凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

自己防衛 再解釈

2011-08-28 08:22:06 | 人間関係
 「自己防衛」の日記に書いたエピソードを親しい友人が泊まりに来たときに話したら、おもしろい解釈をしてくれた。

 件の、海外では誰も年齢など気にしない、と息巻いていた友人のことを、彼女も知っている。「彼女が発表する学会に行ったけれど、堂々たるものだったよ」と言う。実は、そういう彼女をあまり知らない。プライベートなつきあいなので、また、彼女の研究分野はあまり私の守備範囲とかぶってこないので、学会にも行ったことがない。しかし、親しい友が言う話は興味深かった。

 先日集まった数人の仲間は、古い仲間で、中には、ヘルパーの仕事を体力的にもきつくなってきたからもう辞めようか、と思っている人や、定年を待たずに小学校教師を退職してわび住まいをしている人、長い間、専任に恵まれず、ずっと有期の職で食いつないでいる人、そして、病気退職をして今は非常勤で雀の涙ほどの給料を貰う生活の私、その中で、彼女ひとり、大学の教授職であるから、職業的に最も恵まれている。だから、仕事の話はしない。居心地が悪いのだ。
 そのことは、「同窓会でも、ねたまれるような、距離を置かれるような感じで落ち着かない」と私に言っていたことがあるので、確かにその場でも、仕事の話は避けていたのだろう。

 親しい友によると、「大学の先生って、喋るのが好きだから、ずっと仕事の話の時は黙っていたので、その勢いがそこで出たのよ」ということ。
 なるほど、と思った。ずっと抑制していたので、当たり障りのない年齢の話になって、スイッチが入ったように話し始めた。そこに力を入れる理由はないがそこにしか力が入れられなかった。
 他人の言動に、深い意味を読みがちだが、大して意味がない時もあるのは確かだ。心理的というより、生理的反射、ということもよくある。

 なんとなく、理解のできる話だ。う~ん、うまい解釈だな、と思った。視点を変えると、また新たなものの見方が出てくる。そういう意味では、他人との会話は、示唆に富んでいて興味深い。こういう機会を多くつくりたいと思う。


年をとると、、、

2011-08-21 14:23:17 | 人生
 悔しいことも諦める。無念なまま、人生を終える。嘗て、松田道雄さんが言っていたように、年をとると、人生の残り時間が少なくなってきたのを感じると、「今にみていろ」ということが不可能になる。

 いつか、見返してやる、、、ということももう無理になる。

 ひどいことを言われたとしても、雪辱を果たすことも、もうかなわない。

 諦めるしかない。

 負け人生を、それなりに自分の中で折り合いをつけて、平和な気持ちで閉じるしかない。

 友人の理不尽な言い分も、もう、あまり正そうとは思わなくなった。相手が、自分の言い分の理不尽さに気づいてくれるかどうかもわからない。気づいてくれなければ、時間を徒に費やすことになる。でも、そんな暇はない。ま、いいか、と思う。大した行き違いじゃないし、、、と。

 
 やることやらなきゃ、、、。父も母も、不快な物言いをする親戚とだんだんつきあわなくなった。少しずつ、関わりを薄めていった。そして、最後に残したのが配偶者と娘。しかし、親にとってみれば、娘は遠慮の要らない、エネルギーを消耗しないで済む相手だろうが、娘にとっては、親は、結構、ストレス源だ。あまり丈夫でない娘は、ストレス源との母親とも、距離を置いてつきあうしかない。

 言い負かされるのは、結構、ストレスだ。だから、理不尽に他を責める人とは一緒にいたくない。

 ちょっとずつちょっとずつ、人と付き合えなくなる。


 

自己防衛

2011-08-21 06:40:46 | 仕事
 友人の言動に驚くことがある。

 先日の数人での会話では、中でも一番仲良くしている友人の言い分にさっぱりわけがわからなくなった。他の人が、その友人と私に「同い年?」と聞いた。するとその友人が、自分の方が一つ年下だと答えた。私は同い年だったように記憶していたので、「何月生まれ?」と尋ねると1月だと言う。私は前年の9月生まれだから、「あ、じゃあ、同じ学年ね」と言った。何気ない会話だと思う。が、その私の発言から、彼女は俄然、勢いがついた。

 海外が長い彼女は、「日本人って、年にこだわるのよね」と言いだした。日本人はよく、早生まれだとか言うが、自分が早生まれなのか遅生まれなのか、わからない。学年が一緒とか、そんなことは、海外では誰もこだわらない、と言うのだ。そして、自分は子どもがいないせいか、学年などの概念がわからないと言う。早生まれなどと言うのは、日本の学校だけだと声も大きくなる。
 
 別の友人が、「え? 小学校は、日本でしょ?」と尋ねると、「そうよ、大学まで日本よ」と言う。確かに大学院がアメリカだったと聞いている。「だったら、子どもがいなくても、自分の時代に早生まれとか、言う言い方はあったでしょ?」と、他の人は皆不思議顔。

 しかし、さらに勢いがつく。こんなに年にこだわるのは日本人だけだ、海外ではそんなことは気にしないから、自分は日本人はどうしてこんなに年齢にこだわるのかと思う、と息巻く。
 「あなたが、私より一つ年下、と言うから、学年は一緒と言っただけだと思うけど、、、」と私が言うと、
「学年がどうとか言うのは、日本だけ」と言う。「普遍的ではない」と言う。まぁ、そうかもしれない、他の国がどうかはわからないけど、と思いつつ、
「私が同じ学年と言ったのが、いけなかったの?」と尋ねたら、そうじゃない、とまたまた、勢い込んで、年齢にこだわるのは日本人だけなのだ、とまくしたてる。

 もうわけがわからない。他の人もみな、勢いに押されて、それ以上議論する気にもなれず、彼女が勢いづいて言いたてるのを、ふんふんと聞くだけになる。聞くだけになると、やがておさまった。

 いったい、これは何だろう? と思う。私に想像できるのは、年齢について何か、彼女には防衛したいことでもあったのか、ということ。あるいは、「一つ年下」という彼女の発言にこだわった私が気に入らなかった、ということかもしれない。でも、私の感覚では、年下ではない。今まさに同い年だし。4か月しか違わないから、こだわっているのは向こうのような気がするけれど、何か、彼女を勢いづかせることが起こったのだ。

 多くの友人たちの思いもかけない興奮や攻撃などは、自己防衛の表れであることが多い。何かが彼女のコンプレックスに触れたのだろう。自分も含めて、人間とは、厄介な生き物だ。

母を見ていて思うこと

2011-08-19 14:51:52 | 
 正直なところ、母は苦手だ。年をとって、もう、ほとんどおとなしくなった母だが、そうなると、優しい気持ちになれない自分が、今度はいやになる。

 耳がどんどん遠くなる。テレビを大音響でつけるので、何度か、テレビの音を耳元で大きくするタイプの補聴器を買って渡したが、今ではしまいこんでしまって使わず、大音響の上、テレビの傍で見ている。また、母があまりにも耳が悪くなったので、一人で買い物に行くときに不自由だと言うので、やはり集音タイプの携帯用補聴器を購入して母の家に持って行ったが、受け取ってすぐにしまいこんでしまった。

 耳が遠いので不自由だと訴えるが、補聴器はいや、ということなのだ。もちろん、自分にあった補聴器を作りに行く気など、毛頭ない。

 以前に、「私と会話する時だけでもつけてくれない?」と頼んだら、「あんたと話すのなら、なおさら要らない」と笑って一蹴された。私の言葉が聞こえないことには不自由を感じない、私が彼女の要求を聞き取りさえすればよい、ということなのだ。
 あぁ、ずっとそうだった、と思い出した。子どもの頃から、私は、母の気持ちにいつも気を遣い、母の思いを汲みとろうと一生懸命だったが、母は、私の思いなど気にしたこともない。気にする必要のない相手だったのだ。

 私の友人で、母親が、死の床まで娘であるその友人をないがしろにし、搾取し、他の男兄弟とは差別し続けた話を聞いたことがある。死の床に至るまで、そうだった、ということが、彼女を悲しませた。
 話を聞いて、胸が痛むと同時に、そうだろうと想像も容易についた。私の世代では、母親から虐待に等しい扱いを受けた娘である人が、結構多いのだ。母親自体が、その上の世代から丁寧には扱われていないし、夫からも大事にされていない人が多い。その母親が唯一自分の思い通りにコントロールできるのは、娘だったのだ。娘は、母親を幸せにする義務がある、と思いこんでいる母親は多い。否、娘に幸せにしてもらえる権利があると思い込んでいる、ということか。娘の側に立って考えることはないから、要求だけを思い描く。それによって、娘がどういう思いでいるか、なんてことは、一切考えない。娘の気持ちなどどうでもよいのだ。あるいは、娘がそれによって困るはずがなく、自分の幸せが娘の幸せであると思いこんでいるのかもしれない。多くの昔の夫族が、自分の幸せが、妻の幸せだと信じて疑わなかったように。

 母は、私と話していても、真面目に会話をする気がないから、ふんふんと、聞こえなくても適当に相槌を打っている。が、時として、正面から私の顔を見つめて、話しかけることがある。
 昨日の会話はこんなふう。最近、夜もなかなか眠れないことが多いそうだ。(最近と言っても、ここ何年もそう言っている。)いろいろ、こんなふうに眠れなかった、少しうとうとしたが4時ころにはまた目が覚めた、という話を事こまかにした挙句、真顔で、私を見つめ、姿勢まで正して、「熱中症かしら?」と、こちらの返事を待つ。
 「さあ、、、」としか返事のしようがない。そういうのを熱中症と言うのか、言わないのか、、、。翌日ぴんぴんして、私たちと一緒に和食の店でウナギなんかを食べているのだから、大丈夫なんじゃないかと思うが、返答に困る。第一、いろいろ言っても、どうせ聞こえないんだから、話す方もくたびれるのだ。

 父も年をとるにつれて、どんどん耳が遠くなっていったが、もともと私と会話をする人ではなく、日常レベルで私を頼っていたわけではないので、あまり気にならなかった。若い時も年をとっても、距離が変わらないので、好々爺になった分、印象は悪くない。
 しかし母は、一人になった分、日常の楽しみ、生きがいの部分も、私に期待しているようで、荷が重い。母は何が望みだったのかわからない。が、母が親せき筋やご近所の離婚話などを好んでするのを(しかも同じ人の過去の出来事を、昨日のことのように何度も噂をする)、私が一緒になって興味津津で聞けばよかったのか。最近は芸能人の離婚話やスキャンダルについて話をしたいらしいふしが見えるが、彼女の価値観は「身持ちが良いのがよい」ということなので、これが厄介なのだ。不倫とか、恋多き女性とか、そういう人の不幸は好きらしく、「やっぱり、身持ち良くしておかないと、、、」と、話をそこに落としたいようなのだ。それが、彼女の、華やかな恋愛も何もなかった人生を肯定して、「それで良かった」と結論づける役割を果たすのだろうが、そこに合わせてしまうと、私の価値意識と抵触してくるので、そう簡単に同意もできない。要するに、その価値観の違いなどに想像力を働かせることもなく、ただ自分の狭い世界に私が適合することを当然と思っていることに、いらだちを覚えるのだ。

 母を見ていると、どのように年をとればよいのだろうと途方に暮れる。母の娘だから、似ているかもしれない。私の娘は、私と母が、どうしてこんなに違うの? と思うくらい違う、と言う。だから、あなたはおばあちゃんのようにはならないと思う、と言う。しかし、先のことはわからないからなぁ。

 母は、ずっと反面教師であり続けた。母と何とかやっていけるのは、娘や息子が一緒に買い物につきあってくれたり、ランチを一緒にしてくれるからだろう。
 父母から学ぶとすれば、とにかく、年々機嫌よくなること。気難しさは、どんどんとれる。母も、踏み込んだつきあいをしなければ、機嫌の良いおばあさんだ。そこだけは、見習いたいと思う。思うようにならないことに対して、どんどん諦める。非力な人の、最後の生きる知恵なのかもしれない。





 

人の心が読めない

2011-08-16 23:21:55 | 人間関係
 ある人が、Aさんの言動に困っている私に、「私からAさんに言って来てあげましょう」と、申し出てくれた。しかし、私には、人を介してAさんに言ってもらうのもどうかなぁ、というためらいがあり、「そうですねぇ、、、」と言いながら、その時はそのままになっていた。
 しばらくそのことは忘れられていた。私も、その話はなかったことになったと思っていた。が、ある日、その人はメールで、「Aさんに言って来てあげるとこのまえ言いましたが、どうしますか? 言って来てあげますよ」と、催促のようにきいてきてくれた。
 Aさんの言動には、やはり一度は、クレームをつけた方がよいと思えたし、せっかく仲立ちをしてくれると言うのだから、やはりお願いしようかな、と思った。
 それで、「お願いします」と言ったら、「それなら、Aさんに伝えたいことを書いて、送ってください」と言ってくれたので、Aさんに、Aさんの言動がなぜ私は困るのか、縷々書いたものをつくり、「よろしくお願いします」とメールで送った。

 すると、すぐに返事が来た。「Aさんに私から言って欲しい、ということなら言いますが、しかし、約束してほしいことがあります。このことには、私は関係がないので巻き込まないでください。それから、、、」と、いくつか書いてあった。要するに、自分に迷惑をかけてくれるな、という話だ。「え?」と、目が点になる私。
 「言って来てあげましょう」と申し出てくれて、催促までしてくれて、伝えてほしいことを書いてくれ、と言ってきたのは相手の方ではなかったか?
 
 まるで、私がいやがるその人に、Aさんへの伝言を頼んだかのようになっている。わけがわからない。が、すぐさま、「やっぱり結構です」と、お断りした。あれは、一体何だ?

 今回は、次のようなことがあって、途方に暮れている。
 ある人が、講座の中で行う寸劇のシナリオを書いた。でも、講師の話の前に行うには、ちょっと効果の薄い構成。どうしようかと迷ったが、やはり、講座の効果のことなどを考えると、一度は意見を言っておきたいと思った。それで、「ちょっと、意見を言ってもいいですか」とメールを出したら、「大歓迎です。100パーセント変えてもいいので、ぜひ、お願いします」と返ってきた。
 100パーセントの修正もOKなら、安心して意見が言えると思って、構成のアイデアを書いた。別に100パーセントの修正にはならない。しかし、私の意見に対して、どうもご機嫌を損ねられたようだ。
 「え?」となる私。100パーセント書き換えてもいいくらい、意見は歓迎するのではなかったの? え? え?

 よくわからないが、言っていることと、考えていることが異なる人が結構いるようだ。

 通常、「あのように言いましたが、よく考えると、違う気持ちになったので、、、云々」という説明でもあれば、理解しやすいが、何かはじめから自分はそうであったかのような態度。よくわからない。
 いつも、人の言うことをそのまま受け取って、失敗する。

 思っていることを言ってほしいのよね。心にもないことは言わないでほしいのよね。気が変わることもあるから、気が変わってもいいけど、それなら、気が変わった、と言ってほしいのよね。何か、こちらに問題があるかのようにふるまうのはやめてほしいのよね。
 

自分の死に方

2011-08-15 12:36:59 | 自分
 子どもの頃、自殺願望にとりつかれていた。この世からいなくなりたい、あるいは、生きていくことが辛い、という気持ちをかかえ、死ぬことばかり考えていた。あれは、今思えば、鬱だったのだろう。子どもでも、自分について批判ばかりされていては、鬱になる。自分は生きていてはいけない人間なのかと落ち込んでしまう。まさに、それだったのだろう。批判され、落ち込んでいれば、またもやその落ち込んでいる姿を批判されるのだから、身の置き所がなかったのだ。

 しかし、そのような子ども時代・青年期を経て、30歳代になってから、初めてカウンセリングに通い、元気を取り戻した。カウンセリングの成果は、自己肯定ができるようになったことだ。根拠のない自己否定を捨て去った。親の呪縛を塗り替えることができた、ということだろう。
 親は、私について気に入らないことは、何のためらいもなく、存分に私を批判し尽くしたが、親の方は、生んだ子への絶対的支配性を信じて疑ったこともないので、自分の言葉が子どもを傷つけるなど、想像もしない。完全に、自分の支配下、保護下にある存在だから、自分の思うように子どもを方向づけることができると、全く無根拠に思いこんでいる。その無知な親の妄言に、ここまで深く傷ついていたのかと、自分自身に気づくことになった。
 無批判にただただ受け容れて深く傷ついていた親の批判的言動について、客観的に評価し直して、根拠のない自己卑下する気持ちから脱却した。
 自信過剰な人も根拠がなければ、劣等感も根拠はない。誰にどのように評価されてきたか、というところに、子どもの自尊感情は依拠している。
 カウンセリングは、それを教えてくれた場だった。

 それで、意味のない自殺念慮からも解放された。ようやく、元気で生意気なくらいの私を取り戻した。

 そして、今度は「癌」になった。医師から病名を告げられたとき、子どもたちには相変わらず冗談を言っていたが、子どもたちと離れた一瞬、泣いてしまった。が、それも一瞬だ。あとは、気持ちの整理にかかった。

 今は、病気もだいぶん遠ざかり、元気になって良いはずなのだが、今頃精神的に不安定になってきている。癌を発症した原因である職場でのいじめ、仕事がらみのハラスメントで受けたダメージが、今頃、心に作用しているようだ。からだの病気が治ってきて、今度はこちらのトラウマで、日々苦しんでいる。
 だいたいこういうダメージは、忘れた頃に出て来ることが多い。

 夫が亡くなった時から、度重なる様々な困難と境遇の変化に、なんとか耐えてきていて、からだは病んだけれど、精神的には結構健全だと思っていた。
 しかし、ここにきて、相当参っている私がいる。なんとか気持ちを浮上させようといろいろなことをしてみたが、結局、気持ちが救われない私が、死ぬことをふと考えるようになっている。

 いつの日か、自死を選ぶようなそんな気がする今日この頃。子どもの頃のままだと、最近思うことが多い。あの頃の鬱が、よみがえっているような気がする。

「被害者」という武装

2011-08-05 17:23:10 | ハラスメント
 かつて、女たちは二次的地位に置かれ、「女は黙ってろ!」などとはじき出され、意見を言うことも出来なかった時代は確かにある。だからこそ、女達は立ち上がったのだ。

 しかし、昨今の女たちの言動に、私は首をかしげざるを得ない。自分の気に入らないことが優先されること、自分の意見が容れられないこと、意見の違いのすりあわせがうまくいかないこと、そういうことに直面すると、たちどころに、ハラスメントの被害者になる、という人たちがいる。それは、議論に敗北したのであって、ハラスメントの被害者ではない。

 女たちは闘うことが苦手な人が多い。結局、武器は、「被害者」「弱者」という立場に立つこととなり、その立場から相手を攻撃することになるのか。
 
 おかしな論理を振り回して、自分の不安定な情緒を全開させている人の相手をするのは、確かに疲れる。冷静になってほしいなぁ、、、と思う。
 でも、「弱者」「被害者」の立場に立つのは卑怯だなぁと思うこともある。しかし、まともな議論を避けて裏で画策して、その人を排除する人も卑怯だなぁと思う。結局、そんな卑怯な人たちの駆け引きには巻き込まれたくないので、私は距離を置く。

 組織運営には、そういう手を汚すことも必要だ、と聞いたことがある。それなら、組織運営などするまい。正攻法でいきたい。正攻法でやれないことは、やらないことにするしかない。

 でも、組織って、みんなおかしくなるものなのか。狡猾に裏で画策するか、「被害者」で武装して攻撃するか、大声で力づくで人を圧制するか、それしかないのか。
 民主的な組織づくりって、ほんとうに絵空事なのか、、、。