ターザンが教えてくれた

風にかすれる、遠い国の歌

ブルースを歌いてえ 2

2012-03-14 15:24:51 | 物語という昨日


忘れたころに続くものがたりですけど

よろしければお付き合いのほどを・・・


       前編はこちら ブルースを歌いてえ


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窓の外には
午前中まだ早い時間の
白い陽に照らされた木々の若葉が
その伸びた幹が風になびいて
大きくしならせているのが見える。

木々の間には
規則的な間隔で設けられた
幅の細いコンクリートの歩道が通っていて、
周りのビルから溢れ出てきた人や
大きなカバンを持って
早足で急ぐ人たちが頻繁に行き交いながら
慌しい一日の活動というものが
もうすでに始まっているんだと言うことを
それを眺めるものに強く思い知らせた。

横に広い窓を背にして
ちょうど一列に並んだデスクの
一番奥にある自分の席に座って、
浩介は先ほど給湯室に行き自分で作ってきた
大きなカップに入った珈琲を飲んでいた。

「水谷さん、今日は香水付けてんるんですか、
 いつもと雰囲気が違う感じですね」

「ああそうだよ。な、すげーいい匂いするだろ」

声を掛けてきた同じ課の女性社員に浩介がそう答えると
隣の席にいた浩介の同僚の男が遮って言った。

「いやいや、こいつはそんなのとは違うんだよ、
 夕べの深酒を隠してるんだよなそうやって。
 ほら、中川さんこいつの側へ来て見てよ、
 たいへんに酒くさいからさ」

「おまえなぁ、そんなのと違うって何だよ」

浩介はそう言って同僚の顔を見た。

「そんないい匂いはおまえには似合わないんだってよ、
 ね、中川さんそう言ってやってよ。
 おまえにはもったいないってさ」

同僚は笑ってそう言った。

中川さんと呼ばれた女性社員は
話しにつられて
ふたりの側に立ちながら
しばらく笑って聞いていたが
最後に「とても素敵ですよ」とだけ言うと
奥にある会議室の方へ歩いて行った。

「ほらみろ、素敵ですっだてよ、俺」

「何が素敵なもんか。
 彼女は気を使ったんだよ。
 いつだって飲んだくれてばかりいる
 ひとりもんの男にさ」

「何だよそれは、
 おまえもそんなひどいこと言うなよな」

「他の奴にも言われてるのか?」

「ああ、ついこの前も友達に言われた」

「な、そうだろ。その相手も思ってるんだよ。
 ひとりぽっちで毎晩飲み歩いてばかりで
 いったいこいつは何やってんだって」

「そういうのがいいんだよ、俺は、気楽でさ」

「まぁ、そうだけどな」

同僚が続けて何かを話そうとした時に
浩介のアシスタントの女の子が
そろそろ会議が始まる時間だと言って浩介を呼びに来た。

浩介は「ありがとう、すぐに行く」と答えると
デスクの上にある必要な書類を持ち部屋を出た。

通路を歩いてちょうど中程の階段で
一階下のフロアに降りると
エレベーターホールの脇に設けられている
厚いガラスの囲いで仕切られた
誰もいない喫煙ブースの扉を押して中に入った。

ズボンのポケットから煙草を取り出すと
パッケージから一本つまんで口に咥え
ライターで火をつけた。

片手をポケットに入れたままでそこに立ち
浩介は煙草を吸った。
肩をゆっくりと持ち上げながら
煙草の煙を吸い込んだあとで少し止め、
今度は煙草を口から離して静かに息を吐いた。

ほんのりと青白い煙のかたまりが
行き場をなくしたように浩介の目の前に浮かんだ。



 

 

それからの2週間ほどは
浩介の所属する部署が今度新しく手がける
新規事業のための準備で公私共に忙殺された。
週の中ほどになって高橋英司から飲みに誘われたのが
唯一といっていい浩介にとっての息抜きになった。

浩介の前の会社で一緒に働いていた高橋は
お互いに歳も近い事もあって何かと馬が合い、
浩介がその会社をやめて今の職場へ移った後になっても
そうやって事あるごとにお互いに呼び出しては一緒に酒を飲んだ。






次の週の金曜日になって
浩介はようやく実家のある房総へ向かった。

地下鉄で東京駅まで出たらあとは特急電車へ乗り
およそ2時間ほどで浩介の生まれ育った港町へ到着した。
東京駅から走り出した特急電車は
そのまま地下トンネルを走った後、
東京湾の埋立地の中ほどでのっそりと地上に出た。

その後は一度だけ途中の駅に止まったあとは走り通して
そのままゆるやかに千葉県に入った。

房総半島の内側を走る路線を走って
最初の大きなターミナル駅に停車したあたりから
それまで窓の外に見えていた
都会の閉塞感が急速に消えて行き、
そのあとは、
のどかな風景と言っていいような房総の土地を
電車は幾分スピードを落としながら進んで行った。

浩介は東京駅の売店で購入した
1ダースパックの缶ビールを
途切れることなく飲み続けていて、
一本を飲み終えて缶が空になると
それを丹念に靴の裏を使って平らに潰したあと
ビールを買った売店の女性が一緒に付けてくれた
大きな紙の袋の中へ溜めていった。



「水谷くん」

浩介が線路の向こうにちらちらと見え始めている
外房の海を眺めながら
新しい缶ビールに口をつけたところで
不意に浩介の肩越しに女性の声がした。

浩介が振り返ると、
嬉しそうに笑いかける女性が立っていた。
そろそろ気持ちよく酒に酔った自分の記憶の中で
もう随分昔の事のように思える
田舎町の高校生だった頃の自分たちが蘇った。

「おお、すっげえ久しぶりだなあ。びっくりしたぞ」

「やっぱりね。向こうの車両から見ていて
 すぐにわかったわよ、あ、水谷君だって」

「相変わらずいい男だろ?」

「あはは、そうね、そうそう今も変らず色男の水谷君だわ。
 ねえ、ここいい?」

「お、いいぞいいぞ、座ってくれ」

女性は浩介の隣の席へ腰を下ろした。

「みんなどうしてんだ? 元気なのか?」

「高校出てから随分経つんだもの、みんないろいろよ。
 もう3回も離婚を経験したのもいるわよ」

「それは、それは」

「なんて言ってるこの私はまだ一度目だわ」

「結婚してたのか」

「ええ」

「で、離婚したのか」

「ええ、離婚したの」

「子供は?」

「できなかったわ」

「そうか」

そう言って浩介は頷きながらビールを飲んだ。
ビールのパックから一本抜き取ってに勧めてみたが
相手の女性は首を小さく横に振った。

「水谷君はどうなのよ」

「まぁ、相変わらずだな。
 ちょっとは変わってもいーんじゃね?って、
 自分で思うほど相変わらずだなぁ」

「相変わらずっていうのも貴重な事だわ。
 久しぶりじゃないのこっちへ帰ってくるの」

「そうだな、すげえ久しぶり」

「ゆっくりしていけばいいのに」

「まあな、いろいろ忙しくてな」

「水谷君ってお酒が強いのね」

すでに半分以上を抜き取った後の
缶ビールのパックを見て女性が言った。

「自慢できんのはこれだけだな、俺は」

浩介はそう言って笑った。

「飲める間にたくさん飲むといいわ。
 歳を取るなんてすぐよ」

「おまえ、いい事言うなぁ」

浩介は一度真顔になったあとに
もう一度笑ってそう言った。

「あの優等生だった恵理がそんなことを言うのか。
 随分と変わったなぁ」

「それはそうよ。いろいろあったのよこれでも。
 でもおかげでやっと少しだけ大人になったのかもね」

「大人になったのか、俺たち」

「ええ、そうであって欲しいわ」

彼女はそう言って
薄手のカーディガンを羽織った自分の肩に
身体の前で交差させた両手を当てると
ほんの少しだけ身をすくめて笑って見せた。

彼女が電話番号を教えて欲しいと言うので
浩介は自分のメールアドレスと共に彼女に教えた。



列車の窓の外には
すぐ目の前を走り去る民家の屋根の向こうに
穏やかな房総の海原が見えていた。

昼下がりの穏やかな日差しが
浅い角度の上空から満遍なく照らしていて、
浩介が高校を出るまで過ごした田舎町の風景が
久しぶりに浩介の目の前に広がった。









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37.8℃ 4

2011-02-23 10:17:49 | 物語という昨日
亮一は早々に仕事を切り上げると
地下鉄に乗って智明のマンションへ向かった。

今日の朝、部屋を出るときから手に持っていた
小ぶりのボストンバックの中には、
旅行のための身支度をそろえたあと
まだ十分に余裕のある隙間へ
仕事場の近くにあるスーパーで買ってきた
ビールの缶を詰め込んでいた。

マンションの扉を開けて中へ入ると、
部屋の中は静かで空気が冷たかった。

部屋の電気をつけてボストンバックを床に置き、
それからエアコンと炬燵のスイッチを入れた。

キッチンへ行き
やかんに少量の水を入れて火にかけた。
それから、洗いかごの中にあった
大きなマグカップにインスタントコーヒーの粉を入れ
そこへ沸いたばかりのやかんの湯を注いた。

リビングの床に座って炬燵に入ると
誰も居ない部屋で熱いコーヒーを飲んだ。

智明の匂いがするなあ、と
亮一は思った。

智明の吸う煙草の煙や
その他の日々の生活から出る匂い。
洗濯した衣服からの香りに
智明自身の体臭などが
それぞれにうっすらと交じり合っては
いつだって亮一の気持ちを
安心させていい気分にする
ある種の芳香をつくっていた。

亮一がゆっくりと時間をかけて
コーヒーを飲み終わったところで、
玄関のドアを開ける音がした。

「亮一!お待たせ。寒いねー」

と言いながら仕事の終わった智明が帰ってきた。

「おお、おつかれ、おつかれ
 すぐに飯食いにいくか?俺、すげー腹ペコ」

「だろーと思ってさ、弁当買ってきたんだ」

「おー、気が利くなあ」

智明は、手に提げた弁当の入った袋を亮一に渡すと、
洗面台で手をよく洗い、
着ていた作業着を脱ぐとそれを洗濯カゴへ放り入れた。
それから洗い古しのジャージに着替えると
リビングに行き亮一の隣へ座った。

「ビール飲むか?」

そう言うと亮一は自分のボストンバックの中から
まだ十分に冷たい缶ビールを取り出して、
それを智明に渡した。

「車の調子はどうだ?」

と亮一が訊くと

「いやあ、もう最高だよ、ほんと、
 無理しても買ってよかった」

智明は嬉しそうに笑いながら答えた。

「じゃあ明日も万全だな」

「おう、いいねいいね、
 長距離での車の具合も見たいしさ」

ふたりは、智明の買ってきた弁当を頬張りながら
明日の箱根までのルートを確認した。

「向こうはまだ雪残ってるかなあ」

「どーだろうな、こんだけ気温が高いと
 もう山の雪も溶けてんのかもしれねえな」

「そっかあ、じゃあちっと残念、
 雪っていいじゃん、俺好きなんだよな」

「わかるけどよ、でもこんな冬の終わりに
 雪解けの温泉ってのもいいもんだぞ」

「亮一、なにテレビのアナウンサーみたいなこと言ってんだよ」

智明はそう言って笑った。

「笑うなよー、
 この前旅行会社の姉ちゃんが言ってたんだよ
 ちょうど雪解けの季節ですねってさ」

亮一はすでに3本目のビールの缶を開けながら言った。

「明日天気どーかなあ、晴れっといいなあ」

「明日は一日中晴れていいお天気でしょう。
 って、テレビのアナウンサーが言ってた」

そう言って今度は亮一は笑った。

智明は、

「あー、もう、むちゃくちゃ楽しみじゃん、
 俺、亮一と一緒に行けてすげえ嬉しいよ」
 
そう言うと
弁当の最後の一口を食べ終わり
テーブルの上にあるビールを飲んだ。

亮一はふたりの食べ終えた弁当の箱を
テーブルの向こうへ押しやると
手に持った缶に残っていた半分ほどのビールを
一気に飲み干した。

そして、胡坐をかいた智明の肩に手をかけて
その身体を自分の傍らへ抱き寄せると
智明の履いているジャージの股の間を
手の平でぎゅっとつかんだ。

「亮一、ちょっ、駄目だよ、
 俺、シャワーも浴びてねーし」

「大丈夫だよ、ちょっとしかやんないから」

そう言って亮一は智明の身体を床に倒すと
その上からのしかかって抱いた。

ほどよく酒に酔った身体は熱くて
その重さが心地よかった。

はじめはふたりとも
ほんの冗談のつもりだったのだが、
次第にお互いの息はあがり
やがてその行為に夢中になった。








窓の外がすっかり明るくなってから
亮一はようやく目を覚ました。

昨夜は結局あれから夜遅くまで
裸で抱き合ったあと
ふたりで酒を飲みながら
リビングの床で寝てしまった。

亮一は包まっていた毛布から起き上がると
そのままキッチンへ行き
水道の水を飲んだ。 

プラスチックのコップに入れた水を
ほんの一口飲み込んだとたんに
亮一は顔をしかめた。

喉が痛い。

喉の奥が炎症を起こしていて、
ほんの一口の水を飲むだけで
驚くほどの強い痛みが走った。

幸いにまだ発熱はしていないようだが
背中は妙な寒気を感じていて
この分だとすぐにでも熱は上がるだろう。

しまった、風邪だ。
この分ではとても温泉どころではないぞ、と
亮一は思った。

亮一は部屋の隅に転がっていた
自分の下着を履き、そのあとで
同じく床に投げ出されていた
グレイのジャージを拾ってそれを着た。

亮一の足元では
智明が毛布に包まって眠り込んでいた。

その夢の中では
もうすでに温泉の湯に浸かって
鼻歌でも歌っているかのような
あきれるほどに無邪気な顔をして寝ていた。

亮一は智明の肩まで毛布を掛け直すと
自分はそのまま炬燵の中へ潜り込んだ。

そしてテーブルの上にある
グラスに残っていた酒をひとくち飲んだ。

喉が痛てえなあと思いながら
それでも結局は
グラスに半分ほど残っていた酒を
全部飲んでしまった。

亮一が座っている正面には窓があった。

見上げたその窓の外には
穏やかな冬の終わりの空が広がっていて
ゆるい陽の光が遠くのビルを白く照らし、
窓の下半分には部屋の温度によってできた
小さな水滴が何本もの筋を作っていた。

部屋の中は午前中の
低い日差しが差し込んでいてあたたかく、
昨夜の煙草と酒の匂いが
まだうっすらと漂っていた。

そして、このマンションの中には
まるで自分と智明のふたりだけしか
住んでいないのかと思うほど静まったなか
炬燵に入った自分のすぐ横で寝ている
智明の寝息だけが聞こえていた。

智明の短く切りそろえた髪の毛は、
もともと幾分色の薄い茶色なのだけど、
窓の日差しに照らされて
まるで鮮やかな金髪に見えた。

寝返りをうった智明に
もう一度毛布を肩まで掛け直すと、
亮一は炬燵から出て立ち上がり
用を足しに行こうとして
リビングの扉を開けて廊下へ出た。

そして
もう一度部屋を振り返えって見ると

これも、悪くはねーかな。

と、そう思った。







       「37.8℃」   おわり



       sonny clark trio /
       sonny clark Blue Note Records




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37.8℃ 3

2011-02-22 09:10:02 | 物語という昨日


電話を切ると、
亮一はカップに半分ほど残っていた珈琲を飲み干し、
空いたカップと朝食を食べ終えた皿を持って
キッチンに向かった。

角に大きなアールの付いたシンクには
たくさんの食器が水に漬かったままになっていて、
亮一はその隙間へ手に持った皿とカップを沈めた。

キッチンから出て、
そのすぐ隣にあるトイレのドアを開けると
中に入り用を足した。

トイレから出て一旦リビングに戻った亮一は
陽の当たる窓際で
着古してくたくたになった
グレーのトレーナーを頭から脱ぎ
そのあとで、同じ生地で出来た
グレーのパンツをくるぶしまで一気に下ろした。

いつものジーンズを穿き
シャツとダウンジャケットを羽織ると、
携帯電話と財布をそれぞれ
ジャケットの胸元のポケットと
ジーンズの尻にあるポケットに入れた。

自分の部屋を見回し
エアコンの設定温度を少し下げ
そのまま部屋を出て廊下に続く扉を閉めた。

玄関を出てエレベーターに乗り
一階のマンションのエントランスから一歩外へ出ると
冷たく乾燥した風が亮一の足元を吹きぬけた。

亮一は駅の窓口に併設されている
旅行会社にやって来ると、
入り口のスタンドにズラリと並べられた
温泉旅行のカタログを
端からひとつひとつ順に眺めて行った。

この季節にはうってつけの
雰囲気のよい各地の温泉地へと誘ううたい文句を
カラフルな色で大きく印刷したカタログは
どれもが非常に魅力的に映った。

亮一は小一時間ほどかけてすべてに目を通した後で、
一旦そこを離れ
駅の反対側にある小さなコーヒーショップへ入った。

カウンターで珈琲を受け取ると
窓際の席に座り、
目の前のテーブルの上に先ほどもらって来た
数枚の旅行のカタログを並べた。

大きな見出しで目的地が印刷された
それらのカタログを眺めながら、
智明の言うように箱根も悪くはないなと亮一は思っていた。

ずっと昔から気軽な温泉地としては
誰もがとっくに聞き飽きたと思うほどの行き先なのだが、
その何の変哲もない非常に無難なイメージが
逆に今の自分達にとっては心地良いものに思えた。

斬新な企画やその他のイベントなど
そんな驚くことがない代わりに、
昔から大勢の人が楽しんで来た
予定調和的な温泉旅行に身を任せてしまうことで
適度に快適な息抜きになるはずだ。

それに、
箱根の山を目前に眺めながら露天風呂に浸かる
智明のその姿を亮一は是非に眺めてみたいと
そう思いながら
カップに残った珈琲を一口で飲み干した。







東京からの電車が到着するふもとの駅から
一旦乗り換えて出発した登山電車は、
驚くほど急な斜面を登って走り、
途中で何度か進行方向を変えながら
およそ20分ほどで目的の小さな駅に着く。

駅から続く車道を離れ、
谷間に向けて石段を
いくつも下ったところにある露天風呂は
山の斜面に沿って何段にも分けて造られていて、
極力無駄な装飾を無くした木製の風呂は
そこに入ると
まるで自分が裸で森の中にぽかりと
浮かんでいるような印象を与えた。

脱衣所で裸になったあと
智明は屋内の風呂で丹念に身体を洗うと
母屋の扉を開けて木の階段を降り
一番上段にある大きな露天風呂に飛び込んだ。

「はやく、はやく」と智明は亮一を興奮した声で呼んだ。

「すげーよ、テレビといっしょじゃん」とはしゃいだ。

風呂の周りには大きな木々が茂っていて
様々な形をした冬の木の葉が
山間を吹き抜ける風に乗っては湯に落ちた。

一番上にある風呂から
下の段へ向かって順番に湯の温度が低くなっていて、
ふたりは十分に身体が温まるにつれて
一段ずつ風呂を移って行った。

智明は、「たまんねぇ、たまんねぇ」の繰り返しで、
ひとりで何度も湯に入ってはまた上がり
裸のまま木製のデッキに寝そべると
智明の身体からは白い湯気が盛大に立ち昇った。

谷から見上げる箱根の山は
穏やかな起伏のままずっと周囲を取り囲んでいて、
その山脈のほんの上の部分だけが
まるで今にも沈んでしまいそうな夕暮れの色に染まっていた。

山腹に立ち枯れた木々の間を抜けた風は、
途中で竹の林を小刻みに揺らしたあと
湯に浸かった亮一と智明まで遠くにある樹の匂いを運んだ。







亮一はテーブルに広げたカタログを
まとめて片手に持つと
コーヒーショップを出て駅に戻り、
先ほどの旅行会社のドアを開けて中に入った。

亮一が旅行の手配をしたい旨を伝えると、
感じの良い女性社員が亮一に椅子を勧めながら
簡単な観光案内に宿泊施設の説明をしたあとで
またたく間に旅行に必要なチケットを準備した。

レシートに表示された金額を払い、
チケットを受け取ると
亮一はそれをジャケットのポケットに入れて
その旅行会社を出た。

駅の改札から溢れ出して来る人並みをくぐり向けて
駅のある建物から外に出ると、
バスロータリーを横切って
商店街へと続く通りを歩いて行った。

道の両側に連なる店のちょうど終わりになるところに
小さな修理工場を併設した
車の販売店があった。

地元の町で昔からずっとやってきた
いささか古ぼけた店構えなのだが、
ここの主人の車に対する知識とそして愛情は
いつでも多くの若者達からの信頼を得ているようで、
今日も店の前には数人の男たちが
磨き上げた車を取り囲んで話しをしていた。

亮一はそのうちのひとりの男に
「おやじさんは、いる?」と尋ねると、
その男はひとつ頷いて工場の奥に向かって歩いて行った。

ほどなくして
みんなにおやじさんと呼ばれている
この店の主人が出てきた。

店主は何度も洗濯を繰り返して
すっかり色が落ちてしまった作業着を着ていて、
右の胸のところには
古ぼけた刺繍で斉藤モータースとあった。

亮一が被っていた帽子を取って軽くお辞儀をすると、
主人は、まあまあ、と言いながら
亮一の肩をぽんと叩いた。

「いつ持ってくか?
 もう整備は済んでるから、
 都合がいいときにいつでも来て乗っていけばいい」

と、店主は亮一に言った。

智明が欲しがっていた車がここにあるとわかってから
ふたりで何度もこの店にやってきては、
その店主が俺のコレクションだからと売りたがらない
オールドスタイルの英国車を
どうしても売って欲しいとねだった。

最初のうちは一言で断るだけのこの店主も、
そうやって何度も通ってくる情熱に折れたのか
おまえだったら大事にしてくれそうだ、と言って
その誰にも売らないという考えを
変えてくれそうになっていたところだった。

この返事を聞いたら智明が喜ぶだろうなと思った。

今日は本人は来ないのか、と尋ねるので
あいつは風邪をひいて家で寝てます、とこたえると、
店主は「じゃあ、ちょっと待ってろ」と言い
一旦奥に引っ込んだあと片手に紙の袋を提げて来ると
それをを亮一に持たせ

「お見舞いだ」と言った。

それから店主は工場の前にいる連中から呼ばれると
「いつでもいいからな、待ってるぞ」と言い
連中のところへ行ってしまった。

亮一はその店を出ると駅に向かって歩き出した。

店主にもらった紙の袋を覗いてみると
赤く熟れた大玉の林檎がふたつ並んで入っていた。




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37.8℃ 2

2011-02-21 09:00:14 | 物語という昨日


今日の予定では定時に仕上がるはずだった
新築マンションの空調設備の最終工事が
予定よりも大分遅れてしまったために、
朝一番からその工事の立会いをしていた智明が
仕事場である現場を車で出たのは
夜の11時を回っていた。

市街地へ向けて少し走ったあと
この時間でも営業をしている
国道沿いの弁当屋に寄って弁当をひとつ買った。

車の助手席に弁当の入った袋を置くと
その上につい先ほどまで自分が着ていた
防寒のための分厚いボアのついた
ジャケットを覆いかぶせた。

煙草を取り出して火を付けたあと
智明が運転席のシートに深く座ると、
車のフロントガラスの向こうに見える暗い空は
ずっと遠くを走る高速道路のあたりだけが
群青色に透き通って見えた。

国道をしばらく走った後、
その国道をはずれ一旦住宅地の中を通り
大きな団地の脇にあるバイパスから京葉道路へ入ると
千葉の市川から江戸川を抜けて
そのまま彼の住むマンションのある街まで走り通した。

京葉道路を降りて
南北に伸びる幹線道路を北上し、
ちょうど5つ目の交差点の脇にある
ガソリンスタンドの裏へ入ると、
そこにある大きな駐車場に
自分の車を止め弁当を持って外へ出た。

その駐車場からすぐのところにある
彼のマンションまで歩き、
自分の住む階までエレベーターで上がると
エレベーターホールの脇にある
彼の部屋のドアを開けて中へ入った。

リビングの天井の電気とテレビをつけ、
その後でエアコンと部屋の中央にある
炬燵のスイッチを入れた。

それからキッチンへ入り、
冷蔵庫の中から飲みかけの
烏龍茶のパックを取り出すと、
弁当と一緒にそれを持ち
リビングの炬燵の中に
両足を投げ出しながら弁当を食べた。

そろそろこの冬も
ようやく終わりだという季節なのだが
まだこんな夜半には気温はぐっと下がり、
ほんの少し外を歩いただけで
智明の身体は驚くほどに冷えてしまっていた。

ゆるやかに発熱を始めた炬燵の熱気で
その冷えた身体が
奥の方からゆっくりと温まる感じがなんとも心地よくて、
智明は食べ終えた弁当を向こうへ押しやると
天板の上に顎を載せ
その両手を炬燵布団に入れたまま少しだけ目を瞑った。





どれくらいの時間が経ったのだろう、と、智明は思った。

彼は横になったまま炬燵に潜り込み
そのまま寝入ってしまっていた。

炬燵布団に包まれた腰から下は
少し熱いくらいだと言うのに、
作業着のままの上半身は冷たく冷えていて、
智明は不自然にうずくまるような姿勢で
部屋の床にうたた寝をしていた。

壁の時計はもうすぐ夜中の3時を示していた。
つけたままのテレビの画面は、
どこかの国の格闘技大会を映していて、
選手の一挙一動にそれを見ている観客の放つ声援が
小さなテレビのスピーカーから聞こえていた。

智明はゆっくりと立ち上がると着ていた作業着を脱いで
そのまま風呂場へ行き熱いシャワーを浴びた。

風呂場から出ると身体のしずくを丁寧に拭いた後、
キッチンへ行き冷蔵庫からビールの缶を取り出した。

立ったままでビールを飲み干したあと
今度は寝室へ入りベッドに掛けた大きな毛布の中へ
自分の身体を滑り込ませると
しばらくはそのままでじっとしていたが
間もなくあっけないほどに簡単に寝てしまった。






亮一は朝食を食べ終えたテーブルの上にある
携帯電話を手に持つと、
2度ほどボタンを押した後で受話器を耳に当てた。

一回目の呼び出し音の途中で相手が出ると
ふたりはほんの少しだけ話した後、
すぐに亮一は電話を切った。

ほどなくして今度は亮一の電話が鳴った。

「おう、しょんべんは終わったか」

亮一は受話器を取ると笑って言った。

「亮一、俺なんか熱っぽいかも」

智明は幾分弱った声を出してそう言った。

「なんだよ、お前、また具合悪いのか」

半ば呆れた声で亮一は応えた。

「ああ、調子わりいかも
 さっきしょんべんしたら寒気でぶるってなった」

「そりゃ、朝一番でしょんべんしたら
 誰だってそうなるだろう」

「いや、これはちょっとヤバイぶるなんだよな」

「何が、ヤバイぶるだよ
 おまえ、また懲りずに炬燵で寝ただろ」

「ちょっとだけだよ、ほんのちょっとだけだよ」

「何言ってんだよ、ほんのちょっとだけってーのが
 よっぽど身体には悪いんだからな
 炬燵でのうたた寝はすげー身体が冷えんだよ」

「亮一、ごめんなあ」

「ったくよー、今日どーすんだよ」

「ほんと、悪りい、申し訳ない」

「まぁ、調子悪いもんは仕方ねーけどな
 とにかくちゃんと医者に行っとけよ」

「ああ、行くよ
 斉藤のおやじさん文句言うかな」

「いや、大丈夫だろ、俺からもよく言っとくから」

「俺、あの車だけはぜってー買いたいんだよな
 欲しいやつは他にもいんだろ?
 熱出てっけどちょっとだけでも俺挨拶行こうか」

「駄目だよ。あんな年寄りに
 お前のこたつ風邪うつしてどーすんだよ
 ああ見えてあのおやじ中身は結構ガタ来てんだから、
 妙な風邪なんかうつしたら簡単に参るぞ」

「そーだよな」

「今日は大人しくしてろ」

「ああ」

「俺からおやじさんによく言っとくから、
 おまえがあの車は絶対に買いますからって」

「頼むよ、お願い!」

「おまえ、それはそーと、
 今度の休みはどうなったんだ?」

「あれ、俺言わなかったっけ?
 来週の休み変更できたんだ
火曜日だよ、亮一大丈夫だろ?」

「当たり前だ、店の定休日だよ」

「だから、俺、合わせたんじゃんかよ」

「そうだよな、わかった、わかった」

「なあ亮一、俺温泉行きてー」

「温泉かぁ、それもいいなあ」

「な!な!亮一 温泉行こーぜ」

「おまえ病人のくせにえらい気合入ってんな」

「昨日テレビでやってたんだよ、
 東京日帰り温泉なんとか特集ってやつで」

「そうか、で、その何とか特集のお勧めは何処だって言ってた」

「知らね、わかんねーよ」

「お前何見てたんだよ」

「いや、温泉気持ちいいだろーなぁって観てたけど、
 俺が行けるとは思わねーだろ」

「その俺が行くんだよ、温泉に」

「よしっっ!!」

「お前仮病使ってるだろ、すげー元気な声出してんぞ」

「空(から)元気って言ってくれよお、りょういち〜」

「何甘えてんだよ」

「かわいいだろ?」

「馬鹿言ってんじゃねーよ、智明さんよー」

そう言って亮一は声を出して笑った。


「なぁ、ほんとに温泉行くか?」

「あたりまえだよ、マジに行きたい、
 箱根とか行きてーなぁ」

「なんで箱根なんだよ」

「なんか、いいじゃん、恋人同士って感じするじゃん」

「するかよ(笑)
 あそこは、若い姉ちゃんと助平親父が
 腕組んで行くところだよ」

「あ、いいねー亮一、俺そーゆーの好き」

「俺とおまえで腕組んで箱根行くのか」

「そうだよ」

「(笑)ほんとかよ、それは楽しみだ。
 とにかく調べてみるよ、温泉」

「亮一、俺マジうれしい」

「風邪はやく治さないとな」

「おうっ!!!」

「おまえやっぱ仮病だよ」


亮一は笑ってそう言った。





         つづく





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37.8℃ 1

2011-02-20 09:37:42 | 物語という昨日


山はかすみ

魚は氷を割って泳ぎだす

春です、

もうそこまで来ている、春です。


あんなにいい男は

いったいどんな夜を過ごすのだろう

とか、

こんなにいい男たちは

いったいどんな朝をむかえるのだろう


そんなことを、思う


やっぱり、春なんです。



どうか、しばしのお目汚しを。


物語ははじまります。





------------------b-minor








 「37.8℃」





新宿へ向かう電車のホームには
中央が丸く膨らんだ波型の屋根が
規則正しく同じ調子でずっと奥まで続いていて、
そのすぐ下には乳白色した蛍光灯が
何本もの列を作り一直線に並んでいた。

朝から曇天だった天気は
次第にその雲の厚さを増しながら
冬の終わりの淡い灰色の空を広げていて、
埃っぽい街の匂いをさせる冷たい風が
ホームの足元を低く吹き抜けていった。

頭上の蛍光灯の明かりは
ホームで電車を待つ乗客を
真上から冷たく照らしていて、
その顔にかかる光の影のせいで、
まだ暗くなるには早いこの時間であっても
すでに陽が暮れてしまったように見えた。

亮一は、ダウンジャケットのポケットに
自分の両手を浅く入れたまま、
駅のホームのちょうど中ほどに立って電車を待っていた。

ホームの目の前にはビルの壁に取り付けられた
大きな看板があり、
そのどれもが派手な文字と色彩で
電車を待つ乗客の目を惹いていた。

上段に並んだ大きなものは
すべて駅ビルの中にある
大きな家電量販店の広告で占有され、
駅のホームのどの位置から見ても
すべて同じ店の名前だとすぐにわかったし、

また、そのすぐ下には、
それよりも幾分小さな看板が並んでいて、
これには地元の商店街にある
様々な個人商店の名前が入っていた。

ところどころにあるいくつかのスペースには、
未だいまだに何の文字も入っていないまま
白いパネルだけが取り付けてあり、
その裏にある照明を透かして
ランプの形通りにぼんやりと光っていた。

頭上のスピーカーから
列車の到着のアナウンスが流れると、
ほどなくして同じホームの反対側にある線路に
千葉方面へ向かう下りの電車が到着した。

一気にホームは乗降客であふれ
すぐに発車のチャイムが鳴ると
電車はゆるやかにホームを出発した。

車内から降りた乗客は皆一様に首をすくめて
改札へ向かう階段を早足に降りて行った。

電車を降りる人並みが途切れて
急に静かになったところへ
今度は上りの電車が到着した。

ドアが開き、
中の乗客が降りるのを待って
亮一はその電車へ乗り込んだ。

車内の座席はほぼすべて埋まっていたが
他に立っている乗客の姿はまばらで、
通勤電車の慌しさとは対照的に
少しのんびりと落ち着いた雰囲気が心地良かった。

電車が動き出すと
前方の車両から流れてきた暖房の風が
亮一の背中をゆるく撫ぜた。

亮一は少し足を広げて真っ直ぐに立つと、
吊革に両方の手を掛けてつかまり
その両腕に自分の体重を預けた。

電車の窓からは見える街の景色は、
車体が加速して行くにつれて
後方へ向かって滑らかに
流れ去って行った。

都心に入って山の手線を越えたところの駅で
一度電車を乗り換えたあと、
それから二駅ほど走るとすぐに新宿に着いた。

電車の扉が開くと、
いっそう外の気温は下がっていて、
車内の暖かな空気が外へ流れ出すのと入れ替えに
ホームにいた大勢の乗客たちが一斉に乗り込んできた。

亮一は乗客の波にまぎれて
駅のホームへ降りたところで、
彼のジャケットの胸のあたりで
携帯電話の呼び出し音が鳴った。

「今、着いたぞ」

受話器に向かってそれだけを言うと、
電話の相手がしゃべる声を聞き
何度か返事をしたあとに、

「わかった、今そこに行く」

と言って、電話を切った。

ホームの中ほどにある階段を降りて
地下の通路に入ると、
そこから一番近くにある駅の改札を出て
そのまま人の流れに乗って地下街を歩き、
大きな商業ビルへ続く通路へ入ると
そこからエスカレーターに乗った。

ビルの5階まで上がると
そのフロア全体がまるごと大きな書店になっていて
本を陳列するための背の高い棚が
ずっと奥の方まで規則正しく並んでいた。

亮一は店内を見回すと
店の左サイドの壁にそって設けられている
雑誌コーナーへ歩み寄った。

棚の上部に示されたカテゴリーの表示を見ながら
奥へ向かって歩いてゆくと、
スポーツに関する最新の雑誌が並べられている
棚の前に智明はいた。

「ああ、こんちは」

亮一の姿に気付くと、智明は片手を挙げてそう言った。

「おお、待たせたな」

亮一は智明の右の肩に自分の手の平を置いて言った。

智明は淡いくすんだブルーの作業着の上から
分厚いボアの付いたジャケットを羽織り、
足元にはつま先が丸く盛り上がった黒い靴を履いていた。

「おまえ、顔が赤いぞ。どうした?」

亮一が智明の顔を覗き込んで言った。

「ちょっと風邪っぽいんだ」

「おまえ、また、部屋の炬燵(こたつ)で寝てただろう」

「ああ、ちょっとな」

「やめとけって言っただろ、
 あれは身体が冷えるんだよ」

「うん」

「で、熱はあるのか?」

「うん」

「何度だ」

「さっき計ったら7度6分」

「そうか、そりゃ辛いな、
 その分だとこの後でまだ上がるぞ」

「今日は早引けにして来たよ、だから戻んなくてもいいんだ」

「だったらこんなところで本なんか読んでないで
 早くうちへ帰れ」

「だって、亮一との約束だしさ」

「馬鹿だなぁ、そんなことよりちゃんと寝てないとな」

「ああ」

「そうしろ」

そう言って亮一は
智明を促しながら自分が先ほど上がって来た
店の中央にあるエスカレーターへ向かった。

ふと、フロアの奥を見ると
この本屋の片隅で営業している
小さなコーヒーショップが目に入った。

「なんか食ったのか?」

「いや、気分わるくて昼飯食べなかったから」

「よし、無理しても何かちょっとでも食べろ。
 それで家へ帰ってぐっすりと寝ろ」

智明は亮一の提案に頷くと
先を歩く亮一の後をついてコーヒーショップに入った。

ちょうど窓際のテーブル席が空いていたので、
ふたりはそこへ座った。

店員の女性が水と一緒に運んできた小さなメニューを
亮一は手に取り端から順に見たあとで、

「お前、ホットケーキ食べれるか?」と訊いた。

「ああ、少しだけなら」

「じゃあ、ホットケーキと飲み物にしよう」

そう言って、亮一は、店のカウンターから
二人の様子を伺っていた女性の店員を呼ぶと、
オレンジジュースとホットミルク、
トマトジュース、それからホットケーキを注文した。

注文した品がテーブルに届き、
亮一はホットケーキの皿を自分の前に置くと、
ナイフとフォークを使って細かく切りそろえた。

温かい生地の上でバターが溶け出して
とても旨そうな匂いをさせているところへ、
亮一は脇に添えられていた
小さなガラスのボトルを手に取ると
中に入っていた琥珀色のシロップを
ホットケーキの上からかけた。

その様子を熱のある赤い顔をして
黙って見ている智明の目の前へ
そのホットケーキの皿を差し出すと、

「好きなだけ食え」と亮一は言った。

それから、飲み物のグラスを指差して、

「どれでもいいから一口でも飲んどけ」

と、そう言って自分は
テーブルに置かれた水を一口だけ飲んだ。

「昨日さ、俺早番だったじゃん、
 だから久しぶりに走りに行ったんだよ」

智明がホットケーキを口に入れながらそう言った。

「いつもの公園へか」

「うん、そう」

「このところ仕事ばっかで
 なんか身体がなまってんでさ」

「そしたら公園の夕陽がすごくて、
 おまけにこの前一緒に買った
 シューズの具合がさ
 これまたいいんだよな」

「おお、あの黄色いやつか」

「うん、そう、あれ」

「で、俺も得意になって走ったんだよ、
 いつもよりハイペース出して」

「そんでうちに帰ったら、すげー汗でさ、何か寒くってさ」

「そのまま、炬燵(こたつ)に潜り込んだんだろ」

「・・・うん」

「で、気持ち良くてそのまま寝てたんだな」

そう言うと、亮一は子供をたしなめるような目で智明を見た。

智明は自分には何も聴こえてはいないというような表情で
目の前にあるグラスから温かい牛乳を一口だけ飲んだ。

「確かにあれは気持ちいぞ、あったけーし、
 それになにより自堕落だしな」

「でも、気をつけてくれよ、マジにさ。
 おまえここのところなんか身体弱くなってねーか?」

「ああ、わかってんだよ、わかってんだよな。
 でも、さ、気持ちいいんだよ、
 なんか風呂に入ってるみたいで起きれなくなんだよな」

そう言って智明は自分の口の周りの髭を動かして笑った。

「今度は気をつけるよ」

智明は口につけたグラスをテーブルに戻しながら言った。

「もう食べないのか?」

亮一がそう訊くと智明は

「ああ、もう入いんねえ」といって首を振った。

「じゃあ俺がもらうな」

そう言って、亮一は
テーブルの上にある半分ほど残ったホットケーキを頬張り、
そして、これも同じようにそれぞれがちょうど
半分づつほど残ったグラスの中の飲み物を
順に飲み干していった。

「風邪がうつるぞ」

心配そうに言う智明に向かって、
亮一は、

「平気だよ、へーき。
 俺は風邪なんかひかねえんだよ」
 
そう笑って言った。



亮一がレジで会計を済ませ
ふたりはそのコーヒーショップを出ると、
店のすぐ目の前にある
エスカレータを使って地下まで降りた。

ビルから駅の地下街へと続く通路を通って歩き
東口と大きな表示がある改札に出た。

「今日はごめん」

智明はそう言って小さく顎を引いた。

「いいから、家に帰れ、気をつけてな」
「薬持ってんのか?」

亮一は周りの混雑にまぎれてしまわないように
少し大きな声で訊いた。

「ああ、この前医者からもらったやつが残ってる」

「じゃあ、いい」
「しっかり寝てろ」

智明は頷くと、
亮一の顔を見て少し笑ったような顔をした後、
それから改札を入って行った。

亮一は、智明の姿が
駅の乗客の中で見えなくなってしまうと、
歩いて来た通路を引き返えし
駅前の大通りへ向かう階段を登って地上に出た。

外はすっかり日が暮れていて
冷たく湿り気を帯びた夜の風が
ビルの隙間を縫って吹いていた。

通勤帰りの人で混雑している通りをしばらく歩くと
交差点の角に大きな家具屋のビルがあり、
ちょうどその脇の道の奥にある
小さな飲み屋に入った。

馴染みのマスターがにこやかに亮一を迎え入れると
今日はひとりなのかと訊いた。

亮一が、智明は風邪でうちに帰ったと答えると、
マスターは、
あんな頑丈な身体でも風邪をひくんですね、と言い、
後ろの棚から灰皿をひとつ手に取ると
カウンターの上へ置いた。

亮一は、
ジーンズのポケットから煙草のパッケージを取り出すと
中から一本抜いて口にくわえた。

それから灰皿のすぐ側に置いてある
店のライターで火をつけた後で、

「まずは、ビールを下さい」

と言った。





         つづく



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ブルースを歌いてえ

2010-01-29 13:13:13 | 物語という昨日




「この前さぁ、会社の同僚に、
 おまえは黙って立ってるとポン引きに見えるな、
 なんて言われっちまったよ」

水谷浩介は煙草の煙を顔の前で燻らせながら
少し困った顔でそう言った。

「はぁ?ポン引きだって?おまえがか?」

高橋英司は思わず大きな声で聞き返した。

「そう、煙草でもくわえて黙っていると、
 まるで夕暮れの街角に立って
 助平なおやじ相手に客引きしてるみたいなんだってよ。
 俺ってそんな風にみえるか」

「ああ、そうだ、そうだ、言われると確かにそうだな、
 その髭とその短い髪にダークなスーツでも着てれば
 おまえは立派な夜の客引きに見えるよ」

英司はそう言いながら声を上げて笑い出した。

「なんだよ、それは。
 この俺がポン引きに見えるだなんてさあ、
 それちょっとマジに勘弁だよな。
 ついこの前も、新しくうちの会社に入ったやつに
 水谷さんは黙ってても怖いって
 言われたばっかなんだよなあ」

浩介はほんとうに嘆いているのか
それとも、酒の席での軽い冗談で友人を笑わせようと
大袈裟に振舞っているのだろうか、
テーブルに肘を付きながら自分の頭を抱えて見せた。

「俺はもう慣れてるんで全然平気だけどさ、
 おまえのそのしゃべり方、
 初めての相手だったらちょっと引くぞ。
 どこのガラの悪い親父だよって」

英司が笑いの収まらない顔で言った。

「だってさぁ俺、小さい時から職人に囲まれて育ってんだろ、
 もう染み付いてんだろうねこういうのがさ、
 柄わりーのは仕方ねーじゃん」

浩介は浅黒いよく日に焼けた肌に笑い皺をいくつも作りながら
大きな瞳を細めて笑って言った。

おそらくイイオトコという類に入っているのだろう。
誰に対しても気さくで人懐っこく
また何事も暗く考えないさっぱりとした性格で
周りの友人たちにも受けが良かった。

こうやってスーツを身につけている姿は
いっぱしの出来るサラリーマンなのだが、
その男臭い風貌の奥には
どこかしらにいつかはこの一般社会から
少しずつ崩れ出ようとするような危うさがあった。

「この前もさぁ実家の親父から年賀状作ったからお前の分とか言って
 送ってきやがったんだけどさ。
 その年賀状ってでっかく水谷組って書いてあんだよな」

「いいだろ、おまえんち鳶一家の水谷組じゃん」

「だって俺、鳶じゃねえし、水谷組じゃねえし。
 今さら組の家紋とか見たくもねーんだよなあ」

浩介はそう言って
自分の唇を半分歪めて笑って見せた。

英司は浩介の目の前にあるグラスに
ボトルから酒を注ぎ足すと、

「まあ、まあ、飲んで下され水谷組の若旦那」とおどけた調子で言った。

「やめろって、マジに、俺、実家を継ぐつもりねえから」

浩介は友人の注いだ酒のグラスを片手で持ちながら
本心から困惑した顔をして英司を見た。


店内はふたりが店に入った時刻よりも
次第に混んできたらしく、
壁際に並んだ隣のテーブル席にも
仕事を終えたばかりの連中が数人座った。
居酒屋の店員が持ってきた人数分のおしぼりを
その客の中で一番年かさらしい男がまとめて受け取ると
それを仲間のひとりひとりに手渡しで配っていた。


「うちの叔母がさあ、この前倒れたんだよな。
 今はなんとか落ち着いたらしいんだけど、
 お袋が電話でうるさいんだよ、
 一度見舞いに帰って来いって」

手に持ったグラスを左手に持ち替えながら浩介がそう言った。

「叔母って?」

「お袋の姉貴」

「帰るのか?」

「ああ、一度来週にでもな」

「そうか。」

「なんか、土産欲しいか」

「いらねよ。
 それよか、今頃はお前の田舎はお花畑だな。
 電車のポスターで見たぞ。
 観光客がわんさか来てんだってよ。
 いいぞ、綺麗で、楽しんで来い。」

「馬鹿言えよ、
 俺が観光客と一緒にお花畑を眺めてどうすんだよ」

「決まってるだろ、まあ綺麗、って言うんだよ。」

「なんだよそれ。
 お前の女にでも言わせとけよ、そんな事は。
 なんつったっけ、ユキちゃんか?まだ続いてんのか」

「ああ、順調だよ、すげーいい感じ。お前と違って」

「うるせえ。俺はひとりがいいんだよ。ひとりが。」

「あはは、夕闇のポン引き兄ちゃんだもんな、寂しいもんだ」

「るせえよ、マジに」

「じゃあ、鳶の兄貴だ」

「おまえなぁ、俺はポン引きでも鳶のあんちゃんでもねえって」

そう言って抵抗する浩介の声につられて、
隣の席にいた若いサラリーマンが
ふたりを興味深そうにちらちらと眺めていた。

英司が自分のグラスに入った酒を全部飲んでしまうと、
浩介はテーブルの脇に置かれた
酒の入ったボトルを手で英司の目の前に滑らせた。

「いや、もう今夜はこの辺にしとくわ」

「そうか、じゃ俺も。明日早ええしな」

「じゃあまた来週にでも」

「おお、そうだな」

浩介はそう言うと自分の鞄を
座っていたテーブルの下の棚から引っ張り出して持ち
店の入り口へ向かって歩いた。

その後ろをコートを羽織ながら英司が続き、
ふたりでレジでの会計を済ませると店を出て
緩やかに登った階段を上がると夜の表通りに出た。

通りは左右に向かって四車線の道路がゆるやかな勾配で伸びていて
春先のまだ夜浅い時間の風が
走って行く車の流れを追い越して吹き二人の男のコートを撫ぜた。

「じゃあな、おやすみ」

そう言って英司はタクシーを捕まえるとひとりで乗り込んだ。
勢いよくドアが閉まり
英司を乗せたタクシーはそのまま車の流れにすぐにまぎれた。

英司の乗ったタクシーを見送った後、
浩介は横断歩道の信号が青に変るのを待って
4車線の大通りを向こう側へ渡ると歩道の端に立ち
ちょうどスピードを落として近づいて来た
空のタクシーに向かって片手を挙げて止めた。

タクシーの後部のドアが大きく開くと
浩介は腰を折って車の中に入り
運転手に住所を告げた後白いシートに深く座った。

タクシーはゆるやかに走り出すと
道路を走る車の流れに上手く乗り、
途中で2度ほど信号待ちで停車した以外は
そのまま走り通して、
明るい照明の灯ったマンションの建物の前でまで来ると
滑らかな制動を利かせて止まった。

浩介はメーターに表示されている
料金ちょうどを支払ってタクシーを降りた。

アスファルトの歩道に降りた浩介の肩を
背中から月が照らして、
まるで自分の物ではないように思える
輪郭のはっきりした影を作った。

階段を上がりマンションの入り口を入って
集合ポストから自分宛の郵便物を取り出してそれを片手に持つと
ちょうど1階で停止していたエレベータに乗り込み7階まで上がった。

7階のエレベーターホールから右へ延びている通路を歩いて
フロアの一番端にある自分の部屋のドアの鍵を開けて中に入ると
浩介は靴を脱ぎ、壁にある照明のスイッチを片手で押した。

短い廊下を歩いてリビングに入ると大きなテーブルがあった。
先ほど灯した廊下の照明から洩れ入るぼんやりとした明るさの中に
今日の朝、浩介がそこで朝飯を食べ身支度を整えた気配が
まだはっきりと残っていて、
今日という一日が確実に過ぎ去ったんだという感覚を
浩介に強く感じさせた。

リビングを通り抜けた奥にある
小さなベッドルームで着ていた服を脱ぎ
そのまま風呂場へ行くと時間をかけて
丹念に熱いシャワーを浴びた。

シャワーを終えたあと
洗濯したてのトランクスを身に着けると
キッチンへ入りグラスと酒の入ったボトルを持って
そのあと再びベッドルームへ戻った。

ベッドカバーの上に投げ出したままになっている
ジーンズやシャツを片手で払い除けて
心持ち広くなったベッドの端に腰を下ろすと
手に持ったグラスにボトルから透明の酒を注いだ。
酒のいっぱいに入ったグラスを左手に持ち替えると
金属のキャップを閉めた後
酒の入ったボトルを手探りで床に置いた。

裸のままベッドに入り
上半身だけをヘッドボードへ預けながら
浩介はグラスの中の酒を飲んだ。

部屋の中は裸でいるには少し冷んやりとしていて
それが浩介の酒に酔った身体に心地良かった。

ベッドの反対にある大きな窓からは
白い月が覗いていて
浩介の部屋の壁を明るく照らしていた。

浩介がこの部屋に住むようになった当初は、
この窓にカーテンを付けようと思い
何軒かの家具屋へ出向いて見たりもしたが、
どの色のカーテンも自分には不釣合いに思えて、
結局は何も買わずに
今でも窓はそのままになっていた。

浩介はゆっくりとグラスの中の酒を飲み終えると
グラスを床に置いたあとベッドの中にもぐり込んだ。
ベッドのシーツはひんやりと冷たい感触がしたが、
火照った身体から温度が伝わると
それは瞬く間に裸の皮膚を心地よく包んだ。

浩介は、頭を窓の方へ向けて
窓の外の空に登った月を眺めていた。

まだ月は空の低い位置へ留まっていて、
あんなに遠くにあると言うのに
それはまるでこのすぐ先にある
近所のビルの上に浮かんでいるかのように見えた。

やがて東の方からぼんやりとした煙のような雲が
いくつかの固まりになって流れて来ると、
丸い月を淡く覆っていった。

これがおぼろ月と言うのだろうか。
などと、考えているうちに
段々と目を開けていられなくなり
浩介は身体を丸めて寝返りを打つと、
ほどなくして大きな寝息を立て始めた。



             つづく予定(笑)
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白い雪が降ってきた  4

2009-01-14 17:24:35 | 物語という昨日



耕一が自分たちの部屋のドアを
後ろ手に閉めノブから手を離すと
扉をロックする小さな硬い音がした。

ほんの僅かな時間その部屋にいなかっただけなのに
ベッドのシーツは驚くほど白く見え、
部屋の中の空気もこころなしか
そこにいるふたりにまだ馴染んでいないような
そんな心地良い新鮮な感触があった。

先ほどジムで使った着替えやシューズを
自分のバッグに仕舞い終えたところで
彼が「腹が空いた」と言い出した。

「そうだな、ひとつ飯にするか」

耕一はそう言いながらベッドサイドの時計を見た。

オレンジ色に数字が灯ったデジタル時計は
夕方の5時30分を示していた。

サイドテーブルの上に置いてある
ホテルのパンフレットを見てみると
ジムの一階下のフロアには
このホテルのメインダイニングをはじめ
他にも何軒かのレストランが営業をしていた。

店内の写真と共に記されている
それぞれの店の案内を丹念に読んでいた彼は、

「耕一さあ、しゃぶしゃぶなんてどうかな?」

そう言って耕一の顔を見た。

「お、いいな、旨そう旨そう」

「食べ放題コースがお勧めだって」

「ますますいいじゃねえか」

「よし、じゃあ、とりあえず決まりだね」

彼はそう言って
腰を掛けていた椅子から立ち上がると、
耕一と一緒に自分たちの部屋を出た。



レストランのあるフロアの
ちょうど一番奥にその目当ての店はあった。

日本風な構えの店の前には
「しゃぶしゃぶ食べ放題」
と書かれた看板があり
案内を待つ数人の客が立っていた。

「どうする?」

「いいよここで」

「他の店も見てみようか」

「おまえしゃぶしゃぶが食べたいんだろ、
 旨そうだよ、ここにしようぜ」

そう言って耕一は彼を促した。

店の中から和服を着た女性が出て来ると
耕一たちの前にいた客を店の中へと案内して行った。

続いて今度は先程よりも年配の女性が現れると、
たいへんに美しい所作でお辞儀をしたあと
ふたりを店内に招き入れた。

客席がどれもほぼ埋まっている店の中で
一番奥の方にある大きなテーブル席までふたりを案内すると、
その年配の女性は耕一と彼それぞれに
メニューを広げて渡しながらこの店の料理を紹介した。

耕一と彼が食べ放題特上コースというものを選んで注文すると、
その女性はふたりの大きな身体を見ながら
「どうぞたくさん召し上がってくださいね」
と言って朗らかに笑った。

運ばれてきた料理はとても満足するもので、
彼も耕一も心ゆくまで楽しんでいた。

ふたりのテーブルには
まだ肉の盛られた皿が十分に並んでいるにも関わらず、
先ほどふたりを案内した年配の女性は
忙しく店内を行き来しながら
「お代わりはいかがですか」と
そう頻繁にふたりに声をかけた。

時間をかけてたっぷりの食事を堪能したあと、
最後に出てきたかぼすの香りのするというシャーベットを
彼が耕一の分まで食べ終えたら
ふたりは席を立って会計を済ませるとその店を出た。

中央に広い吹き抜けがあるそのフロアを
ちょうど半周ほど歩いてふたりはエレベータに乗った。

他に乗客のいないエレベーターは
ドアが閉まって滑らかに下降を始めると、
操作パネルの上に表示される階数の数字が
軽快に同じリズムで変わっていった。

エレベーターのドアが開き
ホテルの長い廊下を歩いて
一番端にある部屋まで来ると
耕一はジーンズの尻のポケットから
部屋の鍵を出し扉を開けた。

ふたりが戻ってきた部屋の中は
すっかり暗くなっていて、
天井のダウンライトを点けるために
彼は壁にある照明のスイッチに手を伸ばした。

ライトが点り部屋が明るくなったあとで
再び耕一がスイッチを落とす。

部屋の中が一瞬だけライトに照らされて飴色に染まったあと
またすぐに暗くなった。

耕一は後ろから彼の身体に自分の太い腕を回し
その腕に力を込めて次第に強く抱きしめていった。

密着した皮膚の熱さとかすかに伝わる鼓動が
耕一から彼の身体へ流れ込むと
ふたりの中で小さな火花が弾けた。

耕一は彼の体を自分の方へ向かわせ
その両肩を自分の足元へ向かって少しだけ押し下げた。

彼は耕一が何をしようとしているのかを理解すると、
自分の手で耕一の太ももを掴みながらゆっくりと腰を下ろし
両膝を床についてひざまずき顔を上げて耕一を見た。

耕一の手が自分の腰の位置にある彼の頭を掴んで
そのまま上を向かせ顔を近づけると口付けをした。

耕一が姿勢を戻し両足を開いて真っ直ぐに立つと、
今度は彼の手が耕一の膝から腰へ滑り、
そして股の間にあるジーンズのボタンを上から順に開けていった。

ゆるく口を開いたジーンズの隙間に両手を差し入れると
彼は一気にそれを広げその中にある膨らみに自分の顔を近づけた。
耕一の足の付け根を手で強く掴み自分の頭を前後に動かし始めると
次第に彼はその行為に夢中になっていった。

耕一は部屋の真ん中で仁王立ちになり
相手の動きに合わせて自分の腰を突き出し続けた。
物音のしない部屋の中で
時おり漏らすふたりの息使いだけが響いてた。

その行為を始めてから
何度かの高まりをやり過ごしたあとで
耕一は一度深く息を吸うと
自分の下半身に力を入れた。

太ももの筋肉が引き締まって大きく動き
それにつられるようにして
今度は左右の膝が小刻みに震えた。

両手で彼の手を強く握り
目を閉じて自分の顎をわずかに上げると
耕一は低い声で相手の名前を呼んだ。






部屋の照明を消しているので
街の灯りに照らされて白く煙った景色がよく見えていた。
固く結晶になった小さな雪が
彼の目の前で窓のガラスにはね返されると
そのまま地上までこぼれ落ちて行った。

鮮やかなブルーの小さなショーツだけを身に着けている彼は
しばらくそうやって窓の外を眺めた後
部屋を横切って備え付けの小さな冷蔵庫を開け
その中にある冷えた水のボトルを取り出した。

片手で透明なボトルを持って
プラスティックのキャップをねじ切り
自分の口にあて中の水を口に含んだ。

両方の頬を膨らませたまま
含んだ水が自分の体温と同じ温度になるまで
しばらく待ったあとで一気に飲み込んだ。

バスルームから洩れ聞こえていた音が止まって
シャワーを浴びていた耕一がバスルームの扉を開けた。
バスルーム一杯に充満していた湯気が
淡い雲のように煙って通路まで流れ出した。

耕一が自分の濡れた頭を大きなタオルでぬぐいながら
「雪はどうだ」と訊いた。

彼はもう一度窓の外へ目をやり
そして再び部屋の中を振り返ると
耕一の口調を真似て

「止みそうにねえな 空がすげえ低い」

と大きな声で言った。

耕一が笑い、そして彼も笑った。

         




   「白い雪が降ってきた」  


               おわり










   あとがき−−−−−−−−−−−−−



大昔の日本には現代の我々で言うところの
「愛」という意味を持つ言葉はありませんでした。
それが江戸時代に入り、英語の「Love」を
翻訳しなければいけないということになった時に、
そこで初めてこのたいへんに複雑な意味を持つ
「愛」という言葉が人々の間で
使われるようになったのだそうです。

人間の持っている感情の中から、
情けや、思いやり、慈しみ、親しみ、そしていとしさ、
そんな様々なものを注意深く分類して選り分けてみる時に
その中には本当にこの愛と名付けるべきものがあるのだろうか。
本来人々が口にするひとつの単語は、
他のどんな言葉でもってしても決して言い表す事のできないもの、
それなのに、この愛という言葉は、
人が文字として、また、話す言葉として表現するほどに
その本質が捻じ曲げられ意味を失うように思えてならないのです。

人が生きているということは、
常に何かを表現し続けるものだとぼくは思っています。
言葉を通して、声を通して、視線を通して、
仕事を通して、家族を通して、社会を通して。
そうやって自分が生きるこの時代の中で
みんなそれぞれが自分の役割や自分の意味というものを
ずっと表現し続けてゆくのだと
そんな風にこのぼくは思っているのです。

ですから、
人はこの自分の中にあるはずの愛というものを
自ら外へ向かって表現しようとするためにこそ
その相手となる他の誰かを求めるのかもしれない。

大陸には高気圧が居座って
日本列島へ向けて厳しい寒さの北風を吹き込み、
気温が下がった夜半には小さく凍った粉雪が舞いはじめます。
白い雪は地面に届く間もなく風に煽られて
寝静まる夜の中に消えて行きます。

そんな冬の時刻には
自分の側に誰かいたらいいなと
自分のこの傍らに人の温もりがあったらいいなぁと
ふとそんなことを思ってしまうものなのです。




   −−−−−−−−−−−−−




今回タイトルに使用した画像は
ECMレコードより発売されている
以下のCDジャケット写真及び
インナーブックレットの
イメージ画像をお借りしました。

そのたいへんモダンな
ヨーロピアンジャズの調べは
凍てつくような冬の夜に
とてもよく合うと思います。

ひとりの夜にも、
また、ふたりの夜にも
是非どうぞです。



Miroslav Vitous
Universal Syncopations

Jan Garbarek soprano and tenor saxophones
Chick Corea piano
John McLaughlin guitar
Miroslav Vitous double-bass
Jack DeJohnette drums

Bamboo Forest
Univoyage
Tramp Blues
Faith Run
Sun Flower
Miro Bop
Beethoven
Medium
Brazil Waves

Recorded 2002-2003
ECM 1863








Jan Garbarek
In Praise of Dreams

Jan Garbarek tenor and soprano saxophones and/or synthesizers, samplers, percussion
Kim Kashkashian viola
Manu Katché drums

As seen from above
In praise of dreams
One goes there alone
Knot of place and time
If you go far enough
Scene from afar
Cloud of unknowing
Without visible sign
Iceburn
Conversation with a stone
A tale begun


Recorded March and June 2003
ECM 1880








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白い雪が降ってきた  3

2009-01-13 15:57:00 | 物語という昨日



ふたりは部屋を出てエレベータに乗ると
ホテルの一階まで降りた。

フロントと反対にある廊下を奥へ進んでゆくと
中庭に面して造られた感じの良いレストランがあった。
そこで、その店の時間的にはランチだが
このふたりにとっては遅い朝食を注文して食べた。

ライ麦の入ったバケットを焼いて
チーズとトマトをはさみ、
オリーブオイルで味付けしたサンドウィッチ。

羊の肉に香草とスパイスを磨り込んで
そのまま串であぶり焼にしたもの。

ゆで卵とツナと海草のサラダ。
デザートにはヨーグルトとコーヒーを選んだ。

サラダにはドレッシングをかけないこと。
そしてまた、ヨーグルトも上に乗せるジャムを省いて欲しいと
耕一が注文を取りに来た従業員に頼んでいた。

注文した食事がテーブルに運ばれて来ると、
その旨そうなとても良い香りに
自分たちが実はたいへんに空腹だった事をあらためて気付かされ
大きな皿に盛られた料理を次々にたいらげていった。

昼食時だというのに、
このふたりの他には周りのテーブルに客の姿はまばらで、
雪の日の街の静けさがこの建物の中にまで
入り込んで来ているように思えた。

耕一がコーヒーをもう一杯頼むと、
コーヒーのサーバーを手にした従業員がやって来て
ふたりのカップに熱いコーヒーをたっぷりと注ぎ、
「どうぞごゆっくり」と言った。

腹ごしらえが終わると
ふたりは再びエレベーターに乗って自分たちの部屋へ戻り、
それぞれにトレーニングのための準備を整えたら
もう一度エレベーターに乗ってこのホテルの最上階へ向かった。

ほんの2ヶ月ほど前に耕一が入会しているトレーニングジムが
この高層ホテルに新しく店舗を開いた。
本来なら、この新しいジムを利用するには、
そのスポーツジムとしては最高級の設備の為に、
この店舗にだけ通用する驚くほど高額な
利用料を収める必要があるのだが
今年いっぱいの期間に限っては、
耕一の通うトレーニングジムの会員証があれば
そのままでふたりとも入館ができるようになっていた。

ホテルの最上階を示すエレベーターの数字の横には
そのスポーツジムの名前の入ったプレートが埋め込まれていて
ふたりの乗ったエレベーターが到着すると
軽快な電子音と共にそのプレートが光った。

レセプションと表示されたジムの受付で
耕一が自分の会員証を見せると、
対応した若い女性の従業員が丁寧に挨拶をして
そのあとふたりを奥にあるロッカールームへと案内した。

ふたりはバッグから取り出したトレーニングの為の服に着替えると、
ロッカールームを出て同じフロアにある
ジムエリアへ向かって歩いた。

このスポーツジムはビルの最上階のフロアすべてを使って
トレーニングのための最新の設備が備えてあり、
それらの中でも最も人気を集めていたのが
大きな屋根自体がスライドして開き
青空の下でもって快適に泳ぐことの出来るプールだった。
今日は雪のためにその自慢の開閉式の屋根は
閉じたままだったが、それでも大きな壁一面の
ガラスのタイルを通して雪景色が見える中で泳ぐのは
とても快適に見えた。

床一面にマットを敷いてある部屋で
ストレッチを繰り返して入念に身体をほぐしたあと、
ふたりはジムエリアに備えられた機器を確かめ
これから自分たちが行うそれぞれの
トレーニングメニューを決めていった。

傍目には自分自身に苦痛を与えているとしか思えない
筋肉を大きく肥大させるためのハードなトレーニングを
ふたりはただ黙々と続けた。

太いバーベルのシャフトの両端に
丸い円盤の形をした重りが何枚も重ねてあり、
息を吸い腹筋に強い圧力を加えると、
あとは己の筋肉を限界まで収縮させながら
渾身の力を込めてそれを持ち上げ続けた。

ウェイトによって大きな負荷を掛けられた筋肉に
血液が大量に流れ込むとそれを熱く脈打たせ、
日に焼けた褐色の肌を大きく膨らませた。

全身の筋肉が悲鳴をあげて軋(きし)んだ。

ふたりのトレーニングがその強度を増して
一段と佳境に入ってくる頃には、
周りの男たちがふたりを遠巻きに取り囲んで見物を始めていた。

およそ2時間ほどかけて今日のメニューを終えたふたりは、
真新しい大浴場に行き汗を流して身体を洗った。
美しく磨かれた大理石の大きな湯船に肩まで浸かると
その湯の心地良さに思わず声が出た。

過大な負荷によって損傷を受けた筋肉の繊維が
熱い湯で暖められて少しずつその柔らかさを取り戻し始めていて、
湯の中で身体を伸ばすとたまらない心地良さが全身を巡った。

ロッカールームに戻り着替えを済ませたところで、
トレーニングウェアを着た青年に声を掛けられた。

その青年は
先ほど遠巻きで眺めていた中のひとりらしく
ふたりの身体を見てそれを手放しで褒めると、
自分は最近ジムに通い始めたばかりで
トレーニングに関してはまだあまりよくわからないこと。
どうすれば効率よく自分の身体をつくる事ができるのか、
そんなことを非常に丁寧な言葉で質問した。

その青年の質問に対して主に彼の方が答え、
あまり真剣にその話を聞く青年のために
実際にお手本を見せるという事になった。

「じゃあ、ちょっと行ってくる」

彼は耕一にそう言うと、
恐縮する青年を促してジムエリアの方へ歩いて行った。

耕一は最後にジーンズを履きおえると
彼らと同じドアを出てジムエリアとは
反対にあるバーカウンターへ歩いた。

中にいた女性の店員に耕一は
「プロテインシェイクをひとつ」と言って注文すると、
女性の店員が「フレーバーはどれになさいますか」と
手元にメニューを広げて指をさしながら訊いた。

「じゃあ、このフレンチバニラディライトで」

「はいフレンチバニラディライトおひとつですね」

女性は耕一を見ながらそう答えると、
店の奥にあるミキサーに水とプロテイン
数種類のビタミンの粉末を加えてよく攪拌し
それを大きなグラスに移して耕一の前に差し出した。

耕一は代金を払ってグラスを受け取ると
カウンターにある背の高いスツールに
腰を掛けてそれを飲んだ。

空になったグラスをカウンターに返すと
今度は先ほど青年と彼が歩いて行ったジムエリアへ向かった。

中ではちょうどその青年がベンチプレスに
挑戦をしている最中だった。
青年は汗を噴き出しながら真剣な面持ちでバーベルに掴まり
懸命に力を入れている上腕が細かく震えていた。

結局それから小一時間ほどかけて
ふたりはその初心者の青年のトレーニングに付き合う事になり
怪我をしない方法や効率的なメニューの組み方などを
そこでできるだけ教え込んだ。

上気した顔から汗を滴らせながら
青年はふたりに対して今日の礼を言い
最後に腰を深く折ってお辞儀をした。

耕一は、
そのままふたりをバーカウンターへ連れてくると
先ほどと同じ女性の店員に、

「プロテインシェイクふたつ、
 フレーバーはフレンチバニラディライトで」と言った。

出来上がってきたグラスをその青年と彼に持たせると
「おつかれさん」といってそれを勧めた。

そしてふたりに一歩近づくと真面目な顔で

「洒落た名前だが、ただのバニラだ」と言った。                       




               つづく


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白い雪が降ってきた  2

2009-01-12 20:46:57 | 物語という昨日


途中で一度ホテルのルームサービスで頼んだ
遅い夜食を揃って食べた以外は
ふたりは時間を忘れてずっとその行為にのめり込んでいた。

お互いが会うことができなかったのは
ほんのひと月ほどだったのに、
それでもこうやって相手の身体に触れその肌に唇を滑らせると
なんとも懐かしいようなあたたかな匂いがした。

その懐かしい肌の匂いは
鼻から深く吸った息に溶け込んで、
そしてそれは喉から胸を通りへその下まで降りて行くと
最後には耕一自身を尚更に熱くさせた。

耕一の腕に抱かれた相手の彼の右肩のあたりが
ベッドサイドの小さなランプの明かりに照らされて強く陰影が付き
丸く盛り上がった筋肉の塊りがいっそう大きく見えた。
上に乗しかかっている耕一の背中をその手の平で撫ぜる仕草につれて
その筋肉の塊りは滑らかに膨らみながら伸縮を繰り返した。

彼の肉体は耕一の身体に比べるといく分小柄に見えたが、
その代わりにたいへんにバランスのよい骨格を持っていて、
それを支柱にしながら柔軟で美しく発達した筋肉が
彼の身体をこれ以上ないほど官能的に仕上げていた。

身体のトレーニングなどをしていない人々から見たら、
おそらくこの彼の方がマッチョな身体だと評されることが多い。
耕一の身体はあまりにその筋量が大きくなり過ぎていて
人々の中にはその姿に抵抗を示す者が少なくなかった。

暖かく快適な温度に保たれたホテルの部屋の中で
ふたりはお互いの身体を心ゆくまで堪能しようとしていた。
どちらかが昇りつめてしまわないように
うまく手加減を繰り返しながら
なるべく最後までの時間を引き伸ばそうとした。

大きなベッドに掛けられたブランケットは
全部剥がされて部屋の隅に飛び散ってしまい、
その下にある清潔な白いシーツは、
ふたりの汗で濡れた身体にまとわりついては
その激しい動きのために引き伸ばされて
細かな皺をよせながら透明な染みを作っていった。


「何か飲もうか」

耕一がそう言ってベッドから起き上がったのは
深夜というよりももうすでに明け方の方が
すぐ近くなっている時間だった。

「ああ、何か熱いものがいいな」

彼はそう答えると自分もベッドを出て
サイドボードにある湯の入ったポットを確かめると
その脇に用意されている数種類のティーバッグの包みを見つけた。

「お茶があった」

「俺にも淹れてくれ、喉が渇いた」

彼はホテルの名前の入った小ぶりのマグカップを取り
ポットの湯を注ぐと、そこへ緑色のアルミパックを破って
中にある紐の付いた日本茶のティーバッグをその湯の中へ浸した。

白い磁器でできたマグカップの中で
透明な湯の中に日本茶の色がゆっくりと滲み出した。

彼はカップを二つとも手に持つと
そのひとつをベッドの端に裸で腰掛けている耕一に渡した。

そして自分はその場に立ったままで
熱い湯気の昇るマグカップに息を吹きかけ
そろそろとカップの縁に口をつけた。

その姿を見て耕一は思わず笑った。

「おまえいいぞ、その格好」

「マッチョな男がこんな真夜中に
 裸でホテルの部屋の真ん中に立ったまま
 マグカップで日本茶をすすってるんだぞ」

そう言って自分も同じカップを手にしながら
もう一度声を上げて笑った。

「それも男と存分に楽しんだあとでな」

彼は耕一の言葉にそう付け加えると同じように笑った。


熱い茶を飲み終えるとふたりはその汗を流すために
バスルームに入り交互にシャワーを浴びた。

先にバスルームを出て部屋へ戻った耕一は
入り口の壁にある空調の調節パネルで
部屋の温度を少しだけ下げると、
床に散らばったブランケットを拾ってベッドの上に戻し
その中に自分の身体を潜り込ませた。

そこへ同じようにバスルームから出てきた彼が、
先ほどのパネルの脇にある
天井の照明のスイッチを全部落としたあと、
耕一の横たわるベッドの足元から頭を入れ
そのままブランケットの中を這い上がって
やがて耕一の隣へすっぽりと入り込んだ。

目を閉じてはいたがお互いに相手の体温を感じ
一緒にひとつのベッドの中にいるという
その感触を楽しもうとしていた。
静かで穏やかな闇がまだ熱気の残る
ふたりの身体をゆっくりと包んでいった。

「雪が降ってきたぞ」

そう言って耕一はベッドを揺らさないように
静かに起き上がると裸のまま窓へ歩いた。

まだ薄暗い夜の中を無数の雪が舞っていた。
外気の冷たさが窓のガラスを通して入り込み
ひんやりと床の上を流れていた。

耕一の背後でベッドが揺れる音がして
横たわる彼が自分の方を見てるのがわかった。

先ほどまではその上気したままの自分の身体が
内部から熱を持ったように火照っていたが、
こうやって裸で窓に立っていると
次第に落ち着きを取り戻していくのがとても心地よく思えた。

雪は積もりそうかと彼が訊くと、
耕一は降りしきる窓の粉雪を見ながら「おそらくな」と答え、
その後で「雪の降っている空がすげえ低い」と言った。

大きな窓ガラスの向こうで
雪雲は驚くほど低く垂れこめてどこまでも続いていた。
その低い空の下では
高層のビル郡が淡い灰色の影の中に沈んで
冬の寒さにじっと息を潜めて建っていた。

耕一が窓から離れて部屋の中を振り返ると
彼は上半身をシーツから出したままで
すでに眠ってしまっていた。

腰までめくれているブランケットを
彼の胸元へ引き上げてかぶせると
耕一はそこに立ったままでその相手の彼を眺めた。

彼は端正というかその歳のわりには落ち着いた顔をしていた。
常にどこかに腰の座ったような諦めともとれる
ある種の冷静さというものを持っていた。

それに対して耕一の方は激しい情熱型という一面を持っており
さすがに最近はその年齢からくる落ち着きというものが
うまくそれをカバーしているようだったが、
それでも時には、一旦何事かに夢中になると、
他には一切目もくれなくなってしまうというような
憎めない無邪気さを示すことがあった。

子供が遊ぶおもちゃのブロックのように、
お互いの出っ張りとへこみ、へこみと出っ張り、
そんなようなものがどれも絶妙にはまり合っては
どちらもが自分自身に無理をせずに自由に振舞えるという
ことにおいて、かけがえのない存在になっているようだった。

耕一は静かにベッドに上がり彼の隣へ横たわった。
彼の頭から先ほど使ったシャンプーの匂いがするなと
ぼんやりと思った瞬間に眠りに落ちていた。



寝返りを打とうとして、
自分の右の腕が横に寝ている
彼の背中に触れた感触で耕一は目を覚ました。

もう夜は完全に明けていて
ベッドサイドの時計を見ると11時を少し回ったところだった。

片足をベッドの端から床に下ろして
ゆっくりと身体を持ち上げると
隣の彼を起こさないように用心しながらベッドから出た。

窓の外を見ると明るいグレイの空間一杯に
風の勢いに乗った雪の塊りが大量に吹雪いていた。
この分だと今日一日は大雪になる。
昨夜エレベーターの中でホテルの従業員の言ったことが
おぼろげに思い出された。

部屋の中の温度がいく分下がっていて
耕一はひとまずシャワーを使おうと思った。
そのあとで彼を起こしたら
のんびりと食事にでも出掛ければいい。

部屋の入り口にある空調のパネルで
室温を少しだけ高く設定し直すと、
バスルームの洗面台で歯を磨き
そのあとで熱いシャワーを丹念に浴びた。

バスルームから出て来ると、
ベッドの上では彼が目を覚ましていた。
バスタオルを腰に巻いて部屋へ入ってきた耕一を見ると
彼のその目元がやさしく崩れ、
微笑みながら「おはよう」と言った。

「おう。よく眠れたか」

「ああ、爆睡だよ、爆睡」

「そうだろうな、あれだけお乱れになったんだもんな」

耕一は笑ってそう言うと、
自分の腰に巻いてあるバスタオルを片手で取って
そのあらわになった腰を左右に大きく振って見せた。

彼はそれを眺めながら、
まだ少し眠い顔のままでその目元をますます崩し
耕一に向かって声を上げて笑いかけた。



                つづく




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白い雪が降ってきた  1

2009-01-11 08:08:48 | 物語という昨日



お越しくださいましてありがとうございます。

これから先の文章には
同性愛についての内容や
また、若干猥褻な表現が含まれています。

それらをご了承いただきお読みいただければ幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。


 -------------------------------------b-minor




「白い雪が降ってきた」



耕一は凍えるように冷たく磨かれた
ホテルの窓の前に立つと
そのガラス一枚だけ外にある冬の景色を眺めていた。

天井の照明はどれも落としてしまっていたので、
まだ完全に夜が明けていない部屋の中は暗く、
ベッドを覆ったシーツも
昨夜上着を掛けたままのソファーも
そのまま薄暗い空間の中へ沈み込んでいた。

窓辺に立っている耕一の姿は
くすんだ藍色にぼんやりと見えて、
胸の辺りが色付くほど上気していた耕一の身体が、
次第に冷えてきているのがわかった。

先ほどのふたりの体温が残ったベッドの中で
恋人の彼を腕に抱きながら
けだるい疲労感に眠りに落ちそうになるところで
耕一は窓の外に雪が降り始めているのに気付いた。

窓の方へ背を向けて横たわっている彼の耳元に
「雪が降ってきたぞ」と耕一は囁くと、
裸のままベッドを出て窓へと歩いた。

高層のホテルの大きな窓の外には
もう少しで夜が明けるという時刻の鈍い明るさの中、
低く重い灰色をした冬の雨雲がずっと続いていて
そこから小さく凍った雪の結晶が降り始めていた。
固く冷えきった空気の中を白い雪がゆっくりと落ちてゆき
やがて暗い街並みの中へと消えていった。

「積もりそう?」

ベッドの中の彼がそう訊くと、

「ああ、おそらくな。
 雪の降っている空がすげえ低い」

耕一は窓の外を眺めたままで答えた。

彼はブランケットから上半身を出したままで
自分の体勢を窓の方へ向け直した。
窓の外の灰色に濁った空間に
小さな粉雪が無数に舞っているのを確認したあと、
その視線を裸で立っている耕一の後姿に移した。

身体全体を均等に鍛え上げた耕一の肉体は
どの部分もが太く肥大した筋肉で覆われていて、
耕一がその身体に力を込めると
とたんにそれらが大きく盛り上がって動き出した。

こうやって極端に肥大した男達の身体からは
荒々しく動物的な印象を持つ事が多いのだが、
耕一の場合にはその満遍なく綺麗に発達した筋肉のおかげで
美術のテキストに載っているような彫刻の像を思わせ、
それを見るものにある種の静かな迫力を感じさせた。

今はこうして静かに窓の外を眺めているだけなので
耕一の身体の表面には滑らかな隆起が見えているだけだったが、
両足で立ってるふくらはぎの部分だけが、
はっきりとその筋肉の形を示すように
強く緊張しているのがわかった。



いつの間に眠っていたのだろうと彼は思った。
昨夜は耕一の後姿を見ているうちに
そのまま眠り込んでしまったらしく、
目を覚ましてみると部屋の温度が下がっていて
ブランケットから出ている肩が少し冷えていた。

窓の外は夜が明けてすっかり明るくなっていたが、
そこには大量の雪が白い塊となって風に煽られ
音もなく窓ガラスに吹き付けているのが見えた。

静まった部屋の中に耕一の気配は無く
部屋を出たドアの向こうにあるバスルームから
時おりかすかに水を使う音がしていた。

彼がベッドサイドに置かれたデジタル表示の時計を見ると
もう15分ほどでちょうど正午になるというところだ。

昨夜遅くに都心にあるこのホテルのロビーで
耕一と彼はおよそ一ヶ月振りに待ち合わせをした。
メールや電話での会話ではいつでもすぐに
遠慮のないやりとりが出来ていたので
お互いが会う時間が取れない間でも
あまり寂しいと感じることはなかったが、
やはりこうやって実際にその相手を目の前にすると
自分の気持ちの中にやわらかく温かいものが
とろりと広がってゆくのを感じた。

ふたりでホテルのフロントへ行き
耕一が自分の名前を告げると
ホテルの従業員は
手元のキーボードを操作して予約の確認を行い
名前を記入するためのペンを耕一に差し出すと
ごく自然な笑顔で宿泊の礼を述べた。

チェックインを済ませたふたりは
そのまま別の従業員に案内されて
上階へ向かうエレベーターへ乗った。

「お客さまはお車でいらっしゃいますか」

そう案内の従業員が尋ねると、

耕一は「いや、違います」と言った。

「失礼いたしました。
 明日の朝にかけて
 ひどい雪になる予報が出ておりまして、
 道路の凍結も心配されますので
 今夜は皆様にお尋ねしております。」

従業員はふたりを交互に見ながらそう言った。

足音のしない長い廊下を歩いて
フロアの一番端にある部屋へ案内されたあと
部屋の説明をひと通り済ませた従業員は
丁寧にドアを閉めて戻って行った。

部屋のちょうど正面は
床のすぐ上からそのまま天井まで届くほどの
一面の大きな窓になっていて、
部屋の天井に灯るダウンライトに照らされて
ホテルの部屋の中に立つふたりの姿が
明るい飴色に染まって映り込んでいた。


「髪が伸びたね」

自分の荷物を床に置きながら彼は耕一に言った。

「おお、ここのところ忙しくてな。可笑しいか?」

耕一が少しだけ伸びすぎた自分の坊主頭を手で撫ぜながら訊いた。

「いや、これぐらいがちょうどいいかもな。
 あまり短いとさ、耕一少し怖いからさ」

そう言って彼が笑いながら耕一の短い髪を掌で触って来た。

耕一はその彼の仕草に応えるように
自分の両手を彼の背中へまわすとその腕に力を込めた。
厚みのある相手の身体がその力に十分に反応して
彼も同じように耕一の腰に手をかけると
その腕に力を込め強く自分の方へ引き寄せた。

耕一は爆発しそうな自分の欲望を
ただ黙ってコントロールしているようだった。
彼の身体を両手に抱えたまま
できるだけゆっくりとベッドの上へ倒れ込んだあとも
時間をかけて着ている服を脱いでゆき、
相手の彼が何をしたがっているかを探った。
そしてしばらくすると、
大きなホテルのベッドが
ふたりの体重によって不規則に揺れ始めた。




               つづく




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