凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

セクマイというアイデンティティ

2016-10-12 09:03:07 | 日々の雑感
ゲイの学生がいて、時々、相談に乗る。
彼の自認は、トランス寄りのゲイ、ということらしい。

嘗て、いじめに遭って、休学していたこともあるが、今は復活して、
なかなかやる気になっている。
年上の彼氏もいるし、単位も着実に取っているし、就活も順調そうだ。

セクマイでも、もちろん、人によるのだろうが、
彼の場合、ゲイである、ということがあまりにも重いのだろう。
何かにつけて、「僕はゲイだから」ということを言う。
いやいや、そこはゲイとかヘテロとか、関係ないだろう、と思うような場面でも、
「ゲイだから、、、」となる。
過剰なほどに、ヘテロでないセクシュアリティを意識させられている。
そのために、劣等感もセクシュアリティと結びつく。

サークルを立ち上げようとして、なかなか皆の気持ちをまとめられない。
すると、
「やっぱり、僕はゲイだから、コンプレックスがあって、、、」
などと言い出す。
指導教官も、「やはり、ゲイは、、、」などとそれに追い打ちをかけたそうだから、
そこは、私が強く否定した。
「ゲイだからじゃないよ。人をまとめていくなんていうのは、
ゲイだろうが、ヘテロだろうが、難しいものよ。
ゲイは関係ないよ。ヘテロの集団だって、年中、もめているんだから」と、最後は私の周囲の実態。

この社会の男女の二分法の価値体系では、
ゲイである彼も、男性の側に位置づいてきた。
いわゆる男のステレオタイプからそれていたとはいえ、彼は、まぎれもなく男の恩恵も受けてきたのだ。

ステレオタイプからずれると、
もちろん、苦悩が大きい。
悩んだ期間は長いだろう。
が、答えが出ると、案外楽になったりもする。
仲間ができ、仲間内で語り合う時間というものができると、それは生きる活力源にもなる。
それが外にもあふれるようなパワーになると、今度は、「選ばれし者」のような転倒した優越感にすらなる。

最近、彼には、
「ゲイだからって、特別だと思うなよ」といさめたくなる瞬間がある。
所詮、オトコ社会で、男として育った幅の取り方は、他のヘテロの男と同様、身につけているのだ。
そこは、女性とは完全に違う位置取りなのだ。

一般社会とは転倒した価値体系のコミュニティがある。
マイノリティのコミュニティには、独自の階層がある。
私が属するコミュニティは、そこに長くいると、
結婚して、夫の扶養家族でいることに、恬として恥じない女性を見ると、異人種のように感じてしまう。
非婚で子どもを産んだシングルマザーは、上位に位置づく。
離婚女性はその下に位置づけられる。
夫の遺族年金を受給しているような私などは、日陰でひっそりと息をひそめている。
が、異性愛者というわけでもない、ということを主張する機会があると、胸を張る。
新たに異性の恋人を得た人を見ると、なんだかんだ言っても、結局、男好きのヘテロじゃないか、と蔑む私の目がある。
ましてや、結婚までした人を見ると、
なんだそれ? ただのそのへんの女だったのか、と裏切られた気分にすらなる。

ひとたび、一般社会に出れば、転倒する価値基準だ。

肩に力を入れないで、ふうわりと、
その人のままで受け入れ、
自分のままで自己表現をしていたいが、
そうしようとすると、むしろ、ほぼ世捨て人のように、人に振り回されないで生きる必要がある。
人を欲し、人と共にありたいが、
様々な思惑をかかえた人に振り回されないでいたい、というのは難しい願いだ。

マイノリティであるというアイデンティティは、本人を苦しめるが、
「選良」された者のような優越意識に転換しやすいものでもある。
なだらかに、多様性を受け入れ合う、というのは、言うほどたやすいことではない。







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