あのときの私に、何ができたのか、と、辞めた職場のことを考える。その職場は、外部からいくつかの攻撃を受けていた。一つは、バックラッシュ。それも一種類ではなく、大きな団体と、おかしなことを言ってくる少人数らしい団体。それから、不当に職を奪われた、と、怒っている私の前任者とその支援グループ。(前任者と言っても、名称が一部重なるだけで同じ職種では全くなく、前任者は、週3日勤務のVIP待遇、私の方は事務局の責任者も兼務するフルタイムの実質責任者だった。)そして、行政に不満をいっぱいかかえた市民団体がいくつか。
これらからの攻撃が職場自体にある中で、私は、なぜか、しょっぱなから内部でも攻撃を受けるようになった。今なら、わけがわかる。すでに内部は派閥に分かれており、一方は、私のもう1人の前任者である事務局の責任者であった人に帰依している集団、もう一方は、非常勤職員の組合員の人たちであった。当然、非常勤職員の方が力が弱いが、果敢にも、不当な行政権力と、弱小組合ながら闘っていた人たちだ。しかも、組合員の中にも、行政側に加担する人もいて、苦労している人たちだった。
私は、赴任して早々、早速、この行政側の人たちからのアプローチを受けた。が、実に奇妙なアプローチだった。最初は、何も考えずに一緒に飲みに行ったが、この人達の言い分と言うか、説得というか、脅しというか、さっぱり、私の心に響かない。結局、どうもよくわからない人たちだ、と私が思った頃には、向こうも「こいつは使えない」と、思ったのだろう。私への攻撃が始まったのだ。在職中、ずっと、陰に陽に、攻撃が続いた。私があまりにもこういうことに鈍くて気づくのが遅く、辞めてから、あれは何だったのか、と考える時間ができて、奇妙なアプローチや、行政内部の力関係、派閥争いなども見えてきて、わかったことだ。
一方、組合の反権力側の人たちからもアプローチがあった。最初は、あまり先入観を入れたくなくて、それほど、近くはならなかったが、普通に組合の役員と職場の責任者として話をしたとき、至極筋の通った話だったので、この人達とは会話ができた。そして、この人達の言い分が、あまりにも真っ当なので、やっとこの人達と人間関係が作れるようになり、少し職場に慣れたと思い始めたとき、おそらく、私は、派閥の一方についたと見なされ、攻撃の的になったのだろう。その頃はまだ、派閥があるということにも気づかず、筋の通る話をきちんと出来る、比較的私に近い場所にいる人たちと人間関係がやっとできはじめたと私自身は思っている頃だ。その後も、職場のいろいろな人と人間関係をつくり、良い職場をつくっていくつもりだったが、最初に人間関係ができた人が、一方の派閥のリーダーのように見なされている人だったので、私はその時点で、「敵」と見なされたのだろう。もちろん、当のリーダーと見なされた人にはそのような自己認識はない。ただ、非常勤職員であり、組合員である自分たちの労働環境の改善を願っていた一人だ。
が、人間関係を常に、力関係と見なす人がいるようで、そういう人には、人間関係とは、敵か味方か、しかないのだろう。そういう職場で、いきなり、私は敵視された、ということのようだ。
外にあっては、様々な攻撃があって、私はその矢面に立つ。私を敵視した人たちは、いつでも私に「盾」になることを要求し、自分が対処するべきことでも、全部、私にまわしてきた。さらに、内部では、私の知らない間に、私は「敵」になっているので、たえず、攻撃の的になる。
いったい、どんな人が、この職場を、うまく前向きに運営していくことができるのだろう。
私を迫害した人たちは、今でも、私を悪く言っていると聞く。未だに、その職場は混乱をかかえているのだろう、そして、うまくいかないことは、すべて、「敵」と見なした者を悪く言うことで、その職場に巣くう問題性を隠蔽する。
あのような所で、私はいったい、どんなふうにうまくやることが出来たのだろう。もし、私に、自分がしたような選択以外の選択をすることができるとすれば、それは、何かのタイミングで、その職場に行かなかった可能性しかない。行ってしまえば、あれ以外になかったと思う。
いくら考えても、私にはあれしかなかった。まぁ、私が悪く言われるのは、おとなしく、かれらに屈服しなかったからだから、ある意味、仕方がない。白旗を掲げていれば、見逃してもらえたものを、最後まで抵抗するのだから、仕方がない、己の性と諦めようか。
これらからの攻撃が職場自体にある中で、私は、なぜか、しょっぱなから内部でも攻撃を受けるようになった。今なら、わけがわかる。すでに内部は派閥に分かれており、一方は、私のもう1人の前任者である事務局の責任者であった人に帰依している集団、もう一方は、非常勤職員の組合員の人たちであった。当然、非常勤職員の方が力が弱いが、果敢にも、不当な行政権力と、弱小組合ながら闘っていた人たちだ。しかも、組合員の中にも、行政側に加担する人もいて、苦労している人たちだった。
私は、赴任して早々、早速、この行政側の人たちからのアプローチを受けた。が、実に奇妙なアプローチだった。最初は、何も考えずに一緒に飲みに行ったが、この人達の言い分と言うか、説得というか、脅しというか、さっぱり、私の心に響かない。結局、どうもよくわからない人たちだ、と私が思った頃には、向こうも「こいつは使えない」と、思ったのだろう。私への攻撃が始まったのだ。在職中、ずっと、陰に陽に、攻撃が続いた。私があまりにもこういうことに鈍くて気づくのが遅く、辞めてから、あれは何だったのか、と考える時間ができて、奇妙なアプローチや、行政内部の力関係、派閥争いなども見えてきて、わかったことだ。
一方、組合の反権力側の人たちからもアプローチがあった。最初は、あまり先入観を入れたくなくて、それほど、近くはならなかったが、普通に組合の役員と職場の責任者として話をしたとき、至極筋の通った話だったので、この人達とは会話ができた。そして、この人達の言い分が、あまりにも真っ当なので、やっとこの人達と人間関係が作れるようになり、少し職場に慣れたと思い始めたとき、おそらく、私は、派閥の一方についたと見なされ、攻撃の的になったのだろう。その頃はまだ、派閥があるということにも気づかず、筋の通る話をきちんと出来る、比較的私に近い場所にいる人たちと人間関係がやっとできはじめたと私自身は思っている頃だ。その後も、職場のいろいろな人と人間関係をつくり、良い職場をつくっていくつもりだったが、最初に人間関係ができた人が、一方の派閥のリーダーのように見なされている人だったので、私はその時点で、「敵」と見なされたのだろう。もちろん、当のリーダーと見なされた人にはそのような自己認識はない。ただ、非常勤職員であり、組合員である自分たちの労働環境の改善を願っていた一人だ。
が、人間関係を常に、力関係と見なす人がいるようで、そういう人には、人間関係とは、敵か味方か、しかないのだろう。そういう職場で、いきなり、私は敵視された、ということのようだ。
外にあっては、様々な攻撃があって、私はその矢面に立つ。私を敵視した人たちは、いつでも私に「盾」になることを要求し、自分が対処するべきことでも、全部、私にまわしてきた。さらに、内部では、私の知らない間に、私は「敵」になっているので、たえず、攻撃の的になる。
いったい、どんな人が、この職場を、うまく前向きに運営していくことができるのだろう。
私を迫害した人たちは、今でも、私を悪く言っていると聞く。未だに、その職場は混乱をかかえているのだろう、そして、うまくいかないことは、すべて、「敵」と見なした者を悪く言うことで、その職場に巣くう問題性を隠蔽する。
あのような所で、私はいったい、どんなふうにうまくやることが出来たのだろう。もし、私に、自分がしたような選択以外の選択をすることができるとすれば、それは、何かのタイミングで、その職場に行かなかった可能性しかない。行ってしまえば、あれ以外になかったと思う。
いくら考えても、私にはあれしかなかった。まぁ、私が悪く言われるのは、おとなしく、かれらに屈服しなかったからだから、ある意味、仕方がない。白旗を掲げていれば、見逃してもらえたものを、最後まで抵抗するのだから、仕方がない、己の性と諦めようか。