ターザンが教えてくれた

風にかすれる、遠い国の歌

ひび割れた唇は、噛みしめるのが精一杯なのさ

2008-07-28 19:52:25 | モノローグ


誰かがさ、同じ失敗をくり返す

誰かがさ、昔と同じ過ちをくり返す

やっぱりね、知っていたんだと
遠巻きにこの足で立って
遠巻きに自分の声を飲み込んで

僕は何を望んでいたんだろう


誰かが、また今日も僕を困らせる顔で
誰かが、また気まぐれに陰口をつぶやく

ほらね、僕はわかっていたんだと
ほらね、そんな人なんだと
おまえの正体を知っているんだと
そんな風にして僕は、
刺さる言葉の痛みをごまかそうとする

ただ黙って、誰かの幸せは祈らない
ただ黙って、でも変わってゆくことをしっかりと見たい


ほら、やっぱり、君はまたそんな事を言うと思ってたよ
ほら、やっぱり、あなたの言う通りにした結果がこれだよね

なぜ、いつでもこうなんだと、
なぜ、いつだって同じなんだと
ことさらに冷たい声の自分を聞くとき

僕は喜んでるのか。
僕は安心してるのか。


自分の思い通りになればいいという希望の言葉も
自分の予想通りになったら嫌だという絶望の言葉も
どれもまたこの僕の中でしか発生し得ない音

恐ろしいものを思い描いていれば
僕はいつだって驚かない、そう思ってる?


誰かが、また今日も残酷な言葉を
誰かが、また今日もすぐに忘れるはずの毒を

ほらやっぱりね、と僕は呆れて
ほらやっぱりね、と僕はほくそ笑む

お前に受けたこの傷は決して癒えやしないんだと
お前のその心は決して変わりはしなんだと
いや、変わってもらっては困るんだと
そう言いたいこの哀しい気持ちの存在を大事に手にして

寂しいという名前のゆりかごは
いつまでも柔らかいその綿で個人を絡めとる
こんなものは嫌だと
こんな思いはもう二度と嫌なんだと
そうはっきりと、
誰もに聞こえるようにはっきりと言うことが出来るまで
ただひとりで眠る夜は続くのかも知れない


何を持って人は許しを請うのか
何をして人は純粋な笑みをもたらされるのか

ほらやっぱりと、
はらまた同じこと、と
呆れ顔して冷たく突き放す事が
呆れ顔してため息をついてみることが
どれも、いつも、
この自分が望んでいることだとしたら

僕の希望はいつだって
ちゃんといつでも言葉になって
誰かの唇をこれ以上ないほどに貶(おとし)める

哀しい言葉がこの耳に入るのは
この自分がそれを聞きたいからなんだろう
傷付く言葉がこの耳に響くのは
この自分がそれを望んでいるからなんだろう

ほら、やっぱりこの世の中は
この個人個人のわたしたちの思い描くとおり
こころに望むことが
こころの奥にその奥に描くことが
まったく正直に目の前に出来上がる
何ひとつの言い訳さえ許さないほどに
まったくもって正直に夢は叶うものなのだろう

だから、
だからさ、

ほんとうの僕の望みを
ほんとうの僕の夢を

何を叶えるかではなくて
何を思い描くかで、
そこですでにわたしの勝負は決まるのかもしれないから

本当の望みを
勇気を持って本当の僕の夢を



やさしい言葉

2008-07-14 21:53:35 | モノローグ


やさしい言葉。

そんなものはたくさんあるんだけどもさ。

恋人同士の甘い囁きも、
母親が子供をあやすその声や、
年老いた親を労(いた)わる息子の気遣い。
なんだか元気のない友人を心配してかける電話の声、
勇気を出してお年寄りに電車の席を譲る、
まだ若いOLさんの恥ずかしげな細い声。

そんな人の言葉はみんなやさしい。
そんなどの言葉もがとてもやさしい。

日頃からおしゃべりが好きで上手な人の
とびっきりの笑顔も、
日頃から話すのが苦手でぶっきらぼうだといわれる人の
ほんのたまに見せる数少ない挨拶の言葉も
どれももみんな同じくらいにやさしいもの。


人にとってうれしい言葉はみんなやさしい。
人にとってやさしい言葉はどれもみんなうれしい。


子供の頃には、
この自分を甘やかしてくれる大人ってやつが、
大好きでたまらなくて、
そんな大人の後ばかりを
いつまでもついて行ってしまうもの。

もう少し大きくなって少年の頃になると、
他の誰ともちがうこの自分自身の考えを
批判することなくすっぽりと認めてくれること。
そんなものこそをやさしい言葉だと信じて
いつまでも自分のことを話し続けてしまうもの。

そして
この自分自身が大人になってみると、
ただ、自分を甘やかしてくれる者の残念さを知り、
ただ、この自分を褒めてくれるだけの者の怖しさを知る。

誰かに対して、
ただ無責任に褒めることも、
ひたすら甘い言葉をかけることも、
そういうことって案外簡単なものだもの。
誰だってあまり苦労なくできることだもの。
そして何よりも、
それを誰かにしてあげること自体が
これまたたまらなくいい気分になる事だもんね。

いやいや、人にやさしい言葉をかける自分を
ただ喜ぶことはいいことだと思うんだよ。
決して躊躇することではないもの。

でもさ、

人に対して、
本当にやさしいことって何だろうなって思うんだ。
本当にやさしい言葉って何だろうなて思うんだよなぁ。


ようやく歩き始めた幼児が道で転んで泣いていたならば、
それはもう、急いで駆け寄ってやさしく抱きしめながら
服に付いた泥を払って、どこかに怪我はしてないかと
丹念に身体を調べ、転んだ驚きが静まって泣くのを
止めるまで頭を撫ぜたり、やさしい声をかけ続けるものだろうし。

子供から大人へと移り変わるいきがった少年が、
目の前で転んでいたとして、
同じように抱きしめてやさしい言葉をかけながら、
「驚いたねぇ、びっくりしたねぇ、でももう大丈夫だよ」
なんて言って見たところで、
それは疎ましがられることはあっても、
心から喜ばれることはないものね。
派手に転んで擦りむいた膝小僧以上に
傷つきやすい少年の自尊心を保つのに必要な言葉は、
自ずと小さな子供にかけるものとは違うはず。
一見はあまりやさしいとは言えない言葉の形をもって
揺れ動く青臭いこころは静まるもなのかも知れない。

例えばさ、

お金がないと嘆く友人に、
せがまれるままに金銭を用立ててあげる事が
果たしてそれがやさしいことになるのだろうか。

健康ならば、その友人に働ける身体があるのならば、
自分で働いて自分を養うと言うまったくもって
当たり前の尊い生活をいつまでたっても思い出せない
ということになってしまうのではないだろうか。

例えばこんな物語。

昔、あるところに仲のよい老女3姉妹がいたんだって。
でね、彼女たちは自分たちが生まれた田舎から
一歩も外に出たことがなかったんだけれども、
それでもその人の良さと素直な性格で
彼女たちはどこに行っても善人で通ってたんだそう。

で、ある時、彼女たちが町外れにある
大きな川を渡る橋に差し掛かった時に、
その橋の中ほどには一人の男がいて
今にもその橋から川の中へ身を投げようとする
ところだったんだって。
で、彼女たちはあわてて駆け寄ってさ、
その男の身の上話を親身になって聞いてあげるんだよね。
男のつらい人生に同情して一緒に皆で泣いてあげたりもしてさ。

ひと通りそうやって男の話を聞いた後、
それでもその男は人生に絶望していてやっぱり
このまま死にたいって泣くんだよ。
でさ、そこでこの善良な老女達は、
かわいそうなその男の望みを叶えてあげることが
一番いいことだと話し合った結果、
一番上の姉は男の脚を、2番目の姉は男の頭を、
そして末の妹は男の胴体をかかえて
そのまま川の中へと投げ入れてしまいます。

「私たちは今日もいいことをしたわねぇ。
 あんなかわいそうな男の人のお手伝いが出来たんだもの。
 この世知辛い世の中、なかなか親身になって
 こんな人助けは出来るものではないわよね。
 ね、そう思わないお姉さん!」

自分たちの家へ帰る道を3人で歩きながら
この老女達はほがらかに笑っていました。

ってお話なんだけれどもさ。


やさしい事ってなんだろうね。
親切な事ってなんだろうね。


自分の甘えってやつを
そのまま聞いてくれる人こそを
やさしい人なんだと思う誰かがいれば。

自分の甘えってやつを
厳しく叱ってくれる人こそを
やさしい人だと思う誰かもいる。


やさしい言葉ってなんだろうね。
やさしいこころってなんだろうね。


たとえば気心の知れた友人同士。
もう長い付き合いなんだからさ、
そろそろ言葉を端折ってみてもいいんだよな。
と、話しかける言葉の数がどんどんと減って行き、
どこかで知らない間に誤解が誤解を招いてしまって、
その結果、諍いや仲違いなんてつまらないなぁ。

昔さ国語の授業で習ったものじゃん。
「いつ」「どこで」「誰が」「どうした」ってさ。
相手が例え長年経った旧友だったとしても、
大事な事を伝えるときには
十分に言葉を尽くしてくれたりしながら、
物事を順序立てて説明してもらえたら、
それは、
この自分はこれ以上ないほどに嬉しいことだなぁって思う。

興奮してただ言葉をまくしたてるわけではなく、
事の成り行きを、今初めてそのことを聞かされている
この僕に向かって、
ゆっくりと言葉を話してくれるとき。
「いつ、どこで、誰が、どうしたんだよ。」って。
そんな時、
あぁこの人は親切だなぁって。
この人はやさしい人だなぁって。
僕はすごくそう思う。

面白く話さなきゃ、っていうようなサービスの前に、
「空気を読んでくれよ」というようなわがままの前に、
最低限の情報をきちんと正確に伝えることの大切さ。
そのセンスを共有できたら本当に嬉しいなぁって、
そんな風に僕は思うわけで。。。


やさしい言葉。
やさしいことば。


これこそが、
この私の話す言葉こそが、
他人を喜ばせる事の出来る
まったくもっての、
やさしさだと信じて疑わないこころ。

こんなに自分は心を尽くしてやさしい言葉を
あなたに向かって贈っているのに、
どうしてそれをありがたいと思ってくれないんだと、
感謝してくれないんだと喚くこころ。


やさしい言葉。
やさしいことば。


笑顔の裏で静かに涙を流さなければならないことの悲しさや、
人を傷つけてしまうのが怖くて、
いつでもひとりきりを選んでしまうことの寂しさ。

わかっていても、死ぬほどよくわかっていても、
今回もまた同じ過ちを繰り返してしまう悔しさや、
誰にも答なんてわからない疑問を、
この自分自身にいつまでも問い続けてしまうことの苦しさ。

同じ時代の同じ時間を過ごしてさ、
そんな生きていくうえでさ、
これはちょっとしんどいよなぁ、
これはちょっと辛いよなぁって思うこと。
そんなものをね、
ただ黙って理解できるってこと。

本当は
そんなことだけで十分だなぁってさ。
そんなことだけでも、やさしいなぁってさ。

誰もが聞いてやさしいと誉める言葉じゃなく、
誰に対しても使い回しの効く甘い言葉じゃなく、
たった一人のその相手にとってこその、
やさしいことば。
その人だけのやさしいことば。

そういうものを僕は手に入れたいなぁってさ、
すごく思うよ。

すごくね。