しおかぜそよぐ 砂浜に
手と手をつなぐ 二十四の
瞳の色の あどけなさ
ひとの子 ならばどの子にも
しあわせあれと 祈るそら
丘灯至夫 作
田中裕子さんが大石先生を演じた映画「二十四の瞳」のリメイク版の製作されたときに作られた主題歌「二十四の瞳」。
この時も母は関わりがあったと聞いている。残念ながら私はもう小豆島を離れてかなりの年月が過ぎていたのでなじみがなかった。
あるとき、東京で高等学校の同窓会に初めて出席したことがあり、同窓会が始まる前に、その場で先輩の音楽の先生から、田浦分校出身の私に、この「二十四の瞳」の歌を知っている?と聞かれて、
「知らないです」
と、そうしたら
「すぐ覚えられるから、この楽譜と歌詞を見ながら、今練習してみて」
と、少し無茶振り。すぐにピアノの前に立たされ練習。この時初めて歌ってみてなぜか胸が熱くなり、泣きそうになるのを我慢したのを忘れない。
この21日日、私には縁のない書道展に出かけた。
小豆島出身の若き書道家星野葉柳さんの作品を拝見に。
実は、この方昨年の田浦分校での父の写真展に、書道の先生方と足を運んでくださり、楽しそうなグループに思わず話しかけたところ、星野さんは土庄のご出身でお素麺の会社のお嬢さんだとわかった。
会社を継いでいらっしゃる弟さんが、1日運転手でみなさんを案内されて、分校にも来て下さったよし。
本も買ってくださり、東京にお住まいなら小豆島会にいらっしゃいませんかと連絡先をお渡しして、別れた。
今年の夏の小豆島会には都合で出られませんと、美しいお手紙を頂き、秋になってこの書道展のお知らせが。
人と人を結ぶ糸は細いけれどつながっているのだとつくづく思う。
時には切れてしまうことも。また固く小さく結ばれることも。
星野さんの書かれたひらがなの書は
「二十四の瞳」だった。
彼女は事前に何もおっしゃっていなかったので、本当に驚いた。
星野さんの作品
子どもの頃に、二作目の「二十四の瞳」を見て先生に憧れたと星野さん。今たくさんの子供たちにお習字を教えていらっしゃるそうだ。娘と同じ年と分かりまたもや嬉しい。
遺墨として並んでいた作品の中に大石隆子先生の柿本人麻呂(萬葉集)が並んでいた。
○いにしえのありけむひともわがことか
三輪のひのらにかさしおりけむ
大石先生は私がまだ20代の頃仕事でよくお会いした。
不思議が、ここにも。
今回の書展は
伊藤欣石先生の東西書芸会主催の第35回東西展。
伊藤先生にもご紹介いただき、しずやかな気持ちにひたれた一日でした。
星野さんと作品
二 いたずらした子 無口な子
涙をためて 見あげた子
ひいふうみいや 十二人
南に北に 別れても
瞼の底に 浮かぶ顔
三 大人の道の 険しさを
こらえて生きて 思い出す
あの日の歌の なつかしさ
月日は過ぎて かえらない
岬に今日も 陽が沈む
おなごせんせと呼ばれていた母が亡くなったのが六年前。田浦のみなさま小豆島の関係者のみなさまの開いてくだっさたお別れ会。
分校の1,2年生の教室に、この歌を教室いっぱいの人々の声が流れた。
目を閉じると、むかしむかしの両親と一緒に勉強した友との日々が廻った。
こんなこと思い出させて下さった星野さんありがとう。
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手と手をつなぐ 二十四の
瞳の色の あどけなさ
ひとの子 ならばどの子にも
しあわせあれと 祈るそら
丘灯至夫 作
田中裕子さんが大石先生を演じた映画「二十四の瞳」のリメイク版の製作されたときに作られた主題歌「二十四の瞳」。
この時も母は関わりがあったと聞いている。残念ながら私はもう小豆島を離れてかなりの年月が過ぎていたのでなじみがなかった。
あるとき、東京で高等学校の同窓会に初めて出席したことがあり、同窓会が始まる前に、その場で先輩の音楽の先生から、田浦分校出身の私に、この「二十四の瞳」の歌を知っている?と聞かれて、
「知らないです」
と、そうしたら
「すぐ覚えられるから、この楽譜と歌詞を見ながら、今練習してみて」
と、少し無茶振り。すぐにピアノの前に立たされ練習。この時初めて歌ってみてなぜか胸が熱くなり、泣きそうになるのを我慢したのを忘れない。
この21日日、私には縁のない書道展に出かけた。
小豆島出身の若き書道家星野葉柳さんの作品を拝見に。
実は、この方昨年の田浦分校での父の写真展に、書道の先生方と足を運んでくださり、楽しそうなグループに思わず話しかけたところ、星野さんは土庄のご出身でお素麺の会社のお嬢さんだとわかった。
会社を継いでいらっしゃる弟さんが、1日運転手でみなさんを案内されて、分校にも来て下さったよし。
本も買ってくださり、東京にお住まいなら小豆島会にいらっしゃいませんかと連絡先をお渡しして、別れた。
今年の夏の小豆島会には都合で出られませんと、美しいお手紙を頂き、秋になってこの書道展のお知らせが。
人と人を結ぶ糸は細いけれどつながっているのだとつくづく思う。
時には切れてしまうことも。また固く小さく結ばれることも。
星野さんの書かれたひらがなの書は
「二十四の瞳」だった。
彼女は事前に何もおっしゃっていなかったので、本当に驚いた。
星野さんの作品
子どもの頃に、二作目の「二十四の瞳」を見て先生に憧れたと星野さん。今たくさんの子供たちにお習字を教えていらっしゃるそうだ。娘と同じ年と分かりまたもや嬉しい。
遺墨として並んでいた作品の中に大石隆子先生の柿本人麻呂(萬葉集)が並んでいた。
○いにしえのありけむひともわがことか
三輪のひのらにかさしおりけむ
大石先生は私がまだ20代の頃仕事でよくお会いした。
不思議が、ここにも。
今回の書展は
伊藤欣石先生の東西書芸会主催の第35回東西展。
伊藤先生にもご紹介いただき、しずやかな気持ちにひたれた一日でした。
星野さんと作品
二 いたずらした子 無口な子
涙をためて 見あげた子
ひいふうみいや 十二人
南に北に 別れても
瞼の底に 浮かぶ顔
三 大人の道の 険しさを
こらえて生きて 思い出す
あの日の歌の なつかしさ
月日は過ぎて かえらない
岬に今日も 陽が沈む
おなごせんせと呼ばれていた母が亡くなったのが六年前。田浦のみなさま小豆島の関係者のみなさまの開いてくだっさたお別れ会。
分校の1,2年生の教室に、この歌を教室いっぱいの人々の声が流れた。
目を閉じると、むかしむかしの両親と一緒に勉強した友との日々が廻った。
こんなこと思い出させて下さった星野さんありがとう。
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