ちいさな学校(岬の分校と呼ばれて)・小豆島

小説「二十四の瞳」のラストから間もない昭和二十三年から三十二年までの分校物語。亡き両親と孫のミナとユリに贈ります。

従弟のお店「Caju果樹」

2013年08月31日 01時12分06秒 | 日々の暮らし
定年後起業する人が多くなっているが、従弟のKちゃんもその一人。
数年前にジェラードのお店を開いた。奥さんも定年を待たず参加。お店は香川県のさぬき市にある。私の母の妹の子で、明るくて一徹なところがある。
温室にはイチゴや、無花果、ブルーベリー等色々な果物が実っている。四季折々の果実はこの温室のものと近隣の農家から直接仕入れて、ジェラードに練りこみ夫婦で手作りしている。ミルクにもこだわっている。
だんだんと口コミで人から人へ伝わり、最近では多くのお客様が訪れてくださると叔母がやっと安心した声で話してくれる。

先日テレビで紹介されたそうで、私はそれを知らなかったので見損なったのだけれど、隣に住む義妹と子供たちが観て、おねえさんんが話していた従弟さんのお店だったのかしらと声をかけてくれた。

このジェラード、アイス系のものが苦手な私も大好き。
先日、もう一人の従兄がいろんな種類の「Caju果樹」ジェラードを送ってくれた。
お店では、テレビで紹介されて以来、問い合わせの電話で注文が殺到し嬉しい悲鳴を上げているらしい。

思い切って起業したことにもびっくりしたが、ここまでになってもっとびっくりしている。
みなさんどうぞよろしくお願いいたします。

   http://cajucaju.jp/

        

    私に送られてきたジェラードたち

           
            


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開高健記念館

2013年08月29日 22時46分47秒 | 日々の暮らし
夫の残した本が数えるのも億劫なほどある。孫娘が幼稚園の頃「君にこの本は全部あげるよ」と言ったらしい。
「この本何とかしなくちゃね。古本屋さんに引き取ってもらおうか」
と、娘と話していたら、この幼稚園生
「この本は全部Mちゃんにあげるからね。ってじいじが言ったよ」
そんなこと私は聞いていなかった。

これらの本の読書記録が残っているが、本の行き先については記していない。
こんなことを聞いたら、処分できなくなったままもうすぐ一昔になってしまう。

お盆でお参りに来て、今は中二になった孫娘は、何を思ったのか、じいじの書棚からやおら一冊の本を取り出した。彼女はかつてこの本たちは自分のものと言ったけれど、これらの本の背表紙を見てもこれまで手に取ることはなく、本の題も本人の理解を超えるものばかりだから、仕方のないと思いながら書棚はほったらかしになっていたのだ。
「なんか面白そう」
そう言って読み始め、
「これで宿題の感想文を書こう」
と、つぶやいた。
開高健さんのエッセイ。

夫は自分にはない冒険心を持っている開高さんの本をかなり読んでいたらしい。お酒や食べ物に興味があったのだろう。ベトナム戦争関連の小説もある。

彼女が手にしたのは
「小説家のメニュー」



読み始めた彼女に、
「そういえば、じいじが開高健記念館に行こう行こうといいながら具合が悪くなって行けなかったんだよね。お盆だから行ってみようか」
と誘ってみた。
「うん。いいねえ」
そう言ったのは彼女の母親。
話はとんとんと進み一緒に出掛けた。
開高さんのお住まいがそのまま記念館として整えられ、寄贈された茅ヶ崎市が管理している。 

http://kaiko.jp/kinenkan/  
                   

わたしはこの作家の本はほとんど読んでいないので語ることも出来ない。
展示物や、生活の品々、書斎、海や大河での獲物のはく製などをじっくり見せていただきながら、家にある本だけでも読んでもう一度来ようと思った。

孫娘は門の横に刻まれた言葉に魅かれたらしい。
悠々として急げ

悠々とし過ぎていて、急がない子だと親は言っている。ポストカードを買っていた。

        

「出版人マグナ・カルタ九章」
と題した憲法を残している。夫に土産としてクリアファイルに印刷されているものを購入。供える。

           

読書感想文はどうなったのだろうか。そろそろ夏休みも終わる。

   


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宵宮

2013年08月26日 18時50分41秒 | 日々の暮らし
明日はお祭り。今日は宵宮で町内を山車が回りました。明日は各町内からたくさんの山車が神社に集まり賑わいます。我が家の近くは戦後の住宅地で他の地区のような古くて立派な山車はありません。新型の山車を35年くらい前に作って大切にしています。
私は、今年は神社には遠慮します。
家の前を通り過ぎていく山車を覗きに出ました。
子どもが小さいころは一緒に歩いたものです。娘も笛を吹いていましたっけ。

              

                    


我町内では子供さんがたくさんいて楽しそうです。小豆島の秋祭りが懐かしい私です。

     御行シルバー会の会長さん方も最後尾を守ってくださっています。(ピンボケです)


     




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ごめんなさい。写真展はやっていませんでした

2013年08月25日 13時47分02秒 | 小豆島あれこれ
前にブログでお知らせした父の写真を見ようと
千葉に出かけてきましたが、三越では安倍朱美先生の二十四の瞳人形展の会場には展示が叶わなかったようです。

もしお出かけ下さった方がありましたら拍子抜けされることでしょう。でも安倍先生の素晴らしいお人形に懐かしさと愛をいっぱい感じられる空間です。
確認不足でした。
本当にお許し下さい。

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小豆島から茹で蛸が

2013年08月19日 10時50分07秒 | 小豆島あれこれ
お盆前のこと。小豆島で漁業に携わっている友人から、思いがけない贈り物が届きました。茹で蛸です。
子どもの頃田浦でタコツボ漁に連れて行ってくだっさった山下さんの孫弟子だと自称している彼は、忘れたころに小豆島の海で獲れたものを送ってくれるのです。
生の蛸が何匹も入っていた時は、粗塩で揉み、熱湯で茹でたのですが久しぶりで緊張したのを覚えています。今回は茹でた蛸でくるりと足が巻き込まれていたのでほっとしました。
すぐにお隣の義弟宅に一つ。それから娘のところまで車でひとっ走り、一つ。帰宅して残りを冷凍するために切りました。
そこで「あっ!写真撮るのわすれた!!」
後の祭りです。
そこでこんな写真になりました。

              

食べてしまってから気づいたら馬鹿みたいですけど。セーフです。
それから、足を数本近所の友達に届け、私はビールの肴に舌鼓を打ち幸せでした。
ありがとうございました。MONちゃん




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地元の老人会で“小豆島・映画「二十四の瞳」・そして”と題してお話をしました

2013年08月15日 13時03分59秒 | 小豆島あれこれ
地元の老人会は主人の母も長く参加していて、楽しいことがいっぱいあったようです。その母も先月あちらの世界に逝ってしまいました。
ブログの更新をストップしていたのはこんな訳です。
今はお盆中で仏様がみなさん帰宅しています。
来年は母も一緒です。
その母の所属していた湘南御行会のお誕生日の集まりのなかで「小豆島、二十四の瞳、そして」と題しておこがましくも私がお話することに。母が亡くなる数ヵ月前にこのことは決まっていたので、予定通りに開かれました。
実は、以前にもここで書きましたが、ついこの間までこの老人会で写真を撮って下さったり、会計を担当されていた三浦礼さんが、映画「二十四の瞳」と深いつながりがあったことが、このことの始まりです。

三浦さんの奥様とはもう25年ほど前に地元の女性コーラスでご一緒したことがありました。私は家庭の事情で早くにやめてしまったのですが、時折お散歩中の三浦さんご夫婦にお会いすることがあり、短いおしゃべりをしていました。
二年前にわたしの父の写真展を小豆島の岬の分校で開催していただけることになり、岬の分校保存会から写真展へのご案内のポストカードが、送られてきたので、バッグの中に入れておき、お会いした方にお渡しして、ささやかな宣伝活動をしていました。
そんな時三浦さんの奥様にバッタリ。このポストカードをお見せしたのです。
「あなた、小豆島のご出身? 二十四の瞳と関係があるの?今まで知らなかったわね」
それまで、小豆島出身など話す必要もなかったのですから。
「うちの主人、当時木下組の照明マンで二十四の瞳の撮影で小豆島に行っていたのよ」
と、おっしゃったときはゾクッと身震いをしてしまいました。

その後、お宅に伺って色んなお話をしました。当時の写真を見せていただいたり、スタッフ用の台本を見せていただいたり、二十四の瞳を通しての不思議なご縁にしばらくは心が落ち着きませんでした。
ところがその後、1年もたたないうちに三浦礼さんが、ご他界。もっともっとお話を伺いたいと思っていたので悔しくてなりませんでした。
そんなことから、今回のお話の会に発展したのです。
小豆島のこと、小説二十四の瞳と壺井栄さんのこと、映画の撮影時の思い出、田浦分校のこと、映画の後の分校の様子等々、原稿を用意してその流れに沿ってお話をしました。こんな経験は初めてだったので、緊張しましたが、30名足らずの皆さんが聞き入ってく下さっているのが見えて、気持ちが落ち着き色々な話を脱線しながら続けることが出来ました。
数年前に小豆島旅行をなっさったという前会長さんはとても懐かしいと言ってくださり、皆さんに一度行ってらっしゃいと宣伝までして下さって。

三浦さんの奥様も見えて、礼さんのお話を聞いていただけ嬉しい会となりました。
最後に皆さんで、映画の中で流れていた「七つの子」「ふるさと」「浜辺の歌」「荒城の月」を大合唱。
初体験のお話会は無事終了しました。

お土産に江の島・玉屋の羊羹と扇やのお赤飯と江ノ電最中をお土産に頂き、母の霊前にお供えしました。
           
           会の方が撮影して下さったスナップです
 
           

            小豆島の地図は友人の手描きです

            三浦礼さんの思い出の写真
              
  玉屋の羊羹


                 

            扇やの江ノ電もなか
             
                 




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軽井沢観光会館で写真展が

2013年08月06日 10時10分41秒 | 小豆島あれこれ
TV「二十四の瞳」感慨深く観ました。顔見知りの方もちらほら。多くの方がまた二十四の瞳を見て平和について考えられたのではないでしょうか。

二十四の瞳映画村の有本さんからご連絡がありましたのでご案内いたします。

「池田正輔の田浦分校の写真展」が下記の会場で開催されるそうです。
30点ばかりだそうです。
人形作家の安部朱美さんの昭和の人形展に同行させていただいているそうです。

http://showa-dollart.jp/

軽井沢観光会館  8月2日から19日まで

千葉三越  8月24日から9月2日まで


私は事情があって会場に行けそうにありません。千葉には行けたらと思っているのですが。
お近くの方はお出かけください。よろしくお願いいたします。今後関東で二か所まわしていただけるかもしれません。

     小豆島での写真展の様子です


             
        



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