気は力を伴って倍増する。そして心は純粋になる。 ひごろ衣服をまとう習慣のある我々は、裸になることを怖れる傾向があって、なかなか心肝を抜こうとしない。裸をみせることは、ときには無礼、醜悪とさえ思われがちだが、それは間違っている。赤裸々こそ、美しく、素朴であって力強いのだ」と、家族に語っていたという。
晩年は、横綱審議委員長も務めた。不自由な体になっても毎場所のように車椅子で蔵前国技館におもむき、「目は見えなくとも、心眼で相撲を見るのだ」と、場内の雰囲気を楽しんでいたという。