ターザンが教えてくれた

風にかすれる、遠い国の歌

2009-07-20 00:07:27 | 日々


自分の気持ちをちゃんと口に出すべきか、
それとも、お互いに口に出さないままでも
伝わる何かを求めるのか。

おまえはいったいどちらが大事だと思うのかと問われれば、
やはり自分は「想いはちゃんと口に出さなくちゃ」と答える。
言葉ってやつはほんとうに頼りないものだけど
でも、それでもやはり声にして相手に言わなくちゃと答える。

でも、さ、
時には黙っていても理解してくれたらいいのにと、
ちょっとだけこころのどこかでもってそんなことを願い、
ここまでがんばって言葉にしても
ほんの少しだけしか相手に届かないものならば、
いっそ、黙っていても少しは理解してよ、と、
いっそ、黙っていても少しは近づいてきてくれよと、
そんなわがままを時には言ってみたくなる。




友達ってなんだろうって。

自分にやさしい言葉を掛けてくれたから
だから、友達だとか、
自分と同じものを感じて同じことを考えているから
だから、親友だとか、
そんな声が聞こえる。

けれども、

さ、

それって友情なのか?
それって親友なのか?
って訝(いぶか)しがってこころから疑ったりしたら
おそらくこの僕は叱られるんだろうな。
冷たい人間だと叱られるんだろうな。


仲間ってなんだろうって思う。

何か同じものに夢中になって真剣になって
意見が似ていて望みが似ていて
だからそのような同じような仲間ってやつが
ひとり、またひとりと増えて行く。

でも、さ、

仲間っていうやつは、
ある日誰かが「じゃあね」と言って手を振って抜けて行く。
そして、また
ある日誰かが「どうぞよろしく」と頭を下げて参加する。

仲間ってそういうもんだよなぁって思う。
よくもわるくもね。
仲間ってやつは、
いつでもそのメンバーは入れ替え可能なんだよなあって。
ふーん。。。取替えがきくんだ。。。と、
そんな、誰かに叱られそうな事をちょっとだけ思ってみる。

「それってひょっとしてとても寂しいことなのかい?」と、
誰かに怒られそうな事を書いてみる。


じゃあさ、
寂しくないってことって何だろう?って
寂しくないってことってどんなこと?って
僕は本気で尋ねたくなってしまう。


友達ってやつは、
たとえ、同じ音楽が好きじゃなくても
たとえ、同じ食事が好みではなくても
しゃべり方が同じじゃなくても
同じ夢を見ていなくても
歩き方や、笑い方が同じじゃなくても

でも、さ、
それでも、どうしても惹かれ合って
時にはこいつと話をしたいなって
そんなことを思ったりさ。

いや、もっとちゃんと表現するならば、
趣味が同じだろうが、同じじゃないだろうが
どこで育ったとか、どんな暮らしをしてきたかとか
そんなことなんて全く関係ないところで、
っていうか

「何で自分はこの人と会って話をしたいんだろう?」と、

ちっともわからないままにでも、
気がつけばもう知り合って10年だねぇと、
ある日振り返って静かに思えるような、そんなことこそが
僕にとってのかけがえのない相手なんだろうなと、今思う。


「俺たち友達だよね」と口に出して訊かれれば、
とたんに自分は身を硬くする。
「私たちの間にはかけがえのない友情があるものね」と
じっと目を見て確かめられたらば、
とたんに僕はそこに居場所を失ってしまう。

怖いから、尋ねるんだ。と、

淋しいから、確認するんだ。と、

頑なに人を握り締めようとする湿った声が
この自分にまで及んでしまいそうになって

僕は、急いで外の空気を吸ってみたくなってしまう。

なんて言ったら、誰かに叱られるのかなぁ、ねえ?






そんな事を簡単に翻してくれるように

そんな事を笑い飛ばしてくれるように

僕はその声を聴きたいために

僕はこんな夜更けに電話を掛けてしまいそうになる





あのさ、

ちょっと変な話をしていい?



自分のさ、身体の中で消化されて
たっぷりと栄養を取られた後の食べ物は
大きいものと小さいものと
いつでも自分の中に持っているものだけど、

それが一旦、身体から外に出てしまうと
とたんに汚く汚れたものになってしまうよね。

でもさ、
つい先程まではその汚れた汚いと思うものは
たっぷりとこの自分の腹の中にあったわけでさ。

でも、さ、
人はそのことを常に気にかけて、
「ああ、自分の中にはこんなにも汚いものがある」と
悩んで苦しんでノイローゼになったりは当然だけどしない。

同じものものなのに、何故?だろうね。

この自分の身体の中にあるのか、
それとも、身体の外にあるのか。

言い換えれば、
この自分自身と同じものだと思うのか、
この自分とはまったく違う異質なものだと思うのか。

人の感情ってそういうものらしい。

自分との距離によって
近しいものと遠いものって、そう判断するんだよね。

自分と遠くに感じるものは
それが少々傷付いてしまおうが
それが少々悲しんでしまおうが
どれも他人ごと、
だからすぐに忘れてしまう。

自分と近くに感じるものは
それの痛みも自分の事のように辛く
そして、また
それの喜びもまるで自分自身のことのように嬉しい。

子供の親というものが、
我が子のためだったら何でも出来るって、
わが身も捨てて愛する事ができるのは、
子供という存在を自分と同じものって感じてるからなんだよね。
この自分の身体と同じものって感じているからなんだよね。

だからそこに愛というものがあるのだと思う。

かわいい顔だからとか、
美しい声だからだとか、
やさしいからとか、素直だからとか、
そんなことでもって
そんな条件でもって
我が子供を大事なものだと思うわけじゃないんだよ。

と、この自分は思うんだ。



昨夜聴いた歌の中に、こんな言葉があった。



 100年前も100年後も
 私がいないことでは同じ
 同じことなのに
 生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
           



100年にも満たない人間の時間、
この地上の営みの年月から見てみれば
それは、ほんの瞬きひとつの一瞬なんだよね。

ほんの、あっという間。

その自分が存在するという一瞬があるのと同じように、
また他の誰かの一瞬というものも同じようにここにある。

その誰かの一瞬とまた誰かの一瞬が
同じ満員電車に乗り合わせたり、
同じ病院の待合室で隣同士で腰掛けていたりする。

誰かの一瞬と、誰かの一瞬が
近所のスーパーの入り口ですれ違ったり、
偶然に同じ職場で仕事をしたり

だから、さ、

そう考えてみると、
あんなに自分とは違う他人だと思っていたものなのに
あんなにこの自分とは異なる異質なものだと思っていたのに

なぜか、ひとつだけ同じものが見えてくる
なぜか、ひとつだけの自分と同じというものが見えてくる

100年前だったらここには居なかった
100年後だったらここには居なかった

そんな同じ自分と他人

ちっぽけな、ほんとうにちっぽけなこの自分が感じる
どうだから好きだとか
どうだから嫌いだとか
ああだから一緒に居たいだとか
こうだから離れてしまいたいだとか

さ、

そんなことさえ忘れてしまうような意味。
そんなことさえどうでもよくなってしまうような理由。

だから、だからこそ

これだけの人がここにいて
これだけの人が息づいているのだろうなって思う。

だからさ、

人間なんて、
他の何とも取り替えることなんて叶わないもの。

だからさ、

友達なんて
他の誰とも取り替えるなんて出来ないもの。


自分と同じにみゆきさんの音楽が好きだから、とか、
身体を鍛えることが好きだから、とか、
同じ場所で生まれて同じ風景を眺めたから、とか、
そして、また、
これからも同じ道を一緒にずっと歩いて行くのだから、とか、さ、

そんなことなんて、ほんとは理由になんかなっちゃいなんだ。

「どうしてこの俺と友達でいたいんだ?」って
そう君が訊くのだったら、

それが一番わからないのは、そう、この僕自身なんだよ。
理由を、思い当たる理由を探すほどにわからないんだよ。

だから、さ、考える。

こころに響く好きな音楽を聞きながら、
思い出の本をもう一度読み返しながら、
僕はそのことを考える。


「ただ、他の誰とも代わりはいないからだ」って、

今、僕はそう答えるだろうな。

と、思う。

自分は君に向かってきっとそう答えるんだ、と思う。










                永久欠番 / 中島みゆき  
                   アルバム「歌でしか言えない」
                蛍 / 鬼束ちひろ  シングル「蛍」