ずっと「ままかり」と「このしろ」の区別がつかないまま還暦を過ぎてしまった。「ままかり」は(さっぱ)ともいい、「このしろ」は(しんこ)((こはだ)(つなし)と大きく出世するごとに名前が変わるというが、どちらも魚類ニシン目、ニシン科に属している。図鑑にそう書いてある。
五十年以上前の春のこと。誰かのお父さんが、二斗樽一杯の小魚を持ってきたことがある。学校に住む私たち家族に届けてくださったにしては多すぎる量だった。
我が父なるおとこせんせは「うーん」とうなって考え込んでいたが、
「よし、全校体育を中止にしよう」
こんなことしょっちゅうだからだれも驚かない。生徒の誰かが畑で咲いた花を持ってきたりすると絵を描く時間になったり、特別なニュースのある日はラジオ放送を聞く時間になったりする。
たくさんのお魚を前にして
「みんなで味醂干しを作ろう」
と、言ったのだ。
このときの魚が「ままかり」だったか「このしろ」だったかが私には分からずじまいになっている。このとき、おとこせんせは瀬戸内海で獲れる小魚について話をした。「ままかり」はご飯が足りなくなるほど美味しい。「まま」「飯(まんま)」をよそに借りに行くほどに、と。そして、「このしろ」は、縁起が悪いから武士は食べない。「このしろを食う」ことは自分のお城を食うことになるからだと。この二つの話ばかりを覚えていて、この日の魚がどちらだかは記憶に無いのだ。「つなし」と言っていたような気もするから、それなら「このしろ」だったことになる。
とにかく、小魚は味醂干しにされることになった。校庭と職員住宅の間に井戸があり、その横にコンクリートで作った長い洗い場があったので、そこが調理場となった。長い杉の板を渡して、五、六年生が小刀で魚のあたまを落としおなかを開いて腸を出して行くと三、四年がきれいに水洗いをする。
「おい、誰かおなごせんせに醤油と砂糖出してもらえ」
「ほな、ミーちゃんいっしょにいてもろてこ」
と、私は台所へ行った。
「おかあちゃん。あっ。いかん。おなごせんせ、お醤油とお砂糖ください」
「のりちゃん、おかあちゃんでええやん」
と、みーちゃんが言いながらおかしそうに言った。
「区別せんといかん言われとんやもん」
「ふーん」
「ほんとは、お砂糖じゃなくて味醂を使うから味醂干しなんだけどね。味醂がないのよね。」
と、母。当時村には味醂は売っていなかったらしい。そう言いながら鍋ににお醤油とお砂糖、
「少しお酒を入れましょう」
と、お酒も入れてくれた。二人はそれぞれ鍋を抱えてそろそろと歩いた。
流し場ではどんどん魚が開きになっていた。簾をごしごし洗っている子もいる。
開いて洗われた魚をどんぶりに投げ込む子。
「ちょとく間、漬けとった方がええんとちがう?」
と、物知りのせーちゃんが声をかけてきた。
「そやね」
しばらくして、
「ほら、みんなで並べて」
上級生が、一、二年の子に声をかけると、我先にと簾の上に並べ始めた。
「いかんいかん。ちゃんと並べないかん」
開きがあっちこっちにむいて並べられているのを見て、せーちゃんは
「こやって並べるんやで」
と、きちんと整列させた。
「きをつけ。前へならえやな」
「そやそや」
そのまま食べても美味しそうな少しお醤油の色が付いた小さな開きはきちんと並んだ。簾三枚分はあった。猫に狙われそうなので校庭の真ん中にある小鳥小屋の上に簾を並べた。
数日後、味醂干しは完成したはずなのだが、記憶はここまで。
お魚の名前のことも味醂干しのこともすべてが尻切れとんぼで、なつかしい思い出なのに消化不良でもある。
五十年以上前の春のこと。誰かのお父さんが、二斗樽一杯の小魚を持ってきたことがある。学校に住む私たち家族に届けてくださったにしては多すぎる量だった。
我が父なるおとこせんせは「うーん」とうなって考え込んでいたが、
「よし、全校体育を中止にしよう」
こんなことしょっちゅうだからだれも驚かない。生徒の誰かが畑で咲いた花を持ってきたりすると絵を描く時間になったり、特別なニュースのある日はラジオ放送を聞く時間になったりする。
たくさんのお魚を前にして
「みんなで味醂干しを作ろう」
と、言ったのだ。
このときの魚が「ままかり」だったか「このしろ」だったかが私には分からずじまいになっている。このとき、おとこせんせは瀬戸内海で獲れる小魚について話をした。「ままかり」はご飯が足りなくなるほど美味しい。「まま」「飯(まんま)」をよそに借りに行くほどに、と。そして、「このしろ」は、縁起が悪いから武士は食べない。「このしろを食う」ことは自分のお城を食うことになるからだと。この二つの話ばかりを覚えていて、この日の魚がどちらだかは記憶に無いのだ。「つなし」と言っていたような気もするから、それなら「このしろ」だったことになる。
とにかく、小魚は味醂干しにされることになった。校庭と職員住宅の間に井戸があり、その横にコンクリートで作った長い洗い場があったので、そこが調理場となった。長い杉の板を渡して、五、六年生が小刀で魚のあたまを落としおなかを開いて腸を出して行くと三、四年がきれいに水洗いをする。
「おい、誰かおなごせんせに醤油と砂糖出してもらえ」
「ほな、ミーちゃんいっしょにいてもろてこ」
と、私は台所へ行った。
「おかあちゃん。あっ。いかん。おなごせんせ、お醤油とお砂糖ください」
「のりちゃん、おかあちゃんでええやん」
と、みーちゃんが言いながらおかしそうに言った。
「区別せんといかん言われとんやもん」
「ふーん」
「ほんとは、お砂糖じゃなくて味醂を使うから味醂干しなんだけどね。味醂がないのよね。」
と、母。当時村には味醂は売っていなかったらしい。そう言いながら鍋ににお醤油とお砂糖、
「少しお酒を入れましょう」
と、お酒も入れてくれた。二人はそれぞれ鍋を抱えてそろそろと歩いた。
流し場ではどんどん魚が開きになっていた。簾をごしごし洗っている子もいる。
開いて洗われた魚をどんぶりに投げ込む子。
「ちょとく間、漬けとった方がええんとちがう?」
と、物知りのせーちゃんが声をかけてきた。
「そやね」
しばらくして、
「ほら、みんなで並べて」
上級生が、一、二年の子に声をかけると、我先にと簾の上に並べ始めた。
「いかんいかん。ちゃんと並べないかん」
開きがあっちこっちにむいて並べられているのを見て、せーちゃんは
「こやって並べるんやで」
と、きちんと整列させた。
「きをつけ。前へならえやな」
「そやそや」
そのまま食べても美味しそうな少しお醤油の色が付いた小さな開きはきちんと並んだ。簾三枚分はあった。猫に狙われそうなので校庭の真ん中にある小鳥小屋の上に簾を並べた。
数日後、味醂干しは完成したはずなのだが、記憶はここまで。
お魚の名前のことも味醂干しのこともすべてが尻切れとんぼで、なつかしい思い出なのに消化不良でもある。