トマトを見ると脳の隅っこに必ず過ぎるシーンがある。
ある夏のこと。家族四人で晩ごはんを食べている時、まだ三十代だった母がご飯をほお張りながらクスクスと笑い出した。
「何がおかしいん?」
「歌が頭の中をグルグル回るのよ」
「トマトの歌やなあ、おかあちゃん」
と、弟が僕は知っとるでといった顔で母の顔を覗き込んだ。
「うふふふ」
と、肯きながら笑っている。
「なんや、はよ、言うて。なおとうちゃん」
父も何だろうという顔をしている。
「おとうちゃんの顔見てると思い出すのよ」
わけの分からないことを言う。
「今日な、おかあちゃん音楽の時間にな、オルガン弾いてトマトの歌をうたいよったんよ。ぼくは教室のぞいとったん」
弟が得意そうに言った。彼は来年一年生で昔の私のように学校の中や校庭で一人遊びで毎日を過ごしていた。
「そうなんよ。トマトの歌、どんな歌詞か知ってる?のりちゃん」
「新しい教科書やから私らは習っとらんよ。そやけど歌えるかも。聞こえてくるもんな。」
そして、歌いだした。
♪むぎわらぼうしに トマトを入れて
かかえて あるけば
暑いよ おでこ
タララタンラッタンタン♪
「そこそこ、暑いよおでこのところで、おかあちゃん、あっはっはっはいうて笑うんやで。なあ、おかあちゃん」
「そうなの。ふふふ」
母の笑いは止まらない。
母のオルガンは下手だが、父はまったくお手上げで音楽は母が受け持っていた。音楽のセンスは、父のほうがあったと思うが、オルガンが弾けないのでは授業にならない。だが、ハーモニカは二挺くわえて唱歌、童謡、流行歌、誰でも知っているようなクラッシクなど、メロディに拍子をつけて器用に吹いた。これは芸であって先生としては用をなさない。
「今日の音楽はトマトだったのよ。今年は初めてよ。この歌。それで、先ず私がお手本に歌ったのよ。ところが、『おでこ』のところにきたらね、プーって思わず吹き出しちゃって」
「なんで?」
「私がひとりで笑ってるから、みんな変な顔して、『おなごせんせ何がおかしんや』って幸男くんが聞いたの」
「ほんで」
「うん。説明したよ。『前からね、この歌の♪あついよおでこ♪のところにくるとね。おとこせんせのおでこが目に浮かぶのよ。あのおでこは、暑いやろうなって。そしたら、もう笑ろてしまうんよ。止まらないのよ』って。そしたら幸男くん『そやなあ、おとこせんせのおでこはほんまに広いわなあ』だって」
確かに父のおでこは広い。それは、若いときから目立っていて、本人が自分の顔の似顔を描くときにはそれが、似せる最大ポイントらしく大げさに広いおでこにするのだから、自ら認めている。
「トマトを歌う時は私の頭の中が笑うと決めてるから、困るのよ。笑うまい笑うまいと思うとよけいだめなんだもの」
生徒もいい迷惑だ。自分の夫の立派なおでこを思い出してげらげら笑いながら唱歌を教えてくれる先生なんて。しかし、この日子どもたちは「あついよ おでこ」のところにくるとひと際大きな声を張り上げて歌ってくれたそうだ。それからしばらくはトマトを歌うたびに、そのフレーズには過剰な反応が続いたらしい。
♪暑いよ おでこ
タララッタラッタタ♪
ある夏のこと。家族四人で晩ごはんを食べている時、まだ三十代だった母がご飯をほお張りながらクスクスと笑い出した。
「何がおかしいん?」
「歌が頭の中をグルグル回るのよ」
「トマトの歌やなあ、おかあちゃん」
と、弟が僕は知っとるでといった顔で母の顔を覗き込んだ。
「うふふふ」
と、肯きながら笑っている。
「なんや、はよ、言うて。なおとうちゃん」
父も何だろうという顔をしている。
「おとうちゃんの顔見てると思い出すのよ」
わけの分からないことを言う。
「今日な、おかあちゃん音楽の時間にな、オルガン弾いてトマトの歌をうたいよったんよ。ぼくは教室のぞいとったん」
弟が得意そうに言った。彼は来年一年生で昔の私のように学校の中や校庭で一人遊びで毎日を過ごしていた。
「そうなんよ。トマトの歌、どんな歌詞か知ってる?のりちゃん」
「新しい教科書やから私らは習っとらんよ。そやけど歌えるかも。聞こえてくるもんな。」
そして、歌いだした。
♪むぎわらぼうしに トマトを入れて
かかえて あるけば
暑いよ おでこ
タララタンラッタンタン♪
「そこそこ、暑いよおでこのところで、おかあちゃん、あっはっはっはいうて笑うんやで。なあ、おかあちゃん」
「そうなの。ふふふ」
母の笑いは止まらない。
母のオルガンは下手だが、父はまったくお手上げで音楽は母が受け持っていた。音楽のセンスは、父のほうがあったと思うが、オルガンが弾けないのでは授業にならない。だが、ハーモニカは二挺くわえて唱歌、童謡、流行歌、誰でも知っているようなクラッシクなど、メロディに拍子をつけて器用に吹いた。これは芸であって先生としては用をなさない。
「今日の音楽はトマトだったのよ。今年は初めてよ。この歌。それで、先ず私がお手本に歌ったのよ。ところが、『おでこ』のところにきたらね、プーって思わず吹き出しちゃって」
「なんで?」
「私がひとりで笑ってるから、みんな変な顔して、『おなごせんせ何がおかしんや』って幸男くんが聞いたの」
「ほんで」
「うん。説明したよ。『前からね、この歌の♪あついよおでこ♪のところにくるとね。おとこせんせのおでこが目に浮かぶのよ。あのおでこは、暑いやろうなって。そしたら、もう笑ろてしまうんよ。止まらないのよ』って。そしたら幸男くん『そやなあ、おとこせんせのおでこはほんまに広いわなあ』だって」
確かに父のおでこは広い。それは、若いときから目立っていて、本人が自分の顔の似顔を描くときにはそれが、似せる最大ポイントらしく大げさに広いおでこにするのだから、自ら認めている。
「トマトを歌う時は私の頭の中が笑うと決めてるから、困るのよ。笑うまい笑うまいと思うとよけいだめなんだもの」
生徒もいい迷惑だ。自分の夫の立派なおでこを思い出してげらげら笑いながら唱歌を教えてくれる先生なんて。しかし、この日子どもたちは「あついよ おでこ」のところにくるとひと際大きな声を張り上げて歌ってくれたそうだ。それからしばらくはトマトを歌うたびに、そのフレーズには過剰な反応が続いたらしい。
♪暑いよ おでこ
タララッタラッタタ♪