凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

職場のパワーゲーム

2010-09-22 10:00:58 | 組織・集団
あのときの私に、何ができたのか、と、辞めた職場のことを考える。その職場は、外部からいくつかの攻撃を受けていた。一つは、バックラッシュ。それも一種類ではなく、大きな団体と、おかしなことを言ってくる少人数らしい団体。それから、不当に職を奪われた、と、怒っている私の前任者とその支援グループ。(前任者と言っても、名称が一部重なるだけで同じ職種では全くなく、前任者は、週3日勤務のVIP待遇、私の方は事務局の責任者も兼務するフルタイムの実質責任者だった。)そして、行政に不満をいっぱいかかえた市民団体がいくつか。
 これらからの攻撃が職場自体にある中で、私は、なぜか、しょっぱなから内部でも攻撃を受けるようになった。今なら、わけがわかる。すでに内部は派閥に分かれており、一方は、私のもう1人の前任者である事務局の責任者であった人に帰依している集団、もう一方は、非常勤職員の組合員の人たちであった。当然、非常勤職員の方が力が弱いが、果敢にも、不当な行政権力と、弱小組合ながら闘っていた人たちだ。しかも、組合員の中にも、行政側に加担する人もいて、苦労している人たちだった。
 私は、赴任して早々、早速、この行政側の人たちからのアプローチを受けた。が、実に奇妙なアプローチだった。最初は、何も考えずに一緒に飲みに行ったが、この人達の言い分と言うか、説得というか、脅しというか、さっぱり、私の心に響かない。結局、どうもよくわからない人たちだ、と私が思った頃には、向こうも「こいつは使えない」と、思ったのだろう。私への攻撃が始まったのだ。在職中、ずっと、陰に陽に、攻撃が続いた。私があまりにもこういうことに鈍くて気づくのが遅く、辞めてから、あれは何だったのか、と考える時間ができて、奇妙なアプローチや、行政内部の力関係、派閥争いなども見えてきて、わかったことだ。
 一方、組合の反権力側の人たちからもアプローチがあった。最初は、あまり先入観を入れたくなくて、それほど、近くはならなかったが、普通に組合の役員と職場の責任者として話をしたとき、至極筋の通った話だったので、この人達とは会話ができた。そして、この人達の言い分が、あまりにも真っ当なので、やっとこの人達と人間関係が作れるようになり、少し職場に慣れたと思い始めたとき、おそらく、私は、派閥の一方についたと見なされ、攻撃の的になったのだろう。その頃はまだ、派閥があるということにも気づかず、筋の通る話をきちんと出来る、比較的私に近い場所にいる人たちと人間関係がやっとできはじめたと私自身は思っている頃だ。その後も、職場のいろいろな人と人間関係をつくり、良い職場をつくっていくつもりだったが、最初に人間関係ができた人が、一方の派閥のリーダーのように見なされている人だったので、私はその時点で、「敵」と見なされたのだろう。もちろん、当のリーダーと見なされた人にはそのような自己認識はない。ただ、非常勤職員であり、組合員である自分たちの労働環境の改善を願っていた一人だ。
 が、人間関係を常に、力関係と見なす人がいるようで、そういう人には、人間関係とは、敵か味方か、しかないのだろう。そういう職場で、いきなり、私は敵視された、ということのようだ。

 外にあっては、様々な攻撃があって、私はその矢面に立つ。私を敵視した人たちは、いつでも私に「盾」になることを要求し、自分が対処するべきことでも、全部、私にまわしてきた。さらに、内部では、私の知らない間に、私は「敵」になっているので、たえず、攻撃の的になる。
 いったい、どんな人が、この職場を、うまく前向きに運営していくことができるのだろう。

 私を迫害した人たちは、今でも、私を悪く言っていると聞く。未だに、その職場は混乱をかかえているのだろう、そして、うまくいかないことは、すべて、「敵」と見なした者を悪く言うことで、その職場に巣くう問題性を隠蔽する。
 あのような所で、私はいったい、どんなふうにうまくやることが出来たのだろう。もし、私に、自分がしたような選択以外の選択をすることができるとすれば、それは、何かのタイミングで、その職場に行かなかった可能性しかない。行ってしまえば、あれ以外になかったと思う。

 いくら考えても、私にはあれしかなかった。まぁ、私が悪く言われるのは、おとなしく、かれらに屈服しなかったからだから、ある意味、仕方がない。白旗を掲げていれば、見逃してもらえたものを、最後まで抵抗するのだから、仕方がない、己の性と諦めようか。

事件の真相

2010-09-19 11:59:41 | 組織・集団
とても単純に図式化すれば、権力を傘に着てごり押しをする行政と、それに対抗してヒステリックに騒ぐ市民グループとの間にはさまれてしまった、ということだろうか、と、数年前に巻き込まれた事件を振り返る。(尤も、今も係争中ということになるが、、、。)行政パーソンの大きな問題は、自分の仕事の権力性に気づいていない、ということだろうか。現場にいる人は、クレーマー市民などに難儀しているから、やたら腰の低い人もいるし、防衛的な人もいる。そうして現場の職員が苦労して穴埋めしているから、抜本的な改革を行うこともなく、自らの影響力、権力性を検証することもなく、方針決定のポジションにいる人は、大した情報収集もしないで、周囲の部下の報告だけを鵜呑みにして(鵜呑みにするしか仕方のない仕組みなのだが)、いつも通り決定を下す。そうしてとんでもない方針決定が行われることもあるが、結局のところ、その決定結果が、決定を下した上司も、報告をしてきた部下も、誰ひとり、企図しない方向に結びついたりすることもある。そこには、責任感は存在しない。誰ひとり、企図しなかった結果が招来されたのであるから、責任を自覚しにくいのだ。ドラマのように、一人の悪人がシナリオを書いた、というような事件展開だと簡単なのだが、現実は、たいてい、悪の黒幕も、単独の実行犯もいないことが多い。このあいだの「凛の会」事件などは、私から見れば、呆れるほど明快に真相が見えたケースで、珍しいことではないのだろうか。多くは、よくわからないまま「藪の中」状況で、気色が悪いことこの上ない。

 私が巻き込まれた事件でも、ひそひそと、行政側の企みをささやく人は何人かいた。私は、その人たちのどれだけが、確証を持っているのかと疑うが、確証があるなら、明確なところをきちんと証言すればいいのに、と思う。証言してくれたら、すべてが明らかになるはずだが、実のところ、誰も確証などもなく、なんとなくイメージで、無責任に無責任なうわさを垂れ流しているのだろう。一番迷惑したのは、私だけれど。原告側から、何かを知っているかのように妄想され、私が証言しさえすれば、真相が明らかになる、などと妄言をふりまかれ、「知らない」と言えば、魔女裁判さながら、無実の罪で断罪しようとしたのだから。

 誰が最初に、行政の企み疑惑を言いだしたのかはわからないが、それに乗っかって、いい加減な噂をささやいた人々の罪は大きい。おそらく、誰も確証もなく、単なる憶測でものを言っていたに違いない。(そうでなければ、一人くらい、ちゃんと証言するだろう。)私は、事態は、その憶測はあたらずとも遠からず、だったのではないか、と思う。原告側が言いたてる外部のプレッシャーは確かにあっただろう。私も、在職中、プレッシャーは受けているから。が、だからと言って、外部のプレッシャーだけで、重要な決定が動くとは思えない。誰か、キーパーソンがいたのでもないだろう。上司にあたる人は、部下の報告を受けて、動いたに過ぎないと思う。部下も現場の状況からあれこれ考えて動いたにすぎないだろう。中には、(ここが厄介なところだが)、外部の信頼する人などに助言を仰いでいたかもしれない。外部の人は、ただの参考意見として助言したかもしれない。当然、何の責任も自覚しないで。が、(これも厄介なのだが)、公務員やそれに準ずる人たちの中には、自分でものを考えられなくて、そういう外部の尊敬する人の意見などに、そのまま従ったりする。そうして、外部の意見などを採り入れた構想を上司に報告し、上司は現場を預かっている部下からの構想なので、それに沿った決定を下す、ということになる。ただ、それだけだったのではないかと思う。外部の人は、自分が責任をとらねばならない立場ではないので、自分の助言が重大な結果を招いたとは思っていないだろう。構想を練って上司に報告した、現場を預かっていた人は、現場の状況をいろいろ考慮し、さまざまなシミュレーションをして、やはり、これでいくか、というような構想を上司に上げたのだろうと思う。そして、上司は、有能な(と思っている)部下が報告を含め、新しい構想を出してきたので、それに沿った決定を下したと考えられる。が、結果、私の前任者は、自分を排除するための構想だった、自分は不当に職を奪われた、と、訴訟を起こしたのだ。

 思えば、実にその人らしい思いこみだ。さまざまな状況を鑑みて構想された機構改革も、その人にかかれば、自分を排除するため、という自分を主人公にしたシナリオに読み変えられる。その自我肥大による被害妄想の訴訟のために、私はエライ目に合ってしまったというわけだ。
 
 権力を笠に着ている自覚もなく、成り行きで仕事をしている行政職員の問題、外部の尊敬する人などに盲従して、その助言を鵜呑みにする出先機関の職員の問題、自我肥大に陥っている出先機関のトップ、悪気もないが責任も感じず、まともな情報が何もない中で判断をしている出先機関の理事など、さまざま人たちの限界が撚り合わさって、とんでもない柄の悪い布地が出来上がった。

 その布地に、一色、場違いな色が混じったが、すぐに場違いが判明し、織り込まれなくなったが、傷のように不思議な色が混じっているとすれば、私だ。ま、思えば、一番、調和の悪かったのが私だったが、それもポジションがそういう厄介なポジションだったからで、他のポジションであれば、私なりに生き残ったり、案外無傷でその場を離れることができたかもしれない。タイミング、ポジション、パーソナリティ、すべてが不協和音を奏でたのだった。

リーダー待望?

2010-09-15 15:14:43 | 考え方
 ずっと、私に理解できない考え方の一つが、リーダー待望論だ。民主党総裁選では、菅首相が続投を決めたが、ある小沢派の若手議員は、「小沢先生が導いてくださる」と言って期待していたそうだが、私には聞くだけで寒気のするような言葉だ。が、大阪府の橋下知事の選出の時も、その前の石原東京都知事の時も、強いリーダーシップを持った人に導いてほしい、という期待が語られていた。私には、ずっと理解できないのだ。自分の意志を持たず、強い人に追随する人が多いということなのだろうか。民主主義はどこに行ったのか? 民主主義が成熟していないといっても、その枠組みすら、維持できない、ということなのか?
 これは、怖い時代に入った、ということではないのか。強いカリスマ性を持った人に引っ張ってもらう、人々は自分の意志を見失う、、、想像するだに恐ろしい社会だ。ま、とりあえず、民主党総裁選が、そうならなかったのだけは、ホッとする。

 が、不思議なことに、フェミニストの世界でも、このカリスマ支配がまかり通っている。私をネット上で、誹謗中傷した集団も、一人のカリスマ的存在に盲従していた。自分の頭でものを考えないから、論理が無茶苦茶なまま、感情的に、自らのカリスマに不都合な人や物を攻撃する。手のつけられない蒙昧な集団だった。
 フェミニストなのに? と、最初は信じられなかったが、フェミニストでもいろいろいるのだ、という当たり前の事実に、私も目をくらまされて気づかなかったのだろう。 
頑固一徹、自己中心主義、ヒステリック、非論理的、感情に走りやすい、、、嘗ては、フェミニストをこのように批判するメディアなどを、アンチ・フェミニストの感覚で、フェミニストをこういう言い方で攻撃するのだと思っていたが、確かに、このようなフェミニスト集団が存在するのだとわかった。若い人たちが、フェミから離れるのも無理はない。

 しかし、カリスマ的リーダーを戴いて、盲従する人ばかりではない筈なのだ。私は、誰のことも師と呼ばず、誰にも従属せず、また、一人の子分もなく、ただ、心ある仲間と横並びに動いてきたつもりだが、時には、とてつもなく孤独だ。仲間は一人ひとり、自立しているから、べたべたとつるまない。結局、若くても年上でも、対等性と距離感を保っている人たちだけが、私の仲間のようだ。

 少し寂しい、くらいがよいのだと、何かで聞いた。その通りだな、と思う。少し、寂しい、が、自分の魂を売るよりははるかにまし。魂はここにある。誰かに、預けたりはしないものだ。


権力に逆らうと、、、

2010-09-15 11:22:08 | 考え方
 私のいる業界は、ある意味、狭い。社会全体から見れば、非常に偏った、瑣末な部分なのだろうと思う。が、ある意味、注目もされやすい。
 私が、以前の職場で心身に不調を来たし、飛び込んだ心療内科系の病院の医師は、まだ若い人だったが、私の話を聞くうちに私が巻き込まれている出来事を「新聞で読んだような気がする」と言い、2度目の診察に行くと、ネットで情報を得ていた。その後、そこで入院することになったが、何くれとなく、関心を持ってくれていた。
 私が酷い中傷で傷ついていることについては、そういう情報は入れてはいけない、とドクターストップをかけてくれた。診療内科に行ったのは、癌に気づく前で、その不調が精神的なものだと思いこんでいたためだが、しかし、その心療内科で、命拾いをしたのだろうと思う。そこで、ドクターストップをかけてもらい、休業を勧められなかったら、癌の進行がもっと進んで、消化器科にかかったときは、手遅れだったかもしれないと思う。
 同じ病気で亡くなった友人もいるので、つくづくそれは思う。

 この業界では、私は不利な道を選んだのかもしれない。もちろん、古くから私を知ってくれている友人達は、ずっと、私の側にいてくれる。友人達がいなければ、これもまた、私は立ち直れなかったと思う。
 しかし、仕事は失った。行政という権力から嫌われると、なかなか大変だ。ヒステリックな運動系の人もかなわないけど、権力の力はすごいと思う。それを知りつつ、友人でいてくれる人たちには、感謝している。何が真っ当かを常に考えようとしてくれている人たちだ。

 それでも、時の権力への批判というものは、難しいものだ。友人達は、それをやる人もいれば、やらない人もいるが、私は、無謀にもそういうことをやってしまうたちだ。慎重さに欠ける、といえばその通りだが、しかし、やらないわけにもいかない感じがしている。

 ただ、批判一辺倒ではなく、多方面からの検証が要るなと、今は少し落ち着いて考えているが。


還暦

2010-09-10 21:40:17 | 人生
今年は還暦。もうすぐ、60歳の誕生日を迎える。思えば、はるばる来たものだ。この自分が60歳の日を迎えるとは。ま、多くの人はそう思うのだろう。
そして、還暦の年である今年から、ぴたりと仕事の依頼が止まった。もう、自分の時代が終わった、ということもあるのだろうが、一つは、巻き込まれた裁判が原因だろう。巻き込まれた裁判の、私は非当事者だが、証人であった。原告、被告のどちらにも与することなく、真実だけを述べたつもりだったが、つまり、それは、とても生きるには下手なやり方だったということかもしれない。行政の権力におもねる人は行政側に加担することによって、まだ行政にかわいがってもらえる、ということもあるのかもしれない。行政を訴えた方に加担すると、ヒステリックな運動系の人に、かわいがってもらえたのかもしれない。が、どちらもしなかった。どちらの問題性も見えていたから、早い話が、どっちもどっち、と思ったから、私独自の立場を貫いた。ま、それは、長い物に巻かれない、最も下手くそな生き方なのだろう。ま、良しとしよう。自分で自分を恥じるような生き方だけはいやなのだから、どんな状況でも、胸を張って顔を上げて生きていきたいのだから、失った代償は大きいが、自分で自分をいやにならない、という一番大事なものは守ったのだろう。

まだ、仲間もいるし。権力におもねらない、他責型ではない友人たちがまだ、いてくれるし、、、。それに、時と共に、事態は動くし。

裁判だけが理由ではないかもしれない。思えば、最も権力のある人たちに喧嘩を売るような文章を発表してしまった。それも、原因かも。
それと、マメでない、という決定的な自分の欠点がある。パワハラをするような人たちは、人に対してマメだから、私のようなものぐさの悪口などアッという間にばらまいて、私の仕事を奪うこともできるかもしれない。

ま、そんなひどい人ばかりではないだろう。自分の不徳の致すところもよく検証することにしよう。
この与えられた時間を享受し、心の整理に使おう。