ちいさな学校(岬の分校と呼ばれて)・小豆島

小説「二十四の瞳」のラストから間もない昭和二十三年から三十二年までの分校物語。亡き両親と孫のミナとユリに贈ります。

東京錦楓会の会報作り

2012年06月28日 17時36分59秒 | 小豆島あれこれ
小豆島を出てから今年で大体50年近くになる。故郷がこんなにも懐かしくなるなんて思ってもいなかった。若いころどちらかというと、故郷の話はあまりしなかったと思う。
60才を過ぎたころから、家庭の事情も変わったせいだろうけれど無性に小豆島を想うようになった。それまでは、小豆島の会の集まりにも参加する余裕もなかったし、気持ちも動かなかった。
島の母が亡くなったころから、母に背中を押されるような気がして小豆島高校の同窓会東京錦楓会なるものに出席するようになった。それまでは知らなかった先輩や後輩に出会うようになると話は懐かしい島のことばかり。私はいろんなことに気が回らなかったから島のことには無案内で、面白い話がたくさん聞けた。
こういう会は男性のそれも成功者の集まりと思われがちだけれど、私にはそうは思われなかった。遠く離れた小豆島を想い高校時代の話をすることがこんなに気持ちを穏やかにしてくれるんだと初めて気づいた。「小豆島」でつながっているのだから。
普通の主婦でも十分大丈夫だのに、女性が少なく、若い人が集まらない。個人情報保護法なるものもあって、だんだん卒業名簿を新しくすることができなくなっている。東京に出て来ている後輩を見つけてはお友達を誘ってきてね。と伝えるのが精いっぱい。
昨年から、この同窓会の会報の編集を引き継ぐことになった。年二回の発行ながら、原稿が集まってくると発行までの1か月、かなり忙しくなる。億劫なのだけれど
「よし、やるぞ」
と決めたら夢中になる。しかし私物ではないから注意は必要。入稿をするまでが文字の調整や写真の大きさなど神経を使う。印刷屋さんから初校が出ると編集委員の皆さんにPCで送り校正をしてもらう。ここで直しが山のようになると、さすがにイライラしてしまう。でもすべて私の頭の体操だと思って、楽しそうにやることにしている。
今月末が、原稿の締切。次々と原稿が到着している。
「しんどいなあ」
と今は思っている。7月1日は私のお楽しみの会があるから、それまでは動かない予定。次の日から頑張るんだ。
自分に言い聞かせている。
ちなみにこの会報1000部しか刷っていない。東京在住の同窓の皆さんの反応もちっともわからない。
でも7月末には届きます。
しかし実はまだ自分の原稿は書いていません。
1日以降バタバタと書くつもり。それまでは送っていただいた皆さんの原稿の中にワードに打ち直すものあるので、それに手を付けてけているところ。


前号の1ページ目



総会の始まる前準備です


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村
お読みになられた方はこちらを1クリックお願いします
大人のための新しいネットワーク「club willbe」
blogram投票ボタン




ご近所のお花屋さん

2012年06月26日 03時18分18秒 | 日々の暮らし
昔は、分校の手作り花壇に四季折々のお花を植えたものです。お花の苗など売っていませんでいたから、どんなお花も種を蒔いて育てたものです。当時は今のようなペチニアやインパチェンス、のような鉢物の苗などあることさえ知りませんでしたから、いまのお花のゴージャスさには圧倒されてしまいます。
あのころの夏のお花は、朝顔、ひまわり、百日草、金魚草、ホウセンカ、キンセンカ、鉄砲百合、矢車草などでした。

我が家の門の前には常時、何かの花を植えていますが、行き当たりばったりで本当に花作りに心を注いでいる人から見ると「なあにこれ」と言われそうだけれど東の朝日が当たる場所なので、独りで育ってくれています。時々肥料をあげたり、台所の生ごみをごみ処理機でローストしてできた私製肥料をパラパラとあげるだけ。過保護にしないことをモットーに。
この過保護については子育てにおいては、少々その傾向だったかもしれないと、自立している庭花々をみて、反省しているところ。
おととい竹下竹一君ことMさんの奥様からお電話がありました。一人ぼっちでさみしそうなお声に「今から伺ってよろしいですか」と言ったら「来てきて」と
そこで数か月前家の近くににオープンした、ちいさなお花屋さんに出かけてみました。ちいさな花束をお持ちしたくて。
可愛い花束が出来ましたのに写真を撮り忘れ、お店の中だけここでご紹介します。
若い女店主がおひとりで、楽しそうにお仕事されています。

Louis-Lucaがお店の名前






お花がみんな落ちてしまったけれど葉っぱが元気なペチニアがお安くなっていたのでそれも3鉢買いました。どんな色の花が咲くのかしらと。家に帰り空いているところに植えて、竹一君のお家に。

色んなお話をしました。
お正月にはこのお部屋でお友達と一緒にビールいただいたのにと、人の儚さにまたもや涙です



にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村
お読みになられた方はこちらを1クリックお願いします
大人のための新しいネットワーク「club willbe」
blogram投票ボタン






竹下竹一君

2012年06月20日 01時56分50秒 | 小豆島あれこれ
 木下恵介監督、高峰秀子主演の映画「二十四の瞳」は昭和29年に公開されました。当時私は9歳で映画の撮影のとき舞台となった小豆島の岬の分校で暮らし、その学校の生徒で両親は先生をしていました。このことについてはこのブログの始まりの頃にも書きましたし、このブログを本にまとめた「岬の分校とちいさな村の物語」(幻冬舎ルネッサンス刊)にも出ています。
 この小説「二十四の瞳」は岬の分校の1年生12人と大石先生が戦争に巻き込まれながらも深い師弟愛で結ばれ、読む人へ平和がいかに大切かを感じさせてくれる、不朽の名作です。
 この12人の子供の中に竹下竹一という名の子がいます。端正な優等生と言ったイメージの子供です。映画でもそんな雰囲気を持った子役の男の子が演じていたのを覚えています。
 話は少し変わりますが、昨年田浦分校で高峰秀子さんを偲ぶ会が持たれたときこの竹一役の方が我々と変わらない年齢の風貌で出席されていました。そしてその2か月後小豆島町のご協力で、私の父が分校在任中に撮り置いていたモノクロ写真を思い出の教室に展示していただくことになりました。11月一ヵ月間の開催で、少しでも多くの方に観ていただきたいと10月には私も案内のはがきを知人に送ったり、いつもバッグの中に数枚入れておき、出会った方にお渡ししていました。
 そんな、ある日のこと20年くらい前に所属していたコーラスグループの先輩M夫人にバッタリ。ご近所なので、町や、川の土手を散歩中や江ノ電の中で時々お会いしてはいたのですが、それまで自分の出身が小豆島と話したことが一度もありませんでした。
「お変わりなくて?」
とM夫人から声をかけていただき、思わず
「今度こんなことやるんです」
私は持っていた写真展の案内状を出して、手渡しました。
「あら、あなた小豆島なの?」
「ええ」
「ほんとに~?二十四の瞳の?うちの主人あの映画のスタッフだったのよ」
「ええっ!!。私当時あの学校にいたんです」
そして、その頃の話を本にしたこともお話しました。
ご主人のMさん照明マンとして小豆島に滞在されたそうで私は60年近く前に同じ場所に出くわしていた不思議に驚きました。20年も前にお会いしているのに今になって分かるのも驚きで、ひとの世の縁の不思議を感じずにはいられませんでした。

写真展を終えてから、Mさんご夫妻のお宅に招いていただきました。今までもお家にお寄りしたことはあってもゆっくりお邪魔するのは初めてでした。私の本もあの後本屋さんで買って読んで下さったとのこと。そしてMさんがは、撮影に行った時のスナップ写真の数々を見せてくださいました。
もう一度驚いたのは、このMさん木下組(撮影のスタッフ一同)の照明マンでありながら、この映画で竹下竹一の成人の役で出演されていたということです。Mさんあの時の子役の方とよく似ています。アルバムには、1年生役の竹一、上級生役の竹一、成人の竹一が仲良く肩を並べた写真もあります。そういえば高峰さんを偲ぶ会でお見かけした方とも今もMさんは似ているなあと思いました。
映画では竹一の出征シーンに登場しています。

今年のお正月にもまたお話に伺いました。ちょっと風邪が長引いている夫人を心配なさりながらコーヒーを立ててくださったMさん。この日も
お話に時を忘れました。
「この家も木下さんのお宅を立てた大工さんがやってくれたんだよ」
と懐かしそうに話され、今年は木下監督の生誕100年をの年で松竹、小豆島、ご出身の浜松市が行事を企画していることをお話しすると行ってみたいねとも。

ところが・・・
その後私の身辺にも思いがけないことがあり落ち着かず、Mさん夫妻にもバッタリお会いすることもなくて、日が過ぎていました。そして、数日前Mさんの親しい方からMさんが亡くなられたとお知らせがありました。
当時のことをもっともっとお話ししたいと欲張りな私は思っていましたので、悔しくてなりません。俳優になっていてもおかしくない素敵なMさん。あんなにお元気で美味しそうにビールも飲まれていたのに。ご病気が見つかってからは本当に走るようにだったのです。
享年83才。二十四の瞳が結んでくれた不思議な糸がアッという間に切れてしまって、不謹慎だけれどもったいなく悔しい。いっぱいまだ聞いていない宝物を一緒に持って行ってしまったんですMさん。本当に残念無念です。

昨日はにこやかな素敵なお写真に手を合わせながらそう思いました。

寂しいことが続きます。

Mさんの思い出アルバム

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村
お読みになられた方はこちらを1クリックお願いします
大人のための新しいネットワーク「club willbe」
blogram投票ボタン






すいすい

2012年06月15日 18時52分22秒 | Weblog
今の季節に庭や道端にピンク色の可愛い花を咲かせる紫カタバミ(花の事典による)のことを私たちちいさな学校の子供たちは「すいすい」と呼んでいました。夏になるころ畑の石垣の淵や道端、どこの家の庭の隅っこに咲いていました。カタバミは抜いても抜いても根っこが強くて絶えることはありません。
この草花の花の茎が伸びて、ピンクの花がいっぱい咲くと私たちは花の付いた茎を摘み取っては、洗いもせずに口に含み茎をがりがりとかじってその茎の汁を味わって、噛んだかすを捨てては何本も何本も口にしたものです。
「ああ!酸っぱいなあ」
「ホンマに酸いなあ」
と言いながら、食べました。
酸っぱいから「すいすい」と呼んだのでしょう。
今日、庭の「すいすい」の茎を引っ張ると根元からぱちっととれたので、洗って口に含んでみました。
「すっぱい!!」
「すいすい」の味が懐かしい分校のみんなの顔を浮かび上がらせてくれました。
子どもの頃には気づかなかった青臭い匂い。今の子はこんなもの食べてみないだろうなと思いながらもう一本噛んでみました。
そういえば「いたどり」の茎も酸っぱくてよく噛んで味わったものです。春先の「ツバメ」(つばなのこと)の甘みも口にしました。
決して美味しいものではないけれど、楽しみでした。
何年か前小豆島の友達が「いたどり」は佃煮にして食べさせてくれました。これは上手に煮るのは難しいらしいけれどいつか教えてもらいたいなあと思っています。

庭のすいすい







にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村
お読みになられた方はこちらを1クリックお願いします
大人のための新しいネットワーク「club willbe」
blogram投票ボタン




サルーキ=

2012年06月13日 01時22分47秒 | 小豆島あれこれ
">">「東京小豆島会」のゲストは何とロックンローラー
出席者の平均年齢を考えるとほとんど場違いかと思われるグループの登場でした。
ところがところが、音楽の力は本当に凄い!!
ボーカルのchiyoさん(島根県出身)のリードで全員立ち上がり両手を上げて手拍子もなかなかの乗り。いつの間にかロックンロールのライブ会場に変貌しました。
メンバーはギターの森モーリー剛さん、ドラムのすーさん(愛媛県出身)の3人。
メンバーの一人森君が小豆島の出身なのです。ご両親も上京され、小豆島会に出席されました。
路上ライブで知り合った3人が2001年に結成したこのグループ、自力で全国ツアーを繰り広げています。
「ROAD TO武道館」と題して2009年に渋谷O-WESTで500人ライブ、2011年には渋谷O-EASTで1000人ライブを成功させたのだそう。
そして今年2012年9月8日(土)には2000人ワンマンライブです。



(チラシです。クリックすると拡大します)

いい歳をして私もDVD付きチケットを購入
tenchanへとサインもしてもらっちゃいました。
私の好みの音楽とは程遠いのですが、「音楽を通して世の中にもっと愛を」を精神的テーマに掲げ、「ロックンフォーク」と名付けている素敵な若者たちを応援してみようと思いました。わくわくと元気が出るんですよ。
森君のお母様は私の母とも婦人会などでお付き合いいただいたそうで、嬉しかった。</fo</font>nt>
サルーキ=の面々
  

  

我等のモーリー


家に帰ってから、You Tubeでサルーキ=と検索し、もう一度楽しみました。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村
お読みになられた方はこちらを1クリックお願いします
大人のための新しいネットワーク「club willbe」
blogram投票ボタン






小豆島高校野球部・デイリースポーツに!!

2012年06月12日 13時42分15秒 | 小豆島あれこれ
6月6日7面いっぱいデイリースポーツ誌に母校の後輩たちが登場しています。
杉吉勇輝監督率いる小豆島高校野球部の面々です。

Enjoy Baseball
巻き起こせ!!小豆島旋風と大きな見出しです

6日夜知人から掲載を知らせるメールが…
早速自転車でコンビニに。長官なのねもう新聞の棚にはありませんでした。
アルバイトの店員さんにもうないのかしら?
と尋ねるともう取り外してあるので残っているか見てみましょうと探してくれました。
「ありましたよ」
「うわ~ありがとう。田舎の母校の野球部が1ページいっぱいに出てるんだって」
そこで広げて見せる私。
お世辞でしょうかバイトの皆さんが凄いですね。と。

しかし、
「小豆島って知ってる?」
と聞いたら3人とも知らないとのこと。
「瀬戸内海の大きな島よ」
と話しましたが・・・・

目指すは甲子園初出場と小見出しもついています。春の県大会を12人の部員で優勝を勝ち取ったからでしょう。

我弟も昔々この学校の野球部員、投手とキャッチャーやってたなあ~空の上から見ててよね。

クリックすると大きくなります



にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村
お読みになられた方はこちらを1クリックお願いします
大人のための新しいネットワーク「club willbe」
blogram投票ボタン



東京小豆島会

2012年06月11日 16時04分39秒 | 小豆島あれこれ
毎年6月恒例の「東京小豆島会」総会が昨日、明治神宮参集殿で開催されました。在京の小豆島人の集いです。
数年前から出席するようになり、私にとっては懐かしい皆様にお目にかかるのが楽しみなひと時となっています。
小豆島からもたくさんのお客様がおいでくださり、小豆島の近況などご報告くださいました。
小豆島がドンドン元気になっている様子が伝わってきます。
今年は、木下恵介監督生誕100年。壺井栄作「二十四の瞳」発刊60年の節目として田浦の映画村を中心に数々のイベントが企画されています。
http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/

そして来年は3月から第二回瀬戸内国際芸術祭が小豆島を中心に開かれるのです。
さまざまな海の道を通して、明るく平和な、美しく楽しいお祭りが繰り広げられることでしょう。

来賓の皆様は小豆島のお話を時間が少なくて思いっきり出来なかったかもしれませんが、色々な島の状況が私たちには新鮮に伝わってきました。
熱く小豆島を語る塩田幸雄小豆島町長



小豆島出身世田谷在住の藤間勘晃、ご子息晃彦両氏の日本舞踊「松の翁」


「上海」と小豆島 頓宮先生の生涯」といううタイトルでお話をされた
南堀英二土庄町教育委員会生涯教育課長

小豆島の医療のために尽くされた頓宮先生の功績を映像を使ってお話になりました。短時間でまとめられ、ご苦労なさったそうですが、とてもわかりやすく皆さん真剣にお聞きになっていました。
小豆島出身の青年がメンバーの一員というロックグループも出演別項でご紹介

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村
お読みになられた方はこちらを1クリックお願いします
大人のための新しいネットワーク「club willbe」
blogram投票ボタン