某MLで議論が起こっていて、(まぁ、議論自体はよくあるのだけど)、私の守備範囲にも関わっているテーマなので、ちょっと興味を持って読んでいた。
で、そのテーマ自体の展開よりも、気になったこと。
ある人が、自論を展開するのに、「それについては、わたしの『○○』をお読みください」といったたぐいの言い方をしていて、そのすぐ後にまた同じような書き方をする人が続いて、気がつくと、そういうように、自分の著作の紹介をしている人が多い。まぁ、それぞれ、自著で論陣を張っているわけだから、そう言いたくなるのだろうけれど、そういう人が続くと、「要するに、あなたの本を買えってことね、そして勉強しろって、わけね」と返したくなる。(返さないけど)
私には単著はないが、あちらこちらに書いた文章はある(まぁ、こういうのを断簡零墨というのだろう)。それを知っている人も多いグループで話し合いをしていて、私がすでに言及していることを一生懸命自分の説のように言い出す人、あるいは私が書いたものを読んでいたらそういうような意見は言えないだろう、というような展開をする人、などが多々いる。が、私は、「私もあそこでそのことを言っていますが、、、」とは、まず言わない。読んでいただけるほどの物ではないですよね、という卑屈な思いが漂っているのも事実だし、そこでひけらかすだけの自信も厚かましさもない。で、新たな議論の土俵として向き合うことにしている。たまにちゃんと読んでくれた人が、「虎之助さんもあそこで書いておられますよね」と言ってくれるが、共有者の方が少ない場面ではそれは通用しない。
が、単著をものした人は、すでに上梓されたのだから、自分の意見が世間の共有物になっていてしかるべきである、と考えるようだ。また、研究者の世界では、読んでいないと話にならない、ということもある。だから、読んでいない者の意見など気にもかける必要がない、という共通した態度が見える。
が、なんだかなぁ、、、、と思ってしまうのだ。学問の世界の権威主義を目の当たりに見るようで、やっぱりなんだかなぁと思ってしまう。権威主義に立たないための論陣を張っている人たちだらけのMLでこれはなんだかなぁと、、、、。
ネットという公表ツールが出来たのは、よかったかもしれない。学問研究に依拠するだけの知的エリート集団の占有を許さない知的財産のありようを示す新たな可能性かもしれない。
で、そのテーマ自体の展開よりも、気になったこと。
ある人が、自論を展開するのに、「それについては、わたしの『○○』をお読みください」といったたぐいの言い方をしていて、そのすぐ後にまた同じような書き方をする人が続いて、気がつくと、そういうように、自分の著作の紹介をしている人が多い。まぁ、それぞれ、自著で論陣を張っているわけだから、そう言いたくなるのだろうけれど、そういう人が続くと、「要するに、あなたの本を買えってことね、そして勉強しろって、わけね」と返したくなる。(返さないけど)
私には単著はないが、あちらこちらに書いた文章はある(まぁ、こういうのを断簡零墨というのだろう)。それを知っている人も多いグループで話し合いをしていて、私がすでに言及していることを一生懸命自分の説のように言い出す人、あるいは私が書いたものを読んでいたらそういうような意見は言えないだろう、というような展開をする人、などが多々いる。が、私は、「私もあそこでそのことを言っていますが、、、」とは、まず言わない。読んでいただけるほどの物ではないですよね、という卑屈な思いが漂っているのも事実だし、そこでひけらかすだけの自信も厚かましさもない。で、新たな議論の土俵として向き合うことにしている。たまにちゃんと読んでくれた人が、「虎之助さんもあそこで書いておられますよね」と言ってくれるが、共有者の方が少ない場面ではそれは通用しない。
が、単著をものした人は、すでに上梓されたのだから、自分の意見が世間の共有物になっていてしかるべきである、と考えるようだ。また、研究者の世界では、読んでいないと話にならない、ということもある。だから、読んでいない者の意見など気にもかける必要がない、という共通した態度が見える。
が、なんだかなぁ、、、、と思ってしまうのだ。学問の世界の権威主義を目の当たりに見るようで、やっぱりなんだかなぁと思ってしまう。権威主義に立たないための論陣を張っている人たちだらけのMLでこれはなんだかなぁと、、、、。
ネットという公表ツールが出来たのは、よかったかもしれない。学問研究に依拠するだけの知的エリート集団の占有を許さない知的財産のありようを示す新たな可能性かもしれない。